デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.560-566(DK430111k) ページ画像

大正7年8月12日(1918年)

是日栄一、日光中禅寺湖畔ノ当団第四回天幕講習会会場ヲ訪ヒテ、演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三六四号・第六四頁 大正七年九月 ○青淵先生の避暑(DK430111k-0001)
第43巻 p.560 ページ画像

竜門雑誌 第三六四号・第六四頁 大正七年九月
○青淵先生の避暑 青淵先生には八月三日令夫人同伴にて伊香保温泉に避暑せられたるが、同十一日同地を発し日光に至り、翌日中禅寺湖畔に於ける修養団の天幕講習会に臨席の上、一場の講話を試みられたる上、再び伊香保に赴かれたり。然るに越えて十六日、東京市に於ける不穏の状況を憂慮の余り帰京せられ、阪谷男、中野・藤山氏等と共に東京臨時救済会其他の件に付種々協議せらるゝ所あり、斯くて十九日更に伊香保に赴かれ、二十五日無事帰京せられたり。
   ○右ノ不穏ノ状況トハ、当時勃発セル所謂米騒動ヲ指ス。本資料第三十巻所収「東京臨時救済会」参照。


渋沢栄一書翰 瓜生喜三郎宛 (大正七年)八月二二日(DK430111k-0002)
第43巻 p.560-561 ページ画像

渋沢栄一書翰 瓜生喜三郎宛 (大正七年)八月二二日 (瓜生喜三郎氏所蔵)
拝啓、爾来益御清適欣慰之至ニ候然者貴台御担任之臨海修養相済候後過日晃山へも御越之趣ニ承知いたし候も、老生ハ去ル十二日ニ一遊を試ミ行違ニ相成候ハ遺憾此事ニ候、諸彦之御丹精御努力ニよりて海ニ山ニ夏期之講習充分ニ出来いたし、団員も一同満足して弥増元気旺盛之事と喜悦仕候、本団之盛況ニ反し先頃より東京其他各地ニ相生し候不祥事ハ、実ニ聖代之汚点とも可申義と痛心仕候、右ニ付此程も一書を蓮沼氏へ送り、団員之注意を促し置候就而ハ賢台ニも主幹と御申合被下他之幹事諸君ニも戮力同心して万一にも団員中ニ右等暴動輩之群中ニ野次馬的なりとも加入抔致候事堅く御誡有之度候、兎角青年ハ客気ニ駆られ終ニハ群衆心理と称する行動ニ陥り易きものニ御坐候、乍去是等ハ平生之用慎ニ関係致候ものニて、所謂信念厚く常ニ守る処あ
 - 第43巻 p.561 -ページ画像 
る人々ハ事ニ当りて匆卒之際にも自己之覚悟ニ想到し得るものニ御坐候、右等之点呉々御注意被下度候
右ハ余り婆心ニ過候様なれとも、事後ニてハ用心ニハ相成不申ニ付敢而一言仕候、老生も来ル廿五日ハ帰京之筈ニ付、其際尚縷々面陳可仕候 匆々拝具
  八月廿二日
                        渋沢栄一
    瓜生賢契

