デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.180-195(DK430014k) ページ画像

大正13年3月23日(1924年)

是日、当社第七十回春季総集会、帝国ホテルニ於テ開カレ、当社ノ組織ヲ改メテ財団法人ヲ設立スルニ付キ、寄付行為決定ノ件ヲ可決ス。栄一出席シテ演説ヲナス。

五月十五日、財団法人竜門社設立ノ件許可セラレ、
 - 第43巻 p.181 -ページ画像 
次イデ六月七日、栄一、名誉会員ニ推サル。


■資料

竜門雑誌 第四二七号・第五三―五四頁大正一三年四月 ○本社評議員会(DK430014k-0001)
第43巻 p.181 ページ画像

竜門雑誌  第四二七号・第五三―五四頁大正一三年四月
○本社評議員会 本会評議員会は、三月廿三日午前十時、帝国ホテルに於ける総集会開催前、同所に於て開会せらる。阪谷評議員会長、議長席に着き、
 石井健吾君   利倉久吉君    中村鎌雄君
 永田甚之助君  八十島樹次郎君  増田明六君
 明石照男君   佐々木勇之助君  木村雄次君
 渋沢義一君   諸井恒平君    杉田富君
 鈴木紋次郎君
の各評議員列席の上、幹事より本日総集会に附議すべき各項の議事を報告して承認を求めたるに、満場一致原案を承認し、次で、幹事は更に入社希望の申込者に対し其諾否を求めたるに、是亦満場一致を以て別項○略スの如く可決したるに依り、議長は玆に閉会を告げ、直に総集会に移れり。


竜門雑誌 第四二七号・第四六―五三頁大正一三年四月 本社第七十回春季総集会開会(DK430014k-0002)
第43巻 p.181-187 ページ画像

竜門雑誌  第四二七号・第四六―五三頁大正一三年四月
    本社第七十回春季総集会開会
 三月廿三日午前十時、帝国ホテルに於て、本社第七十回春季総集会を開く。評議員会長男爵阪谷芳郎君、議長席に着き開会を宣し、左記議案より順次承認及議決を請ふ旨を述ぶ。
  第一、社務及会計報告承認の件
    大正十二年度社務報告

一、会員
  入社会員{特別会員 六名通常会員 参拾名}              合計参拾六名
  退社会員{特別会員 拾六名通常会員 弐拾名}             合計参拾六名
  現在会員{名誉会員 壱名特別会員 四百七拾四名通常会員 五百四拾五名}合計壱千弐拾名
一、現在役員
  評議員会長       壱名
  評議員(会長・幹事共)弐拾名
  幹事          弐名
一、集会
  総集会         壱回
  評議員会        参回
一、雑誌発行部数
  毎月一回   壱千八拾部
  年計     八千六百四拾部
   備考 本年度に於て八月二十五日発行の雑誌は、震火災の為全部烏有に帰し又九月・十月・十一月発行の分は休刊せり
    大正十二年度会計報告
      収支計算書
 - 第43巻 p.182 -ページ画像 
        収入之部
一金九拾五円也            寄附金
一金壱千弐百参拾壱円参拾銭      会費
一金壱万参千八百九円参拾七銭     配当金
一金六拾七円六拾銭          雑収入
 合計金壱万五千弐百参円弐拾七銭
        支出之部
一金九百拾七円六拾八銭        総集会費
一金五百六拾六円八拾銭        評議員会費
一金壱千弐拾弐円八拾六銭       雑誌印刷費
一金壱千六百弐拾九円也        俸給及諸給
一金壱千拾弐円六拾弐銭        税金
一金弐百五円七拾四銭         利息
一金七拾円七拾弐銭          郵税
一金弐百拾弐円拾六銭         雑費
一金五百四拾円八銭          災害損失金
 合計金六千壱百七拾七円六拾六銭
差引
 金九千弐拾五円六拾壱銭       超過金
        但積立金へ編入したり
      貸借対照表
        貸方之部
一金六万四千弐拾弐円弐拾九銭     基本金
一金参万九千五百弐円九拾八銭     積立金
 合計金拾万参千五百弐拾五円弐拾七銭
        借方之部
一金九万壱千六百四拾七円弐拾五銭   有価証券
 金五万七千円 第一銀行株式九百株(一株に付金五拾円払込済)一株に付金六拾参円参拾参銭の割
 金参万参千七百五拾円 第一銀行新株式九百株(一株に付金参拾七円五拾銭払込)一株に付金参拾七円五拾銭の割
 金八百九拾七円弐拾五銭 四分利公債額面壱千円但竜門雑誌発行保証金宛
一金四拾弐円也 保証金
 金弐拾五円            竜門雑誌発行保証金
 金拾七円             約束郵便保証金
一金壱万壱千八百弐拾九円五拾参銭
               東京貯蓄銀行預ケ金
一金六円四拾九銭           現在金
 合計金拾万参千五百弐拾五円弐拾七銭

