デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.157-162(DK450050k) ページ画像

大正10年2月11日(1921年)

是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK450050k-0001)
第45巻 p.157 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 晴 寒
午前八時起床、洗面ト朝食トヲ畢リ蓐中ニテ来人ニ接ス○中略渡辺得男氏来リ、埼玉学友会総会ニ於テ講演者ノ事ヲ協議ス○下略
二月三日 大雪 寒
午前八起床、昨日来熱気全ク去リ気分モ常ニ復シタレハ病蓐ヲ離レテ平素ノ居所ニ移ル、朝飧後埼玉学友会学生二人来リテ、来ル十一日ノ大会ニ関シテ指揮ヲ乞フ、依テ出席講演者ノ事ヲ阪谷男ニ請フ事トス
○下略
  ○中略。
二月九日 晴 寒
○上略 午飧後事務所ニ抵リ○中略学友会学生来話ス、明後日ノ総会ニ関シテ要務ヲ指示ス○下略
  ○中略。
二月十一日 曇 寒
○上略 午飧後一時頃埼玉学生誘掖会ニ抵リ、学友会ノ紀念会ヲ開キ、勅語ヲ朗読シ且一場ノ訓示ヲ為ス○下略

 - 第45巻 p.158 -ページ画像 

集会日時通知表 大正一〇年(DK450050k-0002)
第45巻 p.158 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 水 午後四時 埼玉学友会幹事来約(兜町)
  ○中略。
二月十一日 金 午後一時 埼玉学友会(埼玉学生誘掖会)


学友会報 埼玉学友会編 第二九号・第一―九頁大正一一年二月 講演 訓示 子爵渋沢栄一氏述(DK450050k-0003)
第45巻 p.158-162 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二九号・第一―九頁大正一一年二月
  講演
    訓示
                 子爵 渋沢栄一氏述
 来賓諸君、学生諸子、一年の歳月が諸君には大分長く感ぜられるでありませうが、私には頗る短く感じて、又此の紀元節に此処で学友会の諸君とお目にかゝるやうになりました。昨年同日に出て話をしたことは、欧羅巴戦乱以後の有様に就て、丁度銀行通信録に私が時に応ずる感想談をした事を、丁度其頃であつた為めに、其文中に思想界の事などもありましたから、世の中の変遷と今日に属する――汎く言へば人民、殊に知識階級の学問を修めた人々は、斯様に考へて行かねばなるまいと云ふことを申述べて置きましたやうに思ひまする。今日お話をするのも矢張り類似の事で、丁度昨年と例を同じうして、銀行通信録に年々の例に依つて新年の所感を述べる事を致し来つて、本年も亦意見をも述べました。それが丁度此程印刷されて来ました。少し遅れて四・五日前に来ました。新年の感想と云ふ標題にして愚見を述べたのである。
 其の要点は、今議会に論議されて居る帝国の歳入出予算に於て、甚だ軍事費が多過ぎると云ふ観念が私にある為めに、之を世の中が如何に見るかと云ふことを、所謂老人の繰言ではありまするけれども、申述べて置いたのである。是は私如き老人が、長い間の有様から考へて何時も斯う云ふ憂があるのである。甚だ軍事に力を入れ過ぎる――入れ過ぎると言はぬ。軍事の制度は至極宜いけれども、国家の方の均衡を失つて、軍事にのみ力を入れると云ふことは宜くない。又日本の軍事を如何に充実すると申した所が、所謂相対的のもので何れの国にも勝ると云ふ軍備は出来やう筈がない。現に欧羅巴・亜米利加の如き一般人民の知識なり、富の力なりに考へて見ても、我より勝れた国々が見らるゝのであるから、是等に打勝たうと云ふことが、果して出来る訳のものであらうか、それに我が国力の程を測らず、内の力の進む程度を打越え、唯一に軍事にのみ経済力が傾いて行つたならば、それだけ経済力を損耗するに相違ない。経済力の損耗は即ち国力を弱める訳になる。さうすれば自ら体力を毀損して世間に幅を利かせようと考へると云ふ一人一個の世の中に立つと同じやうな有様である。試みに対手国として亜米利加を見た所が、若し亜米利加に相対すると云つても更に進んで亜米利加と英吉利と一緒になつたらどうするか、是は出来ない相談に終る。斯う云ふやうな理窟になりますから、さう云ふ観念を以て我が軍費を議するのは、殆ど限りもない感じを其処に起す訳になる。斯う私は思ふので、それ等の点が書いてあります。併し之は今日諸君にお話する事ではない。玆に所感としてさう云ふものが書いて
