デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
2款 財団法人埼玉学生誘掖会
■綱文

第45巻 p.218-221(DK450073k) ページ画像

大正5年9月22日(1916年)

是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK450073k-0001)
第45巻 p.218 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
九月二十二日 金 午後五時半 埼玉学生誘掖会茶話会(同会晩餐アリ)


委員日誌(四)(DK450073k-0002)
第45巻 p.218-219 ページ画像

委員日誌(四)           (埼玉学生誘掖会所蔵)
九月二十二日○大正五年
 - 第45巻 p.219 -ページ画像 
 午後六時よりホールに於て全寮茶話会を開く。
 渋沢会頭閣下を始め先輩諸先生多数の御出席ありたり。
 会頭閣下の御訓示ありて后、舎生数名の演説ありたり。


学友会報 埼玉学友会編 第二四号・第四―八頁大正六年二月 講演 青淵先生訓示(DK450073k-0003)
第45巻 p.219-221 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二四号・第四―八頁大正六年二月
  講演
    青淵先生訓示
 満堂の諸君よ。暑中休暇も終りまして、もう修学の時機に入りましたにつき寄宿舎の茶話会を開くとのことにより、委員への答に今日がよろしからうと申したのです。なるべく先輩諸君に来て戴き度いと思つたところが、委員の注意頗るよく行き届き、稀に見るよい機会で、有力な先輩諸君が斯く多数集まられたことは全寮諸君の御満足であると共に、私も其言葉甲斐のあつたことを、喜んでこゝに謝意を述べておく次第であります。
 学問に於て諸君が学んで行かれるのは、月日がかたみ代りに変つて行く様なもので、これがなかつたら何も茶話会を開く必要もあるまいと思ひます。世の時々、節々を知ることは大切なことで、これを利用して行くのは人の本分であらうと思ふ。一年には正月があつて年始をし、大晦日には物事のしまりをすると謂ふ風である。一年三百六十五日を、三万六千五百日と百年一束げで時日計算をするのもよからうが又時々、節々、其の遷り変りに計算するのが事物に対して必要なことであります。
 暑中休暇も済んで新学期に入り、灯火親しむしべと云ふ時に相会し新らしく学業に就て大いにつとむるために、此の茶話会を開いたのである。
 韓退子が嘗て其息子に訓して
『……時秋積雨霽、新涼入郊墟、灯火稍可親、簡編可倦舒、豈不具……』といつたことがあります。長い詩ですから悉くは覚へては居りません。『時秋積雨霽、新涼入郊墟』一寸風雅な句です。恰度今日は灯火稍可親で、残暑がひどいために簡編可倦舒にはなりませんが、やがてなることでありませう。
 今日は特に之と申して話を考へて参りませんが、学問に就て、即ち学問の本能とでも申しませうか、之れに就いて少し御注意致し度いと思ひ一問題を掲けて見やうと思ひます。学問とは何ぞと申すことが問題ですが、私共は今日の学問に精しくありませんから、今日の学問では何と申すか知りませんが、孟子は『学問之道無他、索放心耳』と云つてゐます。索放心耳は漠然たる言葉の様ですが、之れは支那人の文章が広い意味を以て解くのを例とするので斯く申したものと思はれます。即ち学問の道は要領を得ることに在ると申したので之を応用して初めて役に立つのであります。又孔子は之れを解して『博学之。審問之。慎思之』と申して居ります。即ち博学篤行のことであります。孟子の所謂『索放心』といふことは即ち博学篤行の字を変へたものと見て差支へありますまい。明の王陽明は知行合一、即ち『致良智』を説いて之れが学問の本能であると教へて居ります。即ち自己の本能を発
 - 第45巻 p.220 -ページ画像 
揮するといふことです。故に学問が実際事業と相離れるものでないと云ふことは、古人の教へによつても明であります。然し学問が密になればなるほど時代の経過によつてでせうか、学問が実際と相離れることの生ずるのは西洋の学問にもあることでせう。独り支那の学問ばかりでもありますまい。支那の学問に於て実際と理論とが離れたのは宋朝の学問に於て特に甚しい様です。私が浅学ですけれど、論語を解するのは実際に於て必要であると思ひますが、宋朝学者は之を単なる理論として解して居ります。経書などは諸君の平常の練習にはあまり効能がないでせうが、畢竟それと同様学問と実際とが相離れるのは屡々あることです。啻に日本ばかりではありません、欧洲にもありませう今日最も学理と実際とが密接してゐるのが独逸だらうと思ひます。然し密接してゐるからすべて独逸がよいといふ意味ではありません。只学問と事業とが密着することを知らなかつたならば、学問の価値といふものもなくなるでありませう。今日の日本の学問は之れが完全に密着してゐると思考し兼ねます。学問ではかうであるが実際ではそうでない、学問などは当になるものでないと乱暴に誹謗する人がありますが、これは色々な理由もありませうが、要するに学問が実際と相離れてゐる為であらうと思ひます。又之れを他の方面から申しますと、仁義道徳と生産興業といふことは相一致するものでありますけれども、従来の学者は之れを一致する迄説いたものはありません。三島先生などは其論に於て早くより道徳経済同一論といふものを唱へられ、道徳と経済といふものは一致するものであると云ふことを説かれて居ります。支那に於ては、仁義道徳と生産殖利とは一致して居るものと見て居りません。之れは多少一致せない様に見えますが、よく考へて見れば仁義道徳と生産殖利とは一致して居るといふことが解ります。即ちもし其人が位をもち政を握れば、仁義道徳といふ主義も経世の実行に伴つて一時に出来るものであります。即ち古代支那に於て王道と申しましたが、王道とは国民道徳的の経世を以て主とし、人民をいざなつて教と行と一所にしたのであります。然るに世の中が変り学問を唱へる人と、仁義を唱へる人と、政治を取る人とがちがふ様になつて来ました。孔子は其説を主張しましたが、之れを実際には行はず学者的の元老となり、其の当時の諸侯即ち周の諸侯は実地に政をとつた人達でありますが、仁義道徳を行ふと、自分の国を利し、強くすることが出来ないものでありますから、あれは学者の唱ふる理論に過ぎないと云つておりました。これが道徳学問と実際とを離した最初の理であらうと思ひます。
 今日の学問をする人がこゝに留意し、学とは行ふことである。行と一致しない学は学ばないと同様であると云ふことを知つて、広く博学篤行といふことを行はれたならば、学問と実際と密着し、経済殖産と仁義道徳とが相一致することも難くないと思ひます。
 埼玉出身の学生諸君がそれぞれ好むところに向ひ、色々な方面から出られるのは、国家も一様な人を望まないのですから結構ですが、然し方向は異つても学問は一で、充分其本質は守つて頂き度い。即ちここに掲げた要義、これはいづれも必要であるといふことは前々から申
 - 第45巻 p.221 -ページ画像 
してありますが、この要義を守つて行かねばなりません。
 只今新委員の方がなるべく舎の経営・持続は自治でやり度いと云はれたのは、尤もで結構と思ひ賛成致します。ですから舎生の定められることは老人が干渉をすまいと思ひます。只一つ要義だけは守つて頂き度い。之は教育勅語を奉戴したのでありますから、是非是非守つて貰ひ度いのです。かく自治の考を以て学問を行ふのはよいけれど、この学問が事実行つていづれの方面にも効果を表はすといふのが其要件であります。埼玉学生誘掖会の諸君は、知行合一を固く守り、此の要義に依つて益々埼玉の光彩を発して頂き度い。学問の本能は蓋し玆にあることゝ思ひ、私の考へてゐたことを少し申した次第であります。
                       (拍手喝采)