右幹事より朗読し満場一致を以て原案承認。
  第二 決議案
   第一号 財団法人竜門社設立に付之か寄附行為決定の件
  理由 竜門社は明治廿一年の創立にして、爾来三十六年を経過し会員壱千弐拾名に上り、財産も本開会通知書に記載したる如く、合計金拾万余円に達せり、依りて評議員会は之か組織を財団法人と改め、益青淵先生の主義宣伝に努むると同時に、財産を安固な
 - 第43巻 p.183 -ページ画像 
る基礎に置くの必要を認め、屡会合議決の上、本案を提出するに至りし次第なり
財団法人と為す寄附行為案は、去二月発行の竜門雑誌に掲載したるが其後幹事に於て関係官庁主任と交渉する所あり、多少修正を加へたる点あるを以て、改めて幹事之を朗読す。
    財団法人竜門社寄附行為
      第一章 名称及ひ事務所
 第一条 本社は竜門社と称す
 第二条 本社は事務所を東京市日本橋区兜町弐番地に置く
      第二章 目的及ひ事業
 第三条 本社は渋沢青淵先生唱道の経済道徳合一主義に基つき、主として商工業者の智徳を進め、人格を高尚にするを以て目的とす
 第四条 本社は、前条の目的を達する為め、左の事業を行ふ
    一 会員の集会を開く事
    二 講演会及ひ談話会を開く事
    三 雑誌を発行する事
    四 右の外、評議員会に於て、本社の目的を達するに必要と認めたる事項
      第三章 資産及ひ会計
 第五条 本社設立の日に於ける資産は、別紙財産目録の通とす
  資産の管理並に運用の方法は、評議員会の議決を以て之を定む
 第六条 本社の経費は、左に掲くる諸収入金を以て支弁す
    一 資産より生する収入金
    二 会費
    三 寄附金
    四 其他の収入金
 第七条 本社の会計年度は毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終る
 第八条 本社の予算は、毎会計年度開始前、評議員会の議決を経て之を定め、決算は、其終了後、評議員会の承認を経て、会員総会に報告すへきものとす
      第四章 会員
 第九条 本社の会員を分ちて左の二種とす
    一 通常会員
    一 特別会員
 第十条 会員たらんことを望む者は、会員二名以上の紹介を以て、本社に申込むへし、其諾否は評議員会に於て、無記名投票を以て之を定む
 第十一条 会員は会費として、毎年左の金額を二期に分納すへし
    一 通常会員    金二円
    一 特別会員    金五円
 第十二条 理事長は、評議員会の議決を経て、特に名誉会員を推薦することあるへし
  名誉会員は会費を要せす
 - 第43巻 p.184 -ページ画像 
 第十三条 会員退社せんとする時は、本社に申出つへし
 第十四条 会員にして本社の目的に違背し、又は体面を汚損するの行為ありと認めらるゝ者は、評議員会の議決を経て、之を除名することあるへし
 第十五条 会員は雑誌の配布を受け、集会・講演会及ひ談話会に出席することを得
      第五章 役員
 第十六条 本社に左の役員を置く
    一 理事     七名
    一 監事     二名
    一 評議員   三十名
 第十七条 理事及ひ監事は評議員会の推薦により評議員会長之を嘱託す
 第十八条 理事は互選を以て、理事長一名並に常務理事二名を定む
 第十九条 評議員は隔年其半数宛を改選す
  前項に依り新任すへき半数は、留任者の推薦に依りて、評議員会長之を嘱託す
 第二十条 評議員は互選を以て、評議員会長一名を定む
 第二十一条 理事・監事及ひ評議員は会員中より推薦するものとす
  理事又は監事は評議員を兼ぬることを得
 第二十二条 役員の任期は四ケ年とす、但し再選を妨けす
  補欠に依り就任したる前項役員の任期は、前任者の残任期間とす
 第二十三条 役員は任期満了するも、後任者の選任に至るまて其職に在るものとす
 第二十四条 役員は総て無報酬とす
 第二十五条 理事長は本社を代表し、会務を統轄す
 第二十六条 理事長事故あるときは、他の理事其職務を代理す
 第二十七条 常務理事は理事会の決議に基き、日常の事務に従事し及ひ評議員会の議決したる事項を処理す
  常務理事は理事会の議決を経て、有給の書記を任用することを得
 第二十八条 理事長は必要に応し、理事会の議決を経て、委員を置くことを得
  委員は会員中より之を嘱託す
      第六章 役員会及ひ会員総会
 第二十九条 評議員会及ひ理事会は、理事長に於て必要と認めたるとき之を招集す
  評議員五名以上又は監事より請求ありたるときは、理事長は評議員会を招集することを要す
 第三十条 評議員会は評議員会長を以て議長とし、理事会は理事長を以て議長とす
 第三十一条 評議員会は評議員四分の一以上、理事会は理事二分の一以上出席するに非されは議事を開くことを得す、但し同一事項に付再回招集の場合は此限にあらす
  評議員会及ひ理事会の議事は、過半数を以て之を決す、可否同数
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なるときは議長之を決す
  理事及ひ監事は、評議員会に出席して意見を述ふることを得
 第三十二条 会員総会は毎年一回以上之を開く
      第七章 補則
 第三十三条 本寄附行為は、評議員四分の三以上の同意を得、且主務官庁の認可を受くるに非されは、之を変更することを得す
 第三十四条 本寄附行為の施行に関し必要なる細則は、評議員会の議決を以て別に之を定む
      第八章 附則
 第三十五条 本社設立の際に於て、元竜門社の会員たるものは、本寄附行為に定めたる手続を要せすして、本社の会員たるものとす
 第三十六条 第一期の評議員は、特に其指名選定を渋沢青淵先生に請ふものとす
 第三十七条 第一期評議員の半数は、其任期を二ケ年とし、抽籖を以て退任者を定むるものとす
 第三十八条 本社設立当時に於ける理事の職務は、設立者総代に於て之を行ふ

