デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
15款 二松学舎 2. 財団法人二松学舎
■綱文

第45巻 p.600-601(DK450225k) ページ画像

大正15年10月10日(1926年)

是日、当学舎恩賜講堂ニ於テ、創立五十年記念式ヲ挙行ス。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。


■資料

二松学舎書類(一)(DK450225k-0001)
第45巻 p.600 ページ画像

二松学舎書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(往復葉書、印刷物)
拝啓秋冷之候高堂益々御静安奉賀候、陳者本年十月十日は二松学舎創立五拾年に相当致候に付、同日午後二時より恩賜講堂に於いて祝賀式挙行仕候間、何卒万障御繰合せ御来舎被下度候、右式終了後、神田区駿河台甲賀町主婦之友社食堂に於いて懇親会相開申度候に付、御賛成の方は当日会費金弐円御持参被下度、併せて御案内申上候 匆々敬具
 追て準備の都合有之候間六日迄に御回答被下度候
  大正十五年十月三日     財団法人二松学舎長
                   子爵渋沢栄一


集会日時通知表 大正一五年(DK450225k-0002)
第45巻 p.600 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
十月十日 日 午后二時 二松学舎五十年記念儀式(同学舎)


竜門雑誌 第四五八号・第八七頁大正一五年一一月 青淵先生動静大要(DK450225k-0003)
第45巻 p.600 ページ画像

竜門雑誌  第四五八号・第八七頁大正一五年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
十日 二松学舎創立五十年記念式(同学舎)


二松学舎六十年史要 国分三亥編 第六六頁昭和一二年一二月刊(DK450225k-0004)
第45巻 p.600 ページ画像

二松学舎六十年史要 国分三亥編  第六六頁昭和一二年一二月刊
 ○第一編 第二章 歴年沿革
    大正十五年(昭和元年)
○上略
 十月十日、本舎創立五十年記念式を挙行す○下略


二松学報 第一〇号大正一五年一一月 二松学舎創立五十年記念式(DK450225k-0005)
第45巻 p.600-601 ページ画像

二松学報  第一〇号大正一五年一一月
○二松学舎創立五十年記念式 本学舎は明治十年十月十日の創立に係り、本年を以て五十年とす、因て十月十日午後三時より恩賜講堂に
 - 第45巻 p.601 -ページ画像 
於いて記念式を挙行せり、講堂の一隅に中洲先生の画像を安置し、式場正面卓上胆瓶には菊花芬々として清香を放ちたり、舎長・教職員・生徒及び来賓は定刻前に式場に参列したり、やがて時辰儀が三点鐘を報ずるや、尾立理事は立つて開会を宣し、本学舎過去の歴史を略説し、更に近き将来に於いて本学舎を専門学校に陞格せしむるの計画正に稍々熟せんとするの機に到着せりと述べ、次いで渋沢舎長は式辞を述べ、縷々として自己と中洲先生との関係を語られたり継いで池田理事は在麑城なる山田学長の寄送せられし式辞を朗々と代読せらる、次に来賓谷資敬氏は方谷翁の門人にして、中洲先生とは特別の縁故者なりとて、五十年の祝意を表し、弓削元健氏は自分は創立当時の生徒にして、今日此の席に臨むに一人として其の当時の人なしとて感慨一番せられ、創立当時の学舎の来歴を述べられたり、氏が最初入学を企望せしに、幹事斎藤良一氏が熟舎満員の口実の下に謝絶せられ、度々懇請すれども聴許せられざるにより、中洲先生に直接面会して漸く入学を許されたりとの懐旧談は中々興味あり、斎藤君も定めて地下に苦笑せらるゝならん、これにて来賓演説も終りたれば、佐倉理事は立つて閉会を告げ、一同散会せり、山田学長の式辞は左に全文を録す
    式辞○略ス
○懇親会 右式終り、午後五時より神田駿河台主婦之友社楼上に於て懇親会を開き、宴酣にして弓削元健氏は出身者第一の古参の資格を以て発声し、一同渋沢舎長の万歳を唱へ、和気靄々裏に散会したるは九時半頃なりき。
 ○下略
  ○栄一式辞筆記ヲ欠ク。