デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
29款 其他 9. 報知新聞社主催帝国教育会全国小学校教員会議議員招待会
■綱文

第46巻 p.186-187(DK460046k) ページ画像

明治45年5月11日(1912年)

是月三日ヨリ三日間ニ亘リ、帝国教育会主催第四回全国小学校教員会議開催セラル。是日栄一、報知新聞社ノ主催ニヨル同会議議員招待会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK460046k-0001)
第46巻 p.186-187 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十一日 晴 軽寒
○上略 報知新聞ニ抵リ、全国小学校教員ノ会同ニ対シテ訓示演説ヲ為ス
 - 第46巻 p.187 -ページ画像 
○下略


竜門雑誌 第二八八号・第三六―三七頁 明治四五年五月 ○志行一致 青淵先生(DK460046k-0002)
第46巻 p.187 ページ画像

竜門雑誌 第二八八号・第三六―三七頁 明治四五年五月
    ○志行一致
                      青淵先生
 本篇は報知新聞社の懇嘱により五月十一日午後二時青淵先生が同社に於て大隈伯爵と与に全国小学校長に対し講話せられたる意見の大要なり。(編者識)
私は諸君に同情を表したい点があります、社会の事物が斯の如く進歩したのが教育の力に基く事は争ふ可からざる事実である、而もその教育を充分に咀嚼応用するのは即ち人である、換言すれば施された教育を完全に運用する人が無ければ駄目である、その人を教育する初は小学校で、総て人たるものを造るには小より大に、近くより遠くに進まねばならぬ、彼の孟母が三遷の労を取たのも、子供の柔かな心を誘ひ行く順序を現したのである、斯く小学教育が必要の度合からは頗る重いものであるに反して、小学教育及直接その任に当つて居る諸君に対して、社会一般の待遇が甚だ不満足の様に思はれる、是即ち同情する点である、併し私は又諸君から多少の憐憫を乞ひたい、と云ふのは、政治・軍事・法律の必要は論はないが、直接致富の途に当つて居た我我商工業者は甚だ卑まれて居つた、恰度それは諸君が大切な小学教育に当りながら不満足なる待遇を受けて居らるゝのと同様であるが、幸にも商工業の価値を認めさせ、多少とも実業界の位地を高め得た事に就て、諸君にお薦め仕たいのは、志と行とを正しく努むれば自然に諸君の位地を進める事が出来る、勉励は諸君が尊敬を受け満足な待遇を受ける原素である事を重ねて申して置きます。


帝国教育会沿革誌[帝国教育会沿革志] 同会編 第一五七頁 大正三年三月刊(DK460046k-0003)
第46巻 p.187 ページ画像

帝国教育会沿革誌[帝国教育会沿革志] 同会編 第一五七頁 大正三年三月刊
 ○一、事業
    三、全国小学校教員会議
○上略
第四回全国小学校教員会議は明治四十五年五月三日より三日間帝国教育会内に開会せり、賛同教育会は八十にして議員八十八名なりき。
○下略


帝国教育会五十年史 同会編 附録・第二八―二九頁 昭和八年一一月刊(DK460046k-0004)
第46巻 p.187 ページ画像

帝国教育会五十年史 同会編 附録・第二八―二九頁 昭和八年一一月刊
    帝国教育会年表
○上略
明治四十五年、大正元年
○中略
 五月三・四・五日の三日間第四回小学校教員会議を開く。
  三日 辻会長、小学校教員会議の出席者一同を小石川植物園に招待す。
  五日 長谷場文部大臣、小学校教員会会議出席者を官邸に招待す
○下略