 - 第45巻 p.159 -ページ画像 
あると云ふことを述べるに過ぎない。それから更に海外の関係に至つては、今日の帝国としては甚だ肝腎な事であつて、もう世間に孤立の出来ぬと云ふことは論を俟たぬ話である。孤立出来ぬならば所謂相交つて人後に落ちぬ様に進んで行かなければならぬ。現に一昨年平和会議にも五大国の一に数へられたではないか。尤も其名があつて実が十分であるとは言へない様に私は考へる。お義理に五大国の末に加へられたやうな気がして、其力が備つて居るかと云ふことに多少の疑問を加へざるを得ぬ。
 先づ第一に隣国の支那に対して、引続き如何なる国交であるか、矢張り相変らず排日・排貨の主義を取つて居るではないか、それに対して彼をして成る程と我国を感ぜしめることが今に至る迄まだ出来ぬと云ふのは、唯単に政治家ばかりが悪いと云つて居られる訳ではない。矢張り日本の国民が、他国をして感動せしめる力が乏しいからと自ら考へねばならぬではないか。殊に亜米利加などは、国と国との交りの其衝に当る人はありますけれども、国民の総てが十分出会はなければ真の国交を持続して行くことは出来ない。其の国民同志の交がどれ程であるか。英吉利と亜米利加との交がどれ程の程合であるか、英吉利と仏蘭西がどれ程の交際をして居るかと云ふことを、悉く諸君の前に述べる迄は私は知らぬけれども、決して我が日本に対する如き孤独的極く片だよりの交誼ではないと思ふ。所が政治上も振はず、人民の働も鈍いから自然孤独的に陥り易いのである。軍備だけは国の力に信ずる程やるからして日本は軍国主義だと云はれる。吾々が如何に声を高めて軍国主義ではないと云つても、あれは弁解するのだとか、甚だしきは嘲けられるやうな虞があるのです、故に此の外交関係に於て、吾吾は今職業もなし、務もない身柄であるから、国民として大に心配して居る。それ等に対して意見が述べてあります。それが第二段の申分である。
 それから第三段には欧羅巴戦乱に於て日本の経済界が俄に膨脹して各事業とも多少の力を得て、俗に云ふ成金と云ふやうな種類の人が出来た。其やり方が完全であつたか、なかつたかは第二として、兎に角仮令変に乗じて出来たことにしても、事物の進歩は喜ばねばならぬ。併し此進んだと云ふことは自然の働から順よく進んだと云ふのではなくして、一時他の変態から生じて来たのであるから、其の変態たる原動力が止まれば、又逆に変ずる事は世の常で、暑い後は段々寒くなると同じやうに、気候の変化より尚明に変ずべき素質を持つて居る。何時止まるかと云ふと、戦争終熄と共にそれが起るであらうと、誰も知つて居つたが、併し誰もそれに適応する事が出来なかつた。それで一昨々年の冬に戦争が終熄して、一昨年一年は其の変応が余り俄に現れて来なかつた。昨年三月頃から其の事態を惹起して爾来殆ど一年に近く実業界は大変に混乱して居る。此の混乱の状態に就て、例へば船に就てとか、若くは生糸事業に就てとか、紡績に就てとか、其他貿易上の事柄などに就て斯くなければいくまい。斯様に考へなければならぬと云ふことが第三段に述べてあります。
 最後に丁度昨年も諸君にお話したやうに、思想界の問題に就て併せ
 - 第45巻 p.160 -ページ画像 
