デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.141-145(DK450046k) ページ画像

大正7年2月11日(1918年)

是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK450046k-0001)
第45巻 p.141 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 曇
○上略
午飧後埼玉学生誘掖会ニ抵リ学友会大会ヲ開ク、勅語朗読賞品授与等畢リテ訓示ヲ為ス、後添田寿一氏及岡田県知事ノ講演アリ、夜飧後生徒ノ余興アリ、夜八時頃帰宿○下略


委員日誌(四)(DK450046k-0002)
第45巻 p.141 ページ画像

委員日誌(四)            (埼玉学生誘掖会所蔵)
二月十一日○大正七年
 学友会大会(記事眇略《(省)》)


学友会報 埼玉学友会編 第二六号・第一―七頁大正八年二月 講演 男爵渋沢栄一閣下(DK450046k-0003)
第45巻 p.141-145 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二六号・第一―七頁大正八年二月
    講演
                 男爵渋沢栄一閣下
 知事閣下、諸君並に学生諸子、例に依て紀元節を卜して玆に学友会の大会が開かれましたので御座います。幸に老人ながら此処に出て若い学生諸子と御目に掛かる事の出来たのを私は自ら愉快とし且欣幸に存ずるので御座います。学友会は年々一度寄合ふだけであつて、少し七夕様然として甚だ諸君との親しみが薄いやうです。併ながら此場所が自から学友会の代表とも申すべき学生の誘掖会で、其名に因んで始終学事の奨励若くは拡張を計りつゝ居りますから、一年一度しか相会はんでも学生諸君と吾々が決して疎遠ではなくて、共に倶に埼玉県の学問に就き若くは其他の実務に就て、現在及未来を談じ或は拡張を企図しつゝ行く事が出来るので御座います。
 唯今大井監事が述べられた通り、一年の歳月は三百六十五日しかない、けれども其間の世界の変化は実に想像し能はぬ程の事であつた。
 - 第45巻 p.142 -ページ画像 
今日一年が左様であつたから未来も亦如何であるかと云ふことを想像せざるを得ぬ訳であります。殊に露西亜と云ひ支那と申し、又は昨年の此会に於ては亜米利加がまだ今日の有様に国論が固まらなかつたやうである。一年を隔つた今日の北米合衆国の有様は―其実地は視ませぬけれども、通信に依て承り又は現在視て来た人の話を聴いても実に勇ましいやうな有様であります。即ち始終世界が急激に変化しつゝあると云ふ事を、吾々の眼前に提供して居るのであります。古人の詩に「年年歳歳花相似。歳歳年年人不同」寧ろ是は老人の嘆息で歳月の経過するを嘆いたのである。是は唐人宋之問の詩でありまして、初めから申せば
  洛陽城東桃李花。飛来飛去落誰家。幽閨児女惜顔色。
  坐見落花長嘆息。今年花落顔色改。明年花開復誰在。
  已見松柏摧為薪。更聞桑田変成海。古人無復洛城東。
  今人還対落花風。年年歳歳花相似。歳歳年年人不同。
  寄言全盛紅顔子。須憐半死白頭翁。此翁白頭真可憐。
  伊昔紅顔美少年。公子王孫芳樹下。情歌妙舞落花前。
  光禄池台文錦綉。将軍楼閣画神仙。一朝臥病無相識。
  三春行楽在誰辺。婉転蛾眉能幾時。須臾鶴髪乱如糸。
  但看古来歌舞地。惟有黄昏鳥雀飛。
唯歳月の経過を憂ふる浮華軽佻の文字を並べた詩に過ぎませぬ。兎に角「年年歳歳花相似。歳歳年年人不同」と云ひますが、実に今申す通り中々「人不同」どころでない、「国不同」とまで大変革を来しますので、御互に此歳月に与へられたる生命はどう云ふ風に経過して宜しいか、此歳月を如何に利用して宜いかと云ふことは、斯く激しい世の中に対しては、別して深い解釈を以て歳月に当らなければならぬのである。広い意味から申せば、世界の大戦乱も即ち自から吾々の肩に掛かると言はねばならぬ。更に小さく考へれば吾々埼玉県人として、此埼玉県の精神的若くは物質的、二つの進歩を如何に致して宜いかと云ふことを深く学窓に居る諸君と雖も心より考へるやうに致されたいと思ひます。
