デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.629-637(DK430138k) ページ画像

大正13年10月19日(1924年)

是日、平沼騏一郎ノ当団団長推戴式、飛鳥山邸ニ於テ挙行セラレ、栄一出席シテ、平沼団長推戴ノ辞ヲ述ブ。尚、栄一、推戴式費用約金二千円ヲ寄付ス。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK430138k-0001)
第43巻 p.629 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
十月十九日 日 午後二時 修養団々長推戴式(飛鳥山邸)


竜門雑誌 第四三四号・第八五頁大正一三年一一月 青淵先生動静大要(DK430138k-0002)
第43巻 p.629 ページ画像

竜門雑誌 第四三四号・第八五頁大正一三年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
十九日 ○上略 修養団平沼団長推戴式(曖依村荘)に出席。


修養団書類(一)(DK430138k-0003)
第43巻 p.629-630 ページ画像

修養団書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
 - 第43巻 p.630 -ページ画像 
    理事会議案
    (大正十三年十一月五日於芝公園四号地本団仮事務所)
  団務報告(自九月二十五日至十一月四日)
      庶務ニ関スル件
○上略
六、団長推戴式
 推戴式 十月十九日午後二時
 場所 飛鳥山渋沢顧問邸
 案内状発送
 1本団役員(理事・評議員・賛助員)
 2各聯合会長 3全国支部長(代表者)
 4教化団体加盟団体代表者
 5関係官庁(内務省・文部省・東京府(市)警視庁・社会局・市内警察署各区役所) 6市内官公立学校長
 7市内ノ主ナル新聞社・通信社
 8関係寺院及神社 9各府県知事
 10全国師範学校 11東京市内団員 12終身団員等
 計 二千五百余通
 参会者 宮内大臣・内務大臣・文部大臣各代理
     賛助員ノ田中義一大将・浅野総一郎氏・有賀長文氏・関屋宮内次官・服部金太郎氏・中田錦吉民・平沼淑郎氏・増田義一氏・諸井恒平氏・星一氏・湯地幸氏・関屋普通学務局長・石田新太郎氏等先輩約五十余名、団員四百余名、全国支部代表者六十四名、計五百余
 午後二時宮田常務理事司会ノ下ニ開会
 1渋沢顧問ヨリ団長推戴ノ辞
 2平沼団長告辞
 3蓮沼主幹挨拶
 4二木常務理事団務報告
 5牧野宮内大臣・若槻内務大臣・岡田文部大臣ノ祝辞
 6賛助員代表服部金太郎氏ノ祝辞
 7団員及支部代表者総代岸田軒造氏ノ祝辞
 8全国各支部及団員有志ヨリノ祝辞・祝電披露八十二通、午後四時渋沢顧問ノ発声ニテ万歳三唱式ヲ閉ス、後記念撮影及記念活動写真撮影(小笠原プロダクシヨン)後園遊会
   午後六時頃解散
○中略
      会計ニ関スル件
  一、臨時寄附申受ノ件
  一金約二千円也 渋沢顧問(団長推戴式当日費用全部)
  一金約一千円也 森村顧問(聯合会支部幹部会費用)
  一金約一千円也 中田評議員(錦吉氏)(活動写真費用)
  一金五百円也  服部評議員(金太郎氏)(記念印刷物費用)

 - 第43巻 p.631 -ページ画像 

修養団書類(一)(DK430138k-0004)
第43巻 p.631 ページ画像

修養団書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    団長推戴式次第
 一、開会ノ辞        宮田理事
 二、君ケ代合唱      一同
 三、団長推戴ノ辞  子爵 渋沢顧問
 四、告辞         平沼団長
 五、挨拶         蓮沼主幹
 六、団務報告       二木理事
              宮田理事
 七、祝辞
 八、万歳
 九、閉会ノ辞       二木理事
 十、式後記念撮影及園遊会
         以上
                    財団法人修養団


