デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.548-552(DK430108k) ページ画像

大正7年5月19日(1918年)

是日、当団本部ニ於テ、向上舎生ノ卒業及ビ新入歓送迎会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK430108k-0001)
第43巻 p.548 ページ画像

集会日時通知表 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十九日 日 午前十一時―午後一時 修養団ノ件


向上 第一二巻第六号・第九〇頁 大正七年六月 ○修養講演会(DK430108k-0002)
第43巻 p.548-549 ページ画像

向上 第一二巻第六号・第九〇頁 大正七年六月
    ○修養講演会
 - 第43巻 p.549 -ページ画像 
 五月十九日午前八時より開催す。一同着席するや筧博士立ちて一同と共に大廟皇居の遥拝式を行ひ、終りて一同声高らかに「天晴。あな面白。あな手伸し。あな明け。あけ。」を唱ふ。
 次で司会者瓜生幹事、開会の宣詞を述べ君が代を合唱す。蓮沼主幹修養団の精神を述ぶる順序なりしも、時間切迫の為め八時半より十時迄予定時間通り筧博士の「皇国の精神」につきて極めて尊き講話あり終りて筧博士の発声にて
 「天皇陛下弥栄」を三唱す。
 十時より十一時迄田尻団長の「黄石公」素書の講義ありたり。此時森村顧問は病躯を押して出席せらる。一同感激す。苦痛に堪え得られず在席二十分にして帰邸せらる。翁の清福を祈りて止まず。
    ○送迎会
 十一時より引続き後藤幹事の歓迎会、各向上舎卒業団員の送別会及新入舎生の宣誓式を挙行す。渋沢顧問臨場せらる。蓮沼主幹立ちて後藤氏の人格と抱負と多年の活動状況を紹介し、満悦の情を以て歓迎の辞を述べ、次で各向上舎卒業生諸氏の送別の辞と新入舎生諸氏の歓迎の辞とを述べらる。続きて
 団長の式詞、渋沢顧問の式詞あり。其卒業生諸氏が社会に出でゝ活動すべき心意は両大人の訓戒によりて尽されたり。後藤幹事起ちて入団の辞と感謝の辞とを述ぶ、言簡なりと雖も其肺腑より迸り出づる熱誠は、満堂を感激せしめたり。
 次で第二向上舎々兄高木勝太郎君、卒業生を代表して謝辞を述べ、
次に深見仁市君、新入舎生を代表して「終始一貫二大主義の実行宣伝に勉め以て団員たるの責任を全くすべし」と誓ふ。団長誓約を受けて訓示せらる。正午閉会。
 一時より食堂に於て脱脂豆飯(俗に豆粕飯)の会食あり。食事中、食物改良熱心家にして脱脂豆飯の唱導者たる田辺玄平氏立ちて脱脂豆飯の効能を詳説せらる、渋沢顧問・田尻団長・高木男爵・柳下少将・諸井恒平氏は正面の食卓に着かれ、団員は胡麻塩つけたる握飯を掌に載せつゝ立食す。国家の宝と尊崇さるゝ大人と席を同うして共に握り飯を噛り得る幸福を悦ぶと同時に、其大人の恩徳を感謝し、其感化を受得し、我も亦国家に貢献するの人格者たるべきを祈願し、其の実現に努力せざるべからざるを思ふや切なり。渋沢顧問は午後零時二十分退場横浜に向つて出発せらる。


向上 第一二巻第七号・第一五―一九頁大正七年七月 新に社会に出る青年に告ぐ 顧問 男爵 渋沢栄一(DK430108k-0003)
第43巻 p.549-552 ページ画像

