デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.589-597(DK430127k) ページ画像

大正10年10月1日(1921年)

是日、栄一ノ発議ニヨリ、東京銀行倶楽部ニ於テ、当団賛助員会開カル。栄一出席シテ、修養会館建築案ノ説明ヲナシ援助ヲ懇請ス。次イデ十三日、栄一渡米ニ先立チテ森村開作ト連名ニヨル修養会館建築費寄付依頼紹介状ヲ執筆シ、自ラ金二万円寄付申込ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK430127k-0001)
第43巻 p.589 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年         (渋沢子爵家所蔵)
十月一日 土 午後二時 修養団ノ件(銀行クラブ)
 - 第43巻 p.590 -ページ画像 

修養団会館建設協議会報告書(DK430127k-0002)
第43巻 p.590-596 ページ画像

修養団会館建設協議会報告書         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
(表紙)
 修養団会館建設協議会報告書
 (大正十年十月一日丸の内銀行集会所に於て)
                    修養団本部
    賛助員会報告
渋沢・森村顧問の御発議により、十月一日○大正一〇年午后二時丸の内銀行集会所に於て開催せる、賛助員会の概況と其の決議事項とを御報告致します
  一、出席者
    顧問 子爵 渋沢栄一殿
    同  男爵 森村開作殿
   賛助員 (イロハ順)
    日本郵船会社社長     伊藤米次郎殿   大阪電気分銅会社社長   井上公二殿
    南西公司取締役      井上雅二殿    高等工業学校教授     波多野重太郎殿
    農科大学教授林学博士   本多静六殿    富士身延鉄道会社社長   小野金六殿(代)
    日清汽船会社取締役    土佐孝太郎殿   渋沢倉庫株式会社営業部長 利倉久吉殿
    貴族院議員        大久保利武殿   慶懇義塾塾長       鎌田栄吉殿
    高等工業学校教授     加藤与五郎殿   第一高等学校教授     呑山初七郎殿
    高田商会主        高田釜吉殿(代) 南摩銀行頭取       中島友吉殿
    協調会理事長       添田敬一郎殿   高等工業学校教授     中村幸之助殿
    東亜電気株式会社々長   棟居喜九馬殿   文部省社会課長      乗杉嘉寿殿
    神田区会議長       蔵園三四郎殿                蔵原惟廓殿
    博進社社主        山本留次殿    陸軍少将         柳下重勝殿
    赤心社々主        山岸鉄次郎殿   品川白煉瓦株式会社専務  山田政良殿
    海軍大将 男爵      八代六郎殿    司法省監獄局長法学博士  山岡万之助殿
    実業之日本社長      増田義一     十五銀行頭取       松方巌殿
    宝田石油株式会社専務取締 福島甲子三殿   東京市長男爵       後藤新平殿
    聾唖学校長        小西新八殿    日本厚毛株式会社取締   手島淳蔵殿
    東洋汽船会社々長     浅野総一郎殿   内務省警保局長      湯池幸平殿
    東京区裁判所検事     塩野季彦殿    清水組店主        清水釘吉殿
    大審院長         平沼騏一郎殿   実践女学校教務主任    森本常吉殿
    代議士          最上直吉殿(代) 高等工業学校教授     関口八重吉殿
    東宮御学問御用係     杉浦重剛殿(代)
   修養団役員
    団長 子爵 田尻稲次郎
    評議員   服部金太郎        吉武栄之進
          田沢義鋪         宇津木勢八
    医学博士  二木謙三      男爵 阪谷芳郎
