デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
7款 明治大学
■綱文

第45巻 p.309-313(DK450123k) ページ画像

大正6年7月2日(1917年)

是日、当大学第六十二回卒業式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK450123k-0001)
第45巻 p.309 ページ画像

集会日時通知表  大正六年       (渋沢子爵家所蔵)
七月二日 月 午后二時 明治大学証書授与式(同校)

 - 第45巻 p.310 -ページ画像 

竜門雑誌 第三五三号・第八四―八八頁 大正六年一〇月 ○明治大学卒業式場に於て 青淵先生(DK450123k-0002)
第45巻 p.310-313 ページ画像

竜門雑誌  第三五三号・第八四―八八頁 大正六年一〇月
    ○明治大学卒業式場に於て
                      青淵先生
  本篇は青淵先生が明治大学の懇請に依り、七月二日同大学講堂に於て挙行せられたる第六十二回卒業証書授与式式場に於て、演説せられたるものなり(編者識)
 卒業生諸君、学生諸君、当大学の卒業証書の授与式に一言なりとも申し述べるやうにと云ふ校長よりの御依頼を受けまして玆に参上致したのを自から喜びます、但し甚だ申上げますことの完全なる用意をして居りませぬので御申訳を申上げるやうな嫌はありますけれども、時節柄斯く完全な学校に於て勉強の結果、多数の卒業生が社会に御出でなさることは是は勿論喜ばざるを得ませぬが、特に今日に於て別して喜びを大きくするのであります、卒業された方々の数は三百以上も数へるさうであります、さうして其中に法律に、若くは政治経済、或は商業と種類は三つに分れて居るやうに承知致します、自身から申せば固より商工業者の方に対して御縁故が近いのでありますが、併し是は唯私の関係に於て申すので、国民の全体から論ずれば何れの方面に於けるも完全な学を修めて世に出て働く人の多くなると云ふことを喜ぶのには、何ぞ唯法律と商業とを区別する必要はないのでございます、併ながら今日特に喜ぶと云ふことは今日の時勢が最も人を要することの多いと云ふことを以ての所以であります、世の中は良い人は何時の時代でも必要であると云ふことを申されます、極端に申さば極く良い品物はどう云ふ不景気な時分でも売れるものである、併ながら或る場合には世の中にはさう人を要さぬ時代がある、折角学校を出て職に就かうとすると良い位置を得ることが出来ぬで、甚だしきは高等遊民などゝ云ふ称号を受けるやうな場合が決して稀でないのは、二・三年以前から屡々吾々が耳にする所であります、時勢の場合に依つてさう云ふことも免れませぬが、一体に日本の事は追々に進みつゝ来りましたけれど、此進みが総て順序良く行つたとは申されませぬが、大正三年からの世界の戦乱は勢ひ帝国には最も良い機運を与へた、総ての事物が順潮に活気を帯びて進みつゝあることは実に目覚しい有様と申しても宜い、其中には少し恐るゝ点がありはせぬかと思はるゝ点、又此喜び或は弊害の原因となりはせぬかと恐るゝ事柄がないとも限らぬ、甚だ不都合な事を申すやうであるけれども、例へば玆に船で大いなる利益を為した人がある、謂はゆる船成金がある、此船成金がうんと出来た、此船成金の人が船成金自から顧み、相戒めて之を極く堅実なことに其得た宝を運用して其仕合せを尚更に進めるやうにして呉れゝば宜しいのでございますけれども、世の進む有様と云ふものはさうは参らぬものでありまして、誠に卑しい話をするやうだが、神戸・大阪辺りは料理屋・芸者屋が殆ど其約束に合ひ兼ねると云ふことである、そうして其料理屋が俄に財産を増したと云ふやうな評判まであります、其噂の程ではないでありませうが、噂があるからには決して嘘ではないのである、而して其方面の神戸が繁昌すると云ふやうなことは喜ばしいやうに見えるけれども、其中に伏蔵する弊害と云ふものは甚だ多く