向上 第一二巻第九号・第六九―七一頁 大正七年九月 第四回天幕講習会尽力者の芳名(DK430111k-0003)
第43巻 p.561-562 ページ画像

向上 第一二巻第九号・第六九―七一頁 大正七年九月
    第四回天幕講習会尽力者の芳名
 中堅青年の養成は国家の一大事業也とせられ、本団が第四回講習会を日光中宮祠湖畔に催すや、熱誠なる援助、同情を与へられ予期以上の成果を得たり。天人の加護厚きを思ふて感謝に堪へず、左に其芳名を掲げて深謝の意を表す。
                     (序順不同)
             東京後援者
              顧問 男爵 渋沢栄一殿
              顧問 男爵 森村市左衛門殿
                賛助員 大倉孫兵衛殿
                同   村井吉兵衛殿
                 大臣 水野錬太郎殿
              救護課々長 丸山鶴吉殿
                救護課 中村英雄殿
              府県課々長 潮恵之助殿
                府県課 五十嵐鉱三郎殿
                同   矢田増次郎殿
                神社局 田沢義鋪殿
               文部大臣 岡田良平殿
               文部次官 田所美治殿
             普通学務局長 赤司鷹一郎殿
               文書課長 武部欽一殿
                参事官 関屋竜吉殿
                同   下村寿一殿
                督学官 槙山栄次殿
                同   上原種美殿
              専門学務局 久保一郎殿
              同     菊地午之助殿
              普通学務局 山口定太郎殿
              同     玉井広平殿
              東京府知事 井上友一殿
              同内務部長 東園基光殿
             同青年団主事 吉田幹殿
               参謀次長 田中義一殿
 - 第43巻 p.562 -ページ画像 
                同副官 坪井善明殿
             国民新聞社長 徳富猪一郎殿
             地方巡廻講師 清水文弥殿
           六十三銀行支配人 迫田七郎殿
            渋沢事務所主任 増田明六殿
               栃木県後援会
                 知事 平塚広義殿
○中略
      ○寄附者芳名
○中略
羊羹五十本、桃百箇           渋沢顧問殿
○中略
      ○祝辞祝電
会期中熱情溢るゝ祝辞・祝電を寄せて会員を激励されしを深謝し、左に芳名を記す。
        祝辞之部
                   (順序不同)
東京              男爵 阪谷芳郎殿
東京                 小西信八殿
東京                 棟居喜九馬殿
鎌倉              男爵 森村顧問殿
伊香保             男爵 渋沢顧問殿
○下略


