デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.621-627(DK440165k) ページ画像

大正8年7月(1919年)

是ヨリ先栄一、前校長故成瀬仁蔵ノ遺図タル綜合大学実現ノ準備ニ着手シ、是月、大隈重信・森村市左衛門等ト共ニ、基金百十五万円ノ募金趣意書ヲ発ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK440165k-0001)
第44巻 p.621-622 ページ画像

渋沢栄一日記 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
二月三日 大雪 厳寒 昨夜ヨリ降雪朝来積テ七寸以上ニ及フ、庭園皚々寒威殊ニ凛冽タリ
○上略 女子大学教授井上秀子・平野浜子二女史来リテ大学ノ為メニ桜楓会ニ於テ基金勧募ノ挙行ヲ協議ス、且ツ大学ノ規模計画ノ事ヲ談ス、
○下略
   ○中略。
二月十八日 雨 寒
○上略午前八時過ヨリ麻生正蔵・堤茂太郎二氏来《(塘茂太郎)》リ、女子大学ニ御下賜ノ事ヲ宮内大臣ヘ内願ノ事ヲ依頼セラル○下略
   ○中略。
二月二十六日 晴 寒
○上略 麻生正蔵氏来リ女子大学ヘノ御下賜金ノ事ニ付大森大夫訪問ノ事ヲ依頼セラル、午前十時女子大学ニ抵リ成瀬氏ノ病ヲ訪フ、山本唯三郎夫妻来会ス、帰途三井三郎助未亡人ヲ訪ヘ女子大学ノ評議員ノ事ヲ依頼ス○中略
古河男爵来リ女子大学ノ事其他ノ要件ヲ依頼ス
二月二十七日 晴 寒
 - 第44巻 p.622 -ページ画像 
○上略 午前十時半事務所ニ抵リ○中略 堤茂太郎氏来《(塘茂太郎)》リ女子大学ノ事ヲ談ス○下略
二月二十八日 晴 軽寒
○上略 午前九時半中央停車場ニ於テ麻生正蔵ニ会シ、女子大学ノ事ヲ談ス、九時四十五分発ノ汽車ニ搭シテ葉山ニ抵リ、御用邸ニ於テ大森大夫ニ会見シ女子大学ニ関スル御下賜金ノ事ヲ内請ス、更ニ石原宮内次官ニ面会シテ同様ノ事ヲ依頼ス、午後一時三十五分葉山発ノ汽車ニテ三時五分東京帰着ス○下略
   ○中略。
四月二十八日
○上略
日本女子大学ノ事ニ付テハ成瀬氏死去ノ後任麻生正蔵ヨリ爾来数回向後ノ経営ニ関シ来議アリテ考案中ナリ、他日森村氏ト協議シ、適当ノ方法ヲ講セサルヘカラス
○下略
   ○中略。
五月十三日 曇 軽寒
○上略 麻生正蔵氏来リ女子大学ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
五月十六日 晴 軽寒
○上略 午前十一時日本女子大学ニ抵リ成瀬校長ノ墓参ヲ為ス、又米国大使ノ令妹来観ニ付会見シテ学校ノ経歴ヲ話ス○下略
   ○中略。
六月八日 曇 暑
○上略 午餐後麻生正蔵・堤茂太郎二氏来《(塘茂太郎)》リ女子大学ノ寄附金勧募ノ事ヲ協議ス○下略
   ○中略。
六月十一日 曇又雨 冷
○上略 午前九時女子大学ニ抵リ森村男爵ト共ニ同校ノ将来施設ニ関スル方法ヲ協議シ、寄附金募集ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
六月二十日 晴 暑
○上略 午前十時女子大学ニ抵リ評議員会ヲ開キ本大学拡張ニ関スル寄附金ノ事ヲ談ス、大隈・阪谷・森村諸氏来会ス○下略
   ○中略。
六月二十四日 晴 暑
○上略 麻生・堤二氏来《(塘)》リ女子大学ノ事ヲ談ス○下略


集会日時通知表 大正八年(DK440165k-0002)
第44巻 p.622 ページ画像

集会日時通知表 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
六月二十日 金 午前十時 日本女子大学評議員会(同校)