向上 第一八巻第一〇号・第一六頁 大正一三年一一月 光輝ある団長推戴式(DK430138k-0005)
第43巻 p.631 ページ画像

向上 第一八巻第一〇号・第一六頁 大正一三年一一月
    光輝ある団長推戴式
▽楓葉錦を飾り菊花香を吹く。仰げば瑞雲慶を載せて来り、俯せば白露暈を浮べて宿る。時は維れ十月十九日団長推戴式の盛儀を飛鳥山渋沢顧問邸に於て挙行せらる。庭園の松柏翠緑を増し、秋花の紅艶更に鮮か也。
▽来会者五百余名定刻前既に大天幕の会場に満つ。慈眼愛語嘻々愉々真に明魂の集団、地上の楽園を顕現す。
▽午後二時開会の鐘は鳴る。来賓着席五十余名。宮田理事司会の下に荘厳なる賀式は挙げられたり。一、君が代合唱。二、渋沢顧問の団長推戴の辞。三、平沼団長の告辞。四、蓮沼主幹の挨拶。五、二木理事の報告。六、牧野宮相・若槻内相・岡田文相の祝辞。七、賛助員代表服部金太郎氏の祝辞。八、支部長及団員代表岸田軒造氏の祝辞。九、朝鮮・九州・北海道其他各地よりの祝辞祝電披露。十、万歳三唱。閉会午後四時卅分、終つて後庭の模擬店に於て、互に胸襟を披きて歓を尽す。歓喜極つて、団歌合唱となり、天衝体操となり、団長の胴上げとなり、続いて二木・宮田両常務理事、蓮沼主幹・瓜生理事・岸田氏も胴上げせられ、はては渋沢顧問迄胴上げして泣く者さへあり。十七十八両日の支部代表者懇談会に出席せる八十余名の諸氏は、燦々たる希望の光に照されつゝ帰国の途に就かる。(詳細は次号)


