デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.289-294(DK430035k) ページ画像

昭和5年4月27日(1930年)

是日、当社第八十一回会員総会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第五〇〇号・第一〇一頁昭和五年五月 本社第八拾壱回会員総会(DK430035k-0001)
第43巻 p.289 ページ画像

竜門雑誌 第五〇〇号・第一〇一頁昭和五年五月
 本社第八拾壱回会員総会 四月廿七日(日)午後正二時より、飛鳥山曖依村荘に於て、本社第八拾壱回会員総会を開く。出席会員四百七拾六名、定刻、阪谷理事長開会を宣し、渡辺常務理事より昭和四年度に於ける社務及決算の報告あり、終つて青淵先生には、急霰の如き拍手裡に登壇せられ、会員一同に対して、懇篤なる訓示を垂れらる。阪谷理事長一同に代りて先生に謝辞を述べ、これにて総会を閉ぢ、余興に移り、百面相並に万歳に興じたる後、園遊会を開く。天気清朗、新緑滴るが如き庭苑には、甘酒・おでん・燗酒・蕎麦・稲荷寿司・団子・カルピス・ビール・シトロン等、拾参個の模擬店あり、井之頭学校音楽隊の奏楽裡に、会員一同歓を尽して、午後四時半頃散会したり。
 因に当日青淵先生より金参百円、佐々木評議員会長より金壱百円の御寄附あり、またカルピス製造株式会社より、カルピス一ダース半を寄贈せられたり、玆に録して厚く御芳志を深謝す。


竜門雑誌 第五〇〇号・第七八―八六頁昭和五年五月 竜門社の総会と園遊会 飛鳥山なる曖依村荘にて(DK430035k-0002)
第43巻 p.289-292 ページ画像

