デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.664-667(DK440183k) ページ画像

大正15年3月27日(1926年)

是日栄一、当校第二十三回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一五年(DK440183k-0001)
第44巻 p.664 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
三月廿七日 土 午後二時 女子大学卒業式へ参列(同校)


竜門雑誌 第四五一号・第七七頁大正一五年四月 青淵先生動静大要(DK440183k-0002)
第44巻 p.664-665 ページ画像

竜門雑誌 第四五一号・第七七頁大正一五年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
廿三日 日本女子大学校評議員会(同大学)
 - 第44巻 p.665 -ページ画像 
   ○中略。
廿七日 日本女子大学校卒業式(同校)


家庭週報 第八三四号大正一五年四月二日 世の中に出て重荷を負へ 日本女子大学校第廿三回生に餞す 日本女子大学評議員子爵渋沢栄一氏(DK440183k-0003)
第44巻 p.665-666 ページ画像

家庭週報 第八三四号大正一五年四月二日
    世の中に出て重荷を負へ
      日本女子大学校第廿三回生に餞す
             日本女子大学評議員 子爵 渋沢栄一氏
 昨年は病気のために参上出来ませなかつたが、幸ひ本年はこの壇上に立ちまして、おめでたい式のお喜びを述べられますのを、仕合せと存じます。
 只今校長より卒業生に対し、実に懇切なる訓辞を述べられました。傍にゐて伺ふ我々も、皆様が充分に心にお銘じになるであらうと思ふほど御丁寧なお話でありました。この学校の創立当時より何かとお力ぞへを致してをる私としては、まことに心から嬉しく存じました。
 日本の未来に対して、どうしても只今校長さんの言はれるやうな方方が土台に立たねばならぬ、極端なる言葉を以つて言へば、さういふ方々が立たねば帝国の将来は覚束ない、と迄思はれるのであります。かく悲観らしく老人が言ふのは、場所柄不似合ではありますが、併し事実はかく申さねばならないのであります。私は、自分には教育上の経験を持ちませんのに、前校長成瀬さん、現校長麻生さんに多少のお力ぞへをして、事務の方のお手伝ひをしてまゐつたのは、どうしても日本の未来が御婦人の智識、働きの上にかゝると思ひましたのに外ならなかつたからでありました。啻に貝原益軒先生の女大学式教育、昔流の教育それのみで今日の進歩に安んずる事は出来ぬと思ふところがあつたからでありました。
 他との比較はもつともの申分ではありませんが、私は屡々ある機会からしてアメリカに旅行いたし彼の地の婦人には交際して様子を見てをります。そして決して皆様の学校から出た方々、これから出る方々がアメリカの婦人方に負けるとは思ひませぬが、彼の国総体との対照を見ますと我が国の婦人方が多少とも完全しないと言はざるを得ないのであります。これは従来の御婦人に対する境遇が悪いと申さねばなりませんが、婦人の覚悟も亦悪いといふ事は否まれぬ事であります。
 大学として本学校が創立される頃、日本には女子大学と申すものはありませんでした。私は当時、婦人がそのやうな教育を受けるには、よほどの覚悟が必要である。またやりかけて出来ぬのなら、恥しいから寧ろ初めから御相談をしない方がいゝと思つたほどでありましたがその当時と、とにかくこゝ迄になつた現在とを見まして――なほ、現在にも立派な大学が出来てゐるとは思はないのであります――が、私はその当時、成瀬校長には未来の覚悟があるが、他の人々がそれだけの力をそへられるやいなや、又学生が世に出でてから迎へ容れられるやいなや、両方両面に困難があるが、それ等に対する覚悟が成瀬君にもあるか、また所謂新しい女が出て来て新しいといふ事それだけを振り撒くやうな事にはならぬか、物笑ひにはならぬかを心配いたしました。しかしそれらは杞憂であり、成瀬君の骨折も甲斐があつて今日に
 - 第44巻 p.666 -ページ画像 
なり、世の中の進運もまた、こゝに至つたのであります。その当時よりすべてを熟知してをります私も、尚、今日の状態が満足の時であるかいなや、教育の最後の満足なる点にすべての位置が進んでゐるやいなやは疑問なのであります。
 世の中を見ますのに、社会が権利義務を穿きちがへ、先づ権利から先きに取りたいといふ様子がすべてに見受けられます。至るところに権利義務の争ひが見受けられます。婦人の智識を増すにいたしましても、婦人が義務を無視し、権利を先きにするやうな事があつてはならぬと考へて頂かなくてはなりません。
 前々から申しますとほり、私は男だけが相当な人格を具へればいゝと思ひませんし、また現代の若い方々も御婦人方も、恐らく婦人も、男子同様の人格才能を具へなければならぬとお考への事と思ひます。しかし、かくありたいと思ふだけの学識才能を得られるには、それに伴ふ勉強が必要であります。私は多少アメリカの家庭に入つてその様子を見ましたが、彼れと我国とは、社会一体の組織が違ひますゆえ同じに論じるわけにはまゐりませぬが、家庭の育しみ、親子の関係、またその間に相当な智識を持つて子供を育てる様子を見ますと、何となく我が国の婦人も、どうかあゝあり度いと思ふ気がいたすのであります。この学校へいらして演説をなさつたバラモントの奥さん、又ハインネの奥さん、ルーズベルトの奥さん、カーネギーの奥さんなどにも親しくいたしましたが、その御様子を見ると、人格と申し、才能と申し、家庭に対する育しみに至つても、まことに至れり尽せりと申してよいのであります。夫人方はみな、国家的観念をはつきりと持たれる一方に、美しい家庭を営まれるのであります。それ等の様子を見て、私は我が国の婦人の人格と才能と勉強が伴はんければ、帝国の未来が心配とさへ思つたのでありました。まことに我が帝国を盛にするのは男ばかりにあるとは思へません。将来の御婦人方の覚悟、勉強に依るのであります。
 皆さんは只今校長から重い責任を負はせられになりました。しかるに、私がかくまた重荷をお負はせするのは、皆さんにとつては、まことに楽な事ではありません。しかし、考へて見ますれば、歓びと申すものは楽ではありません。歓びには必ず何等かの重荷があります。ある意味から申せば重荷を負ふことが、歓びと思はれるのであります。
 御祝ひのために、一言所感を述べた次第でございます。



〔参考〕集会日時通知表 大正一五年(DK440183k-0004)
第44巻 p.666-667 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
壱月 五日 火 午前九時 麻生正蔵・塘茂太郎両氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
壱月 十日 日 午前九時 麻生正蔵氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
壱月廿二日 金 午后壱時 麻生正蔵氏来約(事務所)
   ○中略。
参月十一日 木 午  時 麻生正蔵氏来邸(兜町)
   ○中略。
 - 第44巻 p.667 -ページ画像 
参月廿参日 火 午前十時 日本女子大学評議員会(同大学)