デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.606-608(DK440159k) ページ画像

大正7年4月20日(1918年)

是日栄一、当校第十七回創立記念式ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK440159k-0001)
第44巻 p.606 ページ画像

集会日時通知表 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
四月二十日 土 午前九時 日本女子大学創立記念式(同校)


竜門雑誌 第三六〇号・第七八頁大正七年五月 ○日本女子大学校創立記念式(DK440159k-0002)
第44巻 p.606 ページ画像

竜門雑誌 第三六〇号・第七八頁大正七年五月
○日本女子大学校創立記念式 目白の日本女子大学校にては四月二十日第十七回の創立記念式を挙げ、成瀬校長の挨拶、大隈侯・青淵先生・森村男等の祝辞演説あり、式終りて後、同校の恒例たる桜と楓は幼稚の愛らしき児等によりて庭に植られ、その間「木植の歌」は全校の生徒によつて合唱せられ、一同記念の撮影をなし和気靄々の裡に散会したりと云ふ。


家庭週報 第四六四号大正七年四月二六日 古い話、新しい活き 男爵 渋沢栄一(DK440159k-0003)
第44巻 p.606-607 ページ画像

家庭週報 第四六四号大正七年四月二六日
    古い話、新しい活き
                    男爵 渋沢栄一
 今年はもう第十七回の記念日を迎へました。今日此処にお集りの皆様は、年々歳々に新らしい方々でありませう。けれど此方にをります校長はじめ大隈侯・森村男、又私などに至つてはいつも昔通りに相変らずでございます。これが実に適当なる天の配在とでも申す次第でございませう。古いことは私達がお話いたしますから新らしい活らきは皆さんによつてなすつて戴きます。
 さて、只今校長より創立当時のお話もありましたが、今日御出席の大隈侯や森村男と共々に私もその当時からこの学校の為に些か力を入れました者でございますが、その昔には到底この盛大なる今日は予想し得なかつた所であります、なほその当時には、女子大学創立といふことに対してさへ何等の確信を持得なかつたものであります。
 併し校長は、意志の強い人でありましたから、悪く申すとこれに助力してゆかうと云ふ私達にさへ、時には稍突飛のやうに考へられる意見も出たのであります。私等の役目は校長とは自ら立場を異にしますので、ずゐぶん心配したものでありますが、今日ではそれらの心配も昔の夢となつて、かほど立派な学校となつたのを見るのは実に悦びに耐へないのであります。
 けれども私は此処とはちがつた他の比例をもつて、少しく貴女方の責任を問うてみたいのであります。と申すのは――私は商人でありますから矢張その方面のことから申しますが――明治の初めに於て、日本の商業に対して斯くありたいと思う理想は、どうしても真の学問のある人、人格の高い人が立つて商売人になるやうにならなければ世の中の発展は出来ないといふことが私の理想でありました。私が些少なりとも高商に力を添へ、又帝国大学に商科を主張した所以であつて、
 - 第44巻 p.607 -ページ画像 
将来も亦益々人格ある実業家の輩出を待ち望む者であります。即ち、現今及び将来の社会の要求する人間は私のやうに学問のない人間ではいけなくなりました。
 幸に今日の実業界に於ては其の時夢の様に考へられたことがだんだんに実現して、学問ある人格高い人々が実業界の重要の位置に居らるるやうになつたことは実に長足の進歩でございます。
卅年の歳月は左様に世の中の人の振り合ひを替へて来ました。所がまだ御婦人の社会はどうもこれに比べると、真に学問ある婦人が今日の社会のすべてを成して居るといふわけには行かぬのであります。
 皆さんは此れを深く反省せられて、真に婦人の位置を知つて戴きたいと思ひます。私はかつてこの学校の第一回・二回の卒業生方に申したことがあります。『日本の従来の婦人は、今日の貴女方とはちがひます。そして貴女方は昔の人から見ると皆怪しい婦人に見ゆるものです。例へば髪の結ひ様一つでも大変の相異でありますから、世間からは必ず注目されます。それ故充分に注意されて、受けた教を偏頗に現はさないやうに、即ち大も小も共に学び共に知るやうに心懸けていただき度い』と。しかし、そんな事はもう今日の貴女方には不似合な註文となりました。
 今日貴女方に註文しなければならぬことは、実業界が相当なる知識階級の人々を以て作られて居るやうに、婦人界が皆相当の学殖ある人人を以て作らなければならぬといふ御覚悟を願ひたいのであります。
 学問をした婦人が揃ひも揃つて立派な家庭を作り得たといふ日を迎へない間は、未だ決して我々の理想が実現せられたのではありません経過した既往はずゐぶん遠いやうでありますが将来は更にはるかであり、遠くあるといふ事をお含み置きいたゞきたいのであります。



〔参考〕集会日時通知表 大正七年(DK440159k-0004)
第44巻 p.607-608 ページ画像

集会日時通知表 大正七年          (渋沢子爵家所蔵)
五月十九日 日 午前十一―一時 成瀬仁蔵氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
六月廿八日 金 午後三時 成瀬氏等八氏来約(兜町)
   ○中略。
七月廿五日 木 午后五時 成瀬仁蔵氏兜町ニ来約
   ○中略。
八月十七日 土 午前八時 成瀬仁蔵氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
九月十八日 水 正午 成瀬仁蔵氏来約(兜町)
   ○中略。
九月廿三日 月 午前十一時 日本女子大学校ヘ御出向ノ約
   ○中略。
九月三十日 月 午前九時 女子大学ノ件(同校)
   ○中略。
十一月四日 月 午後四時半 成瀬仁蔵氏来約
   ○中略。
十一月廿九日 金 午前十時半 女子大学ニ御出向ノ約
 - 第44巻 p.608 -ページ画像 
   ○中略。
十二月十二日 木 午後四時 成瀬仁蔵氏来約(兜町)



〔参考〕集会日時通知表 大正八年(DK440159k-0005)
第44巻 p.608 ページ画像

集会日時通知表 大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
一月廿四日 金 午后三時   日本女子大学校ニテ森村男ト御会見ノ約