て愚見を述べて置きました。之を新年の感想の打止として話がしてあります。今日此処に諸君に向つて、訓戒の意味に依つて申述べて置きたいのは、其第四の思想関係に就て、之を少し敷衍して、諸君の御記憶を乞ひたいと思ふのであります。一体以前の日本の教育法は、人を治める位置に立方の教育と、人に治められる位置に立つ教育とは大変に差等を立てた。治者の位置に立つ者には、余程広く且つ深い教育をしたのである。且つそれがむづかしい教育である。多くは支那の儒教が主になつて居つたと云つて宜いやうです。是は私は古い昔を言ふのではない。先づ徳川幕府時代の有様から見ると、治められる方の者に対しては、成るべく先に物を知らさぬが宜い、と云ふ位な有様で、殆ど高尚な学問などは余り持てはやさなかつた。寺小屋式の稽古で国尽しとか、商売往来とか、能く往来と云ふ字を使つたちよつとした読物を授け、習字を稽古すると云ふ位であつた。併し国を開いて海外の教育方法を十分に用ゐるやうになつてから、其の学問の仕組が全く変つた。其知識の進歩に至つては、誠に悦ぶべきことでございます。私共斯う云ふ時代に稽古したならば、もう少し物知りになり得たであらうと思ふ。斯く諸君を羨むのであるけれども、唯己の意思を固むると云ふやうな観念を養成せしむるやうな学風は、今日はどうも少ないやうに私には思はれる。私なども教育に力をお入れになる方々に、何か仕組はないものであらうかと云ふことを申すが、何れも尤もな話であるが考へて見ても好い方法はないとか、或はあつても其人だけでは其方法が立たぬと云ふやうな話である。どうも日本のは西洋のやうに、家庭的に強い宗教心のあると云ふ如きものとも違ふ。さうして学校は知識を十分に授け得られ、又当人の知識慾も進んで行くけれども、信念と云ふ方に対しては殆ど自由気儘と云ふやうな有様でありはせぬか。人たる本分を完全に尽すと云ふことに就ては、之に拠ると云ふ道が甚だ乏しいかのやうに私は考へる。それだから私自身は古風な人間であるから、頻りに仁義道徳を声をからし、口を極めて論じて居りますが唯仁義道徳と云ふものも、時勢に応じて多少の進歩・変化がないとは云へないと思ふ。即ち道徳の進化とも云ひ得ませう。此点に迄感想の四番目に申添へてありますが、其言ひ方がまだ尽せないやうに思ひますから、今日諸君に或は冗長の嫌はあるか知らぬが、もう少し話して置きたいと斯う思ふのであります。而して私の信ずる所が斯うあると云ふことを能く理解して戴きたいのであります。
 前に申した海外の学問の入る前、即ち旧幕時代の教育法には、人を治める広い意味の教育は、飽迄も其の仁義道徳を以て進んで行つたのである。即ち徳を天下に明にすと大学に書いてある。「在明明徳在親民在止於至善。」と云ふことで、道徳をやかましく説いてあります。此道徳を説いて居るが、幕府の頃ほひには、道徳を説く人は多く利害関係に立入らぬ人で、利害関係に在る人を命令すると云ふやうな位置に立つ人が道徳論をする。そこで直接利害関係に立入つて、斯うすれば儲かるとか斯様にすれば物が善く出来るとか云ふ方の人は、左様な高尚な事は言はぬで、唯得失利害と云ふことに汲々する。其の程度で宜しい。斯う云ふ仕組になつて来たからして、段々に其弊が強くなつ
 - 第45巻 p.161 -ページ画像 
て、遂に仁義道徳と云ふものは一種の論理であつて、必要のものではないやうになつて行つた。それが為めに幕府時代には少し高尚な説を為す人、生産殖利などを論ずると、甚しきはあの人は銅臭のある男だから、あれぢや困ると云ふやうに迄誹謗するやうになつた。生産殖利其事が道理に適ふとか、道に当るとか云ふことゝは全く引放して仕舞つた。唯一の論理として言ふやうになつた。さうして片々の方は之を取扱ふ人だけが云ふのだから、それが日常の道徳であるとか、仁義であると云ふやうなことは、生産殖利の間にはないものと云ふやうに誤解して仕舞つた。ズツト以前の仁義道徳と云ふものは先王の道と云つて居つた。先王の道と云ふのはどうであるかと云ふと、支那の歴史から云ふと尭・舜・禹・唐・周に至つて文王・武王・周公といふやうな人々、是等の人々は今の道徳と、生産殖利とを一緒にやつた人なのです。国を治めると云ふことに就て他を滅ぼして国を取らうとした。それ迄は尭は舜に譲り、舜は禹に譲つた。丁度今の亜米利加などの大統領が代つて行くやうな有様であつた――果してさう云ふ調子であつたかどうか分らぬけれども、殺伐な人殺とか何とか云ふやうな力づくで圧迫したのではない。所がそれから後は力づくで圧迫したのである。さうして行つたけれども、孔子は之を矢張り先王の政として、仮令さう云ふ他を亡ぼして我の国にしても、仁政を以て其の天下を支配し、己れをも率ゐて行つたら、それを王道と唱つて居つた。故に吾々の前の旧幕時代の、悪く云へば前に申した支那の糟粕を嘗めた道徳説は、一つの論理だけになつて実際とまるで離れた。それが旧幕時代の道徳仁義であつたと斯う云はねばならぬのであります。
