デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
8款 財団法人理化学研究所
■綱文

第47巻 p.34-42(DK470005k) ページ画像

大正4年6月24日(1915年)

是日栄一、農商務省ニ於テ開カレタル当研究所第一回設立委員会ニ出席シ、議長トナリ、従来ノ経過ヲ説明シ、資金・組織・方針等ニ関シテ協議ス。更ニ特別委員五名ヲ指名シ、自ラモマタ特別委員タリ。次イデ七月二日特別委員会ヲ開キ、本事業ニ対スル御下賜金並ニ国庫補助金ノ有無、及ビ民
 - 第47巻 p.35 -ページ画像 
間醵金ニ就キ協議シ、前二項ハ栄一ヨリ大隈首相ニ協議スベキコトヲ決ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK470005k-0001)
第47巻 p.35 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
六月廿四日 晴 風アリテ暑気少ク減スルヲ覚フ
○上略 午前十時農商務省ニ抵リ、理化学研究所ノ件ニ付委員会ヲ開ク、各員其意見ヲ陳述セシモ要領ヲ得ルニ至ラス、更ニ五名ノ主査委員ヲ設ケ、余ト中野武営・上山農商務次官・高松豊吉・桜井鈴二及岡実氏《(桜井錠二)》ヲ加ヘ、特ニ日ヲ定メテ会議スヘキ事ヲ約ス○下略
  ○右ニ会場ヲ農商務省トスレドモ次掲資料ハ総理大臣官邸トアリ、更ニ「中外商業新報」ニハ農商務省トナス。依テ姑ク農商務省トシテ綱文ニ記ス。


設立経過(DK470005k-0002)
第47巻 p.35 ページ画像

設立経過              (財団法人理化学研究所所蔵)
    第一回設立委員会(特別委員選定)
大正四年六月二十四日午前十時、総理大臣官邸《(マヽ)》ニ於テ第一回設立委員会ヲ開キ、渋沢男爵ヨリ設立ニ関スル従来ノ経過ニ付説明アリ、桜井委員ヨリ設立必要ノ程度ニ付説明アリ、次テ事業ニ対スル経費、御大礼紀念事業トスルノ可否等ニ就キ協議シ、渋沢男爵・中野武営・高松工学博士・桜井理学博士・上山農商務次官ヲ特別委員トシテ選定シ、原案ヲ作成スルコトヲ決議シ、午後零時半散会セリ、当日ノ出席者左ノ如シ
 (特)  男爵 渋沢栄一               近藤廉平
         豊川良平               大倉喜八郎
         井上準之助           男爵 菊池大麓
 (特)理学博士 桜井錠二       (特)工学博士 高松豊吉
    内務次官 下岡忠次《(下岡忠治)》   大蔵次官 浜口雄幸
    文部次官 福原鐐二郎     (特)農商務次官 上山満之進
    商工部長 岡実
                    (特)当日欠席 中野武営
選定セラレタル特別委員左ノ如シ
    前記(特)ノ氏名ヲ記載スヘシ


中外商業新報 第一〇四八二号 大正四年六月二五日 理研設立協議 主査委員の選定(DK470005k-0003)
第47巻 p.35-36 ページ画像

中外商業新報  第一〇四八二号 大正四年六月二五日
    ○理研設立協議
      主査委員の選定
△設立委員依嘱 化学研究所の設立に就ては、時局勃発前既に高峰博士により唱道せられ、都下有数実業家之に賛同して、官民合同の組織の下に、資本金一千万円の会社を設立するの計画さへ立られたるも、事務の進捗一度中絶し、其後渋沢男・上山農商務次官の会見ありて、復問題となりたるも、須臾にして再び消息を聞かざるに至れる折柄、偶々時局の発生ありて諸産業の打撃を蒙る所大なりしより、農商務省は救済手段の一として、化学工業調査会なるものを起し、種々研究中有志者計画の甚だ機宜に適するを見る、夫や之やにして大隈首相の如き遂に之が為め相応の出資を否むべからずとの見解を持するに至りたるやにて、去る十九日其自邸に朝野の識者を招じて協議を遂げ、更ら
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に二十三日一部者と会合凝議の上、巨細に研究を重ぬる事となり、直に左の十八名を理化学研究所設立委員に依嘱したり
 下岡内務次官・浜口大蔵次官・福原文部次官・上山農商務次官、江木内閣翰長・岡商工局長・三島日銀総裁・井上正金頭取・渋沢栄一男・近藤廉平男・菊池大麓男・大倉喜八郎・安田善三郎、豊川良平団琢磨・中野武営・桜井錠二・高松豊吉
△第一回の会合 委員の決定するや、急遽二十四日午前十時より農商務省会議室に於て第一回設立協議会を開きたるが、三島子・江木・団安田・中野の五氏を除き全委員出席、河野農相亦臨席の上、渋沢男を議長として協議に入り、先づ渋沢男より、高峰博士計画後の経過に付説明を試むる所あり、次いで該研究所の資本は幾何とすべきや、曩に計画せる如く千万円とすべきや、又其組織を如何にすべきや、政府の出資を如何に取扱ふべきや等、大体の方針に関し各員忌憚無き意見を吐露して協議を重ね、結局渋沢男指名の下に、同男・中野・桜井・高松及び上山次官の五氏を主査委員に選定し、来る二十八日午前十時会合協議を重ぬることに決定し、午後零時半散会せり