向上 第一二巻第九号・第一四―一九頁 大正七年九月 是天下の至宝 顧問 男爵 渋沢栄一(DK430111k-0004)
第43巻 p.562-566 ページ画像

向上 第一二巻第九号・第一四―一九頁 大正七年九月
    是天下の至宝
                 顧問 男爵 渋沢栄一
      向上村は帝国の縮図
 向上村御一同のお招きに依て、今日此処に一場のお話をする機会を得ました事は、私の深く喜びとする処であります。修養団主催の中堅青年天幕講習会は、今度で其の数を四ツ重ねるが、青年の意気を発揮せしむる事又修養をかゝる機会によつて練磨せられ、各地に散じて活動なさるゝことに就ては、最初より至極結構なるお催しと存じて深く御同情を寄せて居つたが、第一回から生憎種々の都合があつて参ることの出来得なかつたのは誠に残念の次第でありました。今回は日光中禅寺湖畔に開かるゝ事になり、路順も至極好く便宜も宜敷から来いといふことで参上致しました。着早々各部落をあらまし拝見しましたが地方自治の一般の有様がよく窺はれ、自治制度を修得する諸君が此の講習会丈に止まらずして、今後も益々此の精神が拡まり行くのを希望すると同時に、また年一年と参加したる人々が只一時の修養に終らずして大いに自身の修養は勿論、地方を開拓し社会を改善なさるゝ様希望致します。諸君の中には実業家・農業家・軍人・政治家と各方面から集つて来られたのでありますから、向上村は殆ど本団の各分子が集つて一村をなしたものである。故に一村はとりも直さず、帝国を縮め
 - 第43巻 p.563 -ページ画像 
たるものと称して過言ではないでありませう。それにしても諸君はお若いに依つて世故にはお馴れなされぬだらうと思ふ。一通り学校に於てお知りなされても、社会の実際には未だ審でないと思ひます。ついては我が帝国が今日如何に多端なるかを申上げてかゝる自治村が、全国一般におし拡めらるゝ事の必要であることを深く諸君の胸に止めたいのであります。
      帝国の位置と主義
 申す迄もなく維新以前の日本は、智者識者は階級が異つて居て、此の階級制度が一般の風をなしてをりまして、門閥制度が非常に盛な事でありました。でありますから智あり、識ありと雖も、或る階級・門閥の出でなければ、発展は到底望み得べくもなかつたのであります。又当時は実業・経済の範囲だけのことばかりでありましたが為に、常に政府から強つい圧迫を受けて居つて、実業家の価値たるや甚だ低かつたのであります。
 帝国の無病息災は喜ばしき事でありますが、然し反つて病が健康を援けて、発展させしむる事があります。徳川三百年の太平の夢破れて以来維新の改革、十年の戦争、次いで廿七・八年、卅七・八年の両度の大戦及び北清事変等が相ついで起り、反つてそれが為に改善を施し進歩の実を挙げて、国に円満なる発展を促進させたと云ふて過言ではないでせう。其の後十年間内国には別に変つた事も起らなかつたが、大正三年になつて意外にも欧洲の一角に大動乱が突発しました、これ只に欧洲だけに止まらずして東洋にも其の音波を伝へ、勢我国もその影響する処となり、人道を無視したる独の軍国主義に対して、日英同盟の関係上のみならずして、主義として戈取つて立たねばならない破目となりました、此れ我帝国の主義であります、かゝる事柄は私初め諸君の大多数が実業界の人達だから余り政治談に入らぬ様にしますが帝国の位置と主義とを自覚して、欧洲の戦乱を遠方の火災視せざる事を御互に覚悟することが必要であります。
 欧洲の戦は実に惨憺たる有様と聞いて居ります。又英米等の参戦者の中には、上流社会の人達が、多く志願し出でて、困苦辛惨と闘ひつつあるとの事であります。
 我帝国のみ只独り、喜びを以て終るかどうかといふ事は実に杞憂に堪えません。
      経済順調と人気腐敗
 又欧洲戦乱は我国社会の総ての方面に影響を与へ、実業界は順調になつて、非常に有利の位置にあります。即ち商品が英・米から流入されておつたものが、只今では盛に海外に向つて輸出するの逆調子となつたんでありまして、頗る帝国の経済は有望な有様であります。日本が供給する処のものは軍需品のみに非ずして、普通の貿易品・製糸等の類が最も制度完備し生産力大なりし英国をすら圧倒し、又英国の販路国として需要頗る盛であつた印度・南洋も今は我が華客となつて仕舞ひました。従つて是れに当る運輸業の盛大其の他軍需品の引受諸種製造所の請負、意外なる処に巨利を博しました。この事は一方に於て甚だ喜ばしき現象であります。然し只富が増し、生産力が増大致した
 - 第43巻 p.564 -ページ画像 
といふことのみを以て、国家健全の精神を充実させ得たと思ふのは大なる誤解であります。
 滋養物も是れを沢山頂くと、却つて其の滋養物が其の身を害するといふ事があります。ですからこの景況にのみ依るといふ事は危険な事であります、之は今日初めて向上村に来てお話することではありません、大正三年戦の起つた当時我が経済界・貿易界は非常な悲境に墜つて居つた。米もそうである。米国の生糸の輸入禁止、鉄の輸出禁止等如何に我が帝国に番狂はせを与へたであらうか。然しこれは戦の初めに於て必らず宜からうと思はれた。やつぱり最初思つたことは間違ひがありませんでした。月を重ぬると共に順調となり米の景気は立ち直りて空前の高値を示し、只一つの有望輸出品たる生糸も高価になる、船なり、鉄なり、軍需品其他の商品に至る迄大影響を与へた。然し此の盛況は一方喜ぶべきと同時に、危いのは世界の人気であります。人気の悪くなつた事は申す迄もありませんが、この景気のよいといふ事は或る地方がにはかに繁昌になつたといふ事であります。神戸等では五日も七日も前から注文しないと芸者がたのまれない相であります。又どちらの料理屋も一ぱいでありまして、二・三円の茶代が今では十円・二十円と出して更に惜気がない。これは或る点から言へば上景気であるといはれますが、然しこれは人気の腐敗の元であります。種々なる悪弊の生ずる所因であります。『利には必ず弊を生じ喜びには憂あり』これ老人の繰言と笑はれる事でありませうが、吾人の常に申し来たつた言でございます。でありますから、健全な人達には予防薬を用ひさす必要があります。今わざわざ向上村にまかり出て、予防薬として大いに憂ふるべき世界の大勢を知らしむるのも亦無用の事ではないでありませう、青年は国家に取つて甚だ重要なる位置にもあり、且又負ひし責任も大であり、其数も亦頗る多いのであります。之等のことをよく御記憶をお願ひ申します。
