デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
8款 其他 9. 財団法人中央教化団体聯合会
■綱文

第44巻 p.127-129(DK440045k) ページ画像

大正13年2月(1924年)

是月栄一、当聯合会顧問ニ就任、歿年ニ及ブ。


■資料

男爵山川先生伝 花見朔巳編 第三八二―三八三頁 昭和一四年一二月刊(DK440045k-0001)
第44巻 p.128 ページ画像

男爵山川先生伝 花見朔巳編  第三八二―三八三頁 昭和一四年一二月刊
 ○第十五章 教化運動関係
    二 中央教化団体聯合会
 その発生 大正十二年十一月国民精神作興に関する 詔書が渙発せられ、国民斉しくその 聖旨に恐懼すると共に、誓つて背違し奉らざらんことを期したのであつたが、時の内務大臣後藤新平伯は東京府下の各教化団体関係者を内務省に招致して 聖旨に添ひ奉るべく精神作興の具体的方法について協議した。その際各関係者は、 聖旨を奉戴厳守するにつけても、宜しく共同一致の陣を布き、以て其強化につとめざるべからずといふことに意見が一致し、且つ後藤伯の激励演説に動かされて、こゝに教化団体聯合会を組織することになり、翌十三年一月十五日にその発会式を挙げたのである。依て聯合会では直に協議会を開いて会の役員を決定することになり、枢密院副議長にして報徳会々長たる一木喜徳郎氏(後の男爵)を推して教化団体聯合会の会長に仰ぎ、更に渋沢栄一子爵及び先生を顧問に推戴することになり、理事には各団体より十名位と、内務省社会局社会部長とを以て之に当てた。而して会長・顧問・理事等の協議を中心として、全国教化団体の教化方針を審議し、又大正十三年十一月十日には第一回大会を開催して全国の教化事業関係代表者を召集し、運動の具体案に関して協議を重ね、教化団体の統制を計つたのであつた。○下略
  ○山川先生ハ山川健次郎。


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二一頁 昭和六年一二月刊(DK440045k-0002)
第44巻 p.128 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
              竜門雑誌第五一九号別刷・第二一頁 昭和六年一二月刊
    大正年代
 年 月
一三 二 ―中央教化団体聯合会顧問―昭和三、一二、―財団法人〃〃―昭和六、一一。



〔参考〕中央教化団体聯合会一覧 同会編 刊(DK440045k-0003)
第44巻 p.128-129 ページ画像

中央教化団体聯合会一覧 同会編  刊
    沿革
  結成の動機
 大正十二年九月一日の関東大震火災後における世相を御軫念のあまり、同年十一月十日国民精神作興に関する詔書を渙発あらせられ、民心の振作と更張の大綱を挙げその嚮ふ所を教示し給ふたのであつた。
 玆に於て時の内務省社会局長官は、都下主要なる教化団体代表者の参集を求め、聖旨の普及徹底を図るべき方途に就き協議した結果、各教化団体相互の聯絡提携を密にし一致協力、聖旨に奉答すべきを決した、即ち是に基き、翌大正十三年一月十五日を以て教化団体聯合会を組織するに至り爾来官公私各方面と協力して、教化振興上必要なる各
 - 第44巻 p.129 -ページ画像 
般の施設を講じ事業を実施した。
  財団法人の設立
 超えて大正十五年十一月九日には、畏き辺りより事業御奨励の御思召を以て金一万円也御下賜の光栄に浴し、聖慮優渥只管感激に禁へざるものあり、玆に本会は愈々教化振興への責務を果すべく、一大決意の下に昭和三年四月従来の組織を改め、本会の加盟団体は之を道各府県・朝鮮・台湾・樺太・南洋等、各行政地区別の教化聯合団体となし名称も中央教化団体聯合会に変更、玆に全く全国的中央聯合機関たる実質を帯ばしめんとするに至つたのである。
 其後同年十二月には主務省より財団法人設立を許可せられ、尚加盟団体は翌昭和四年に至り道各府県の凡てに亘り、次でまもなく朝鮮台湾両教化聯合団体の結成となり、教化網は普く全国に布かれたのであるが、之等地方の聯合団体は、更に当該管下市町村に教化組織をすゝめ漸次その整備を見るに至つた。
○下略