デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
2款 財団法人埼玉学生誘掖会
■綱文

第45巻 p.213-216(DK450069k) ページ画像

大正3年10月31日(1914年)

是日、飛鳥山邸ニ於テ、当会創立十周年記念祝賀会挙行セラル。栄一出席シ、演説ヲナス。当会ハ来会者ニ「埼玉学生誘掖会十年史」ヲ寄贈ス。


■資料

集会日時通知表 大正三年(DK450069k-0001)
第45巻 p.213 ページ画像

集会日時通知表  大正三年        (渋沢子爵家所蔵)
十月三十一日 土 埼玉学生誘掖会大会(飛鳥山邸)


委員日誌(三)(DK450069k-0002)
第45巻 p.213 ページ画像

委員日誌(三)           (埼玉学生誘掖会所蔵)
十月三十一日(土)○大正三年 天長祝日
 待ちニ待ち兼ねた十周年紀念祭は来れり、夜来の雨は止みたれど険悪の空合なり、委員並舎生役員は午前七時半王子男爵邸ニ向つて先発、評議員会等あり、紀念祭式ニ入りしは時既ニ十時半、最初ニ新成の会旗授与式あり、長野委員舎生総代として之を受く、会頭(再)男爵の訓示、来賓(昌谷知事)の祝辞、並ニ舎生総代(長野委員)舎友会総代(村山惣平氏)の祝辞あり、新作紀念祭歌を合唱して式終る、時ニ正ニ正午なり○下略