渋沢栄一 日記 大正四年(DK470005k-0004)
第47巻 p.36 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
七月二日 晴
○上略 午前十時農商務省ニ抵リ、理化学研究所ノ件ヲ協議ス○下略


設立経過(DK470005k-0005)
第47巻 p.36 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    特別委員会
大正四年七月二日午前十時、農商務省ニ於テ特別委員会ヲ開キ、本事業ニ対スル御下賜金及政府補助金ノ有無、民間醵金ノ見込等ニ就キ協議シ、御下賜金及政府補助ニ関シテハ渋沢男爵ヨリ大隈首相ニ、又上山農商務次官ヨリ大蔵省ニ協議スルコトニ決シ、散会セリ
当日ノ出席者左ノ如シ
     男爵 渋沢栄一        中野武営
   理学博士 桜井錠二   工学博士 高松豊吉
  農商務次官 上山満之進


中外商業新報 第一〇四九〇号 大正四年七月三日 理研主査協議 大典紀念事業とす(DK470005k-0006)
第47巻 p.36-37 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九〇号 大正四年七月三日
    ○理研主査協議
      大典紀念事業とす
理化学研究所主査委員会は既報の如く二日午前十時より農商務省内の一室に開かれ渋沢男・中野武営氏・高松豊吉氏・桜井錠二氏・上山次官の五委員並に岡商工局長亦臨席して、資金の総額、其募集方法に関し種々協議を重ねたるが、結局本研究所の設立たる、大正の聖代に於ける絶好の事業なるを以て、之を御大礼紀念事業と為すを最も適当なりと認め、就いては其組織を公益法人とし、其資金を官民の双方に於て醵出するを可とするに議一決し、従つて先づ最近の機会を得て、渋沢男より大隈首相に従来の経過を報告すると共に、資金の支出に関する政府の意嚮を確めたる上、今後の行動及び方針等に就き更に協議を
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重ぬべしとして、正午散会せり、尚ほ渋沢男は上述の意味に於て同日午後首相を訪問したる由なれば、近く再び主査委員会か若くは全委員会開催の運びに至るべしと


渋沢栄一 日記 大正四年(DK470005k-0007)
第47巻 p.37 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
七月五日 曇
○上略 大隈首相ト理化学研究所ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
七月八日 晴
○上略 午前八時波多野宮内大臣ヲ訪ヘ、桜井錠二氏ト共ニ理化学研究所設立ノ件ニ付、帝室ニ於テ御揮搉ノ御処置アリタキ趣旨ヲ詳陳ス○下略
  ○中略。
九月十二日 晴
○上略 午前十時早稲田ニ抵リ大隈伯ヲ訪ヘ、理化学研究所設置ノ事及米国行ニ関スル談話ヲ為ス○下略
  ○中略。
九月十四日 晴
○上略 午後一時宮内省ニ抵リ、波多野宮相ニ面会シテ、理化学研究所設置ノ事ニ付御下賜金ノ事ヲ内話ス、宮相ノ内示ヲ得テ、直ニ大隈首相ヲ官邸ニ訪フテ種々ノ談話ヲ為ス、伯ハ明日宮中ニテ宮相ト協議スヘキ旨ヲ回示セラル、依テ中野氏ニ其交渉ノ次第ヲ会議所ニ於テ内話ス
  ○中略。
九月十六日 曇 昨夜ヨリ特ニ秋冷ヲ覚フ
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、安川敬一郎・松本健次郎・倉知・尾崎氏等ト会話シ共ニ午飧ス、後桜井錠二氏・中野武営氏・樺山愛輔氏等来訪ス、三時総理大臣官舎ニ抵リ、理化学研究所ノ事ヲ談ス、桜井氏同座ス○下略
  ○中略。
十月十三日 曇
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食シ、後桜井・高松二氏ノ来訪ニ接シ、理化学研究所ノ事ヲ談ス○下略