日本女子大学校募金趣意書(DK440165k-0003)
第44巻 p.622-624 ページ画像

日本女子大学校募金趣意書        (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
本校創立以来年を閲すること玆に十又九、其間幾多の困難に遭遇した
 - 第44巻 p.623 -ページ画像 
るも、上は皇室の優渥なる恩恵に浴し、下は有志各位の深厚なる同情に依り幸に穏健なる発達を遂げ、現在家政・国文・英文・師範家政の四学部を開設し、附属として高等女学校・小学校・幼稚園を有し、学生・生徒・児童の総数千六百有余名、全国各府県より来学を見ざるところなきに至れり。大学部卒業生も亦千七百余名の上に出で、或は教育事業に就くものあり、或は社会事業に従ふものあるも、婚嫁して室家を成せるもの其大多数に属す。
開校以来、諸設備を整へ教育の内容に注意して、時勢の進運に応せんとするは、本校の鋭意努力を怠らざる所にして、之れが為に従来再三資金を勧募したるに、毎に同情者各位の多大なる助力を得て、以て今日の規模を見るに至れるは、某等の感喜措く能はざる所なり。然るに社会の発展は異常の速度を以て進み来り、殊に最近欧洲の大戦乱は各方面の革新を将来して、女子教育に対する思想も亦著しく変改せられたり。況や戦後我が国家をして、列強と提携して人類の進歩に貢献せしむる地歩を作らんとするには、其根柢たる女子教育の確立を期せざるべからざるは、識者の見を同うする所にして、従つて其方針と内容とに於て、改善革新を要するもの頗る多きものあるに於てをや、客年政府は大学令を改定して私立大学を認むるに至り、女子の高等教育に就ても亦其発達を促進せんとするの方針を公にせり。某等は此時機に際会して一層責任の重大なるを感じ、玆に本校の規模を拡張して綜合大学の制を採り、先づ家政大学の主要部分より着手し以て社会の進運に貢献し、同情者各位の寄託に辜負せざらんとす。是れ故成瀬校長が熱誠死を忘れて計画したるところにして、現当局者が其遺志を継承して之れが達成に努めんとする所なり。
翻つて本校財政上の現状を見るに、基本金の現在額約弐拾参万円に過ぎず、近来物価騰貴の趨勢は年を追うて経常費の自然的膨脹を免かれざるものあり、而して本年度経常費の総予算は九万六千八百円にして授業料等の収入合計六万八千八百円に加へて、基本金利子約壱万四千七百円を補足するも尚壱万参千余円の不足を告ぐ。且従来教育者に対する待遇の低度なるは教育界の通患とせるところにして、頃者頻りに其増加の事世間の議に上り、官公立の学校に於ては既に其実行を見るに至れり。本校の如きは創立以来教職員多くは献身的精神を以て薄俸に甘んじて其職に勉励するもの少からずといへども、漸を以て相当の待遇に改むるの要あり。殊に本校教職員をして安んじて其職に尽さしむるには、為めに恩給制度の設なかるべからず。更に又家政大学を開始するには、多数の専任教授と適当の基本金とを備へざるべからず。上来述ぶる所の会計事務は、孰れも緊急の事に属するを以て、玆に精細なる調査を遂げて総額百拾五万円を募集するの計画を立て、基本金をも相当の額に達せしめ、尚且つ必要なる施設を整へ、以て本校の基礎を鞏図にせんと欲す。是れ素より容易の業にあらずと雖も、特に某等の微衷を披瀝し有力なる同情者各位に懇請する所なり。此時に当り事図らずも天聴に達し、忝くも 皇后陛下より再び金壱万円御下賜の恩命を拝せり、是れ実に某等の感激する所なるのみならず本校の光栄何物か之に如かむ。現今国家多事の際、有力なる各位を煩はすもの素
 - 第44巻 p.624 -ページ画像 
より夥多なるべしと雖も、希くは本邦女子教育発展の根本策として更に一層の助力を与へられんことを。
  大正八年七月     日本女子大学校
               教務委員 侯爵 大隈重信
               同    侯爵 西園寺公望
               同    男爵 久保田譲
               財務委員 男爵 渋沢栄一
               同    男爵 森村市左衛門
    寄附金募集計画書
   第一 家政大学所要資金
一金五拾万円 基本金
 是ハ家政大学経費予定一ケ年約参万五千円ノ内、授業料其他ノ収入約壱万円ヲ控除シ、約弐万五千円ハ基本金利子ヲ以テ補足スルノ必要アリ、本行ノ金額ヲ要ス
一金参拾万円 建築設備費
 是ハ家政大学教室実験室等ノ建築並ニ設備ニ要スル資金
  計金八拾万円
   第二 現在規模ニ対スル所要資金
一金拾八万五千円 基本金
 是ハ現在規模ヲ経営スル為メ五拾万円ノ基本金ヲ要スルニ、基本金現在額(寄附契約高ヲ含ム)三拾壱万五千円ヲ有スルニ付、更ニ本行ノ金額ヲ得テ之レヲ充実セントス
一金六万五千円 校舎増築費
 是ハ目下教室不足ニ付、増築並ニ設備ニ要スル資金
  計金弐拾五万円
   第三 恩給基金
一金拾万円 基本金
 是ハ恩給制度設定ノ為メ先ツ本行ノ基本金ヲ備ヘントス
  合計 金百拾五万円
     備考
 右ノ内金壱万円ハ既ニ 皇后陛下ノ恩賜金ヲ拝受シ、金参拾万円ハ桜楓会ニ於テ募集ヲ担任セルヲ以テ、金八拾四万円ヲ特別有力者ノ寄附ヲ仰ガントス