向上 第一八巻第一一号・第五―九頁大正一三年一二月 平沼団長推戴の辞 渋沢栄一(DK430138k-0006)
第43巻 p.631-634 ページ画像

向上 第一八巻第一一号・第五―九頁大正一三年一二月
    平沼団長推戴の辞
                      渋沢栄一
 平沼団長、満場の閣下、諸君、此の修養団の今日の儀式に当りまして、私は長く顧問の位地に居ります関係から、玆に新団長推戴の辞を申述べる光栄を有ちましたので御座います。
 - 第43巻 p.632 -ページ画像 
 第一に今日の天候は如何あるかと、お宿致します私としては甚だ心配致したので御座います。何うも昨日来或は風雨等で皆様の尊来も覚束ない、又お出でになつても頗る御難儀でありはしないかと云ふ気遣ひを有ちまして、昨夜は殆ど安眠をしない位でありましたが、天、修養団に幸して、此に好天気とは申されませぬでも、幸に雨なくして此の祝典を挙げ得られますのは則ち修養団の未来を祝福すべく、また新団長の最も将来あることをお互に予期し得る天候と寔に慶賀に堪へぬので御座います。兎角斯様な催しをお引受けして其の主人の位地に立ちますと、天候の良い時は自慢さうに考へられます。それと同時に雨が降ると、寔に相済まぬやうな感じがして、天候に対して或は誇り、或は畏縮するやうな場合が毎々御座いますが、今日は好天気日ではなくとも先づ誇りの一つとし得ることを、私は新団長及び此の修養団の為に実に喜ばしく思ふのであります。
 修養団の今日あるは決して偶然で御座いませぬで、私は身柄不相応な此の老人で、修養団に対して聊か力添えを致すと云ふことは、特に蓮沼氏其の他の若いお方々と御懇意だと云ふ唯それだけの縁故では御座いません。申し上げるまでも無く、世の進歩は実に駸々として喜ぶ可きことで御座いますけれ共、知識の進歩と共に精神が同じ様に向上して行くかといふことは、私多少疑念と致しますが、諸君も疑問とせられる所であらうと思ひます。若し一方に知識のみ進んで行つたなれば世の中は如何なるか、所謂質実剛健の大詔煥発に仰せられた言葉は殆ど其の姿を見ることが出来ないやうな軽佻浮薄に至るのでありますまいか。斯く考へますと、青年諸君、未来の帝国を担ふ人々に此の思想の健全を求めるのは容易ならぬことであると思ふ。是れは蓋し諸君の皆等しく思ふ所であります。果して修養団は其の責任を皆負ふとは申されますまい、けれ共今を去る十五・六年前、蓮沼主幹が既に此の青年の思想をして、所謂剛健質実たらしめたい、誠を以て世に立ち実用を以て人に向ふ、即ち愛と汗とを以て世間に処して行きたいと云ふことは、丁度今の時弊を矯め直すに此の上もない事柄と思ひまして、殊に其の当時同志の人々の挙動を見ましても、所謂将来ある方々と思ひましたから、私如きも既に其の時分もう老境に居つて、唯だ未来を憂へるばかりの者であつたけれ共、如何ぞ斯かることを健全に発達させたいと云ふ念願から微力を添へました第一の趣意であつたので御座います。
 それからの団の経歴はすべて御承知の皆様方で御座いますから、此れを喋々は要しませんが、併し物事は例へば左やう企てましても、総てが皆着々我が意嚮の通りに進むものでは御座いません。一長一短、或は進み、或は留まると云ふことは事物の常でありまして、我が修養団に就ても此の点は大に注意し、又既往を回顧せねばならぬ点があるので御座います。
 団がたゞ同志の集合ばかりではなく、相当に之れを統一し、又基準を立てゝ其の軌道に依つて進むと云ふ方法がなくてはならぬと云ふことは数年前からの団の希望でありまして、遂にこゝに団長を置かねばならぬ、と云ふことが問題となつたので御座います。補助の位地に立
 - 第43巻 p.633 -ページ画像 
つ私共は是非さうありたいと考へまして、或る場合には、私までその位置に就いたら宜からうと云ふ評議もあつたので御座いましたが、それは我々如き殊に老衰、物の用にならぬ者が、左様な位地に立つのは甚だ相応しからぬ、何卒更に適当なお方を願ふて、其の代りに、補助の位地に立つて微力を尽すと云ふことは最初から思ふて居る所、決して謬らざるつもりでありますからと、今は故人になられました森村市左衛門君と共に、田尻稲次郎君にお願ひしたのが、抑も嚆矢でありました。
 爾来種々経営される所がありましたが、不幸にして御健康を害ひ物故されたのは寔に我々修養団としては憂ふ可き所でありますが、其の頃よりして本団は大分盛んな様を見ましたが、併し此の盛んな様が果してそれのみを以て喜ぶ訳には行かぬ、健実なる方法を以て内に規律あり、外に誠信を発すると云ふのでなければ真正なる発展とは申せないのであります。一時の調子に乗つたる騒ぎと云ふものは悪くするとそれを変ずることがないとは申されないのであります。単り修養団のみならず、他の事物に於ても果して然りと申さなければならぬのであります。依つて心ある諸氏は皆何卒是れを堅実に、唯だ一時の調子に乗らぬやうに進むことをお努めにならんければならぬと申された。此れは本団に対する道理ある希望であつた。
