デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
7款 帰一協会
■綱文

第46巻 p.647-653(DK460163k) ページ画像

大正10年4月27日(1921年)

是日栄一、一ツ橋如水会館ニ於ケル当協会例会ニ出席、次イデ六月九日ノ例会、七月六日ノ大会ニ出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK460163k-0001)
第46巻 p.647 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
四月廿七日 水 午後五時半 帰一協会例会(如水会館)


(帰一協会)協会記事四(DK460163k-0002)
第46巻 p.647-649 ページ画像

(帰一協会)協会記事四          (竹園賢了氏所蔵)
    四月例会記事
本月例会を二十七日○大正一〇年四月(水)午後五時半より、神田一橋通り商科大学側、如水会館に於て、左記の如く開催す
当日の出席者左の如し
 麻生正蔵氏   姉崎正治氏
 石橋甫氏    今岡信一郎氏
 井上雅二氏   浮田和民氏
 尾島真治氏   尾高豊作氏
 片山国嘉氏   加藤正義氏
 コールマン氏  斎藤七五郎氏
 渋沢栄一氏   土肥修策氏
 時枝誠之氏   友枝高彦氏
 中島半次郎氏  成田勝郎氏
 堀内三郎氏   矢野茂氏
 山内繁雄氏   湯河元臣氏
 井上哲次郎氏  荘田平五郎氏
 ロース氏    小畑久五郎氏
 - 第46巻 p.648 -ページ画像 
当日の講演左の如し
 外遊感想談       法学博士浮田和民氏
主として米国方面の事にとゞめる、米国人の長所と短所とについて申すに、コロンビヤ大学のギツデングス教授等も云はれたに米国人の長所としては精力の強い事と、米人は心の奥は親切な国民であるとの二点だとし、又短所は賭博的であるのと、虚栄心の強い人民だとの二点だとされた、自分もそう思つた、虚栄心の強い点は独逸と日本と共に世界の三福対だと思ふ、日本人と米人とは異る点も多いが、似てる点も少くないと思ふ、親切な国民だと云ふ事はハーバート大学のウッズ教授、ブルークリンのシヨー氏に遇ふ時の同氏等の親切振りで充分に知る事が出来た
カリフオルニヤ州に行つて色々見聞したが、日本の新聞等に表はれて居る事と実情とでは随分異るものがある、今や排日の源因は、主として日本人の精力、発展力の旺盛なのを恐怖するに存して、人種問題などは余り主要な部に入らない、尤も日本婦人の屋外労働など米人の嫌悪する所であるが、而し重要と云ひ難い、日本人入るべからずの高札なども、日本内地にて考へる意味の如きものでない、リビングストンの其の如きは、現在恰度よき割合に日米人が居るから之れ以上入るなとの意であつた、次ぎに日米学童非分離問題を紳士協約なる交換条件で結んだなど随分馬鹿げて居る、あの為めに現在二重教育をやつてるが、之は何の点から見ても賛成し得ぬ事で、宜しく分離し、日米両方面に亘る教育を授けてよいと思ふ
今や借地権は取り上げられたが、実際に於ては何等の変化を邦人に与へない状である、彼の地の事は在留邦人自身の所処《(マヽ)》に任せるとよい、内地などで余り騒ぎ立てると却つて悪い、邦人の借りて居た土地は三十三万エーカー以上あつた、所有地は五万エーカー計りある、一体在留邦人は二重国籍を有してる、其等の為め加州では日本人児童の市民権を取り上げ様としてる、尤も之は憲法問題であつて加州だけで決定し得ない事柄だが、米国の事故実行し得ないと断言する事は出来ないけれども若之を実行したにせよ、元来日本の国籍にあるものを米国籍から抜いて戻すに過ぎないのだから、日本で拒むわけにはいかないし之では戦争など起る筈がない、又ヤツプ島問題、支那・朝鮮問題等では又戦争の源因とならぬ、只米国が日本人の入国禁止をやつた時のみは戦争の理由となるが、而し米国からは攻めて来る筈がないし、日本から攻めて行くのは天に唾する如きものである、殊に世界大戦の例に照して見ても、攻めて行く方が必ず敗れると云ふ結果であつた点からしても、日本は決して攻めて行つてはならない、平和会議の際に日本から呈出した人種平等案は愚であるが、理想的のものとして置けば宜しい、とにかく御互に主張し合ふ所は充分主張して、充分理解を得る様にするがよい、日米両国共に、新聞や軍人などが、日米戦争などを予想する事を盛に唱へるが、あれは宜くない、米国も日本も新聞紙が偽りを書いて宜くない、之は改むべき事である
講演後、数氏よりの質問及び応答あり、又来賓ロース氏の小演説ありき、左にその要約を記す
 - 第46巻 p.649 -ページ画像 
 自分はスコツトランド生れである、母が幼時云ふには、大きくなつて何か仲に立つて立派な仕事をする様にとの事であつた、今帰一協会なる統一的事業の席上に話す事を得るを喜ぶ、自分は米国に十三年居た、一スコツチの見た米人観の一端を述べ様う、米人は若者だ、未だ骨と肉すらも充分ついて居らぬ様に若い、日本にも英国にも王室があり伝統があるけれど、米国に之が無い、又米人は自制心がない、彼等は小供の様に粗野であり無邪気である、デモクラシーなどを神の如くかつぎまはる点など其である、人種問題とか正義問題などについても彼等は知らざる間に虚偽に流れて居る点もある、米人は感情的である浮田氏も云はれたが、婦人の野外労働などは嫌ふ、日本人は此等の点の同化をする様にするとよい、此の冬中ハワイに居たが、同地は人種的に余り偏見を持たずに平気にやつて居る、諸々の国民が各違つた方面から文化に貢献すべきであるし、又する事が出来ると思ふ、日本の長所としては、日本人の礼儀あり丁寧だとの事である、又一つは自制心のある事だ、日本人は此の点から貢献が出来ると思ふ


