デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
2款 東京商科大学 付 社団法人如水会
■綱文

第44巻 p.293-296(DK440065k) ページ画像

大正9年9月22日(1920年)

是日栄一、当大学創立四十五周年記念式ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

一橋 第三号・第一〇六頁大正九年一〇月 創立四十五年記念式(九月二十二日)(DK440065k-0001)
第44巻 p.293 ページ画像

一橋 第三号・第一〇六頁大正九年一〇月
    ○創立四十五年記念式(九月二十二日)
 玆に大正九年九月二十二日吾等が紀念すべき第四十五回創立紀念式は挙行せられぬ、一橋積年の宿望の達成せられし第一年を紀念するの意味を以て、式後盛大なる諸名士講演会を開催せられたりき。
 此の日旻天高く清みてげにや天高く馬肥ゆるの心地よき日、一橋同人の意気勃々として歓喜の情校内に漲る。午前九時半一千有百の健児は悦々として大講堂に参集し、一同着席の後佐野学長徐ろに登壇、勅語奉読後一場の式辞を述べられぬ。
 本年の紀念式は本校の組織の変更せられてより第一回の最も紀念すべきものなり、玆に諸先生始め、一橋学生生徒諸君と共に此の紀念すべき日を祝賀するを得るは余の快心に堪えざる所なり。
と式辞終りて学長の発声に随ひ商科大学万才を三唱しぬ、儼然たる学舎も割けぬべく覚えし、金子庶務課主事の閉会の辞を以て芽出度十時式を閉じ、直ちに講演会に移れり。(縦秋)