竜門雑誌 第五〇〇号・第七八―八六頁昭和五年五月
    竜門社の総会と園遊会
      ――飛鳥山なる曖依村荘にて――
      ○
前夜の雨に洗はれた空は、秋の空を思はせるやうに澄み渡り、新緑を漾す微風は、緑の色がうすいだけに若やいだ香をまき散らして居る。竜門社第八十一回総会は、此の恵まれた快晴の四月二十七日午後二時から、飛鳥山なる曖依村荘に開かれた。近年は春秋とも総会場は帝国ホテルと定つた観があつたのに、今年は久し振りの園遊会つきの総会である。むべなるかな、会員は喜んだ。従つて出席者は無慮五百。
 正午を廻つた頃には、曖依村荘西洋館玄関前の受付、青淵文庫前芝庭の大天幕を張つた会場、役員会の開かれる青淵文庫の設備など、悉くととのへられた。と一・二の会員が早くも入場する。井ノ頭学校生徒の音楽隊が得意のバンドで景気を添へる。歩調に合するマーチは、歩む者の心を軽くし、何となく音の流れる大空を仰いで、朗らかにあ
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る身を楽しませる。自動車の人、徒歩の人、出席者は漸く多くなつて受附前には時に人が一つぱいになる。潮がさして来るやうに、一時どやどやと寄せて、あとは暫くとだえる。「これは電車の関係だネ」と或る人が云ふ。そう聞いて注意してゐると、成る程来会者の足が間歇的に繁くなつて来る。見知り越しの顔が合つて、微笑を湛へながら、一寸立ち寄つて、冗談を云つて行く人々もあつた。日向に立つて話をするには、片手で目びさしでもしたい日和である。刈り込まれた庭園のどうだんの緑りが美しい。そのどうだんに膝から下をかくされて人人が来る。そして中には此の誇るべき竜門社の会を幼い人達にも見せて置きたい親心から、子供さんを伴れた人もある。阪谷理事長、佐々木評議員会長、石井・植村・明石・渋沢(敬)・佐々木(修)・渡辺の各理事、西条・杉田両監事、服部・土肥・永田・八十島・木村・清水(一)・白石(元)・諸井の各評議員は、何れも青淵文庫に於ける理事会、評議員会へ、他の会員は会場内へは直ぐに入らないで、何れも会の開かれるまで庭園を逍遥して居る。
      ○
 青淵文庫前に広い天幕張りがある。これが当日の会場兼余興場である。早くも来会の人々で一杯になる。晩春の陽が二段になつて、天幕内に拡がる。陽の光は天幕に先づあたる、天幕はこれを濾過して場内に振り注ぐのである。――だから半間接の光のやうに頗るやわらかに感ぜられる。
 定刻二時に到ると、あの広い庭いつぱいに散つた人々の耳へ響けとばかり、鈴が鳴る、鈴が鳴る。――鈴の音に引つけられて会員は、次から次へ会場内へなだれ込む。後の方に立つて居る人もある。やがて青淵先生も会場へ出られる、阪谷理事長は壇上に出て、次のやうに開会の辞を述べられた。
  今日は非常な好天気で大変結構であります。昨晩は雨が降つたので、どうかと心配させられましたが、此様に風もなく気も澄んでさながら小春日和でありますから、愉快に堪へません。殊に青淵先生が久し振りにお出かけ下さいましたことが、何より喜ばしいと思ひます。竜門社もいよいよ成長致し、堂々たる実業界の団体となりましたが、それも会員に実業界にて指を屈する人が多いからであります。昔の竜門社のことを考へると感慨無量です。若い人達が寄り合つて作つた此の会が、今日のやうに盛大となつたと共に、当時の若い人達も年を取つた。又それと同時に青淵先生も年を重ねられた、従つて日本の実業界も年を取つた訳であります。今日は以前に返つて、此渋沢邸を拝借して総会を開きましたから、昔を思ひ起し、若返つて参ります、だから一層愉快に堪へないのであります。
  扨て、日本の実業界も最近では疲労して、不景気の極にあります故に明治の時代に人々が努力し奮励した如き意気を以て、不景気を打開せねばならぬと思ひます。既に倫敦に於ける軍縮会議も成立し日本の声価も内外に高まり、日本が世界的に成長したことを知らしめるのでありますが、漸く世界的に経済界が疲れたと同時に、日本の実業界も疲労して参り、此処に深刻なる不景気を呈して居ります
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故に之を速かに脱せしめることは、現に日本の実業界をリードする地位にある竜門社員諸君の義務でありませう。実際日本には今日資本もあります、人物もあります、技術もあるのでありますから、それ位のことは大して困難でないと感ずるのであります。青淵先生が資本も人物も技術も無かつた明治五年頃、いろいろと御心配になつて、斯くの如く実業界を発達せしめられたことを思ひますと、我々は先生を前にして、誠にいくぢがないと恥ぢねばならぬと恐縮するのであります。金融上から見ても、昔と今とでは雲泥の相違で、例を大蔵省預金部にとれば、明治十五・六年頃には一千万円に足らぬ程の資金で、松方大蔵大臣が二千万円にしたいと云つて居られたのを、私はよく記憶して居ります、それが今では二十五・六億円に上つて居るのであります、さう云ふ力を内に持ちながら、九十一歳の御老人に申訳がないとは何たる不甲斐ないことでありませう。先生から「わしが七十七で実業界を退いた後はてんで駄目ではないか」と云われても、お返しする言葉がありません。只「時勢の然らしめる処であります」と御断り申すより外はなく、又「今に大いなる活動を為して、先生をお驚かし申す日が来るでありませう」と申し、「でありまするから、我々の為す処を末長く御覧願ひます」と述べるに止めます。次に常務理事から会計報告と事業報告とがあり、終つて余興に移り、それから園遊会を開きますから、昔に返つて団子や甘酒を御ゆつくり御あがり下さい。従前園遊会へ店を出して居た常盤屋のお清などと云ふなじみの顔は、時代が変つて見へませぬが会員は青淵先生初め多く壮健で、斯の如く多数集つたのでありますから、此の晩春の好日和の緑したゝる処で、昔に返つて大に歓をつくしたいと思ひます。我々も若やぎます次第でありまして、愉快に堪えませぬ。但し、青淵先生は御病後でありますから、御演説はせられず、又何時引上げらるゝか解りませんが、其点は御了解を願ひます。
 開会の辞が終ると、渡辺常務理事は会計及び社務の報告を為した。すると演説はされない筈であつた青淵先生がやおら立ち上り、下駄を靴にはき代へて、壇上へ歩を運ばれた。
  私は一言御礼を兼ねて御挨拶を申したいと思ひます。今日は竜門社第八十一回の総会ださうでございますが、私はそれより十多い九十一回の年を迎へて居ります、而も一年に一度づゝであります。扨て別に申上げることはないのでありますが、感想を申して見ませう此頃の世の中は、極く安穏と申せぬかと思ひます。韓退之の文章に「送孟東野序」と云ふのがあります、即ち「大凡物不得其平則鳴、草木之無声、風撓之鳴、水之無声、風蕩之鳴、其躍也或激之、其趨也或梗之、其沸也或炙之、金石之無声、或撃之鳴。――維天之於時也亦然、択其善鳴者而仮之鳴、是故以鳥鳴春、以雷鳴夏、以虫鳴秋、以風鳴冬、四時之相推奪、其必有不得其平者乎」と云ふ文章であります。これは韓文公が友人孟東野に対し物が平を得なければ鳴るものだと云つて天下の形勢を論じ、彼れの不幸を慰め之れを送別の辞とした文章の冒頭の一句であります、そしてこれは声が多くないか
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ら鳴らせよ、と云ふのでありますが、今日の世の中は平かでないと見えて甚だ騒がしいのでありますから、竜門社の人々は鳴らす仲間でなく、鎮めるやうにしなければならぬと思ひます。天下のことは思ふにまかせぬものでありますが、道理正しく進めることは竜門社員の世に処する務めでありまして、徒らに雷同するのは人の道でありません。竜門社の発展は偶然と申すことは出来ますまいが、今や千五百人以上の会員があり斯様な会へも五・六百人の人が集る、而も会員は社会に重要な地位を占める諸君でありますから、私としてはどれ程嬉しいか知れません。だから私は身体が悪くとも一言述べねばならぬので、お礼とお喜びとを申す訳であります。どうか竜門社の諸君は、鳴る世の中を鳴らせぬやうに、鎮めるやうにしていただきたいと希望するのであります。
 大拍手は天張の外の晴れた麗らかな大空へ拡がつて行く。青淵先生の温顔からは微笑が我々に投げかけられる、これを受ける五百に近い会員も、自ら一様に微笑して居ることとて、場内はいとも和やかだ。演説を終つて、青淵先生は再び着席せられ、会員と共々に余興を楽まれた。先生が老躯をも厭はれずこの数時間を会員と共にされた事を、会員一同は衷心から喜んだ。
○下略