集会日時通知表 大正一〇年(DK460163k-0003)
第46巻 p.649 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
六月九日 木 午後五時半 帰一協会例会(如水会館)


(帰一協会)協会記事四(DK460163k-0004)
第46巻 p.649-650 ページ画像

(帰一協会)協会記事四          (竹園賢了氏所蔵)
    六月例会記事
本会六月例会を六月九日○大正一〇年(木)午后五時半より、神田一橋通如水会館に於て、左記の如く開催す
当日の来会者左の如し
 麻生正蔵氏   姉崎正治氏
 石橋甫氏    井上雅二氏
 岩野直英氏   浮田和民氏
 尾高豊作氏   片山国嘉氏
 加藤玄智氏   黒田長和氏
 塩沢昌貞氏   斎藤七五郎氏
 滝沢吉三郎氏  渋沢栄一氏
 時枝誠之氏   友枝高彦氏
 夏秋十郎氏   成田勝郎氏
 野口日主氏   花房太郎氏
 福原俊丸氏   本多日生氏
 堀内三郎氏   増田明六氏
 松井茂氏    矢野茂氏
 矢吹慶輝氏   筧克彦氏
 頭本元貞氏   川島令次郎氏
 諸井四郎氏   永井亨氏
 福岡秀猪氏
当日の講演左の如し
 社会不安と人心醗酵の(状態)現象
  (特に大本教と天道教の実例について)
 - 第46巻 p.650 -ページ画像 
             文学博士 姉崎正治氏
吾人の社会状態は形式的に調つて行くと、内容が空虚なものとなつて感化力を失ふに至るのである、そうすると色々な本能的形のものが混乱の形で表はれ来るのである、徳川時代がそうであつた、現今も然り今日は其がうつくつせる醗酵的状態に於て現れて居るのである
朝鮮の忠清南道に鶏竜山と云ふ山があり、其所を中心に今宗教運動が起りつゝある、其所を今は彼等は新都と称し、移住するものが多い、其は天道教、侍天教、その他仏教のものなども多い、移動するわけは鄭勘録の中に庚戌国移なる文字があるのを根本とし、その予言の如く其所に是から鄭氏の新都が初まるのであるとの迷信からである、是は何処にもある事でユダヤ等にも是考へが強かつた、又日本の綾部の大本教の如き亦然りである、大本とは本山と云ふ意味に御直婆さんが用ひたので、初めは大した意味で用ひたのではない、大本教にも移動の考へが根本で、綾部に来れば助かるとの考へなり、之は社会的に不安の感をいだき、何とかせねばならぬ、而も之を改むるには普通人力では到底駄目である、何か天来的の神の力に待たねばならぬとするのである、一種病的状態であつて、常に他国との戦争と云ふ事を種にしてる、昔も此の考へがあつたが、今日の如く其が社会的の意味のものでなかつた、御立てかへとか立て直しとかは急突に行はれるとの考へで大本教で云ふビツクリ箱的に起るとの考へである
大本教の神は、教祖直婆さんの、圧迫に対する反抗的気分をそのまゝに表はした神で、今迄押し込められてる神が即ちウシトラの金神(素戔嗚命)が新に勢力を持つて之を行ふとの考へ也
天道教は初代・二代の崔先生は死刑にされ、今三代目の崔も刑を受けてる、矢張り圧伏に対する反抗の中に成育してるのである、大本教の如き幼稚な経文と異つて、仏儒の経文をひき、形式は一寸立派である病気や色々国難、社会的不安の予言をしてる、両教とも是等に対する軍事的防備上の事が盛に云はれ、即ち神軍が起つて特別な信者のみ救はれるとするのである
両教共に御立て替への後の建設的分子が殆ど見えない、大本教などは君主専制の神政を布かんとの考へである、今の社会主義とは結び得ない質性なり
大本教には多くの不敬事件を含み居り、彼等の教説に表と裏とある、自分等の方に真の皇統が伝はつて居ると云ふのである、尚物質文明に反抗する考へが強い
是等は社会の不安、性急、反動から来て居るので、即ち宗教心の欠乏の中にあつて醗酵の状態にある、是等の状の中にあつて燥信の人、私の謂ふ迷信遍歴者がうろついて居るのである
出口は山師で浅野は狂熱である、此の両極端が互に打ち合つてやつてる、其の信者にも此の両極が多い様である、大本教の如きは単に一つのオデキであるが現在の日本にその病源たる毒素が漲つて居ると思ふ