   第二号 財団法人竜門社設立に付、本社現在所有の資産全部を同社に寄附するの件
   理由 第一号議案可決の上は、其財産を挙げて新組織の法人に寄附するを適当と思惟する次第なり
幹事資産目録を朗読す。
    資産目録
 一金九万壱千六百四拾七円弐拾五銭  有価証券
    内訳
金五万七千円 第一銀行株式九百株(壱株に付金五拾円払込済)壱株に付金六拾参円参拾参銭の割
金参万参千七百五拾円 第一銀行新株式九百株(壱株に付金参拾七円五拾銭払込済)壱株に付金参拾七円五拾銭の割
金八百九拾七円弐拾五銭 四分利公債証書額壱千円但竜門雑誌発行保証金宛
一金四拾弐円也            保証金
    内訳
 金弐拾五円    竜門雑誌発行保証金
 金拾七円     約束郵便保証金
一金壱万五千百八拾四円五拾壱銭
               東京貯蓄銀行預ケ金
一金四拾六円也            現在金
 合計金拾万六千九百拾九円七拾六銭

   第三号 評議員会長男爵阪谷芳郎を、財団法人竜門社の設立者と為し、之か設立に関する一切の事項を委任するの件
  理由 事務取扱の敏捷を図る為め、本案を提出する次第なり
右決議案の各号に付順次決議を求めたるに満場一致を以て原案を可決したるに依り、阪谷議長は本寄附行為第三十六条に依る評議員の選定指名は後日青淵先生に請ふべき旨を述べ玆に無滞議事の終了を告ぐ。
 - 第43巻 p.186 -ページ画像 
        ×
 議事終了後、阪谷男爵は、本社会員は孰も実業家にして、今や昨年の大震災復興に付多忙なるべければ、帝国対外国関係に関しては注意を払ふの余暇もあらざるべきを以て、参考までに現在の対外関係、主として米国関係を述ぶべしとて、日米問題に関する演説あり、終つて午餐会に移り、午後一時半講演会を開始し東京帝国大学文学部大島正徳君の道徳と経済とに関する講演及最後に青淵先生の本社会員に対する訓示演説ありて、三時散会せり。
 尚ほ当日の出席会員左の如し。
 青淵先生     大島正徳君
 池田嘉吉君    井上公二君    今井又治郎君
 石井健吾君    犬丸徹三君    磯村十郎君
 石井与四郎君   石田千尋君    井田善之助君
 市川武弘君    井上井君     石田豊太郎君
 一森彦楠君    長谷川粂蔵君   原胤昭君
 伴五百彦君    橋本修君     林武平君
 西村暁君     西村道彦君    西野恵之助君
 西潟義雄君    二宮行雄君    西田敬止君
 堀口新一郎君   星野辰雄君    利倉久吉君
 戸村理順君    土肥脩策君    戸谷豊太郎君
 友野茂三郎君   豊田春雄君    土肥東一郎君
 児野博君     尾高豊作君    小田川全之君
 小田島時之助君  岡野利男君    小倉槌之助君
 小畑久五郎君   大塚四郎君    岡原重蔵君
 大橋光吉君    渡辺得男君    和田義正君
 脇田勇君     片岡隆起君    川田鉄弥君
 角地藤太郎君   川島良太郎君   川口寛三君
 柏原与次郎君   金沢弘君     神谷義雄君
 横田好実君    吉池慶正君    横山虎雄君
 横山徳次郎君   高松豊吉君    竹田政智君
 高橋金四郎君   高山慥爾君    多賀義三郎君
 高根義人君    田島錦治君    高橋耕三郎君
 高橋光太郎君   高橋俊太郎君   高田利吉君
 高橋毅一君    高橋静次郎君   田中楳吉君
 俵田勝彦君    田中栄八郎君   田中徳義君
 高瀬荘太郎君   塘茂太郎君    成瀬隆蔵君
 中村高寿君    中村鎌雄君    永田甚之助君
 中野時之君    内藤太兵衛君   中井三之助君
 永野護君     村木善太郎君   武藤忠義君
 村山革太郎君   村上外次郎君   植村澄三郎君
 内山吉五郎君   梅沢慎六君    上野政雄君
 上杉秀松君    野口米次郎君   野口半之助君
 倉田亀吉君    熊沢秀太郎君   山本久三郎君
 山田敏行君    八十島樹次郎君  山口荘吉君
 - 第43巻 p.187 -ページ画像 
 山中譲三君    矢野由次郎君   山村米次郎君
 山本宣紀君    山下亀三郎君   簗田𨥆次郎君
 大和金太郎君   松平隼太郎君   前川益以君
 増田明六君    松村修一郎君   万代重昌君
 松本常三郎君   福島甲子三君   古田錞治郎君
 藤田英次郎君   福島三郎四郎君  藤木男稍君
 福田盛作君    古田元清君    古河虎之助君
 古橋久三君    小池国三君    小林武次郎君
 昆田文次郎君   近藤竹太郎君   河野正次郎君
 小畔亀太郎君   近藤良顕君    小林清三君
 手塚猛昌君    有田秀造君    麻生正蔵君
 明石照男君    安達憲忠君    浅木兵一君
 赤荻誠君     阿曾沼明君    阿部久三郎君
 綾部喜作君    阪谷芳郎君    斎藤精一君
 佐々木勇之助君  西条峰三郎君   佐野金太郎君
 斎藤亀之丞君   佐々木道雄君   佐藤林蔵君
 佐藤正美君    三枝一郎君    木村雄次君
 木村弘蔵君    喜多貞吉君    木村清四郎君
 北脇友吉君    木下憲君     菊池金四郎君
 湯浅徳次郎君   湯浅孝一君    湯口登君
 湯浅泉君     蓑田一耕君    水辺喜一郎君
 南塚正一君    渋沢正雄君    渋沢秀雄君
 清水釘吉君    清水一雄君    渋沢義一君
 柴田愛蔵君    白石喜太郎君   柴田亀太郎君
 島田延太郎君   清水百太郎君   白石元治郎君
 渋沢長康君    渋沢治太郎君   志岐信太郎君
 弘岡幸作君    昼間道松君    平塚貞治君
 平賀義典君    平岡利三郎君   平岡道雄君
 桃井可雄君    門馬政人君    森島新蔵君
 諸井恒平君    関口児玉之輔君  瀬川太平次君
 杉田富君     鈴木紋次郎君   鈴木房明君
  以上