向上 第一二巻第七号・第一五―一九頁大正七年七月
    新に社会に出る青年に告ぐ
                 顧問 男爵 渋沢栄一
      修養とは如何なるものか
 事多く歳月促とは杜子美が老後を歎いた言葉であるが、私も八十に僅か一つを余す今日となつて此感が益々深いのであります。歳月人を待たず私が修養団の精神に賛成して、これを援助するやうになつて以来已に十年になりました。当時本団の為めに尽力された青年諸君の多くは、今日社会各方面に活動してゐられる。創立以来未だ日が浅いか
 - 第43巻 p.550 -ページ画像 
ら特に団員が社会に何れ丈の貢献をしたといふことは取り立ては云へないやうであるが、一般に真面目であると云ひ得る。凡て修養とか稽古とかいふものは修養や稽古それ自身は何の効力があるのでなく、其修養したり稽古したことを実地の場合に行ひ得るので初めて其甲斐があるのであります。仏教や耶蘇教などの宗教信者が、単に自分が信者になつたといふ丈で、其人に信者らしい行為がないのでは折角信仰を得ても甲斐がないことである。世の中には緇衣円頂の人で随分俗人も尚為すを憚るやうなことを為すものが往々にある。これでは所謂論語読みの論語知らずで甚だ情ない、修養団員も単に自分は団員であるからといふて、口舌の上丈で修養を論ずるのでは一向其の効果がない訳であります。
      ○実蹟を挙げよ
 修養とは何も理論ではない、実際に行ふべきことである。空理空論は修養の大禁物である。修養団は其主張する流汗鍛錬・同胞相愛の言葉に権威があるのではなくて、此の主張を実行実働するところに始めて権威が生じて来るのである。甚だ行き届きませんが、私が森村男爵其他有志の方々と共に本団を後援するに至つたのは、現代の風潮が如何にも真面目を欠き、浮華淫靡に流れてゐるから、何とかして此弊風を防がねばならぬと思ふ折柄、修養団の精神を聞き私共の平素考へて居ることに近いから、それで援助致すことにしたのであります。然るに若し其実行の成績が挙がらぬでは折角援助しやうとする根本の意義が失はれることになり、又人格閲歴共に天下に顕はれたる田尻子爵の如き名誉ある方を団長に推戴するのは非常な意味が存して居るのであるから、諸君はよく之を了解されて是非実績の挙がるやうに努められたいと切望するのであります。
      ○国家の現状
 明治維新以来過去五十年間に於て、我が日本は長足の進歩を遂げ、物質文明の方面に於ては欧米先進国を凌駕するとまでには行かぬとも之と駢馳する有様に至つたが世の中の百事、利ある処には弊又之に従ふといふのは誠に免れ難いところで、其物質文明の裏面には実に憂ふべき恐るべき思想が発生して参つたのであります。能く走るものは躓くの譬の如く、此儘に放擲したならば国家を危くする。此は常に歴史の繰返す所で、国家の危機は常に其間に胚胎せられて居るのであります。併し此弊は老成の人と雖も免れ難いところであるから、殊に青年に於ては最も注意せねばならぬ事であると思ふのであります。人心が物質の為めに囚はれますれば、犠牲献身といふやうな高尚な思想は常に薄らいで、国家公共の為めに尽すといふ愛国心は勢ひ減じて参るのであります。先頃も新聞紙上に見えた如く、立派な地位あり名誉ある人が生命を棄てたのが動機となつて誠に云ふも忌まはしい疑岳事件を惹起した。段々調べて見ると其波動は案外多方面に及ぶらしいが、之れはほんの世間に顕れた一部分に過ぎぬので、世に顕れずに堙滅する此種の事件は殆ど図り知るべからざるものがあると思ふ。国家の為めに此れほど憂慮すべき事はない、これをしも憂ふるに足らぬとするものがあつたなら、其者は真に国家の前途を思ふ人でない。殷鑑遠から
 - 第43巻 p.551 -ページ画像 
ず露国は革命前に鉄道の不正事件や妖僧ラスプーチンが宮廷で横暴を極めてゐる事を仄に聞いて居たが、つひに今日の如き状態となつた。
      ○青年諸君の任務
 此の弊風を打破するのは国家の最大急務で、それには真摯堅実なる思想を養成して、淫靡・浮薄の思想を一掃するのが最も肝要であります。修養団は実に斯る意味に於て多大の使命を有するものであるから団員諸氏は如何なる境遇如何なる職に在るを問はず、懦弱・虚栄の風を斥け質実剛健の気を養ひ、名実共に団員たるの実を挙げねばならぬこれは甚だ杞憂に過ぎないやうであるが、私は左様に感ずるが故に衷心を披瀝して諸君に訴へるのであります。