 いづれ初めあるものは終りあり、この大乱もいつかは終局するでありませう。昨今の新聞では独逸の暴威が衰へた様に見受られました。果して事実なりとせば如何なる終局を現出するかといふ事は、予期が出来ませんけれ共、来る可き終局に於て、将来よく防ぎ得る程度にて媾和が成立するでありませう。然らば実業界は如何に、只害のみ残り利は消滅し終るでありませう。諸君の有するその勇敢なる気性を以て前に述べたる事柄に就て大いに奮闘せんことに勉めると同時に、理財界に対して力を入るべきの念を強からしめんことを願ひます。経済方面の事に関しては、考へが無いでもありませんが、余談に渉りますから略します。扨てこの世の中に於て今度の大戦の如き惨劇はありません。敢て猛獣の争と何等選ぶ所がありません。人の知が高くなるにつれ文明化するに従ひて、惨憺たる度が増して行きます。反つてこういふ武器の不進歩が幸であるかも知れません。蛍の合戦には少しも血まみるるものがない。鼠鼬の如き、犬猫の如き、下等動物に於る戦はお互に被る害が少ないのであります。然し虎・狼となると一層其の惨劇の度が増す。今度の大乱はこれである。祖先より一層道理をわきまへて、しかも強きを宜しとするが如き様が今日の大勢であります。是
 - 第43巻 p.565 -ページ画像 
れをこらさずして夫れ何の天ぞ、此儘にして置いては人類のあらん限り全滅せなくてはならないわけであります。人道が立ちません。智識が進むと共に悪魔が蔓る、如斯有様がいつまで継続することでせう。若しより一層長く続いたとしたならば、人類は必ずや滅亡して仕舞ふでありませう。若しこの事にカイザー思ひを致さば、後悔して考へ直すに相違ない。生存中には見られないかも知れませぬが、人類に向上がある以上、必ずそうなくてはならない筈である。若しそうなかつたら、人類は衰退する事でありませう。道理が立つて、国際法が成立せぬ。今日口を開けば自給自足を論ずる者がある、何たる愚昧な事であらうぞ。自分で総べての物を作り出して己れが之れ等を消費して仕舞ふ、自分だけ一人で生存を続け様とする。之では原始時代にもどる話である。賢人でも、学者でも、政治家でも、軍人でも、これは人類がか様にしたんであるとは思はないでありませう。世界の文明の人達は皆、吾人が言ふ処のものを望んでゐるのであります。米国が国を挙げて専心努力しておるのも、私の希望した事柄を主眼としてやつておる事でありませう。諸君に過去を考へよと言ふには非ず。高尚なる鍛錬を続けらるゝ修養団員として、この事を深く責任として立たれむことを望む。人には意志がなくてはなりません。又必らず言葉に依つてその意志を表示せなくてはなりません。木が芽ぐみ花咲く、花咲くだけでは何の事はない。要は実を結ぶことにあります。即ち実行にあります。言ふ許りではいけぬ。団員たる者は団の本旨を貫いて、日常の事柄を敢行なして初めて権威あることを得ます。更に仁義道徳に依りて生産を進めて、二者相俟つに依つて初めて当の目的を達し得られるものであります。諸君におかれても大いに此の点に注意せられ、現在と将来に於る大計に対して、大いに努力せられむことを希望して特にお頼みする次第であります。
      天下の至宝を惜め
 諸君の前に何もお土産を持つて来ることの出来得なつたことを遺憾と思ひます。然し此処に『牛のよだれ』と云ふ一冊の本があります。途中車中にて読んで参りましたが、仲々に面白いことが書いてありますから一寸読んで見ませう。この本は新井白石の著したもので、白石は徳川六代将軍を輔けて重く用ひられ、非常に学に優れて居つた人ですが、彼の有名なる『折たく柴の記』等でよく御承知の事と思ひますこの『牛のよだれ』といふのは、先生の漫筆であつて、仲々面白く、意味も亦仲々深長なものがあります。この『牛のよだれ』といふ表題は、どういふ意味から出たのかは知りませんが、多分時でもない時、牛の喘のよだれを見て驚いたと云ふ古事から取つて、表題としたものであらうと思ひます。其中に、
 「これ程せちからき世の中に大きな木が一本あります。此の木を自分の物とすること容易であります。即ち生産・利殖と共に進むことの出来る天下の宝であります。これを人に施して、己れのものとせない人達が多い。扨ても扨ても無慾の人達ばかりかいな。」といふやうな意があります。
 仁義道徳は、生産とか、人手とかを用ひずして得らるゝ天下の至宝
 - 第43巻 p.566 -ページ画像 
であります。これを自分の物とはせず、惜気もなくどしどし人に与へるとは、何と云ふ気の大きい人ではありませんかと、反対の方から諷したものであります。此れ利に走る世の中に、真に国を富ましむる処の大なる宝であります。
 即ち道徳と経済とは一致して居るものであります、これを人に進めて己れに顧みないのであります。私はこれを諸君に頒ち与へますから諸君も此れを人に与へる許りのみでなく、自分のものともなして、共に幸を受けませう。私も大いに実行して、諸君と共に其の福を分ちませう。



〔参考〕集会日時通知表 大正七年(DK430111k-0005)
第43巻 p.566 ページ画像

集会日時通知表 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
七月廿二日 月 午後二時 蓮沼門三・後藤静香両氏来約(兜町)