デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.592(DK440149k) ページ画像

大正2年9月25日(1913年)

是日、当校桜楓会ニ於テ、桜楓会館開館記念式ヲ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

家庭週報 第二四一号大正二年一〇月三日 桜楓会記事(DK440149k-0001)
第44巻 p.592 ページ画像

家庭週報 第二四一号大正二年一〇月三日
    桜楓会記事
○開館記念日 既報の如く廿五日○九月午後二時より記念式あり、大隈伯爵・渋沢男爵・成瀬校長の講演あり、式後華山村に於て茶菓の饗応あり、五時半散会す。


家庭週報 第二四一号大正二年一〇月三日 婦人は柔しく堅固でありたい 男爵 渋沢栄一談(DK440149k-0002)
第44巻 p.592 ページ画像

家庭週報 第二四一号大正二年一〇月三日
    婦人は柔しく堅固でありたい
                  男爵 渋沢栄一談
私は女子大学が創立した当時には婦人教育に此れ程の設備課程では社会の要求より進みはせぬかと思つた。若し一歩誤つて生意気な鼻持ちのならぬ婦人となつたならば、反つて教育が社会を害しはせぬかと思つた。併し之は皆私の杞憂に過ぎなかつた。所が此の頃は又変な新しき婦人などいふものが出て世間の耳目を惹起して来た。過日或処で活動写真を見た、それは英国の婦人参政権運動に乱暴を極めて居る処へ或一人の軍人が之等の婦人を注意しようとして行つて反つてほうほうの体になつて帰り匙を投げるといふ筋であつた。事実ではあるまひが併し英国には参政権を得ようとして居るものは沢山ある。その思想の強い処に或は見るべき処があるかもしれぬが、私は悪い事に強いの迄誉めたくはない。如何物を学んでも、斯る婦人となる事は好まない。家庭を掌る婦人はどこまでも柔しく堅固な婦人たる事を希望する。私の十年前に危ぶんだ事の誤解である事は思ふが、その危ぶみは猶今日と雖も決して消滅したとは云はれない。云々



〔参考〕集会日時通知表 大正二年(DK440149k-0003)
第44巻 p.592 ページ画像

集会日時通知表 大正二年         (渋沢子爵家所蔵)
十二月十九日 金 午後二時半 日本女子大学移転式御出席