竜門雑誌 第四三二号・第一一―一六頁大正一三年九月 ○本社の組織変更に際して 青淵先生(DK430014k-0003)
第43巻 p.187-191 ページ画像

竜門雑誌  第四三二号・第一一―一六頁大正一三年九月
    ○本社の組織変更に際して
                      青淵先生
  本篇は、三月二十三日、帝国ホテルに開催の、本社総会に於ける講演なり(編者識)
 今日は御多数のお集りで、竜門社の組織が斯く盛大に、且つ鞏固になつた事を、私は特に嬉しく感ずるのであります。当初は先刻阪谷男爵からお話のあつたやうに、私が深川に住つて居る頃に、尾高藍香先生が首領で、其他二・三の学生等の催しで、遂に竜門社と命名されて引続いて、今日まで継続したのであります。恰も小さい雨滴が、ぽつぽつと落ちて、遂に一つの流をなし、源泉滾々として、今日は相当な
 - 第43巻 p.188 -ページ画像 
る河川となつて、大きな船をも浮める迄に進んで参つた。所謂根拠あるものは必ず大を為すのであります。畢竟それは私を中心として下さると云ふことが、寧ろ私の過分なる幸福で、詰りお集りの御一同が本当に力を入れて、斯かる主義を以て、実業界の道理正しい進歩を図つて行きたいと云ふ御意見が、各方面から集合したので、今日の諸君は実業上に於ては、総ての事業を網羅して居ると申しても宜いのであります。商業もあれば、工業もある、鉱山業もあれば、運搬業もある、又中には学者もあれば、教育家・法律家と云ふやうに、一つの竜門社として、一方には学理を研究し、一方には事実を考覈し、追々に拡大して、遂に今日は財団法人と相成つて益々力も増して行く。其初めは年一回の懇親会を開くさへも、あれやこれやのお情けで開催した場合も多かつたやうでありますが、今日は左様な微々たるものではなくなつたのは、洵に喜ばしい事であります。総じて事物が順好く進んで行くと、自然と大を成すやうに思ひます。併し或る場合には俄に進歩を図る為めに、一時大に進んでも、後に種々の障碍を生じて、進まんとして進むことも出来ず、遂に挫折に陥る事もある、殊に斯様な有志団体には、間々其弊が生じ易うございます。然るに本社の如きは、誰も特に大なる力を用ひずして、斯く盛大に進んで参つた事は洵に喜ばしいことで、中心として下さる私が寧ろ恐懼に堪へぬやうであります。併し斯様に順序よく進んで参りました以上は、是から先き蹉跌を来すやうな事は、必ずなからうと信じますが、併し事物はそれに安んじたら、偸安即ち衰頽の源となりますから、此竜門社をして将来堅実に進んで行かうとするには、現在の諸君、特に要部に任ずる人々の心の用ひ方、力の致し方が大切であると云ふことを、どうぞお忘れないやうに願ひたうございます。
 只今大島先生の社交に対する道徳、若くは経済に対する道徳説を、実例を引いて細かにお述べ下さいまして、私が不断に商業道徳を称へ居りまする素人極めの臆説を、学者先生がチヤンと決めて、如何にも然りと御判断下すつたことは、私は何だか鑑定家に証明を得たやうに嬉しく思ふのでございます。併し私が此実業道徳――商業道徳を主張するは、決して一朝一夕ではありませぬで、随分年久しい事でありますから、度々申しますけれども、今学者先生の段々に証明をして下さるに就て、更に其昔を回顧して、玆に竜門社の将来に進歩して行くに就ては、どうぞ斯う云ふ考を持つて努めて戴きたいと云ふ事を、重複ながら更に一言申上げたいと思ひます。
 明治六年、私が大蔵省の官吏をやめて、銀行者になると云ふのは、其時の思ひ立でなくて、明治元年に欧洲から帰朝したときに、私の期念は向後どうぞ政治界でなく、それ以外に多少なりとも国の為に微力を尽したいと考へたのであります。それは其前に青年ながら、大学の綱領たる明徳を天下に明かにして、道徳の実体を政治に依つて高調しようと思うたのは、全然謬誤であつて、最早さう云ふ事に力を用ふべき身柄ではなくなつたと考へたものですから、故郷に帰つて元の農業をするのでなく、何か国家に貢献する途があるのであらうと考へますると、当時の有様では、最も力の弱い実業の方面であるやうに思ひま
 - 第43巻 p.189 -ページ画像 
した。私の微力果して成功するか分らぬけれども、併し一身を之に投ずることは、決して無用でなからうと思うたので、将に横浜へ上陸する頃より之を思うて、其後駿河へ参つては尚更其考が強くなつて、遂に駿河で商法会所なるものを創設したのも、全く其意念から着手したのであつた。其翌年大蔵省に呼出されて、租税正を命ぜられたから、振切らうと思ひましたけれども、先輩の勧告に依つて、二・三年と思うた所謂お役勤め、大蔵省に奉公をしたのも、実業界の地盤が作りたい為めであつた、蓋し政治上の誘導がなければ、経済上の発達を成す事も出来ないからであります。大蔵省の勤務中、丁度明治五年に、銀行制度が確定しましたに就て、其六年から、第一銀行に従事するやうに相成つたのも、唯、銀行だけ成立すれば、それで宜いと云ふ積りでなくて、実業界の進歩が之に依つて為し得られるだらうと思うて、即ち富を造ると云ふことに力を入れて見よう、但し自身が富むことは、自己にそれ程の才能もなく、又望みもなかつたから、唯々日本の富を進めると云ふことに、力を添へようと思うた。是と同時に其富むと云ふことに就ては、道理と云ふことを考へなければならぬ。蓋し富むと云ふことが、必ず弊害を伴ふものである。強い政治の力が亦、弊害を生ずるものである。総て事物には、利益に対して弊害と云ふものが、直ぐ附いて来るものである、一家の盛衰に見ても、祖父の丹誠に依つて家が盛になる、其子までは宜いが、孫になると勤勉の働きを忘れて弊害のみが存するから、遂に売いえと唐様で書く三代目と云ふやうになる、斯の如く一個人にしても尚然り、国家の富に就ても同様であらうと考へざるを得ぬのですから、自己の富を為して、大富豪にならうと云ふ考は勿論なかつたけれども、どうか国の富を増したい、而して其富に対する弊害を防ぎたいものだと、深く考慮した。其弊害は何に依つて防ぐか、是は商業に対する道徳と云ふものを、完全にして行かなければならぬ。即ち商業道徳と云ふものを高調する必要がある。全般に対しても尚然り、己れ自身に於ても勿論之を心掛けねばならぬ。己れの富を致すと云ふ場合に、先刻大島先生が仰しやる通り、富むと云ふ目的が、自己さへ富めば宜いと云ふと、遂に目的の為に手段を択まずと云ふ事になる。