 - 第45巻 p.311 -ページ画像 
て其良い機運は止んで仕舞つたが、弊害だけは久しく残り、弊害の為に前の仕合せを差引いて尚大いに釣を取られると云ふことは世の中に往々あるのであります、私が船に関係がないものだから船成金を羨む若くは厭ふ如き言辞を為すやうにどうぞ誤解のないやうにして戴きたい、必ずしも単り船成金のみならず銅成金・鉄成金、或は染料成金でも、薬種成金でも、成金と云ふ字が付きまして、其間に弊害がそれに着き従つて来ると云ふことは是は免れぬ問題であります、併しそれはなかなか防ぐことは出来ませぬが、其弊害が恐いから成るだけ仕合せをなからしめたいと云ふやうなことから、噎を恐れて物も食はずに生きて居らうと云ふやうなことは、又大いなる間違ひである、極く食の進んだ場合は殊にうんと食つて可なり、併し胃腸を損ぜぬやうにしなければならぬ、尚大いに進む考へは常に持たねばならぬが、然らばそれに伴ふ弊害は始終胃腸を休めなければならぬと云ふことを最も希望するのであります、凡人の世に立つのは種々なる方面に注意する必要がある、唯一方面だけに目が届き、考へが届けば其れで宜しいとは申されませぬが、苟しくも学問をして世に立つと云ふ諸君に於ては、第一自己の才能と云ふことを能く知ると云ふことが必要であるけれども更に進んで其時がどうであるかと云ふことが最も注意を要するのである、其時代を審かにすると云ふことが欠けますと、遂には自分から煩悶を惹起したり、甚だしきは失望の結果自棄に終り、或は西東蹉跌すると云ふやうなことは時を知らぬと云ふに於て甚だ多いものと私は思ひます、但し時を知ると云ふことが或は今日知り損なつて仕舞ふと云ふことがないとは申されませぬから、此知るや余程審かに知らなければならぬが、どうしても人の学を修め世に立つと云ふ場合には固より時代がどうであるか、如何に処したら宜いかと云ふことが、最も学生の上から肝要なことゝ思ひます、そこで前にも申す通り今の時は即ち諸君の雄飛すべき時である、孟子に今の時易き事然り、鄭の国に於て仁政を施せば至たることは掌中のものを握るやうなものぢやと言つて説きました、さう講釈のやうに巧く行かぬかも知れぬけれども、併し時を知ると云ふことの必要は、殊に孟子と云ふ人などは能く論じてあるやうであります、前にも述べます通り日本の一体の事物が、なかなか欧羅巴亜米利加の力に必ず打勝つと云ふことは出来ませんから、種種と進むことを講じつゝあつても、此戦乱前の有様は総てのことが皆劣つて居つたのである、或る場合には甚だ逆流に棹すやうな有様もあつた、併し此欧羅巴の大戦乱の諸事物の利用の烈しい、兵隊の強いのは単り日本ばかりでないのです、殊に大きい国だけで亜米利加との関係が甚だ強いやうでありますけれども、先づ我が国にしても最も好運に向つて居ると申して宜い、普通軍需品と云ふやうなものばかりではありませぬ、工業品に於ても相応なる需要を見るやうになつたのは、それ等の品物が戦乱の為に届かぬ所から来つたのであります、又或る方面は例へば独逸の品物が行渡つて居つた為に欠くことがなかつたが輸入が来なくなつた事からして日本に需要が向つて来た、印度南洋等の方面もあるやうに聞きます、従つて貿易は順潮になつて来た、何時までも借金を有つて居る場合ではない程にまで相成ましたが、それと
 - 第45巻 p.312 -ページ画像 