 然らば今日の道徳仁義は如何に在るかと云ふと、是は千年経つても万年経つても、何処までも磨滅するものではない。飽迄も所謂千古不易の事であるが、不幸にして幕府時代の有様は、之を一緒に用ゐるのを引分けたので、大変解釈を違へて仕舞つた。今日はそれを一緒に用ゐる。即ち仁義道徳、生産殖利と云ふことが、全く合一したものに十分解釈も出来、又応用も出来るやうにせねばならぬ。即ち私から言へば、是が新しい進化した道徳と斯う申して宜からうと思ふのであります。同じ事を繰返すやうであるが、若し旧幕時代の道徳論であると云ふとどうするかと云ふと、使はれる人は殆ど総ての事を行ふべからざるものゝ如くにして行つた。小作人がよく小作を作つて地主にやるのが道徳ではなくて、命令に従ふのである。甚だしいのは、其地主の立派な地面を耕して、ちやんとして年貢を収めるにでも、矢張り其間に立派な仁義道徳が籠つて居る筈であるけれども、それは仁義道徳ではないので、之を収める――所謂国を治め、天下を平にすると云ふ間に於てのみ仁義道徳はあるんだと斯う云ふ解釈を、現に物徂徠などと云ふやうな人は、頻りに主張して居つた。斯の如き誤りを言つて居つたやうであります。此点に就て私は今新年の感想に、最終の一端として頻りに此説を述べて置きましたから、是は諸君が大に注意なさつて戴きたいと思ふのであります。而して私は今申す日本の今日の教育に於て、果して之を欠点と言ひ得るか、それが適当で私の述べるのが間違つて居るか知らぬが、どうも智育に進んで、精神上の教育が物足らぬ
 - 第45巻 p.162 -ページ画像 
と私は思ふ。もう少し信念を強める。覚悟に依つて人間はどのやうな事があつても此道は動かさぬ。斯う云ふ一つの信念がなくちやならぬと思ふ。些細な事でも、例へば論語に依つて之を標準にしようと云ふならば、朋友に交つて信ならざるは決して道ではない。斯う考へると何事に対しても、必ず守るべき一つの道がある。其守るべき道を必ず人間として行はなければならぬ。それを行はなければ人間を止めなければならぬ。是は悪い事をした。是は人が悪いのではない。其罪己に在る。と斯う考へなければならぬ。私は無宗教であるが、併し私の信念は多くは論語の書物に依つて、人たるものは斯くなければならぬと云ふことを信念として行つて居る。其の信念の下に仁義道徳と、商業とを全く密着させた。此為めに得る利益は決して是が仁義道徳にかけてゐない。甚だしきは是が間違ふと、今の旧幕時代の有様などは、人に金を貸して利息を取る。先方が貧乏だと利息を取つては、それが大層不道徳の如く考へる。道徳が欠けて居るが如くに誤解する。仁義道徳と生産殖利とは、動もすると之を悪く混淆して過ちを惹起す事がある。其誤は今日も尚中々免れぬ事と思ひます。此の分解を稍々分ち得らるゝだらうと思つて、其の意味から、此新しい道徳は斯様覚悟せなければならぬ。と云ふことが末段に稍々詳しく書いてあります。此処に沢山は持つて来ませぬで三冊ばかり持つて来ましたから、皆さんで能く御覧下さつて――他の事も書いてありますけれども、仁義道徳と生産殖利の一致と云ふことを、極く通俗に解釈すると斯くなると云ふことが認めてあります。能く之を御覧を願ひたい。
 それから仁義道徳と経済との合一と云ふことは、私の言ふ説は生産殖利の方から仁義道徳を見たのである。併し之を学者側から見た意見があります。是は其人はなくて故人になられたけれども、三島中洲先生が、道徳経済合一論と云ふものを書いて居ります。此本は曾て学友会の諸君に上げたと思ひますが、此処にも一冊持つて来ましたから御覧を願ひたい。是も一冊ぢや分らぬか知らぬが若し要るやうであつたら尚数部差上げるやうに致します。是もどうか皆様が何かの機会に一人読んで他のお方が聞くと云ふやうなことになさつて戴けば、私の趣旨だけは御了解があるだらうと思ひます。
 私は今日に於て仁義道徳と、生産殖利とが一致すると云ふことは、甚だ必要なことと思ひます。私の述べ方は皆さんによく分るやうに述べられなかつたか知れませんが、意味は大抵御了解であるだらうと思ふ。宜しく尚御講究のあるやうにしたいと思ふ。
 之を以て今回の訓話と致します。(拍手)