          北爪子誠         諸井恒平
 - 第43巻 p.591 -ページ画像 
其の他幹事八名本部員四名
出席の約束なりしも急用の為欠席せられし御方は
               内務大臣     床次竹二郎殿
               代議士      河野広中殿
               宮内次官     関屋貞二郎殿
               日本郵船会社々長 伊藤米次郎殿
               代議士      井上角五郎殿
               文部省参事官   上原種美殿
  二、会議の順序
 (一)開会 午后二時三十分
 (二)田尻団長の挨拶
 (三)渋沢顧問の修養会館建築案の説明
 (四)八代大将の各地団員の善化運動の状況報告
 (五)蓮沼主幹の修養団の経過報告
 (六)田沢評議員の修養団幹部及団員の活動状況報告
 (七)各賛助員の修養会館建築の賛成演説と決議
  三、決議事項
 (1)修養団の趣旨と其計劃とは、思想問題・社会問題を解決する上にも亦中堅青年・代表的学生を善導する上にも、最も穏健適切なる国家的倫理運動と認むるを以て、修養団の発展を計らしむる為めに更に一段の援助を与ふる事。
 (2)各地団員が所在の善風作興上、其の実績甚だ顕著なるものあるが故に、更に其の実行を徹底せしむる為めに、一層の援助を与ふる事。
 (3)団員の総数七万に達し、毎月入団者三千名を下らず、従つて本部事務員の増加、本部来訪団員の増加、修養講演会及講習会出席者の増加等につれ、現在の本部事務所にては支障尠からざるを以て此際修養会館を建設し、本団の事業を完成せしむる事。
 (4)建築費寄附募集予算額弐拾五万円
   内訳
    建築費予算額拾五万円
    設備費予算額弐万円
    維持費予算額八万円
   右総額を篤志者より募集する事。
 (5)寄附承諾者は寄附額を寄附簿に記載し、一時又は年賦にて納附する事。
  四、協議会の概況
 (1)田尻団長(挨拶大要)
  『公私御多用の各位が、斯くも多数御参会下されましたことを衷心から感謝致します。修養団の幹部一同は初一念を貫徹したい一心に殆ど寝食を忘れて東奔西走致して居ります。どうか此の衷情を御察し下され、此上にも御援助を願ひ上ます』
 (2)渋沢顧問(修養会館建築費募集の趣旨説明大要)
  『私は本団の顧問として、こゝに十数年来自分の及ぶ丈けの助力
 - 第43巻 p.592 -ページ画像 
を致した積りであります。修養団も今日に於ては風紀改善の一大勢力となりまして、有識階級よりも篤く信用せらるゝに至り、又穏健適切な倫理運動として、社会より期待さるゝやうに進んで参りました。かくも順調の発展を致したのも、本団の幹部一同が一切の私慾を離れて十六年の間、献身的に努力した結果であります昨今は各地の団員が環境の善化と支部の設立とに自発的活動を進むる気運に立至つて居るのであります。私は常に種々の方面からその成行を観察して居りましたが、その穏健なる行動と急速の発達とは、窃かに悦んで居るのであります。(中略)
  △今日皆様に御集会を御願ひ申しましたのは、多年特別の御援助の下に斯く迄発達して参つた修養団の経過を申し上げ、尚其事業を完成させる為めに、目下必要に迫つて居ります会館建築のことに就いて御相談を致したいと存じたからであります。
  △修養団の団員は総数七万に達し、毎月の新加盟者が三千を下らぬ有様で、従つて向上舎の経営、団員の世話、青年講習会、修養会等の出張、雑誌の編輯配布等の事務が非常に多忙となり、事務員も三十余名を要するやうになりました。只今では事務所は狭隘を告げて殆んど机の置き処もないやうになり、尚隔月に一人位づつ事務員を増加しませぬと事務が停滞する実状であります。毎月の修養例会などに参つて見ても、出席者が非常に多いので会場に入ることが出来ずに室外に立つて居る人も見受けられるのであります。
  地方から本山参りとして修養団本部を訪問する者が次第に多くなりましたが、これを止宿させることも出来ぬ次第で甚だ遺憾に存ぜられます。