学友会報 埼玉学友会編 第二二号・第六一―六五頁大正四年二月 渋沢会頭の式辞(DK450069k-0003)
第45巻 p.213-216 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二二号・第六一―六五頁大正四年二月
    渋沢会頭の式辞
 お集りの閣下諸君並びに舎生御一同、この誘掖会創立十週年紀念の祝典に当り、私は再び本会会頭の職を担ふの栄を得ました。十年以前を回想しますると、仮令初の経過は其道々によつて多少もどかしく思ひ又種々困難を感じたこともございましたが、経つたあとから考へて
 - 第45巻 p.214 -ページ画像 
見ますと全く一日の如く、所謂誠に月日のたつことの早いのを我ながら感ずるのであります。蓋し歳月の経過は老年者には一層短かく思はれまするが、年取つたものばかりに歳月が短かいのでなくそう考へるのは全く間違で、人間は生れた子供の時代からこれを考へねばならぬものであります。青年が壮年になり、壮年が老年になるのはまたたくまで、まださ迄時は経過して居らぬからと言つてゐる間に、何時か時は経つて了ふものであります。わが誘掖会も既に開かれてから十年の日時を重ねて来て了つたのであります。而してその十年の歳月が空しく経過せず、我が埼玉学生誘掖会は玆に紀念の大祝賀会を開くことを得ましたのは、この会に当初から関係しておりまする私の聊か自ら喜びとする所であります。しかし決して私自身の何等誇りとする所では御座りませぬ。お集りの皆様が県を愛するによりかゝる組立でかゝる会を是非立てたいと最初思召されたればこそ、賛同も多くまた寄附も多くありました。夫故に此等の人々即ち今日の御集りの諸君に依て成立致しましたといふことを特に申し上げたいので御座ります。それから成立いたしました以後の経過は、監督としては矢作君・斎藤君其他の方々、事務者としては諸井御兄弟などその道々によつて色々と御尽力下されたその御骨折りと、又皆様がそれに依つて会を完全に進めて行きたいといふ丹精とが、一時的でなく永久に規則的に継続されてまゐりまして、そして十年を過ぎた今日その歳月が空しく無かつたと回想されるのであります。寔に月日の経つのは疾いものですがその疾い月日を利用せねば駄目であります。埼玉学生誘掖会といふものはさ迄大なるものならざるにせよ、十年の短日月の間お互に力を協せ地方に東京に、又学生諸君も此の成立に深い興味を持ち自ら修め自ら働くことを努めて、遂に今日あるを致したので御座います。我々の当初の計画が細々ながら立てられて段々発展して来ますと賛助して下すつた皆様がこうなるのは困難ではありながら一般に利益になるといふことをお認めなさるでありませう。そして我々の最初の企に対する皆様の賛成がこゝに幾何か形を現したとお認め下さるでありませう。此に寄宿舎の有様につきましては、つとめて会は之に干渉し監督が指揮するといふことは成るべくしないやうにしてあるのであります。畢竟もう青年寮の人々は或は大学少くとも高等商業・高等工業等相当の自治の能力をそなへた人であり、中年・幼年寮の人々と雖も夫々相当の学に就ける人々なれば、朝はかくかく夕はかくかくせねばならぬといふやうに余りにせゝこましい干渉は宜しくないので、努めて自ら修め自発自尊の精神を鼓吹せねばならぬといふので、成る可く道理正しい自由に任せてあるのであります。此のことは寄宿舎のやうに集まらずとも、元々人道として斯くあらねばならぬと考ふるのであります。況んや共同生活に於てはこれは充分守らねばならぬのであります。その学校にて各々好む所志す所に従つて学ぶ学問は分れて居りますけれども、国民として所請『忠良の臣民』として国家の為めに役に立ち、社会に立つ以上は誰しも持たねばならぬことで、玆に至ると人皆軌を一にせねばならぬのであります。我事をなし人を治め、或は商業に工業に或は法律に政治に経済に各我が長ずる所に従ふは宜しいけれども、人たる
 - 第45巻 p.215 -ページ画像 
の道を治むるには誰も皆同じことであります。勅語にも『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和ン朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進ンテ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』と申された事は、人民の総てが等しくせねばならぬことで、法を修むる人は恭倹己を持してはならず、教育家は博愛衆に及ぼしてはならぬといふことは御座いません。人道を治むるには皆軌を一にせねばならぬといふことは、勅語に拝誦致しましても同じことなのであります。故に我が埼玉学生誘掖会は、是非此の主義を立てねばならぬといふことは、初めから監督・理事の評議に於て定めまして、会旗の徽章の模様を七つに分けたのは、埼玉学生誘掖会の要義が七ケ条より成り、それが人道を守る上に重要だといふことに由るのであります。之に就きまして爾来、我々老成のものは憚ながら指導の地位に立ち、学生諸君は大体に於て之に服従し、或る点に於ては長者・先輩の旨趣を奉じて以て今日に到つたのであります。殊に此の間に最も注意致し度いのは一度成そうとしたからには一つの強い勇気を持たねばならぬことで、勅語にも『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』と申されたのはこのことで、会旗にも矢を示したのは向上発展を意味するのみならず、勇気を励ます武士道の精神を意味したのであります。先頃武蔵武士といふ書物を出されて、私は拙劣ながら序文に『学生諸子幸に科学を以て其知能を啓発し、斯書に依つて其志気を振興し、武魂文才中興の新日本に処するを得ば、庶幾くは七百年前の祖先に愧づる所なからむ乎』と論じておきました。幸に舎生は申すに及ばず寄宿舎を去つた先輩などの人々又おし広めて学友会の東京に住んで居る人人を、また此の要義に感化されるやうになつたと思つて居ります。かく誘掖会に於ける学生の形作りが追々進められ、その効果が他に及ぶものと考へますのは深く私の喜ぶ次第であります。斯様にして十年の歳月を幸ひ自ら空しくせずに過ぎまして、而して各地方の方々のお集りを頂いて、現今舎に居る舎生、また之を出て他に業に就ける諸君等と共にこの祝典を挙げるのを得ましたのは、誠に共々に喜ばしきことと申さねばなりません。十年を空費しなかつたと云ふことは、十年史に記載しある通り、我々の世の中の義務を稍尽し得たと思はれる所であります。その序文に甚だ拙劣ながら『夫れ年の義は進なり、前なり易に曰く寒暑相擁して歳成焉と、然則年を累ぬるものは其事物に於て必ず進前する所ありて、猶四時の功万物を化育するが如くならざるべからず、然らざれば空年の責を負ふて天理に背くものと謂ふべし、本会幸に十年の考課を挙げて此の紀念誌を発刊す、聊か以て愧づる所なきに似たり、冀くは吾儕指導の任にあるものと学生諸氏と相俟つて進前の理法に従ひ、本会の精神を一貫して十年を累ぬる毎に、紀念誌を発刊すること寒暑相擁して歳成焉が如く、新陳代謝終世窮極なからむことを』と書きましたが誠に年は空しく過すものでありますからもしそれが出来なかつたら、それは天理に背くものと謂はなければなりません。本会がこゝに此の十年の紀念誌を発するにあたり、過し十年を顧れば聊か会の為めに事業をつくして年月を空しくせず進前する所あ
 - 第45巻 p.216 -ページ画像 
つて、こゝに天理に背かなかつたと申すことが出来ると思ひます。実にこゝに至れるは、こゝに居らるゝ舎生諸君及び舎に居られた諸君等が吾々と一致して、完全なる発達を期して熱心に勉強せられた故と思ふのであります。推し広めて申せば此の事業を企てたのは私達で御座いますが、又こゝにお集りの方々が賛成し、更に十年の間脇から御扶助下されたればこそ我々も幾分尽し得られ、また学生諸君も専心業に励まれることが出来たので、かく舎の事業が日に月に進んで来たのもこれは一に諸君の力に依つたもので御座います。此の機会に於て事を取つた理事に代つて維持員たる満堂の諸君に御礼を申上げておきます第二の十年は尚々効果を挙げて、昔よりも悉く進んだ、事毎にかくかくまでも発達したといふことを発表いたしたいものと思ひます。私には出来るか如何か解りませんが(ノーノーの声頻り也)、人は一生世の中は永遠無窮でありますから、その世の無窮なる事を御忘なく大に力を尽して戴きたいのであります。之を以て式辞といたします。