 勿論本団は既に相当に進んで、その宜きを得て居るけれ共、唯だ若いお方の多数の寄合ではことによると此の統一を欠き、若くは規律を失ふといふ嫌ひがある。不幸にして団長は物故された。新団長を得て一方にはその事に勤めると同時に一方には緊縮する事を考へなければならぬといふのが、本団に就て昨年頃からの最も重要問題であつたので御座います。私共、其のことに就ては単に幹部諸君より顧問としてお問ひに応ずるのみならず、或る場合には愚見を、甚しきは苦言を呈したことも少からぬのであります。然るに機運至つてこゝに今日御推戴申す平沼君の如き、実に好適な新団長を得ましたことは修養団のこの上もない光栄、実に将来を万歳と唱へ得るのであります。
 殊に玆に私は団長を御推戴申す其の推薦の辞を申上ぐるについて、凡そお頼み申すこと、始めて任ずるといふことは、その実、仔細を能くお知り下さらぬ、またお願ひ申す人々も新顔でお願ひ申すと云ふのが先づ常であります。例へばお嫁さんを貰ふのにはさう懇親な間柄である訳には参りません。然るに本団長は今日推戴致したのでありますけれども、既に既に熟練なる所の新団長であられるのであります。本団の沿革なり、幹部の人の性行なり其の他のこと、また憚ながら我々顧問がどういふ事を働いて居るかと云ふことを殆ど細大洩らさず皆お知り下さつて、充分其の職に通じて御座ると云ふて宜しいのであります。大学の句に斯う云ふのがあります『心誠求之雖中不遠矣、未有学養子而后嫁者也』蓋し物事は真に思へば必ず適中するものである。その証拠は婦人が嫁するに子供を養ふことを稽古してから嫁した者はない、けれ共其の母親が完全に子供を養育もすれば薫陶もする。まさしく心の誠の思ひの致す所であると云ふのであつて、敢て本日玆に推戴する団長に対して適当の言葉ではないが、已に心に思へば、其の様子
 - 第43巻 p.634 -ページ画像 
を知らぬでも適当を得るのは心の誠に思ひの至れる所であります。平沼団長が此の修養団を心に誠に思ふて任じて下さつたに相違ない。而して況や其の様子は克く御承知下さつて居るのでありますから、既に子を養ふことを学んで嫁いで下さつた団長と云つてもよい。大学に一歩を踏越えた新団長と申上げられると思ふのであります。寔に修養団の為に斯くの如き人格と申し、御手腕と申し、申し分のない団長を得られましたことは頗る喜ぶ可きことでありまして、修養団の将来は御同様深く期待す可きものがあると考へます。
 更に此処で一転して申上げますと、本団の形はまだ完全で御座いませんのであります。如何しても此の団をして社会の何人にも思ひ得られるやうにするには、第一に団の会館も出来て居りませぬ。また団の規律に於てまだ満足を欠いて居る点が御座います。此等は是非共に新団長の御高配を願ひ、また団員一同、殊に私共顧問として、此の点に就ては大いに力を尽して、此処に先づ相当なる形態の具備を計らなければならぬ。仮に精神は届いたと云ふて良いが、形態に対して此の場合に具備を計らなければならぬと思ふのであります。此の点に就ては老いたりと雖も、私顧問として更に大に努力を致す考へでありますから、何卒満場の皆様方に於ても能ふ限りの御助力を願ひ上げ度いと思ふのであります。斯かる機会に於てお願ひ申すに至つては、或は恐縮かも知れませんが、然し、心に思ふことを腹蔵なく陳情するのであります。
 更に今一つ私は大いに望まんければならぬ点が御座います。それは則ち団員の御一同で御座います。我々が斯くの如く苦心して修養団の拡張を計り、最良の団長を得、また会館を造る。これ何の為であらうか。御同様に国家を思ふの至誠が、また唯だ単に国家を思ふのみではありません、此の風俗の或は思想界の混乱、奓侈の風潮と云ふさう云ふやうなものを完全に引直して、我が帝国をして健全なる国家たらしめたい、と思へばこそ斯の如く苦心するのではありませんか、其の修養団の方々が、我々に此の責任を尽さして後はどうでもよいと云ふ事が万一にもあるまいと思ひますが、斯かる機会に於てこの事を深く希望を述べて置くことは、決して私は無理な望みではなからうと思ふのであります。故に我々の尽す可き責任は飽まで尽すが、修養団員多数の諸君はまた団員として完全に其の責任をお尽し下さることを、私は此の場合に於て切望致して置きます。之を以て団長推戴の言葉と致します。