中外商業新報 第一五八八四号昭和五年四月二八日 第八十一回竜門社総会 廿七日飛鳥山渋沢子爵邸で(DK430035k-0003)
第43巻 p.292-293 ページ画像

中外商業新報 第一五八八四号昭和五年四月二八日
    第八十一回竜門社総会
      廿七日飛鳥山渋沢子爵邸で
新緑の飛鳥山渋沢子爵邸で、廿七日午後二時から竜門社第八十一回会員総会が開かれた、会するもの約六百、うち主なる出席者は
 渋沢子爵・阪谷男爵・佐々木勇之助・大川平三郎・石井健吾・山下亀三郎・植村澄三郎・簗田𨥆次郎・白岩竜平・成瀬隆三等の諸氏で
定刻阪谷理事長から
 竜門社の発展と日本の発達とは今日まで相伴つて来たが、今や我が経済界は疲労して不景気の極にある故、これに善処してゆき、時局打開に尽すべき義務はわれわれの上にある、然るに何等為すなきは新興日本の創業時代に活動された渋沢子爵に対して、誠に相済まない訳であるから、大いに自重せねばならない
といふ意味の開会の辞を述べ、次いで渡辺常務理事から会計及び社務の報告があり、終つて青淵先生(渋沢子爵)は、病後とも思われぬ元気さで、大要次のやうな挨拶をした
 私は春以来病気で引籠つて居たが、今日は竜門社の総会であるから一言御礼を兼ねて御挨拶をする、竜門社は八十一回の総会であるが私はそれより十多い九十一の年を迎へてゐる、しかも一年に一度づつである、さてこの頃の世の中は安穏と申せない様子である、韓退之の文に「およそものが平和を得なければ鳴る」と大いに天下を論じてゐるものがあるが、竜門社の諸君は道理正しく世を進めて行く人達であるから、この面白からず鳴つてゐるところの経済界を鎮める役にたゝねばならないと思ふ
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次いで余興に移り、後直に庭園で園遊会を開き、歓を尽し午後五時散会した、当日は絶好の晩春日和とて、庭内のつゝじ、藤など漸く満開ならんとし、夜来の雨に拭はれた王子一帯の眺望は殊の外であつた、なほ東京市養育院井ノ頭学校の音楽隊は、更に興を添へてゐた
    ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
     昭和五年四月二十七日 理事会・評議員会(午後一時半ヨリ、於曖依村荘)栄一出席セズ。
     同年五月二十二日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時―八時半、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     同年六月二十日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時―八時半、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     同年九月二十五日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時―八時半、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。


