デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.627-629(DK440166k) ページ画像

大正8年11月11日(1919年)

是日、当校ニ於テ、当校評議員故森村市左衛門ノ追悼会催サル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK440166k-0001)
第44巻 p.627 ページ画像

集会日時通知表 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 火 午前九時 故森村男追悼会(女子大学)
   ○森村市左衛門ハ是年九月十一日逝去ス。


家庭週報 第五四二号大正八年一一月二一日 国家といふ一念のみ 男爵 渋沢栄一(DK440166k-0002)
第44巻 p.627-629 ページ画像

家庭週報 第五四二号大正八年一一月二一日
 - 第44巻 p.628 -ページ画像 
    国家といふ一念のみ
                   男爵 渋沢栄一
△成瀬校長と主義を共に 故森村男爵の追悼会に参列して、古いおなじみであつた故男爵の事どもを想ひ起すことは、私に取つてまことに感慨に堪へぬ次第であります。
 殊に当女子大学に関する故男爵の思ひ出は深いもので、全く当女子大学校の今日ある所以は故森村男爵の一方ならぬ御助力に依るものと云はねばなりません。故男爵はまた故成瀬校長と非常な懇意で常にその主義主張を共にし、力を併せて女子教育のために尽力されたことは今更私が申すまでもなく皆さん御承知の事と思ひます。
△労働者の同情者 只今法華津氏から故男爵に就ての事跡をまことに委しく、その幼少の時から優れて居られた事及び色々の困難に遭遇された顛末など細々と披瀝されたので殆ど私の申す事もその中に云ひ尽された感じがいたします。中にも故男爵が非常に同情心の厚い人で、殊に労働者に対する理解と同情心とは故男爵に及ぶ者がないほどのお方でありましたから、今日の如き労働問題の騒がしい時に於て故男爵の様な人傑を得たならばどれ程力強く感ずるのであらうと、私は先程から法華津氏のお話を伺ひながら秘に暗涙にむせんで居りました。私は四十三年間実業界につとめました。同じ実業界にゐた関係で故森村男爵と多少事を共にしたことがありますけれども、それはほんの一部分の事で――、先年森村男爵が生糸会社を興す時に私も及ばずながらその一部分に加はつた位のもので――、実業界で事を共にしたといふ事は大変少数でありますが、それ以外の問題で、即ち教育とか、宗教とかいふ重に精神的方面に於て関係を結び、且つまた相提携して事をした方がどれほど沢山であるか分りません。
△外国貿易に対する貢献 実業に於ける故男爵の事績は先ほど委しく述べられましたから多くは申上げませんが、男爵は早くから広く世界の事情を達観して、日本の将来のため、また進歩発展のために如何に心を注がれたかといふ事は色々の功績を通じて窺ふことが出来ます。日本から出る産物の直輸出なども全く男爵の愛国心から断行されたもので、生糸を初め日本の産物(雑貨)を凡て横浜の居留地に住む外国商人の手を省いて直接に外国に輸出したのであります。斯く貿易上に貢献された男爵の功は実に偉大なものであります。而して是等凡ての行為はたゞたゞ国家のため、社会のためといふ事が動機となつて、少しも私利私慾を計るといふ事がありませんでした。
 故男爵はまた明治の初年から女子教育のために尽瘁されました。その動機は勿論日本の国家社会をよくしたい一念で、当女子大学に対する熱心な援助もその精神が基となつて居りました。
△男爵の性格と性行 又故男爵の性格に就ては、今更私が繰りかへして申す必要もありませんが、其の幼少の時から感心な方で、若い時から逆境に立つて辛苦艱難を経て益々立派な人となられたのでありますから、その実力に於ても徳望に於ても実に立派に具備された方でありました。而してまた男爵は大変慈愛心の深い、親切な情の人でありましたが、またその一面には非常な意志の人で厳格な勤勉家でありまし
 - 第44巻 p.629 -ページ画像 
た。『大変よい人であるが少し固苦しい。』といふ世間の評は或は此の男爵の厳格な性格を意味するものでありませう。
 尚故男爵に就て特筆すべき事は男爵の質素倹約の徳であります。兎角、節倹と吝嗇とは甚だ誤り易いもので、倹約をするつもりのものが遂に吝嗇に流れて、出すべき所にも財を惜む傾きになるのでありますが、森村男爵の如きは実にその弊に陥らず、必要なものには凡てを忘れて支出するといふ風に吝華両者相あやまたず、実に立派に倹約の徳を実行した人であります。男爵の日常生活は誠に質素簡易で、露ほども虚飾に類することがありませんでした。私共は時々御馳走にあづかりましたが、そんな時に於てもまことに心持ちのよい簡素なものでありました。つまりその心を以て客をもてなすのでありました。
 最後に一言申上げたいことは、皆さんも御承知の通り、故男爵は非常に信仰の厚い、信念の固い方であつたといふ事であります。その信仰の如きは実に熱烈なもので、其信念生活は男爵を益々立派な人格にいたしました。そして男爵の真実にして簡素な、敬虔にして謙遜なあの立派な態度を思ひ出さずには居られません。男爵はまた非常に進取の気に富んだ方で、よいと思ふ事は何事に依らず改良して、いつも不断に進歩向上に心掛られたことは、男爵の非常に偉い点の一つであります。
 あなた方は此の立派な故男爵のふまれた道をふんで、一人一人が立派な人になられる様に勉めなければなりません、故人のふまれた道をふめとは、必ずしも同じ仕事をしなければならぬといふ事ではありません、その心を心として故人の尊い精神を表はすことに努力することでたゞ哀悼するのみならず、大いにその故人の志を世の中に表はす様につとめるのが、故人に対する本当の追悼であらうと思はれます。
                      (文責在記者)