 私は過去四十年間実業に従事したが、常に道理に外れたことは為ぬ心懸で来た。世の中の人は果して何と云ふてゐるか知らぬが私自身では其様に決心してゐたのであつた。世の中の事はなかなか六ケ敷いもので、一朝一夕には容易に達し得られぬが、困難なるが故に更に堅固なる決心を以て修養せられねばならぬと思ふのであります。若し斯る堅実なる思想を持つた団員が一人でも多く国民の間に殖えることは、国家の為めに欣ばしいことであります。けれども数の多きを強ち望むのではなく、要は精しきを求むるのでありますから、団員の一人々々が皆此精神を実行するやうにせねば、折角やつてゐる修養団の効果もないのであります。
      ○富は楽の滓
 私は久しい間実業に従事したが、富を作るを目的としたのではないから、富は多く得ることは出来なかつた。けれども、苟くも自分の創めた事業は必ず成功させねば相成らんといふ決心で事に当りましたから、完全に思ふた通りには行かぬにしても大した失敗はなかつたのであります。世に立つて事を為すには先づ成功するといふことを期さねばなりませぬ。
 私の幼少の頃郷里(埼玉県榛沢郡血洗島村)に至極勤勉な一人の農夫があつた。朝から晩まで一生懸命で田畑を耕し其農閑には商業を営んで金を儲ける。此人は勤勉な上に智慧があつたから、段々と成功して富も余程殖えて来た。けれども朝な夕な益々家業に励み拮据経営老の到るのも忘れて働いて居る。そこで近所の人が老人に忠告して「お前も大分近来は老衰して来たやうではあるし金も十分出来たのであるから、いゝ加減にもう楽隠居でもして余生を楽しんだら怎うだ。如何にお前が之れ以上丹誠して見ても、死んだ後で金を持つて行く訳にも行くまいから、お前もそう働きばかりせず、少しは老後の慰安を得るやうにしたら宜いではないか、余り働いても側で見てゐて気の毒だから」と曰ふた。すると其老人は「お前が私の身の上を思ふて忠告してくれるのは誠に有難い。さりながら私が働いて居る其心の中を聞いて下さらねば解るまい。人間といふものは何事をしても、自分の有らん限りの力を尽すのが本分であると思ふ。お前の云ふ通り、今では私には相当な資産もあるから、何も働かねば食へぬといふのではないが、私は生きて居る間は人間としての本分は尽さねばならぬ。此の本分を尽すのが私の一番の楽みである。何も財産を作り度くて働くのではな
 - 第43巻 p.552 -ページ画像 
いが、私は自分の本分を尽さうと思ふて作付から、種の選択、肥料や草取を一生懸命に注意してやるから自然収穫が多くなる。つまり朝に晩に私が楽しみにした滓として溜つたものが私の今の財産だ。お前は死んだら持つて行けぬではないがと云ひなさるが、私は滓なんぞを何も持つて行かうと思ふては居らぬ。私の楽の滓なぞは誰が持つて行つても構はぬ」と答へた。
 之は誠に面白い話で、私も何とかして其老人を学び度いと思ふてゐるのであります。斯く考へると成る程財産は人間の本分を尽した滓である。別段珍重するには当らない。唯だ滓であるから余り沢山溜めて其儘に放置しておくと腐敗するから、これは大に注意せねはならぬ事であります。
 諸君も今後世の中に立つて仕事をするには何事に依らず、自己の全力を尽してもらひ度い。修養の理論丈を解してゐたのでは何の役にも立たぬ。之を言ふは之を行ふに如かず議論よりも実行が大切である。修養団の貴い処は団員各自が実行するに在る。汗を流して行ふ処に他に見るべからざる長所が在るのであります。
 私は終りに臨み論語の泰伯篇にある句を引用して此の話を終へ度いと思ひます。曰く
 士は以て弘毅ならざるべからず、任重うして道遠し、仁以て己れの任と為す亦重からずや、死して後已む亦遠からずや。
 学校を卒業して新に社会に出やうとする青年諸君、国家は今実に多事多端の時であります、此の重大なる任務は諸君の双肩に懸つてゐるのであるから、折角自重して其任務を果され度いと希望致します。
 (向上舎卒業生の為めに訓話されし要領、文責は記者にあり)