殆ど大部分の人は皆それである。故に己れの恪守する何等かの信条がなければならぬ。そこで私は相応しからぬ選み方ではありましたけれども、耶蘇教は知らず、仏教も信仰しなかつた神道も勿論無学である、故に信頼すべきものは、先づ儒教より外ない而して孔子の教は、日常の社交的にも、経済的にも、間違のないものだと深く信じて居つたから、そこで烏滸がましい申分だが、宋の趙普が論語の一部を以て太祖を助け、一部を以て自分を修めたと云ふことに倣うて、私は論語に依つて実業を経営して行かうと、覚悟したのである。是は己れを戒めると同時に、幸に我目的が達して、他日日本の富が進んで行つたら、それに伴つて生ずる弊害を防ぐにも、一つの道理に依らねばならぬ。即ち論語に信頼して、経済道徳合一と云ふことにするが宜からうと、斯の如き趣意を私の信条として、相変らず微力を致して参つたのであります。竜門社の発端も、其趣意は単に宣伝ばかりでなく、斯くすれば斯うなるだらう、斯くしたら斯様に成つたと
 - 第43巻 p.190 -ページ画像 
云ふことを研究もし、討論もして、歩一歩と進めて行き、遂にそれが追々に盛大に進んだのは、即ち論語算盤の主義が強ち間違つて居らぬ否、大に社会に容れられべきものであつた確証と、深く喜ぶのであります。先刻大島先生の御演説中に昔の商売人の有様は斯様であつた、斯う云ふ風に卑下されたと言はれたが、若い御方の観察だから、昔の町人武士の関係を、唯耳にお聞きになつたゞけで、身に接触しては居られぬ。私抔其境遇に在りて、常に実際に触れた身柄では、中々今仰しやる位のものではなかつた。道理などゝ云ふものは、士大夫以上の論ずべきもので、農工商に至つては道理も何もあつたものではない。悪く比喩すれば、一種の動物であると云ふやうな有様で、商売人は唯自己さへ好ければ宜い、慾張りさへすれば宜い、嘘を吐くのは当り前だ、嘘は商人の資本だなどゝ、実に情けない有様であつた。我竜門社の今日は、大に相違して居りますけれども、世間が総てそれ迄になつて居るや否やは疑問である。殊に私は此実業界中にも、我竜門社員の如きは、昔の有様と全然違つて来た事は、正確に証明し得られるが、翻て政治界はどうであるか、今此処で論じたら、新謂自画自讃であり殊に、一切政治に関係せぬ私が斯界の批評をすることは、得手勝手の振舞と言はれるか知らぬけれども、私は平素から、政治は所謂明徳を天下に明かにするもの、道徳に依つて政治は為すべきものと信じて居つたが、今日の政治界の有様は如何であるか、実業界が漸次に道徳に接近すると思ふに引替へて、政治界の現状は実に苦々しく感ずるのであります。此有様で進んで行つたならば、今大島先生の昔は武士が政治を支配したと言はれたが、将来は実業界から、政治を支配しなければならぬやうになつて来はせぬかと思はれます。
 次第に声も嗄れて来まするし、長いお話は出来ませぬが、玆に今一つ申上げて置きたい事は、総て事物の都合好く進んで参るに就て、其間に弊害は生じ易いものである。故に私は成るべく或る効力をして、一の閥閲と化せしめぬやうに注意せねばならぬと思ひます。其実力実効なくして余威を他に及ぼすやうな事を慎まなければならぬと思ふ。若しも此竜門社でも、段々と閥を造つて、竜門社風を吹かすやうな事に成行いたら、必ず其の効果はそれだけ衰へて来ると云ふことを考へなければならぬ。私は政治上若くは経済上に就て、卓抜なる手段によりて、此閥を造ることを厳正に避けた現れは、亜米利加に二人あると思ふ。ジヨージ・ワシントンとアンドリユー・カーネギーとであります、此二人は、実に政治界・経済界での非凡の人と思うて、私は深く尊敬して居りますが、昔から凡百の事物の一張一弛、一進一退、変化して行くのは、効力ある為に盛大になり、盛大になる為に閥が出来る閥の出来る為に事実が衰へる。詰り山道を上り下りして、終には影が薄くなる。是は畢竟、事に当る人々が自己満足を致しますと、此閥が生じて来る、閥が生じて来ると、怠慢が起つて、真正の勉強が欠けて来る、果して此真理を研究してからの発意であつたかは私は承知しませぬけれども、彼のワシントンは、あれ程亜米利加に偉大の効果を奏して、人望の全く一身に帰したにも拘らず、亜米利加の国体をして、完全無垢の共和政治たらしめ、三度目の選挙を断然謝したと云ふこと
 - 第43巻 p.191 -ページ画像 
は、尭舜の禅譲を聖人の徳行とする支那人の理想を、ワシントンは一身に経験したやうである。此美風が、今日総て存在して居るとは言ひ兼るけれども、現今の亜米利加国風を成したのは、当初ワシントンの天下を家にせざるの大功績と言はざるを得ぬのであります。彼のアンドリユー・カーネギーが、十四歳の少年で英吉利から移つて来て、非凡の才能と勤勉とを以て、一代に大富豪となつたけれども、氏は一身を唯其事業に供して、聊も閥を造らず、其富を全く公共に供し、子孫の為に美田を買ふと云ふやうな事をせぬのは、洵に愉快極まる行動と思ひます。是等は特殊の偉人の為したる稀有の歴史でありますけれども、総じて社会的の事は、其事業が進みつゝあると、効果より生ずる勢に頼むと云ふ事が生じ易うございます。是は政治界に多く見えて、人の厭ふ所である、多数を占めた政党などにも、直に閥が出来る。例へば維新の際に徳川幕府を倒した薩長には藩閥が出来た。之に対して又反抗力が生じたが、其反抗力を生じた者が、又同じく閥を造つて、今度は他から反抗を受ける。甲是乙非、実に厭ふべき事であるから、吾々経済界、而も道徳の合一を理想とする者は、切に閥閲を造らぬことを心掛けて貰ひたい。此竜門社の未来に対しましても、追々に勢力が増して来るに従つて、中心に立つ人々が深く考慮して下さらぬと、徒に量ばかりが大きくなつて、其質が悪くなると云ふやうな事が、生ぜぬとも限りませぬ、竜門社をして飽迄も未来あらしむるには、常に自ら抑遜して、今大島先生のお説の如く、器用の人間ばかり多くなつては困るから、各自深く省る所ありたい。竜門社の斯く迄進んで、玆に基礎ある組織の出来ましたことは、私の此上もなく喜ぶ事でございます。それに就て其起源は斯うであつたと云ふことを、斯かる機会に申上げるのも、無用の弁ではなからうかと思ひます。此竜門社をして将来堅実に進めて行きたいと云ふ事を希望するのも、私としては当然の事と思ひまするので、此一言を申添へて置くのであります。