竜門雑誌 第五〇六号・第五八頁昭和五年一一月 本社第八十二回会員総会(DK430035k-0004)
第43巻 p.293 ページ画像

竜門雑誌 第五〇六号・第五八頁昭和五年一一月
 本社第八十二回会員総会 理事会及び評議員会に附議可決したる本社第八十二回会員総会開催の儀は、十一月十四日(金)午後四時三十分より、帝国ホテルに於て挙行することに決定し、其旨一日附を以て全会員に通知したり。
 当日の出席会員二百五十一名(内特別会員百参名、通常会員百四拾八名)、定刻、阪谷理事長の開会辞あり、終つて法学博士下村宏氏の「不景気に直面して」と題する、興味深き講演を聴取す。約一時間半余に亘る同氏の講演は会員に多大の感動を与へたり。右終つて更に晩餐会に移る。席上会員一同起立の上、阪谷理事長の発声にて、杯を挙げ、青淵先生の万歳を三唱す。これにて宴を閉ぢ、引続き余興に移り一竜斎貞山の「名剣捨丸」の講演に興じつゝ、午後八時五十分、一同歓談裡に散会したり。
   ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
     昭和五年十月二十七日 理事会・評議員会・講演会・会員有志晩餐会(午後四時半―九時、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     昭和六年二月二十三日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一静養中。
     同年三月二十六日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。


竜門雑誌 第五一二号・第七一頁昭和六年五月 本社会員総会(DK430035k-0005)
第43巻 p.293-294 ページ画像

竜門雑誌 第五一二号・第七一頁昭和六年五月
 本社会員総会 四月廿三日(木)午後四時三十分より、麹町区内山下町帝国ホテルに於て、本社第八十三回会員総会を開く。出席会員弐百五十九名(内特別会員百十四名、通常会員百四十五名)、定刻、評議員会長佐々木勇之助君開会を宣し、次で常務理事渡辺得男君より、昭和五年度社務及決算の報告ありて後、寿杖贈呈式に移る。受杖者高松豊吉君足痛の為め欠席したるに付、代理令息誠君、佐々木評議員会長より寿杖を受け、一場の挨拶あり、終て医学博士入沢達吉君より、約一時間に亘り「二・三の疾病に関する通俗講話」ありて総会を終り次で晩餐に移る。満堂たゞ和気靄々裡に青淵先生の健康を祝し、佐々木評議員会長の挨拶ありて、宴を閉ぢ、更に余興に移り、一竜斎貞山
 - 第43巻 p.294 -ページ画像 
の講談「力士の仇打」に興じつゝ、午後八時散会したり。
   ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
     昭和六年四月二十三日 理事会・評議員会(午後四時ヨリ、於帝国ホテル)栄一出席セズ。
     同年五月二十七日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時―七時四十分、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     同年六月二十四日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時―九時、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     同年七月二十四日 理事会(午後四時半ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
       本項及ビ前項ノ「七月」「六月」ハ疑問ヲ挿ム余地アレド、姑ク「竜門雑誌」第五一四号・第五一六号ノ記事ニ拠ル。
     同年九月二十三日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時二十分―九時、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
     同年十月二十六日 理事会・評議員会・講演会・会見有志晩餐会(午後四時半―九時、於東京銀行倶楽部)栄一十月十四日手術、病床ニアリ。