 総て歳月に関して人の最も心を須ゐなければならぬのは、進み行く間に成るたけ新しきものを磨いて行くと云ふ事が最も肝要であらうと思ひます。誰やらの句に「進徳工夫在日新」七言絶句でありますが、即ち日々に新しくして行くと云ふ事は自己の徳を進むるに最も肝要なことであると云ふことを言表したものであります。又づつと古い周の前の夏の湯王の言に、大学の中の湯盤銘曰と云ふ所に「苟日新。日日新。又日新。」繰返して新しいと云ふことを言つて居る許りでありますが、此間に人の世に処する心掛が斯くあらねばならぬと云ふことを深く言表してある。殊に学窓に在る青年のお人々などは、別して日に新たに進んで行くと云ふことを深く覚悟してお貰ひしたい。又前に申述べた通り、天が歳月と云ふものを吾々に与へたのは、反対に考へて吾々が如何に歳月を使ふかと云ふことを試されたと言うて宜いのである。此歳月を完全に働き終ふせるのが人たるの本分とするならば、斯うして居る間に於ても即ち無駄な月日を送ると云ふのは、人たる者の
 - 第45巻 p.143 -ページ画像 
生を此世に享けて居りながら、十分に其効果を尽さぬと云ふ訳に相成るだらうと思ひます。
 私は平常若い人々に長寿の法を教ゆと云ふことを始終言つて居る。其長寿の法は何んだと云ふと、此歳月を無駄に使はぬのだ、完全に勉強するのだ、常に人の一倍歳月を完全に使つたならば、即ち六十歳でも百二十歳生きたと同じやうなもので、私は八十歳になりますが、果して私が夫であつたならば百六十歳の長寿を保つたものであつて、大隈伯の百二十五歳よりは長生した事になる。まだ諸君は学窓に勉強するのですけれども、併し其間に歳月を徒費せぬと云ふことを、十分に修養を為されねばならぬのであります。是から学窓を出て世務に当るに於ては、最も月日を無駄にすることの出来易いだけ又無駄にせぬことに十分なる注意を払はなければならぬ。さうなると唯一途に学業に従事するとは違つて変化の激しい最も力を用ひ易い時に処する事が出来る。昔の言葉に利器錯盤に試むると云ふ言があります。極く鋭い器は色々混雑した所に試みると効能が多いと云ふのであります。今日本は混乱して居る訳ではないが世界は将に錯盤である、此将来は如何なるかと云ふ事は誰にも予言が出来ませぬ。結局戦争が何時歇むであらうか、済んだ暁に一方には精神界に於てどう云ふ有様を惹起すか、又物質界に於て、例へば工業は大なる衰微を来すとか、商売は大なる変動を生ずるとか云ふやうな事は却て誰にも予言は出来ない。併ながらどうしても変化があると云ふだけは言へる。自から是は二方面に観察して何れに来るかと云ふことを観察しなければなりませぬ。
 此欧羅巴の戦乱は如何なる理由であるかと云ふ事を今事細かに穿鑿をしませぬ。殊に此等が初め巴爾幹から起つて塞爾維がどうしたとか墺地利が如何になつたとか、露西亜と独逸がどう云ふ関係であると云ふやうな戦時上の事柄は、私も素人であるから兎に角能く分つて居りませぬけれども、結局は侵略主義、所謂弱肉強食の力を逞しうする向と、又自由、世界はさう云ふ唯強い者に空威張をさせてはならぬと云ふ主義との争、武断主義と王道主義との争と言うて宜しいと思ひます亜米利加が国中殆ど挙つて力有る人、地位有る人、富める人、貧しい人、総てが皆殆ど全国一致して、今此武断主義を鎮圧しなければならぬと尽して居るやうである。甚しきは此程来た手紙に依て見ますと、例のナシヨナル・シチー・バンクのワネーク氏或はダビツドソン、斯の如き実に寸時も余裕なき忙しい程の人が、又一年に数十万弗も取り得る程の力ある人が一弗の役人となつてさうして華盛頓で国務に従事して居る。夫も決して形容でなく、真に精神的にやつて居るやうであります。或は軍事公債を募るとか、又は欧羅巴の傷病兵慰問の為に赤十字社が醵金をする、此程も一億弗の醵金が集つた、桑港の市街だけで百万円之に応じた。之を見て私は甚だ嘆息に堪へぬのは、一昨年日本が傷病兵慰問の為に吾々大声疾呼して大阪・京都・神戸・名古屋各地を奔走して、勿論東京でも数ケ所に自身奔走して歩いて得た金が、桑港の一市の醵出した金額にも届かぬ。決して我が夫れ程亜米利加と比較して力が足らぬのでない。とすれば則ちまだ日本の方がさう云ふ事に対して力の入れ方が或は足りないのではないかと言はねばならぬ