(増田明六)日誌 大正一三年(DK430014k-0004)
第43巻 p.191-192 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年      (増田正純氏所蔵)
二月廿六日 火 晴
出勤、午前九時、阪谷男爵を原町の同邸ニ訪問○中略尚竜門社春季総集会開会ニ関し、種々指揮を受け○下略
  ○中略。
三月廿三日 日 晴
午前十時、帝国ホテルに於ける竜門社総集会ニ出席、先つ評議員会あり、総集会ニ提出する社務及会計の報告、並組織変更ニ関する社則改正案を承認し、続て入社申込者を決定し
午前十一時、総集会ニ移り、阪谷評議員会長議長席ニ付き、第一議決案の第一号財団法人竜門社寄附行為決定の件、第二号竜門社現在財産の全部を財団法人竜門社ニ寄附するの件、第三号竜門社評議員会長阪谷男爵を財団法人竜門社の設立総代と為し、設立ニ関する一切の行為を委任するの件ニ付き、各号増田幹事より説明し、尚右寄附行為を逐条朗読す、議長衆議ニ諮りたるニ、満場一致原案を可決し、次て第二社務及会計の報告増田幹事朗読、議長之を衆議ニ諮りたるニ、均しく
 - 第43巻 p.192 -ページ画像 
異議無く、即ち満場一致又之を可決したり、右にて議事を了す
次て講演会ニ移り、阪谷男爵の日米問題ニ関する講演あり、終りて午餐会ニ移る
餐後再度講演会を開催し、大島正徳氏(東京帝大文学部教授)の道徳と経済と云ふ表題の講話あり、次ニ青淵先生の社員ニ対する訓諭演説あり、一同歓を尽し午後三時半終了
○下略
  ○中略。
四月十一日 金 曇
出勤前、阪谷男爵を原町の邸ニ拝訪して、竜門社新役員を青淵先生ニ御指名を請うニ付き、其候補者ニ対する意見を聴取して、原案を決したり
○下略