  △現在の本部は顧問であられた故手島精一君の御尽力によつて、高等工業の所有地に設けた第二向上舎の一部に附設したもので、団員が二・三千人時代に間に合せに建築したものでありますから只今に至つては洵に狭隘で不便を感ずる有様であります。斯る事情でありますから、新に修養団の会館を建築したいと思ふのであります。皆様の御腹蔵ない御意見を伺ひ、御賛成でありましたら特別の御援助を御願ひ申したいのであります。
 (3)八代大将(各地団員善化運動の実績)
  (八代閣下が、修養団の主義に共鳴せられ、「余が老後に於ける報国の道は、修養団の為めに努力するにあり」と公言せられ、其晩年の全精力を傾倒して、本団の主義宣伝に全国各地を巡廻せられつゝあるは、団員一同感激して止まさる処であります。此日も他用を排して出席せられ、地方団員の善化運動の実績を報告せられました。)
  『私が本団の為めに一身を投げ出さうと覚悟したのは、勿論その三大主張(同胞相愛・流汗鍛錬・献身報国)が私の持論と合致した事は勿論でありますけれども、それよりも私を動かした大なる力は、幹部及団員の真剣なる実行実動であります。私は昨年八月以来、修養団宣伝のために各地を廻つて見まして、団員が如何に
 - 第43巻 p.593 -ページ画像 
実際的に好成績を挙げて居るかといふ事に就いて、二・三の実例を御話して見たいと思ひます。
  (実例略す)
  斯くの如く学校方面でも、工場方面でも、村落等でも、団員の努力によつて着々善化され美化されつゝある実際を見ては、修養団こそ真に皇国の大精神を流布宣伝する使命を帯ぶると共に、済世救民の中心努力たるべきを信ぜられます。どうか此倫理運動を一日も早く六千万同胞に徹底せしめたいと念願して止まぬのであります。
  △私は各種道徳的団体から切りに賛助を求められて居りますが、一切を謝絶して純一に修養団にのみ力添ひを致して居る次第であります。各位に於かれても、此上の御援助を以て、本団の事業を大成せしめらるゝやう願ひます。』
 (4)蓮沼主幹(修養団発展の経過報告大要)
  『私は無能無学の者でありますが、只「正しき念願を以て絶へず勗むる者のみが、神から最善を与へらる。」ことを確信して十六年間修養団の為めに努力致しました。
  △医学博士よりも生みの母が育児の適任者であるならば、私共が多年青年の伴侶として常に寝食をも共にした経験上から、青年指導に就いては適任者と信じて居ります。
  △現代の青年は世界的・人道的に目覚めて参りました。彼等は社会組織の不公平、特権階級の横暴を呪咀して居ります。若し其指導の方法を得なかつたならば、如何なる変事を勃発せしむるや測り知れぬのであります。私共は青年の覚醒を促す為めに各地に講習会を開き、其郷土の中堅青年を一堂に集め、寝食を共にしながら善風作興の原動力たらしむべく、真剣の指導を致して居るのであります。
  △其結果本団式講習は青年指導の最良の方法なることを認識せられ、各地から本部幹事の出張を要求さるゝこと応接に遑なき状況であります。
  △国家の危難刻一刻に迫るの今日、各種興国的計画を樹立するの必要なることは申す迄もありませんが、最急最要の事業は国家の血管たるべき青年を国民的に自覚せしめて、互に天賦の能力を発揮し、天授の使命を遂行して国民の総向上を念願するに至らしむることゝ信じます。即ち総親和・総努力の善風を作興せしむることであります。
  △それには先づ全国各地の中堅青年を動かし、相盟契して同胞相愛主義・流汗鍛錬主義を宣伝実行せしむることです。私共は青年の心理と其思想の傾向とを熟知する一人と信じて居りますが、本団の主張と方法とを以てすれば、必ず全国の中堅青年を提携せしむることが出来ると信じて居ります。
  △凡ての情実とあらゆる困難とを排除し、全国中堅青年の国民的自覚を促し、善化運動の中心勢力たらしめて、大正の精神的維新を成就せしめねばならぬと覚悟して居ります。
 - 第43巻 p.594 -ページ画像 
  △就ては本団が、如何なる主張の下に、如何なる主張の下に、如何なる事業を計画し、其成績が如何になりつゝあるかを御説明申したいと思ひます。(以下報告略す)
 (5)田沢評議員(修養団に対する感想)
  (氏は大正九年度に於て、二千名の団員を募集し、献身報国の涙を揮つて、本団の趣旨を宣伝しつゝある篤志家なり)