家庭週報 第五〇三号大正八年二月一四日 成瀬先生謝恩綜合大学基金募集趣意書(DK440165k-0004)
第44巻 p.624-625 ページ画像

家庭週報 第五〇三号大正八年二月一四日
    成瀬先生謝恩綜合大学基金募集趣意書
 突如 我が恩師成瀬先生の遺訓を意味する告辞を聞いた私共は、師の為めに千代もと祈る心のみ切にして、この辞を遺訓とするはあまりに悲しい事に思はれました。
 あゝ、併し「一粒の麦地に落ちて死なずば其の儘にてあるべきを、若し死なば多くの実を結ばん」とたとへられた悲痛の真理を、我れ等はわが成瀬先生の高潔至誠の愛によつて遂に教へられねばならなかつたのでございます。
 先生は不治の病を抱いて、又起つべからざるを発表し給ひて「自分
 - 第44巻 p.625 -ページ画像 
に於ては四十年来の宿志に殉ぜし確信を以て秋毫の怨みも無之、一身上に就ては有限の肉体を離れて無限の生命に入る日も遠からざるべしと覚悟して心中何等の不安を覚えず……と、ああ我が先生の畢生の努力は誰がために集中されたるかと思ふ時、私共は感泣せんも慟哭せんも及ばざるを思ふのであります。併しながら今私共は徒らに切なる悲しみを止めて、静かに恩師の意志の那辺にあるかを弁へねばなりませぬ。
 あゝ、私共は幾度思ふも師の高恩を仰がずには居られないのでございます。さうして今此の謝恩の一端だに、より多くの人々の真実なる心に依つて表はしたいと思ふのでございます。先生の四十年の奮闘はわが女子の教育、わが婦人の覚醒を促して切なるものでございました否人類の大半なる婦人の使命に俟つべき久遠の理想を追究して、其処に婦人の覚悟を促し、わが人類をして真の生命に生れしめんが為めに渾身の熱誠を捧げられました。先生は婦人に非ざれば成し遂げ得ざる婦人の使命を高唱して、遂に今日世界の維新に際して我が女子大学も亦今後十年の計画を以て、設立当初の目的たる女子の綜合大学の組織に進むるの時機に到達せることを示されたのでございます。此の時に当つて先生は後継者を指示し、私共が相互に共同して其の実を挙げん事を期待せらるるのでございます。
 力弱き婦人が此の大なる任務を継承するといふことは、勿論所謂後継者として個人関係を以て継承するものではないのでございます。先生の意志は普くわが婦人の向上を促し、婦人に自覚を与へ、今後婦人の位置を高めんが為めの深慮に在ることを思ふのでございます。
 されば今此の後事を依嘱されることは単にわが女子大学の発展そのものではなく、わが婦人の位置を進めんが為めにあることはいふ迄もありませぬ。私共はわが行くべき道を拓き、わが使命を自覚して、これを完成することに依つて即ち恩師に対する謝恩の万分の一を尽し得るのでございます。これは女子大学に学び直接先生の感化を受けたるものと否とを問はず、わが婦人わが姉妹のすべては師の意志の後継者たるべき栄誉を担ふと同時に又其任務を分ち持つものでございます。
 今此の綜合大学基金の趣意は、わが姉妹、わが有志の人々が我れ等教へ子の此の微衷を諒して、来つて此の企に同情し、我れ等教へ子をして、教への慈父に孝を全からしめられんことを切望するのでございます。


日本女子大学校寄附金簿(DK440165k-0005)
第44巻 p.625-626 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿       (麻生正蔵氏所蔵)

 第七回寄附
一金拾万円也  大正八年ヨリ拾ケ年賦   山本唯三郎
一金壱千円也  三月五日         増田義一
一金壱千五百円 三月七日三ケ年賦     西沢吉太郎
一金五万円也  大正八年ヨリ五箇年賦   渋沢栄一
一金五万円也  同            森村市左衛門代開作
一金五万円也  同            三井高修
   追加
 - 第44巻 p.626 -ページ画像 
一金七万円也  大正十二年ヨリ向七箇年賦 渋沢栄一
   追加
一金拾万円也  同            森村開作
一金参万円也  五ケ年賦         和田豊治(印)
一金五千円                松本真平(印)
一金拾万円也  拾ケ年賦         三井高修
一金五千円也  五ケ年賦         小坂藤太郎
一金五千円也  五ケ年賦         橋爪捨三郎(印)
一金壱千円也               大賀基作
○下略