集会日時通知表 大正一〇年(DK460163k-0005)
第46巻 p.650 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
七月六日 水 午後五時半 帰一協会例会(神田如水会館)

 - 第46巻 p.651 -ページ画像 

(帰一協会)協会記事四(DK460163k-0006)
第46巻 p.651-652 ページ画像

(帰一協会)協会記事四          (竹園賢了氏所蔵)
    七月大会記事
本会七月大会を七月六日○大正一〇年(水)午后五時半より、神田区一つ橋通り如水会館に於て、左記の如く開催す
当日の出席者左の如し
 秋月左都夫氏     姉崎正治氏
 石橋甫氏       今岡信一郎氏
 筧克彦氏       内ケ崎作三郎氏
 渋沢栄一氏      塩沢昌貞氏
 添田寿一氏      島本愛之助氏
 土岐僙氏       添田敬一郎氏
 時枝誠之氏      成田勝郎氏
 服部宇之吉氏     本郷房太郎氏
 堀内三郎氏      増田義一氏
 「本郷」増田明六氏  宮岡恒次郎氏
 宮岡直記氏      矢吹慶輝氏
 都倉義一氏      山下弥七郎氏
 斎藤七五郎氏     野口日主氏
 岩野直英氏      湯河元臣氏
 福岡秀猪氏
当日の講演左の如し
 戦後の欧米・支那・朝鮮の眼に映ずる日本
                  内ケ崎作三郎氏
私の歓迎会を兼ねて下された事を御礼申上げます、私は去年八月十一日に横浜を出帆して、ホノルルに寄り米国に行き諸所にて講演した、加州にも其の他にも行つた、排日問題も日本人の勢力の強い為め起つた事故、決して国の体面にかかるなどと云ふ事ではない、自由宗教世界大会は余り盛会でなかつた、チヤールス・ウエンテーが隠退事業として大仕掛にやり出したのであるが、ユニテリアンが経済事状から余り助けなかつた為めである、其の他日本代表出席者としては意に充たぬ点も少くなかつた
ドクトル・ホームズがコムニテー教会と云ふ模範的宗教運動をやつて居るのを見て来た
十一月二十八日ロンドンに着いた、英国も精神的に随分変つて居ると思ふ、白耳義にも行つたが、白耳義は余りこわされて居らない、同国の恢復はそう六ケ敷くあるまい
和蘭へも行つた、独逸へも行つた、独逸人はその国運を悲観してるものが多い様だ、観るもの淋しい様に思はれた、風儀が悪くなつた、此の回復がむしろ長くかかるだろう、それからそろそろ帰途に向つた
皇太子殿下の御船は三月十一日マラツカ海峡を御通りなされたのを遥拝した、四月一日広東により、孫文氏にも遇つた、支那の諸所で講演した、上海で十二回開いた、支那に貧民が多かつた、殊に漢口辺りにそうであつた、私は支那救済は植林事業にあると思ふ、五月二日北京
 - 第46巻 p.652 -ページ画像 
に行つて一週間計り居つた、清水君は支那に於ける日本人社会事業の唯一の事をして居た、救済児童四百七十人計り育てゝ居た、日本は支那に病院と学校とを建てなければならぬと思ふ
六月五日平壌に着いた、朝鮮を去るまで九十五回講演した、日本から欧米・支那・朝鮮を経て帰るまでに百二十余回講演したのである
日本は島国である、支那は大陸で、朝鮮は半島で、矢張り人情性質異る、それなのに徒らに島国文明を押しつけ様とするのは大なる誤りで日本の排斥される原因も玆にある、欧州人は世界的バランスを取る為めに、日米戦争を(必要と)希望してる
支那・朝鮮亦然り、日本は東洋の文化的使命をつくす様にすべきものである、日本は支那・朝鮮方面により多くの研究生を派し、接近し融和する必要があると思ふ、帰一協会の如きは此の点にて活動する必要あると思ふ 以上
本講演に先立ち、姉崎博士本年度の会務、会計、会員の入退、死亡等につき報告せらる、続いて会費値上げ(拾弐円とす)の事を議決せりそれより食事に入り、新入会員の紹介と内ケ崎氏歓迎の辞を服部博士述べられき
      入会可決
  渋沢敬三氏
  渡辺得男氏
  白石喜太郎氏
                        紹介者 渋沢栄一氏
                           増田明六氏


