デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.650-651(DK440175k) ページ画像

大正12年3月24日(1923年)

是日栄一、当校第二十回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK440175k-0001)
第44巻 p.650 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
三月廿四日 土 午後二時 日本女子大学校卒業式(同校)


竜門雑誌 第四二一号・第六四頁大正一二年六月 ○日本女子大学卒業式(DK440175k-0002)
第44巻 p.650-651 ページ画像

竜門雑誌 第四二一号・第六四頁大正一二年六月
○日本女子大学卒業式 左は三月廿四日開催の日本女子大学校第二十回卒業式に於ける青淵先生の講話にして家庭週報に掲載せるものなり
  又一年を経過いたしまして、此のお目出度い席に参上致す事が出来ました。私のやうな老人は一年毎に、もう来年は出られないかもしれぬと思ふのでありますが、今年もかうして出席が出来、なかなかまだ三・四年は大丈夫だらうといふ心持ちもいたすのであります
  始め此の女子大学が開校さるゝに就て成瀬校長から御相談を受けました時には、実に今日の如き本校の盛運を予想する事は出来なかつたのであります。処が其の後日に月に発展して今日では既に二千
 - 第44巻 p.651 -ページ画像 
数百名の卒業生を出して居ります。これは誠に本校にとつて栄誉ある事で、皆さんも今後社会に出づるに当つて身幅が広い事であらうと思ふのであります。昔から日本或は東洋に於ける婦人に対する考は非常に低いものでありました。孔子の云はれた女子と小人は養ひ難しといふ言葉は何人もよく知る処であります。又貝原益軒の女大学などを見ても、其のいふ処は誠に消極的であります。これ皆昔から名高い学者として知られて来た人の言であります。処が今日は時世が一変して婦人に対する考も非常に積極的になつて参りました。婦人も男子と同様の教育を受け、男子同様の取扱ひを受くべきものであるといふ考が一般に行き渡つて参りまして昔日とは非常な相違を感じます。而も女子は男女を生育する責任を有するものであるから男子以上の徳を供へなければならぬといふ嘱望を以て今日の女子の位置を引き上げやうとする識者も多くなつて参りました。世の中を通観するに優れた子供は必ず勝れた母親に育てられたといふ事は十中八・九証明する事は出来ます。処で吾々の諸子に希望する処は賢明なる母親となり進んで人類の為に貢献する事の出来るやうな御婦人になつて戴きたいと思ふのであります。又女子は必ずしも家庭のみの人ではない。或は社会に出でて種々の事業に携はり或は政治に参与する事も必要であらうと思ひます。蓋し私はそれが漸進的に行はるゝ事を希望するのであります。
  今日の世の中はかなり進んで居りますが、又見方によつてはまだまだ進んでゐない、前途遥かに遠いといふ事を感じさせられます。この点に於て皆さんは今日校門を出づるに当つて何となく前途に不安を感ずるであらうと思ひますが、それだけ又一面からは尽す事が沢山あるといふ事も出来るのであります。凡そものは進歩しきらぬ処に希みがあり、余地ある間ほど勉強が面白いのであります。皆さんの前途は実に有望であると申上ぐる事が出来るのであります。どうか本校の創立された二十年前と今日と又来る将来に対してよくその進展を考へ急がずあせらず十分に其の本分を発揮するやうに努めて戴きたい、其所に於て始めて吾々が本校に微力を尽した所以も、明らかになるのであります。
   ○右ハ「家庭週報」第七〇三号(大正十二年三月三十日)ヨリノ転載ナリ。