同時に今後はどうなるかと云ふことも亦第二に考へなければならぬ、此時代に於きまして働く諸君は悪く言ふと好機会は却つてもう既に去つた、今度は困難な時代ではないか、殊に商業に従事する諸君に於ては褌を締めて御出掛なさるようにありたいと思ふのであります、事業に付いてどうか十分な諸君を迎へて居ると云ふことは今申上げた通りでありますが、私は昨年此実業界を止めまして、残生を多少此精神上のことに付いてすることがあればそれに応ずる、或は又慈善救済等のことに付いて長年世話して来つた関係もありますから余年を其門に這入るか、蓋し此ことは諸君には余り御勧め申しませぬ、又関係も乏しいことでありますが、自身はさう考へて居る身体ですから、玆に諸君に特に私の事業を是非御振舞申して置きたいと思ふことは経済と道徳の関係、富と徳義との調和或は法律の方々などに於ては、多少富と云ふ方に付いて関係が違ふと云ふ誤解があるか知れませぬが、併し凡そ人として世に立つ以上は産を生じ、勢ひを増すと云ふことに心を使はぬ者はない、又之に望みのない者はございませぬ、富と尊きは皆人の欲する所なりと斯う教へてございます、故に誰から見てもどう考へても富と尊きは人の皆欲する所である、又それで宜いのである。併し之を得ると得ざるは玆に道徳と経済、信義と殖産と相並行して行かなければならぬ必要があるのである、人文の進み事物の発展、明治の初年から五十年の歳月を経て総ての方面が大いに進んで、更に欧羅巴戦乱以後日本の物質的の進歩は前に申上げた通り目覚しい有様になつて居りますけれども、併し今後に申します所の道徳と経済の調和と云ふものに付いては、或は均衡を得るとは言へぬ恐れがありはせぬかと思ひます。是も即ち諸君に時を能く見るが必要であると云ふことを申上げると同時に、今の時がさうであると云ふことを能く社会の有様に御観察を付けて行かれることにして戴きたい、若し是が追々と進んで来て公私の有力な方々が富さへ造れば宜しいものである、自己さへ満足すればそれで宜ろしいと云ふことにのみ進んで行きましたならば、斯る立派な学校が其地位を占めることゝなり、幾らでも出来る、即ち成金大いに可なりであるが、或は恐る、其地位と其富は真に日本の健全を為し得るものであるか、真の日本の事物の進化を進めるものであるかと云ふことは、是は余程私は考へ物ぢやないかと思ふのです、私が実業界を退いて、今さう云ふ方面に力を尽すからして、今までは甚だ頻りと取り止めて勧めたけれども、今は反対に富を退けるやうに若し講師と貴下方が御聞為つたら、それは大変言葉を以て私の身を害するものである、決して物質文明を詛ふ主義ではありませぬ、飽までも富は積で行かなければならぬ、朝鮮人・印度人は私は最も憎む所である、彼等は富さへあれば宜しいと云ふ、若し独逸人が其主義であつたとしたならば、是は力を極て退けなければならぬものである、時機を知るに於て唯今日の実際の方面のみを御知り下さらずに、今申上げたる通り大いなる人心に一般不足のあると云ふ時代たることを、能く御考へ下すつて世に立つやうに為たいと思ふのである。古人の言葉に「哲人義を知る之を思ひに誠にす時々心を励まし励行に努力せよ」と云つたやうな言葉がある、是は時を知ると云ふことで、又知つたことに対し
 - 第45巻 p.313 -ページ画像 
て準備して努めて行かねばならぬ、努めて知ると同時に其思ふことを能くせなければならぬ、又励んで行ふと同時に其事を為すに十分なる注意をせなければならぬと云ふことの戒めからさう云ふ言葉があるのであります、今回諸君が世に立つに最も私は之を以て御餞にしたいやうに考へましたから、この一言を諸君の御餞別に代へます。(拍手)



〔参考〕集会日時通知表 大正一一年(DK450123k-0003)
第45巻 p.313 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月十二日 火 午后六時 明治大学ヨリ御案内(帝国ホテル)



〔参考〕集会日時通知表 昭和四年(DK450123k-0004)
第45巻 p.313 ページ画像

集会日時通知表  昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
十月十五日 火 午后二時 明治大学商科会発会式(同大学)