中外商業新報 第一三六六五号大正一三年三月二四日 竜門社は財団法人に 渋沢子は閥を作る弊を戒む(DK430014k-0005)
第43巻 p.192-193 ページ画像

中外商業新報  第一三六六五号大正一三年三月二四日
  竜門社は
    財団法人に
      渋沢子は閥を作る弊を戒む
竜門社の第七十回春季総集会が、廿三日午前十時から、帝国ホテルで開かれた、社務と会計報告があつて後、満場一致で、竜門社を財団法人の組織に改むるについて決議し、竜門社二月末日の現在財産十万七千二百五十円を右法人に寄附することゝなつた、ついで阪谷芳郎男から、日米問題についての講演があつた、昨今八ケ敷しい日米問題はつまるところ
 (一)米国憲法の改正(二)移民法の改正(三)土地法といふ三ツの要件をもつことを忘れてはならぬとゝもに、米国の移民制限とか禁止とかの議のある事情についても、多少諒解するところがなければならぬが、結局、日米政府国民間には、遠からず円満に交渉が成り立ち得ることを信し、またこれを成立たしめねばならぬ
と結び、午餐を摂つた、食後、東京帝国大学の大島正徳氏は「道徳と経済」について講演をなし、又渋沢青淵子爵から、大要左の意味の講演があつた
 竜門社は余が深川に住める当時に起つたもので、今日財団法人を組織するまでの盛大を見るに至つたのは、慶賀にたえぬ次第である、国家の富と云ふ事について、余が意を傾けたのは、明治初年のことで、余儀なき事情で暫く官途に就き、明治六年退いて第一銀行を合本によつて設立した、爾来国の富を増進することに尽力したのであるが、富の増進は同時に他面に弊害を伴ふものである、この弊害を防ぐには、同業道徳を高めねばならぬといふことに気づき、それにはじゆ教、就中論語によつて、経済と道徳の合致を得たいと期するに致つた、竜門社同人は幸に弊害に打勝ち、社今日の隆盛を見たのであるが、顧みて一方、政治界の現状はドウであるか、道徳を以て政治を施すべきものが、今日の結果は、果して如何であるか、道徳のないとされた商人に道徳が行はれ、道徳のありとされた政治社会
 - 第43巻 p.193 -ページ画像 
に道徳のすたれたことは、何といふ現象であらふか、余が切に思はばつを作ることを避けねばならぬと云ふことである、ワシントンは天下を家とせなかつた、またカーネギーは美田を子孫のためと遺すことをせなかつた、力あるに任せて閥を作り、閥を作れば勢ひそこに怠慢が生ずる、これは進歩のために大なる弊害である、竜門社同人は更に将来の発展向上のため、必ず慢心してはならず、この辺で安心すべきでない
当日の来会者は、阪谷男をはじめ、佐々木勇之助・木村清四郎・高松豊吉・小池国三・石井健吾氏等二百余名であつて、午後三時半散会した