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 序大正三年一〇月刊 【序 青淵老人識】(DK450069k-0004)
第45巻 p.216 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  序大正三年一〇月刊
序 
明治三十四年辛丑三月、吾儕有志数名相謀りて埼玉学生誘掖会の創設を首倡し、其要旨を発表して義捐を勧募せしに、幸に諸同人の賛嚢を得て翌三十五年三月本会を設立せり、爾来着々施設する所ありて漸次効果を収め、玆に十週年の紀念誌を発刊するに至る、是れ本会自から挙くる所の考課状なりと謂ふへし
蓋し本会の用は寄宿舎に在りといへとも、其精神は要義七条目に存す而して七条目の主眼は教育勅語の聖旨を躬行するに在り、学生諸氏能く此精神を領知し切磨励行して、闔県学生の模範と為り、地方淳朴の美風を鼓吹して本会設立の要旨に副へ、以て十年間の好成績を徴するを得たるは、吾儕首倡者の歓喜措く能はさる所なり
夫れ年の義は進なり前なり、易に曰く寒暑相推して歳成焉と、然則年を累ぬるものは其事物に於て必す進前する所ありて、猶四時の功万物を化育するか如くならさるへからす、然らされは空年の責を負ふて天理に背くものと謂ふへし、本会幸に十年の考課を挙けて此紀念誌を発刊す、聊か以て愧る所なきに似たり、冀くは吾儕指導の任にあるものと学生諸氏と相待つて進前の理法に従ひ、本会の精神を一貫して十年を累ぬる毎に、紀念誌を発刊すること寒暑相推して歳成焉か如く、新陳代謝終世窮極なからむことを、因て之を書して巻首に弁すと云爾
  大正甲寅十月
                 青淵老人識