 - 第45巻 p.144 -ページ画像 
即ち今のやうな有力な人々が事業を捨てゝ国務に従事すると云ふ事で見ても、彼是相対照して真に挙国一致の態度に出でる事は殆ど欽羨に堪へぬのであります。
 日本が決して今日の場合に力の入れ方が足らぬ、国民の覚悟が悪いと嘆息する訳ではないけれども、併し果して総てが満足だと言ひ得る点が或場合にはないとも申せぬから、どうぞ吾々埼玉県人としては此精神を逞しうして是非共に、所謂侵略主義・軍国主義をば撲滅すると云ふ事に努めねばならぬと思ふので御座います。
 前にも申述べた、扨て其後はと云ふことに付て、必ず始有るものは終有り、或時機に終局があるであらうが、此向うが飽までも矢張軍事的平和に世の中は進んで行くか、或は神聖なる王道が行はれて来るかどうぞ私は其後者であらしめたいと希望致してやまぬのであります。是は先づ精神界に属する想像であつて、果して孰れの事が生じて来るか分らぬが、少くも我日本国民としてはどうぞ君子として行きたい、唯力に依てのみ平和が保てると云ふ事は、人類が段々退歩すると云ふことになるのであるから、我国家としても、亦他の国家としても、地位有る人、思慮有る人が段々打寄つて攻究をしたならば、遂には、唯力の権衡だけで平和を保つと云ふ事でなくして、人道に依て平和を維持し得ると云ふやうな世の中たるに至らんと希望してやまぬので御座います。
 又一方商工業が如何に変化して来るか、今日は欧羅巴の戦乱が日本に取つては甚だ仕合せ多いと云ふ事を言はれて居る。是が一朝戦争が歇んだ暁にどう云ふ変化を来たすかと言うたら、是は勢ひ今日の有様で推移する訳には行かない。斯く考へますと今事業に就いて居る御人人が此仕合だけを以て将来を考へると云ふ事は大なる過になりはせぬか、殊に今日の所謂成金などと云ふ評を以てする向は、自から勢ひ手の伸びると云ふ事の、仕合せに伴ふて大なる弊害を胚胎して居る。或は軽佻浮華になるとか、淫靡虚弱に走るとか各種の弊害が其処に伴つて居るものである。而して遂に此戦争の済んだ暁に弊害たけは貽るが利益は去つて仕舞つたと云ふ有様になつたら、実に日本の事業が如何にも惨憺たるものであると云ふ事も随分虞れざるを得ぬのである。併し又或点から論ずると、仮令欧羅巴の各工場が軍需品の供給にのみ応ずる事はなくなるから、必ず事業は生産品を増して之を他に供給することになると今日の有様には行くまい。けれども所謂戦時の創痍を癒すると云ふ事が容易なる事でないから、其生産品を大に廉く而も東洋の方まで圧迫すると云ふやうな事は為し得られまい。さう云ふ説も是も一理あるやうで御座います。右になるか左になるか分らぬが兎に角に今日の場合、現在の日本は戦争の為には人気を少し浮れさせつゝあると云ふ事は争ふ可らざる事実であるから、是は大に恐れねばならぬと私は到る処の実業家の御方々には論じて居る。今此御場所の学生諸君に小言がましく斯う申しますのは、己の知つた事でないと仰有るであらうが、諸君に小言を言ふのでないけれども、事態が斯様な有様であると云ふことは学生諸君としても能く知つて御出でになつて、何れ実務に就かれる方々であらうと思ふに依て、現在の有様は斯様であり
 - 第45巻 p.145 -ページ画像 
ますと云ふことを先づ前提して置くのは決して無用の弁でなからうと思ひます。即ち前に申述べた通り年年歳歳花と雖も相似ぬ程の世の中である。況んや人に於てをや、此時代に於て歳月を有益に意義有るやうに利用しやうと思ふには別しての覚悟を要しますから、学友会の皆様は既に三十年の歳月を経て居る――諸君が三十年を経て居る訳ではない、代り代つて、諸君の先輩から段々と斯く長き歳月を経過して来て居る。どうぞ此学友会の現在にある人々が歳月を完全に利用すると云ふことは私の最も希望してやまぬ所で御座います。諸君に対する希望として玆に一言を述べた次第で御座います(拍手起る)