  『私が修養団の一団員となつたのは、私が静岡県安倍郡で郡長をして居た時の事であります。それから内務省の一役人となりましたが、御存じの通り内務省などでは道徳的集団のどれもこれもにも関係しなければならぬ立場にあります。けれども何れにも平等の助力をすることは、男子の取るべき態度で無いと考へたのであります。己が最善と信ずる団体に全力を打込むのでなければ、生命のある事業は出来ぬと信じました。
  △私は断然決意して修養団に没頭することになりました。
  そして他人の批判と自己の利害とは顧みぬやうになつたのであります。斯く熱中するに至つた原因は種々ありますが、その一は修養団の幹部が創立当時から今日に至るまで些々の淀みもなく、十六年一日の如く、兄弟の親しみを以て協力一致、邦家人道のために奮闘して居る事です。その二は幹部一同が実行実動躬を以て事に当り、燃ゆるが如き同情を以て青年の指導に努力されることであります。青年と寝食を共にすることは勿論のこと、自ら先んじて水にも飛び込み、裸体体操も行ひ、便所掃除もするのであります。四十前後の年齢でありながら、元気の旺んな青年と伍することは容易なことではありません。もう今日は理論や、金銭や、権力や、策略等で人を動かす時代ではありません、実行実動の人格者によつて動かされる時代であります。
  △蓮沼主幹が師範の一生徒で在つた時、同僚の嘲笑を浴びながら塵と泥とに満ちた寄宿舎の雑巾がけをやつた。それが前後三年間厳冬の或日のこと、剣道の朝稽古に毎日打たれては腫れ上り皸ただれた両手をバケツに入れた刹那にバケツの水は血に染つた。その血を見て今迄嘲笑して居つた同僚が、心から同情して手伝ひ出した。それが二人の手伝となり三人となり、遂に全校生徒を動かして寄宿舎を美化したのが修養団の萌芽であります。一寄宿の美化運動から始まつて、社会の美化運動となり、大願成就の為めに引続きあらゆる困苦に打ち克つて今日に至りました。(中略)
  △私は内務省に在職中、毎土曜から日曜にかけて修養団の宣伝の為めに殆んど近県全部を廻りました。
  全国に組織されて居る青年団は、青年全部を纏めたものでありますが、修養団はその中の最も中堅となる可き人物の結合であります。之等の団員が如何なる働きをなしてゐるかの一斑は、先程八代閣下が申し上げた通りであります。どうか今日の社会に斯うした真面目な団体のある事を御承知下さいまして、精神的・物質的の御援助を賜はらば幸に存じます。』
   田沢氏が熱涙を揮つて訴へられた其至誠の閃きには参会された
 - 第43巻 p.595 -ページ画像 
各位が痛く感動され、落涙された方もありました。本多静六博士は田沢氏の着席するのを待ちかねて涙を浮べながら起立されました。
(6)本多博士(感激の辞)
 『私は修養団のためには何等の助力も致して居りませんが、今から八年前蓮沼主幹が数人の学生と大八車を輓いて駒場の大学迄来られ、「向上舎の庭園に植える樹木を少し譲つて戴きたい」とのことであつた。その学生の真面目な実行実動ぶりに感じ入つて、「あゝ入用なだけ何程でも持つていらつしやい」と云つたことがあります。私は只それだけ助力したのみでありますが、只今田沢さんのお話を聞いて感泣しました。私はどうしても黙して居る事は出来ません。私は貧乏でありますが出来得るかぎりの力添ひは致したいと思ひます。又私は寄附募集の経験がありますが寄附する人の苦痛よりも、寄附を戴きに歩く人の方が苦痛であることを味つて居ります。今日各方面の活動に身心を労して居る修養団の幹部諸君に、此上とも左様な辛労を懸けるのは相済まないと存じますので、私は今私のポケツトにあるだけの全部を献げます。玆に御集りの方々は凡て御裕福の御方のみでありますから、どうか御助力を添へて頂き度いものであります。」と赤心を吐露して語られた。列席の方々は皆頷かれた。
(7)渋沢顧問(感謝の辞)此時渋沢顧問は再び起つて、
 『原案通り各位が御賛成下され有難く存じます。早速寄附募集に着手させますから、此上と御助力を願ひ度く存じます。』と莞爾として座に着かれた。
(8)増田義一氏(寄附承諾の辞)
  実業之日本社長増田義一氏は堪へがたき感激の色を浮べて、