渋沢栄一 日記 大正九年(DK440165k-0006)
第44巻 p.626 ページ画像

渋沢栄一日記 大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 快晴 寒威強シ
昨日ヨリノ風邪気未タ愈ヘス、午前八時起床洗面ノ儘ニテ当日ノ祝盃ヲ挙ケ朝飧ヲ畢ル、後麻生正蔵氏来訪女子大学ノ近況告ク、近日西京ヘ旅行ノ由ニ付、大阪ニ於ル有力者ヨリ大学寄附金勧募ノ手続ヲ協議ス○下略
   ○中略。
一月二十三日 晴 寒
○上略 麻生正蔵来女子大学ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月十三日 晴 厳寒
○上略 井上秀子外二氏氏来リ女子大学ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月二十八日 雪 厳寒
午前八時起床洗面ノ儘ニテ朝飧ス、畢テ女子大学校長麻生正蔵氏ノ来訪ニ接ス、帝国《(室)》ヨリノ御下賜金及一般ノ寄附金勧募ノ事ヲ談ス○下略



〔参考〕日本女子大学校寄附金簿(DK440165k-0007)
第44巻 p.626-627 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿          (麻生正蔵氏所蔵)

 第四回寄附  明治四十二年六月
一金壱万円也   五箇年賦    渋沢栄一(印)
一金五万円也   同       森村市左衛門(印)
一金壱万円也   二ケ年賦    大倉孫兵衛(印)
一金参万円也           某氏
一金壱万五千円也 五ケ年賦    広岡浅子(印)
一金壱万円也   五ケ年賦    住友吉左衛門
一金五千円也   五ケ年賦    新井領一郎
一金五千円也   二ケ年賦    村井保固
一金五千円也   五ケ年賦    広海二三郎
一金弐千円也   五ケ年賦    竹原竹三郎(印)
一金弐千円也   五ケ年賦    神田雷蔵《(神田鐳蔵)》(印)
○下略

   ○当校ニ対スル栄一ノ寄付金額左ノ如シ。(校長井上秀子調ニヨル)
      寄付申込年月日    金額      払込年月日
    明治三二年五月八日   二、五〇〇円 明治三二年一二月三〇日
 - 第44巻 p.627 -ページ画像 
    明治三六年六月二二日    五〇〇円 明治三七年四月二六日
    明治三七年一二月五日  五、〇〇〇円 明治三九年一二月三一日
    明治三八年一二月三一日   五〇〇円 明治四二年七月一日
                  (麻生正蔵氏洋行費補助)
    明治三九年一一月 日 二〇、〇〇〇円 明治四一年三月二五日
    明治四二年五月一日  一〇、〇〇〇円 大正二年一二月二五日
    大正四年一月一五日  二五、〇〇〇円 大正六年六月三一日
    大正七年九月七日   二五、〇〇〇円 大正七年六月三一日
    大正一二年七月二三日 七〇、〇〇〇円 昭和五年七月三日
    合計   二〇七、五〇〇円
    尚右ノ他ニ学校ノ帳簿ニ載ラザル額相当ニアラントノコトナリ。例ヘバ次ノ如キモノアリ。
     井上秀子外遊費補助
     明治四〇年五月頃 五〇〇円程度
     大正一一年一〇月 五〇〇円程度
     直接ニハ学校ヨリ餞別ニ受ケタレドモ実際ハ栄一ノ支出シタル分ナリト



〔参考〕日本女子大学校寄附金簿(DK440165k-0008)
第44巻 p.627 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿         (麻生正蔵氏所蔵)
 第五回寄附 大正三年四月廿日
一金弐万五千円           渋沢栄一
一金弐万五千円           三井家総代三井八郎右衛門
一金弐万五千円           森村市左衛門
一金壱万円             久原文子
一金弐百円也            中野鉄平
一金壱万円也            大倉藤兵衛《(大倉孫兵衛カ)》
一金参千円也            村井保固
一金参千円也            新井領一郎
一金壱万円也            ○記名欠
一金壱千円也            服部金太郎
○下略



〔参考〕日本女子大学校寄附金簿(DK440165k-0009)
第44巻 p.627 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿         (麻生正蔵氏所蔵)
 第六回寄附
一金弐万五千円也          渋沢栄一
一金弐万五千円也          森村市左衛門
一金弐万五阡円也          久原房之助
一金参万円也            山下亀三郎