向上 第一八巻第一一号・第二一―二六頁大正一三年一二月 北辰燦として輝けり 我が平沼団長推戴式 歓喜に満てる大正十三年十月十九日(DK430138k-0007)
第43巻 p.634-637 ページ画像

向上 第一八巻第一一号・第二一―二六頁大正一三年一二月
    北辰燦として輝けり
      我が平沼団長推戴式
        ――歓喜に満てる大正十三年十月十九日――
 滝之川の紅葉錦を飾り、飛鳥山の菊花香を添ふ。夜来の細雨静かに霽れて天地清浄、瑞雲靉靆たり、微風だになければ平和の山荘に歌ふ小鳥の音も一入朗かに、白露団々草葉に玉を宿して宛ら水晶の如し。嗚呼今日は如何なる吉日ぞ、我が平沼団長推戴式の盛儀を、午後二時
 - 第43巻 p.635 -ページ画像 
より飛鳥山なる渋沢顧問邸に於て挙行せらる。
 来会者五百余名、陸続たる盛況に渋沢事務所の諸君、並に本部員及東京聯合会の諸君は、受付・接待・食券渡しなどと各部署を定めて大車輪。緑の色鮮かなる芝生の上に張りし大天幕の会場は、定刻前既に満員立錐の余地もなし。宮内大臣代理本田式部官・内務大臣代理守屋社会局部長・文部大臣代理下村宗教局長・田中大将・浅野東洋汽船会社長・有賀三井理事・関屋宮内次官・中田住友総理事・平沼早大学長・増田実業之日本社長・諸井秩父セメント社長・関屋普通学務局長・星製薬会社長・湯地前警視総監・石田新太郎氏・山岡刑事局長・福島甲子三氏・西沢善七氏をはじめ多くの貴顕、紳士、各地支部代表者、盟兄同志何れも本団と関係深き志士の会合なれば恰も親密なる一大家族の如く、而も各階級、各方面の人傑を網羅したる実に珍らしき一団と云はざる可らず。
 会場の正面高く演壇を装へ、壇上向つて左に平沼団長、右に司会者宮田常務理事の席を設け、其の左側に両顧問、来賓者、右側に蓮沼主幹・二木常務理事をはじめ本部幹部一同居並び、其他の多数参会者は中央に広く陣取れる椅子席を占め、櫛風沐雨二十年の血と涙の歴史を語る我が三角旗は、汗愛の二字高く壇上の左右に陸離として、此の日一段の光彩を放てり。
 午後二時開会の振鈴は鳴る。宮田常務理事司会の下に荘厳なる賀式は挙げられたり。宮田常務理事簡明に開会の辞を述べ、君ケ代の合唱了るや、渋沢顧問元気よく壇上に登り、別記所載の如く平沼団長推戴の辞として、或は修養団の真精神を述べ、或は世界の大勢を論じて皇国の現状に及び、社会の風潮を嘆じて悲憤慷慨、鋭意溌溂、老齢八十五歳とは云ひながら、流石は明治維新の志士として王政復古の大業を翼賛し奉りし大国士だけあつて、転た当年の面目髣髴たるを想はしめたゞ迎ぎ見る我等は亭々たる老松の卓犖として大地を圧するが如く感じたり。而も国家多事の秋に方り、平沼団長を迎へたる修養団の前途を祝し、平沼団長の学徳一世に高きを頌するや破顔微笑、満面の喜悦言辞に現はれ、何事か深く期待して止まざるが如し。最後に団員一同に対し、慈母厳父の愛児に誨ふるが如く、或は淳々温情を含み、或は激励声を極めて一大覚悟と一大猛突を促して降壇す。
 続いて平沼団長やをら立つて前へ進み、前号所載の如き告辞を厳かに述べられたり。言々皆至誠、荘重なる一語一句は深く団員の肺腑を抉り、入魂往神自づから光風霽月を生じ、偉大なる人格の雄弁は、多くの志士をして我は修養団なり、胸中唯だ国家あるのみと心私かに叫ばしむ。
 団長に次いで壇上に立てるは我が蓮沼主幹なり。先づ平沼団長を迎へるの盛会を開せたるは、啻に修養団の幸慶たるのみならず、実に国家、天下の幸慶なりと述べ、全身全霊の至誠は限りなき感激の霊境を作り、其の一語は正に千釣の重みあり、或は思出多き苦節奮闘二十年の過去を偲びて感慨無量に堪へざらしめ、或は夜更けて明けに近きが如しと叫びて、曙光燦然前程拓かれたりと鞭撻激励し、更に一段声を張り上げて、『ちよろづの皇御子等が手を取りて君の辺にこそ死なめ
