デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
■綱文

第44巻 p.10-12(DK440003k) ページ画像

大正14年12月5日(1925年)

是日栄一、東京銀行倶楽部ニ開カレタル、当後援会主催朝鮮総督斎藤実招待会ニ出席シ、修養団並ニ当後援会ニ就キ説明ス。


■資料

集会日時通知表 大正一四年(DK440003k-0001)
第44巻 p.10 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年
十二月五日 土 午前十一時 斎藤総督ト御会見修養団其他件(銀行クラブ)


竜門雑誌 第四四八号・第八七頁大正一五年一月 青淵先生動静大要(DK440003k-0002)
第44巻 p.10 ページ画像

竜門雑誌  第四四八号・第八七頁大正一五年一月
    青淵先生動静大要
      十二月中
五日 修養団催。斎藤朝鮮総督招待会(東京銀行倶楽部)


財団法人修養団書類(二)(DK440003k-0003)
第44巻 p.10-11 ページ画像

財団法人修養団書類(二)         (渋沢子爵家所蔵)
大正十四年十二月五日午前十一時、於東京銀行クラブ、修養団之件ニ
 - 第44巻 p.11 -ページ画像 
付斎藤朝鮮総督招待会
              (太丸・太字ハ朱書)
    朝鮮総督      ○子斎藤実
    同警務局長      ○三矢宮松
    同秘書課長      ○藤原喜蔵
    修養団々長      ○平沼騏一郎
    同理事        ○二木謙三
    同理事        ○宮田修
    修養団後援会委員   ○大橋新太郎
    同         男○森村開作
    同          欠服部金太部
    同          ○矢野恒太
    同          ○瓜生喜三郎

               ○主人
               ○渡辺得男
     以上〆拾三人 内出席十二人内欠席一人


向上 第二〇巻第一号・第六三―六四頁大正一五年一月 斎藤総督と後援会(DK440003k-0004)
第44巻 p.11-12 ページ画像

向上  第二〇巻第一号・第六三―六四頁大正一五年一月
    斎藤総督と後援会
 十二月五日午前十一時より丸の内銀行集会所に於て、斎藤朝鮮総督を中心として修養団後援会の小集会が催された。此日の会合は渋沢子爵の肝煎で、日取の事から会場まで子爵御自身で斎藤総督と直接打合せの上開催されたのであつた。斎藤総督には八日帰任せらるゝので内外非常に多事多端であられたにも不拘、一刻千金の貴重なる時間を、我が修養団の為めに割愛された事は衷心感謝に堪へない次第である。且つ又、渋沢子爵には病後御静養を要するの時、而も尽月寒気漸く迫るの所、老躯を厭はず自ら進んで其の局に当られ、本団の為めに特にこの機会を与へられた事は寔に感激に堪へざる所である。
 当日御会合を願つた方々は、総督府側では斎藤総督を始め、三矢警務局長(本団朝鮮聯合会理事)、藤原秘書課長(朝鮮聯合会評議員)の三名で、本部側では、平沼団長、二木・宮田両常務理事、後援会側では、此日の主人公たる渋沢顧問を始め、大橋新太郎氏・矢野恒太氏渡辺得男氏、並に瓜生主事の五名であつた。外に森村顧問と服部委員も御出で願ふ筈であつたが、何分火急の事とて、前約差支の為め出席されなかつた事は遺憾に堪へない。
 定刻渋沢子爵より大要次の如き御挨拶があつた。「今日の御会合は、別に是れと申して革まつた要件を有して居る訳ではなく、修養団に就ては斎藤総督にも種々の御配慮を蒙り、為めに朝鮮にも修養団が中々発展して参りました次第で、偶々今回御上京の折柄故平沼団長始め団の主立つた方々と一席御懇談を願ひ、猶ほ修養団の今日に至りました概要をも申し上げて将来の御援助を御願ひいたしたいと思ふのであります」と前提して明治四十二年蓮沼主幹と相識るに至りしこと、其の所説の愛と汗との二大信条は物質偏重の社会に対し最も適切な主張で
 - 第44巻 p.12 -ページ画像 
あり、且つ自分の抱懐して居た論語算盤主義、即ち道徳経済の一致結合にも能く共鳴するので微力を致す事となつた次第を略説せられ、爾来幾多の困難に遭遇した場合もあつたが、主幹を始め同志一同の奮闘に依り、比較的順調に発展し大正六年には田尻子爵を団長に仰ぎ、同十二年には財団法人の認可を受けるに至つた顛末を述べられ、更に震災の創痍は多大にして、内外共に困難に陥りしが、幸ひ平沼団長を迎へて此の難局を立直し、秩序を恢復して陣容を整へ、命令一途に出ずる完全な組織となりし現状を紹介せられ、猶ほ平沼団長起用に際し二大苦心、(人事と経済)の解決に関する経過を縷説され、人事に関しては賢明なる平沼団長、二木・宮田の両君が熱心に之れに当られて居るので心配はないが、経済の方は中々困難で、団費のみでは団の維持は覚束なく、為めに後援会を組織して団の事業を遂行すべく計画しつつある顛末を明快に力説されたのであつた。斎藤総督も非常に満足された面持ちであつた。是れより懇談に入り、平沼団長、斎藤総督、大橋・矢野各委員、二木・宮田両理事、藤原秘書官など交互に歓談されたのである。此日蓮沼主幹は台湾遊説中で出席なく(台湾新聞記事を一同に紹介し、霊火炎上の実況を報告す)為めに宮田常務理事から団務に関し、特に会館に就て詳細な報告をされたのである。瓜生主事からは後援会の概況を述べ、朝鮮には七月種子を蒔いたのであるが、是非立派な実を結ぶ様特に御援助を願ふ旨を懇請した。時に零時半に垂んとす一同記念の撮影をなし、食堂に入りて午餐を共にし歓談又数刻二時近く散会した。三矢局長は公務上時間に間に合はず参会せられなかつた事は一同の遺憾とした所である。因に本団会合を開くに際し、常に縁の下の力持として多大の尽力を致されつゝある渋沢事務所の増田・渡辺・白石の各位に対し深く感謝する次第である。