デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.669-671(DK440186k) ページ画像

昭和2年4月20日(1927年)

是日栄一、当校創立記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

日本女子大学校書類(一)(DK440186k-0001)
第44巻 p.669 ページ画像

日本女子大学校書類(一)       (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓、益々御清穆被為渉奉恭賀候、陳者来る二十日(水曜)午後二時より本校創立記念式執行仕候に付御繰合せ御臨席被成下度、此段御案内まで得貴意候 敬具
  昭和二年四月十五日
            日本女子大学校長 麻生正蔵
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
    同 令夫人


集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日(DK440186k-0002)
第44巻 p.669 ページ画像

集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日 (渋沢子爵家所蔵)
    二年四月中
四月二十日 後三 日本女子大学校ニ御出向


家庭週報 第八八六号昭和二年四月二九日 いや益々学風を起せ 日本女子大学評議員 渋沢栄一(DK440186k-0003)
第44巻 p.669-671 ページ画像

家庭週報 第八八六号昭和二年四月二九日
    いや益々学風を起せ
                 日本女子大学評議員 渋沢栄一
 最も記念すべき日に、老人ながら参列して皆様に御目にかゝる事の出来ました事を喜ぶと同時に皆様をお祝し申します。
 今日はこの学校が生れ出ましてから満二十六年の記念日であります古人は歳月の経過を矢の如しと申してをります、皆様はまだ斯様にお考へになりはせぬでせうが私はしきりにその感が致します、如何なれば私は非常に年が多いからでございます。
 - 第44巻 p.670 -ページ画像 
また古人は「意多くして歳月短し」と申してをりますが、実に月日の経過の早きに驚かされます。
 「人生百に満たず、常に懐ふ千歳の憂」ともまた古人は云つてをります。私などもこれ程ひろい憂ひは持ちませんが、現在にも憂ひがあり、既往にも憂ひがあり、未来にも亦た憂ひを持たされてをります。
 本大学の今日に至りましたに就ては、成瀬前校長の最も奮闘された結果として、お互に記念せねばなりませんが、続いて今日の校長並びに諸君の努力が今日を成してゐるのでありますから、成瀬校長のみを憶えてゐて、現校長の苦を忘れてはならないと存じます。
 私など縁の下の力持ちであつても古きを忘れませんから、そのやうに貴女方も現在を忘れぬやうされたいと思ひます。
 只今、浮田先生から大学の精神、学問の仕方等を懇切且明晣にお示し下さり、皆さんも十分に会得された事と存じます。また成瀬前校長の非凡な尽力と共にいさゝか経営の心配をした者として、私の讚辞をも併せられた事は却つて恐縮に存ずる次第であります。現に力が足りぬために綜合大学の具備もなかなか困難であります、勿論綜合大学と成すのみがこの学校の価値ではないとしましても、縁の下の力の持ち方の悪い事を面目なく思ひます。
 併し私は今後も、決してこの経営のお力添へを止めやうとは思ひません。
 思ひ返しますれば、成瀬君が極めて熱心に活動してゐられた頃も私は如何にして経営するかを懸念してをりました。故森村男爵も深くこの事を考へ、大に努力してみやうと異常な力を加へられた、これが本大学をしてグツと前進せしめた所以であります。成瀬校長も心から之を喜び、色々と私に相談された事を今もなほ記憶致します。
 浮田先生がお話しになつた、学問はその学校に学ぶのみが学問でないといふ事は私も御同感であります。一体に日本の学問はおしなべて女の位置を下に置き、(女に学ばせぬでもよい)と考へられてゐるために今日もなほなかなかの苦心が要るので、成瀬校長はどうしてもその風潮を改めんければならないとして、婦人は人である、婦人も亦国民の一人である、この婦人を学ばしめねば真に国家を進める事は出来ないと切実に申されたのであります。私共も当時は半信半疑でありましたが、月日の経つに従ひだんだんその感が深くなり今更に故人の言を思はざるを得ないのであります。併し浮田博士のお言葉の通り、ここに在つて学ぶのみが学問でない事は私も敬意を以て御同感申上げるのであります。
 中庸にもあります通り、学問は「博学之。審問之。慎思之。明弁之篤行之」(中庸第二十章)に於て、始めて学問の効果があるので、苟も目でこれを一寸知つて鼻にかけるやうな学問ならば、むしろ無くも哉と思はざるを得ないのであります。
 たとへ如何に博く学びませうとも、篤く之を行ふ事が無かつたなら寧ろ学ばぬ方がいゝと迄思ひます。これはひとり貴女方に対して申上げるのでなく世の一般風習が学問を実用しないのは、一般社会に対して慨嘆に堪へぬと云はねばならぬではありませんか。
 - 第44巻 p.671 -ページ画像 
 政治界・実業界・経済界は何のざまでありませうか、然もそれらに携はる人々は皆学問した人々であります。その人々の行ひは何でございませう、貴女方に斯様な鬱憤を洩らしては相すみませんが、私のやうな年寄でさへ、「実に厭になりました」と申したい位でありますから。女子大学に世の鬱憤を申すは御門違ひ失礼千万ではありますが、貴女方も日本国民の一人としてはお互御同様に心配し、責任を分たれねばならぬと思ひます。
 斯くの如き時代でありますゆえ国民の一人としての貴女方はその子に対し、又主人に対して切実敦厚の風を作られねばなりませぬ。それには又学問が無くてはなりませんから、貴女方は学校で学ばれた事を基とし、これを真に消化した力で、充分の御力添へを願ひたいのであります。
 今日は記念当日にあたつて、少し脱線したやうでありますが、世の中を憂ふる余り、皆様を婦人方だからと思はず、寧ろ皆様を尊敬し、最も有力なお方と思ふて、斯くの如く御ねがひ申上げる次第であります。(文責記者)