デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
8款 其他 11. 東京府主催精神作興講演会
■綱文

第44巻 p.135-137(DK440048k) ページ画像

大正15年11月10日(1926年)

是日、国民精神作興ニ関スル詔書渙発ノ記念日ニ相当スルヲ以テ、東京府ハ府庁構内商工奨励館ニ精神作興講演会ヲ開催ス。栄一、講師トシテ演説ヲナス。


■資料

東京府関係書類(一) 【(印刷物) 拝啓、時下秋冷ノ砌益々御清穆ノ段奉賀候、偖来ル十日ハ国民精神作興ニ関スル詔書煥発ノ記念日ニ相当致候間…】(DK440048k-0001)
第44巻 p.135-136 ページ画像

東京府関係書類(一)            (渋沢子爵所蔵)
(印刷物)
拝啓、時下秋冷ノ砌益々御清穆ノ段奉賀候、偖来ル十日ハ国民精神作興ニ関スル詔書煥発ノ記念日ニ相当致候間、是ヲ機会ニ大イニ一般ノ注意ヲ喚起シ、相共ニ一層ノ緊張味ヲ以テ、為邦家努力致度、就テハ左記講演会開催可致候条、御繰合セ御来聴被下度、此段御案内申上候
                            敬具
 追テ可成多衆御来聴相成候様御伝達方御配慮ヲ願度御依頼申上候
  大正十五年十一月七日
              東京府内務部長 菊池慎三
              東京府学務部長 近藤駿介
           殿
 - 第44巻 p.136 -ページ画像 

    精神作興講演会
 会場 東京府庁構内 商工奨励館
 日時 大正十五年十一月十日午後正一時
   演題                講師
 一精神作興ノ詔書ヲ拝シテ所感ヲ述ブ  子爵 渋沢栄一氏
 一申訳ナキ日本ノ現状       法学博士 添田寿一氏
 一浮華放縦トハ何ゾヤ            高島米峰氏


作興 第五巻第一二号・第七―八頁 大正一五年一二月 精神作興の詔書を拝して 子爵渋沢栄一(DK440048k-0002)
第44巻 p.136-137 ページ画像

作興  第五巻第一二号・第七―八頁 大正一五年一二月
    精神作興の詔書を拝して
                   子爵 渋沢栄一

図表を画像で表示--

 本文は、大正十五年十一月十日東京府商工奨励館に於いて渋沢子爵のなされた御講演の大要を記したものである。従つて、文責の全く記者に在ることを玆に明記しておきます。(二十一迂生) 



 此頃のわが帝国が実に大事な時代にあたつてゐますることは、私が申すまでもなく、十分に御承知のことと信じまする誠に心細い国情といはねばなりますまい。世界を見渡しますると、欧米などは駸々として進みつゝありまする。もし吾々国民が、気を弛めて、少したりとも浮華放縦に流れ、質実剛健の気象を失ふやうのことがありましては、詔書の御趣旨にも背き奉り、誠に申訳のない次第であるのみならず、列国の間に立つて行くことの出来ない劣敗国にもなりかねないでありませう。詔書に仰せられてある美徳は、わが国民の風習として、挙国一致して之を発揮せなければならず、又これによつて真に国家を興隆させねばならぬと思ひまする。又かくてこそ、畏きお言葉にこたへ奉ることも出来るのであらうと思ひまする。
 私は、従来わが国に於てはあまりに模倣の弊風に流れ過ぎたかと思つてゐます。此程イタリーのムツソリニ首相から、わが日本の青年団にあてゝ、御忠告がありましたが――それに対して後藤子爵や不肖私なども御挨拶も申上げたことでありますが――さすがにその炯眼には敬服の外ありません。つまり自国の特徴美点を十分にみとめて、之を尊重してゆくやうにせねばならぬ、日本には実に世界に稀なる美風があるといふのです。いかにも其の通りであらうと思ます。
 勿論他の模倣によつて文明は進みもしませう。殊に我国の如く、やや立ちおくれて国を開きましては、欧米によつて開発されねばならなかつたことは、もとよりでありませうが、併し、新しい知識を輸入することにしましても、こちらにその精神が、たしかに具はつてゐなければ、つまりは真の国力を増すことにはなるまいかと思はれます。私は論語を少しばかり読んだり、又中庸なども概要学んだことがありますが、学問するについての心得を、古の聖人は、次のやうに教へておかれたかと記憶いたして居ります。「博く之を学び、審かに之を問ひ慎みて之を思ひ、明かに之を弁じ、篤く之を行ふ」――いかにも其の
 - 第44巻 p.137 -ページ画像 
やうに、今深く思ひあたります。たとひ欧米先進国のやり方を学びまするに致しましても、果して、すべて皆之をわが国に行ひ得るか否かを、よつく思ひ明らかに弁じないで、徒らに盲従模倣いたして居りますることは、大いに考へねばならぬことと思ひまする。
 それについて笑話をいま思ひ出しましたが、長崎であつたか、あるお方が、東京に出られたとき、パツチといふものを人のしてゐるのを見て、大いに感服してそれをみやげにしたいと心懸けて、買いおき、用事がすんで帰りました。さて郷里で之を用ひてみますると、どうも工合もわるいし勝手も違ふ、東京で感心したほどでもありません。だんだん考へてみると、時節がそれでない上に、その着方も実は実地によくやつてはおかなかつたのでしたから、あはないわけです。東京にゐた時には夏でありましたので、――こんなお笑ひ草は決して少くないことかと思ひますが、とかく、ものを習ふにつきましても、その必要な事柄を審にしませんでは、よくかういふ失敗があらうと思ひます果して今日、わが国で模倣して居りまする欧米の新しい風の中に、長崎バツチのやうな滑稽がないでありませうか。
 今日は精神作興の詔書を下し賜はつた日、大切な、ありがたい記念にあたりまして、何の識見も学問もない私ではありますが、誠意を披瀝して申述べました所感の一端が、何かの御参考にもなりましたならば、時にとつての奉仕の一と、不肖老頽の身をも顧みず、こゝにまかり出た次第であります。