一橋 第四号・第四九―五二頁大正九年一二月 商科大学の使命 子爵渋沢栄一(DK440065k-0002)
第44巻 p.293-296 ページ画像

一橋 第四号・第四九―五二頁大正九年一二月
    商科大学の使命
                   子爵 渋沢栄一
 満場の諸君、斯る記念日に参上致して昔の事を玆に考へ起すことは実に百感胸に充ちると申しても宜い位でございます。扨て此感想を申しますには、滄海変じて桑田と為る――昔は都であつたけれども今日は草蓬々として居るといふやうなことに強い感想があるので、寧ろ昔は広原の平野であつたけれども、今は大層な都になつたといふのは感想の情が薄いのである。詩などを作つても、盛なるものが衰へた場合を評する時分には良い詩が出来て、衰微した処が盛になつたことを評した文章や詩には、余り名文はないやうであります。故に感想は多くは東洋趣味であるか知らぬが、兎に角変化の零落した方に対する感想
 - 第44巻 p.294 -ページ画像 
の趣味が多い。
 併し当商科大学の感想はと申しますと、全くそれに反対しまして、疇昔を顧みますと実に微々といふことも云へない位の小さいものが、段々に年を逐うて進んで参つて、其教育の進歩ばかりでなしに、其事物の壮大になつたことは真に我ながらに其間を経過しつゝ世の中は斯もなつたものかと、自身を自身に問ひ疑ふ位であります。故に現在を視た諸君では、昔の目はないからして唯だ其半径を視て居るのである私共は其前後を共に視て、マア近頃は老衰したから記憶は悪くなりましたけれども、併し主なる記憶は矢張何んぼ年を取つても残つて居りますから、例へば昔の講習所の有様、或は其後漸く商業学校となつた後でも、種々なる世の浮沈を顧みますと、今申上げまする百感胸に充ちるやうな次第でございます。商法講習所の昔の有様は度々此講堂に於て申上げたことがありますから、今日それを繰返すことは洵に無用の弁で、私は学問的に諸君をして将来は斯くあれかし、斯様お思ひなさいと申上げる資格も無し知識も有りませぬ。併し昔と今とを視較べて斯も変化したものである。斯う進んで来たといふことに就ては所謂一日の長、永い間の関係を身親ら経来りましたから、今申上げることは決して捏造でもなければ誇張でもない、身親を経来つたことを申述べるのでございますで、其片一方だけを御覧になつたお方は昔は斯様であつたといふ今私の申上げることを克く御記憶を願ひます。
 蓋し商業の教育が左様に世の中に必要視されるに至つたのは、社会が商業に重きを置いたといふことが勿論原因でありますけれども、此商業従事の人々が社会をして重く視さしめるやうに、自ら進んで立つたといふことが寧ろ強い原因だと思ひます。昔商業が卑められたといふことは、時の政治家若くは学者が商業を粗略にしたのは悪いけれども、それよりも商業者それ自身が自ら卑下したのは悪いと言はなければならぬのである。丁度其反対の言葉で申しますならば今申します通り商業教育を世間が左様に重要視するに至つたのは、商業者自身が自ら世間をしてそれを重要視せしむるやうになしたからであるとすれば自ら自己の名誉を造り成したと申しても宜いのであります。すると満堂の諸君は多くは是から先き其位地を造るお方で諸君の先輩が左様に努め左様に苦しみ、種々なる経過に依て今申上げましたやうなる位地を造り成して呉れたのであれば、之を弥ますます進めて行くのが諸君の務で、唯だ偶然に斯る場合に立至つた、斯る名誉を得るに立至つたといふことはお考にならぬやうに致したい。否な偶然どころではない自分等の先輩が如何に苦んで此名誉を得たか、此名誉を維持するには如何にして宜いか、吾々将来の責任はどうあるかといふことを、余程深くお考下さらぬといふと、たとへ先輩諸君が努力苦心の結果左様にして呉れたにもせよ現在の人が段々衰へたら、丁度昔のやうに此商業界が世間から酷く卑下されるやうにならぬといふことは期し難いのでございます。是は一寸其以前を顧みますと、もう歴々たる証拠が其所に見えて居るのでございます。
 商業上に十分なる知識がなければいかぬ、相当なる方法を講ぜなければいかぬといふことは、疇昔は余り人が論じなかつたのです。唯だ
 - 第44巻 p.295 -ページ画像 
普通の取引を上手にやつて、其場合を体裁好く愛嬌よく取引をすれば商売人は事足るといふやうに、商売往来といふ書物一冊で以て商人の学問は足る如き時代もあつたのであります。併しながら物の進歩には之に従ふそれぞれの知識を要求されるものでありますから、乃ち商業教育を進めなければならぬといふことが、内にも外にも起つた今日になつたものであります。扨て其商業上にも色々ございます。内に対しての商売、外に対する商売、広く学問的に昔風の漢学とでも比較して見ますと、例へば内の商売は普通の学問、外の商売は大文章でも書くといふやうな少し規模立つた商売を考へなければならぬと思ひます。随て其要求する所の知識も其範囲が広い其研究も積まなければならぬ商売上に就て諸君は斯くお考なさいといふ知識をお与へすることは私は出来ませぬけれども、聊か漢籍を好んで読んで居りますので、此漢籍に就て私は商売上の事を比較してお話したいと思ふのであります。
 丁度今申す通り、普通の商売――対内的或は一寸した海外の商売は普通の詩を作るとか、普通の文章を書くとかといふやうな関係で、通常的商売は其知識で大抵間に合つたものであります。併ながら更に大きい外交――対外的商売若くは国家的商売になりますと、大文章を書くやうな考を持たなければなりませぬから、更に是は高級の教育を受けなければならぬといふことに相成るやうです。併し私は商業家に向つて、唯単に普通の文学若くは更に進んだ大文章を書き得る教育だけで、それで足れりと申したくないのであります。
 嘗て私が青年の時分に頼山陽の詩集が出来まして、其詩集に篠崎小竹といふ人が序文を書いた。寔に相応しからぬ譬を申すやうであるが私は前申す通り、少々ながら漢籍に興味を持つて居りますので、さういふ方の記憶が多い。さういふ記憶を以て事柄は変つて居りますけれども、私は諸君に望むのであります、其小竹の山陽の詩抄を評した文章が、全文は今覚えて居りませぬけれども甚だ面白い。篠崎小竹は決して左様な大きな文章家ではない。併ながら其時の文章は今猶ほ在るでございませうが、頗る意味が徹底して居つて而して奥深い申分であつた。詩集がありますから詩に対する評論を述べ、一体詩は詩経が根元でありますから、詩は斯ういふものであるといふ先づ詩の体裁を説いて、それから山陽の詩は一新機軸を開いたものである。即ち先人に依て作つた詩でない、是れ則ち学者の時勢に応ずる感想を述べたものであるといふことを詳しく述べて、而して其詩の体裁の新機軸であるといふことを十分に評しまして、其評した末に『文章に至つては更に詩に優ること数等、是は頼子成の独特である。必ずや後に大に経世することがあるであらう。』短い言草ではあつたけれども、頼子成即ち頼山陽の文章の最も底力の強い所を評論して、其末文が旨いのです。
『然りと雖も頼子成は詩文を以て此世を終る人でないであらうと自分は信ずる。』と斯う書いてある。詩は左様に必要である。文章は更に力が強いけれども、頼山陽は決して詩や文章だけで以て此世を終るものでないであらうと斯う書てある。それは何である。即ち真正の学者は経世の心懸がなければならぬ。社会が斯くある、世の中が斯う進むといふことに就ての観察が相当になければ、真正の学者とは言ひ得な
 - 第44巻 p.296 -ページ画像 
いものであるといふ意味に書いてある、是は私は小竹の最も優れた文章と称しても宜いと思ふ。
 私が今申上げます所も其所なんです。諸君は普通の商業教育は十分足りた。是から先き山陽の如き大文章もお出来になるであらうが、併し諸君は普通の内地の商業、海外の発展だけで商業家が足れりと思つたならばいけないではありますまいか。頼山陽が大文章家で終つたならば、私は余り敬服をせぬと同時に、諸君が唯だ内地の商売に巧であるとか、海外の取引が出来るだけで終つては、私は決して諸君が此商科大学になつた名誉を完全に遂げたとは言へぬと思ふ。それは何である。私が常に申して居る所謂商業道徳であります。若し此心を以て商業を進めて行かなんだならば、或は其詩作は単に時好を趁ふものに止り、其文章は唯だ人を批評する筆先の優れたに止つて向後真正なる商業の隆盛は期し難いと思ふのであります。故に私は希望する。小竹が『然りと雖も頼子成は唯だ詩文を以て満足をするものではないぞよ』と斯う言つた言葉を採つて、諸君は唯だ普通の商業、海外商業の進歩だけを以て満足して下すつてはいけませぬ。然らば其満足とは何であるか、深遠なる知識を以て商業を経営すると同時に、道理ある観念を以て商業界の道徳を充実させるといふことに十分なお力入れが願ひたい。斯くあつてこそ商業大学が本当に維持され、且つ未来に完全に進んで行くのであると斯う考へます。故に甚だ相応しからぬことではあるが、篠崎小竹の頼山陽の詩抄の辞を藉りて今申述べました事を商科大学生として御実行下さることを深く希望致します。之を祝辞と致します。(拍手)
   ○此演説ハ竜門雑誌第三九四号(大正一〇年三月)ニ転載セラレ、識語ニ大正九年九月二十二日東京商科大学記念日ニ為サレタル旨ノ記載アリ。