竜門雑誌 第四二九号・第六九頁大正一三年六月 ○財団法人竜門社設立許可(DK430014k-0006)
第43巻 p.193 ページ画像

竜門雑誌  第四二九号・第六九頁大正一三年六月
○財団法人竜門社設立許可 前号に於て社告せる如く、大正十三年三月二十三日開催の本社会員総集会の決議に依り、財団法人竜門社設立認可申請中の処、五月二十三日文部大臣より左の通許可せられたり。
 東普一七〇号
                  竜門社設立者総代
                     阪谷芳郎
 大正十三年三月二十九日申請、財団法人竜門社設立ノ件民法第三十四条ニ依リ許可ス
  大正十三年五月十五日
                 文部大臣 江木千之
尚同日の総集会に於て、第一期役員の選定指名を青淵先生に請ふ事を決議したるを以て、設立者総代阪谷男爵は之を先生に請ひたるに、先生は快諾の上左の諸氏を役員に指名せられたるが、孰れも之を受諾したり。
    評議員
 石井健吾   服部金太郎  星野錫
 穂積重遠   堀越善重郎  大川平三郎
 尾高豊作   渡辺得男   神田鐳蔵
 高松豊吉   高根義人   田中栄八郎
 成瀬隆蔵   植村澄三郎  山口荘吉
 増田明六   古河虎之助  明石照男
 浅野総一郎  阪谷芳郎   佐々木勇之助
 木村雄次   渋沢篤二   渋沢正雄
 渋沢元治   渋沢義一   清水釘吉
 白岩竜平   諸井恒平   杉田富
    理事
 石井健吾   高根義人  植村澄三郎
 増田明六   明石照男   阪谷芳郎
 渋沢篤二
    監事
 杉田富    木村雄次

 - 第43巻 p.194 -ページ画像 

(増田明六)日誌 大正一三年(DK430014k-0007)
第43巻 p.194 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年     (増田正純氏所蔵)
五月廿五日 日 晴
朝八時半、阪谷男爵訪問、竜門社の件を談話
○下略
  ○中略
五月三十日 金 晴
定刻出勤
午後四時半、兜町事務所ニ於て竜門社理事会並評議員会を開催す、小生理事兼評議員に推薦を受く
○中略
前記竜門社理事並評議員の会合は、同社が財団法人と為りたる第一回の会合なり、理事会の互選を以て左の通決定
 理事長   男爵 阪谷芳郎氏
 常務理事  明石照男氏  同 増田明六
又評議員会ニ於て同会長を左の通互選したり
 評議員会長 佐々木勇之助氏


竜門雑誌 第四二九号・第六九―七〇頁大正一三年六月 ○本社第一回理事会(DK430014k-0008)
第43巻 p.194 ページ画像

竜門雑誌  第四二九号・第六九―七〇頁大正一三年六月
○本社第一回理事会 大正十三年五月三十日午後三時、東京市日本橋区兜町二番地渋沢事務所に於て、本社第一回理事会を開く、設立者総代阪谷男爵議長と為り、左記議案を議決したり。
○中略
 第二 名誉会員推薦の件
  青淵先生を名誉会員に推薦する事を決し直に評議員会に附議す
○下略


竜門雑誌 第四二九号・第七〇頁大正一三年六月 ○本社第一回評議員会(DK430014k-0009)
第43巻 p.194 ページ画像

竜門雑誌  第四二九号・第七〇頁大正一三年六月
○本社第一回評議員会 大正十三年五月三十日、東京市日本橋区兜町二番地渋沢事務所に於て、本社第一回評議員会を開く、設立者総代男爵阪谷芳郎君議長となり
 第一 評議員会長互選の件
  を附議す○中略引続き左記議案を議決す
 第二 名誉会員推薦の件
  青淵先生を満場一致を以て推薦する事に決し、直に阪谷理事長に之を通知したり
○下略


雑控書類 【(別筆) 大正十三年六月七日 竜門社理事長男爵阪谷芳郎氏】(DK430014k-0010)
第43巻 p.194-195 ページ画像

雑控書類                 (渋沢子爵家所蔵)
              (別筆)
              大正十三年六月七日
              竜門社理事長男爵阪谷芳郎氏
拝啓、益御清適奉賀候、然ハ今般評議員会全員一致ノ決議ヲ以テ、閣下ヲ本社名誉会員ニ御推薦致候間、御認諾被成下度、此段奉得貴意候
                            敬具
  大正十三年六月七日
 - 第43巻 p.195 -ページ画像 
                  竜門社理事長
                   男爵 阪谷芳郎
    青淵先生閣下