 - 第43巻 p.636 -ページ画像 
とて泣く』と詠ずれば、血は滾る赤心の吐露に声涙共に下らんとするの慨あり。さらでだに歓喜と感激に酔ひし満堂は恰も水を打ちたる如く闑として微かなる歔欷の声さへ所々に洩る。壇上人なく壇下人なし人生意気に感ず、誰か此の深刻なる印象をとことはに忘るゝものあらんや、最後に、渋沢・森村両顧問其他の先輩より受けたる恩儀を深く謝し、来会者一同の健康を祷りて壇を下る。
 続いて二木・宮田両常務理事の団務報告に移りしが、時間なきため二木常務理事二人分を代理して、最も明快透徹せる口調を以て簡単明瞭に団務を告ぐ。
 それより別項所載の如く牧野宮内・若槻内務・岡田文部三大臣の祝辞、来賓代表服部金太郎氏の祝辞、団員及支部総代岸田軒造氏の祝辞あり。何づれも至誠至情をこめられ、岸田氏の如きは蓮沼主幹同様感涙に咽びて熱烈火を吐くの思あらしめ、長き過去を通じて本団を思ふ日頃の面目躍如たり。
 岸田氏の祝辞了ると共に二木常務理事立つて全国各地より送られし祝電・祝文多数の披露をなし、続いて渋沢顧問の発声にて万歳を三唱し、二木常務理事の閉会の辞あり、玆に幾多の拍手を以て送り迎へし平沼団長推戴式次第の全部を終り、午後四時三十分頗る盛会裡にさしもの賀式は閉ぢられたり。此の間小笠原プロダクシヨンの一隊は全力を尽して活動写真撮影に努めたり。
 式後記念撮影をなし、それより園遊会を開く。泉水築山の風致妙を凝し、木石草苔の雅趣味を尽せる広き庭園にお寿司・煮込・ビール・シトロン・蕎麦・団子・天麩羅等各種の模擬店随所に設けられ、山の如き御馳走は意のまゝに供せらる。ビール・シトロンに喉を鳴すもあれば、蕎麦・団子に舌鼓を打つもあり、或は天麩羅屋に、或は煮込屋に思ひ思ひに胸襟を披きて十二分の歓を尽す。感極つて団歌合唱となり。天衝体操となり、団長の胴上げとなり、続いて二木・宮田両常務理事、蓮沼主幹、瓜生理事、岸田氏も胴上げせられ、はては、渋沢顧問迄胴上げして嬉し泣きに泣く者さへあり。勇ましきヨイサヨイサの掛け声は天地も撼すばかりなり。斯くて君が御代をばことほぐかと思はるゝ床しき菊の香をのせて犇々と迫り来る夕暗の中に、楽しくも盛大なる催の幕は閉ぢられぬ。
 此祝賀に際し
 渋沢顧問は一切の費用を…………………(約二千円)
 中田錦吉氏は活動写真撮影費を…………(約一千円)
 服部金太郎氏は記念印刷物を……………(五百円)
寄附せられたり
   ○宮内大臣其他ノ祝辞略ス。
    当日来会せられし主なる先輩
 石田新太郎・井上雅二・糸川荘吉・宮内大臣代理本多式部官・本多仙太郎・日本青年修養会・星一・星貢一・堀部作信・関屋隆吉・中外商業新報社・小沢卯之助・大塚圭八・浅野総一郎・ガントレツト恒子・川名洪・横山徳次郎・高田功・立花寛蔵・高野利八・田村英雄・田辺頼直・惣田太郎吉・根馬三次郎・田中義一・中原徳次郎・中田錦吉・
 - 第43巻 p.637 -ページ画像 
棟屋喜久馬・鵜沼武平・宇田尚・久保伏幡・山本留次・山本唯三郎・万朝報社・松本幸・増田義一・福島甲子三・藤岡直一郎・小松雄道・後藤武夫・崎田春雄・木村平太郎・菊地午之助・峰岸米造・都新聞社・浄土宗労働共済会・文部大臣代理下村宗教局長・平沼淑郎・内務大臣代理守屋社会局部長・新井円治・瀬谷準造・関屋貞三郎・杉田曠・秋月城・諸井恒平・森利平
    当日来会せられし団員
宮田秋田郡支部幹事○中略 其他一般団員約四百五十名
    当日の祝電と祝辞
○下略