竜門雑誌 第五五九号・第一―六頁 昭和一〇年四月 利弊相伴を警む(DK460163k-0007)
第46巻 p.652-653 ページ画像

竜門雑誌  第五五九号・第一―六頁 昭和一〇年四月
    利弊相伴を警む

図表を画像で表示--

 この一篇は大正十年五月八日本社春季総会の席上、青淵先生の試みられました講演の速記録であります。時恰も曩の所謂大戦景気の余温未だ冷めやらず、世上滔々として利に趨り、人心漸く不安に陥らんとする過渡期に処し、長幼の序、労資の協調、政治の中正、経済の道徳化等数項に亘りて利弊相伴ふの習を警められ、会員に対して懇諭せられたものでありますが、これを今日に移しても方に時弊匡救の一大訓言と存じまして、玆に改めて御紹介致す次第であります(雑誌委員) 



○上略
 次に帰一協会の事に就て「現在は斯様であるが、将来はどうしても此処に目的を持たねばならぬと自分は思ふ」と云ふ博士○浮田和民の仰せは、洵に私共意を強うします。元来博士も最も有力なる帰一協会の会員でいらつしやるので、此の間も丁度欧羅巴の話を、今日とは少し方面が違ひまして段々御講演を戴いて、吾々共深く感謝致しましたが、其の起りは軈て十年少し余りになります。死なれた成瀬仁蔵氏、又今は日本に居りませぬが亜米利加人シドニー・ギユリツク氏或は姉崎正治君・中島力造君・森村市左衛門君等と偶然に話し合ふたのが、遂に
 - 第46巻 p.653 -ページ画像 
帰一協会と云ふものを組織する動機となつた。其の帰一協会の希望は丁度博士の御話の通り甚だ遠大であつて、少し天に梯子を懸けるやうな希望であつたのです。私共は今も尚無宗教で、基督教も信ぜず仏教も信ぜず、又近頃野依秀一氏から真宗を勧められましたけれども、是も信者には成れますまいと思ひます。唯心に奉ずる所は孔子の主義、論語主義でありまして、夫子の道は忠恕のみ、渋沢の道も尚ほ忠恕のみ、此の信念は今も尚ほ改めない積りでありますけれども、併しどうも此の多数に就て考へてみると、矢張一つの看板に掲げる宗教が必要であらう、是は識者ならざるも尚ほ其の考を持つ、況や未来を憂へる学者連中は必ずさう云ふ考が深い。さらば此の形式に当る宗教が果して完全なるものであるか、マーテン・ルーテルは基督教に対してあゝ云ふ新機軸を出したが、更に人類の将来を考へたならば、耶蘇も孔子も釈迦も何も彼も失くなつて、所謂世界の万有を保持すると云ふやうな一つの信ずべきものが成立つて来はしないか、余り空想の議論のやうであるけれども、どうも真に世界の平和を求めるならば、此処に望みを置くのが、マルで空想でもなからう、人類としてさう云ふ考を起すのは間違つた訳ではなからうと云ふ、先づ空論家が相集つて、甚だしきは宗教を一にしようと、所謂帰一論を唱へたやうな訳であつたのです。
○下略