 『私は斯うした会合には何回となく出席いたしましたが、今日程感激した事は御座いません。私達はとてもヂツトして居る事は出来ません。出来得る丈けの事は致します。恐らく今日御出席の方方は御同感であらうと存じます。修養団の事業は目下の急務であり、又其成績が斯くも顕著である以上は、財界の景気不景気を超越して応分の寄附を致したいと思ひます。今日の会合に寄附能力のある方々の出席が少なかつたことを実に遺憾に存じます。』と
即刻金弐千円の寄附を申込まれました。其他平沼大審院長・大久保利武氏・柳下少将も、
 『私共は精神的に助力することは勿論だが、応分の寄附も致したい』と申されたので幹部一同は感謝の涙にくれたのであります。
△当日出席はなかりしも牧野子爵よりは左の御伝言がありました。
 『前約あつて都合つかぬが、修養団の主張が善美であり其行動が真面目であり其計画が適切であり又当事者が適任であるから、自分も他の団体以上に期待してゐる。側面から出来るだけ援助する考へである』と、
△床次竹二郎氏は、当日出席の約束なりしが、突然十一月一日より長野県に出張することゝなり、団長と渋沢顧問に宛て左の如く書面
 - 第43巻 p.596 -ページ画像 
を送られました。
 粛啓
 陳者本日修養団に関する御会合には出席致す筈に御約束申上げ置き候処、急に拠どころなき差支相生じ候ため出席致兼ね候段遺感の至りに御座候。修養団の趣旨は夙に小生の最も賛同するところに有之、これが近時非常の発展を見るに至れるは、時勢が修養団の如き真摯熱烈なる精神的運動を要求しつゝあるがためにして、同団の発展は邦家の為小生の衷心より慶賀するところに有之候、而して今回の修養会館建設の企劃も、修養団の現況に於而は最も其の必要を感ずることゝ被存候、先は欠席御申訳旁々卑意の存するところに付き得貴意度如斯御座候 頓首拝白
  九月三十日               床次竹二郎


向上 第一五巻第一二号・第七四頁 大正一〇年一二月 修養会館建築費寄附依頼状 渋沢・森村両顧問の紹介状(DK430127k-0003)
第43巻 p.596-597 ページ画像

向上 第一五巻第一二号・第七四頁大正一〇年一二月
    修養会館建築費寄附依頼状
      渋沢・森村両顧問の紹介状
 両顧問が本団の為めに如何に心思を労せらるゝかは今更申す迄もなし、渋沢顧問は本館建築の機運を速進せしめたしとの親心より、渡米の期日切迫せる十月一日自ら賛助員会を主催せられ、十二日更に幹部会を開きて寄附募集の方法を立案し、十三日愈々出発せらるゝ早暁左の紹介状を執筆せられたり。
修養団創立以降僅々十数年ニシテ今日ノ盛況ヲ見ルニ至レルハ、我邦一般ノ道義心未タ消磨セサルニ拠ルヘシト雖モ、抑亦本団幹部諸氏ノ不屈不撓ノ精神ト勇往邁進ノ活動トガ与リテ力アルモノト云フベシ、実ニ慶賀ニ堪ヘサルナリ、然リ而シテ能ク此形状ヲ維持シテ更ニ堅実ノ進歩ヲ見ント欲セハ今ニシテ適当ノ施設経営ナカルヘカラス、是レ本団ガ修養会館ノ建設ヲ必要トスル所以ナルベシ、蓋シ士ノ奮ヲ発シテ社会公共ノ事ニ当ルハ勉メテ自己ノ力ヲ謀リテ之ヲ計画シ、苟モ他ニ依頼スベキモノニアラスト云ヘトモ、其創刱ノ際ニ於テ世間ノ援助ヲ請フハ亦已ムヲ得サル事ナリトス、是ヲ以テ拙生等先ツ会館建築費補助トシテ左記ノ金額ヲ寄附シテ其企図ヲ成就セシメントス、冀クハ大方諸彦本団ノ趣旨ヲ賛襄セラレテ之ガ目的ヲ達成セシメラレン事ヲ
  大正十年十月             渋沢栄一(印)
                     森村開作

 一、金弐万円也             渋沢栄一栄一
    但内壱万円ハ即納 壱万円ハ大正十一年十二年度毎半季分納ノ筈 財団法人豊明会理事
 一、金弐万円也             森村開作(印)
    但内壱万円即納 壱万円ハ大正十一年十二年毎半季分納ノ筈
   ○右ハ森村寄付金申込ノ部分ヲ除キ他ハ総テ栄一自筆ニヨル書状ヲ「向上」ニ掲載シタルナリ。自筆書状ハ後ニ石版刷トシタルモノ現存ス。
   ○栄一是年十月十三日、横浜ヲ発シ渡米ス。翌年一月十日帰国。本資料第三十三巻所収「第四回米国行」並ニ次款「財団法人修養団後援会」大正十五
 - 第43巻 p.597 -ページ画像 
年十二月ノ条参照。