中外商業新報 第一〇五一六号 大正四年七月二九日 資金調達困難 理化研究所問題(DK470005k-0008)
第47巻 p.37 ページ画像

中外商業新報  第一〇五一六号 大正四年七月二九日
    ○資金調達困難
      理化研究所問題
理化学研究所設立協議会に於ては、目下十五名の特別委員に附託、資金醵集方法其他諸般の事情調査中なるが、一千万円に近き予定資金の大部分は民間篤志家より募集の計画なるも、斯る多額の資金を寄附者のみを目的に調達するは事実上容易ならざる問題にて、幾多苦心の存する所なるが、同問題に就ては近く主査委員参集攻究を重ね、相当の解決を案出するに至るべきも、確固たる成案を得て愈々設立に着手すべき時期は、前途尚ほ遼遠なる者ありと某消息通は語れり


中外商業新報 第一〇五四二号 大正四年八月二四日 化学研究所設立問題(DK470005k-0009)
第47巻 p.37-38 ページ画像

中外商業新報  第一〇五四二号 大正四年八月二四日
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    ○化学研究所設立問題
今秋の御盛儀を記念し併せて本邦に於ける理化学界に貢献する所あらしめん目的を以て、朝野の諸名士発企の下に計画せられたる理化学研究所設立問題は、目下十五名の特別委員を挙げ資金の醵集其他設立に関する劃策に力めつゝあるも、予定資金の大部分を民間のみに於て調達するは幾多の困難の伴ふあれば、尚此点に付深く攻究を重ね適当の解決を図る筈にて、最近発起人会を開き諸般の打合を遂ぐる由なり


中外商業新報 第一〇五八一号 大正四年一〇月二日 化学調査委員会(DK470005k-0010)
第47巻 p.38 ページ画像

中外商業新報  第一〇五八一号 大正四年一〇月二日
    ○化学調査委員会
十月一日午後二時農商務省に於て、第二回化学工業調査委員会の決議に成る特別委員会を開催し、岡商工局長・小寺工業試験所技師、其他各委員列席の上、本邦に於て将来新企業を奨励し又は既成事業の発達若くは改良を図るべき
 (一)化学薬品工業(二)石油加工業(三)顔料及び塗料工業(四)窯業(五)礦物加工業(六)織染工業(七)電気化学工業
に付き、各自調査の経過を報告し、尚今後には各自分担事項に関し意見を交換し、更に本月八日再び開会の上、更らに協議を重ぬることとなし五時散会


中外商業新報 第一〇五八八号 大正四年一〇月九日 化学工業の調査 各博士分担研究(DK470005k-0011)
第47巻 p.38-39 ページ画像

中外商業新報  第一〇五八八号 大正四年一〇月九日
    ○化学工業の調査
      各博士分担研究
化学工業特別委員会は既報の如く八日午後二時開会、高松・鴨居・田原・江守・渡辺の各委員の外、岡商工局長其他列席の上、先づ前会議定せる分担事項の細目に関し意見の交換ありて、既定の分担に多少の変更を施し、結局左の如く決定せり
一、化学製薬工業(イ)シヤン化合物、加里及曹達化合物研究……高松博士(ロ)木材乾□研究……田原博士
二、石油工業即ち石油のクラツキング、パラヒン、ワセリン、機械油の研究……高松博士
三、塗料及顔料即ち船底塗料リソボーン、群青、金銀波工業研究……高松委員
四、窯業即ち学術用並に工業用磁器、耐火物・耐酸物及硝子工業研究……江守委員
五、金属工業即ちクローム、アルミニウム、蒼塩、タングステン、モリブテンの原料及製品研究……渡辺委員
六、染料工業即綿繻子の染色仕上、羽二重の雲斑除去法、精練及染色法研究……高松委員
七、電気化学工業即ちアルミナ、リヂウム、タングステン、硝酸、アンモニア、苛性曹達研究……鴨居委員
次に調査の実行方法に関する協議に入り、前記試験事項の或物は、農商務省の工業試験所が来年度に於て其規模を拡張すべきを以て、其新事業として之を行ふこととなるべく、其他の事項中既に民間に於て着
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手せるものに関しては、相当の補助を与ふや否やを決定する必要もあるべく、之等は十二月中上旬招集せらる可き調査委員会の本会議に提案することを決せり、尚ほ各委員に於て其分担事項に付調査研究の考案を作る事として、同四時散会


中外商業新報 第一〇五九七号 大正四年一〇月一八日 理化学研究所 大典記念の設立(DK470005k-0012)
第47巻 p.39 ページ画像

中外商業新報  第一〇五九七号 大正四年一〇月一八日
    ○理化学研究所
      大典記念の設立
理化学研究所設立の議は、渋沢男が大隈首相の之に対する意嚮を聞くこととなりたる儘、其後杳として消息を絶ちたりしが、最近に至り、政府に於ても何等かの方法を以て相当の助力を為し、御大典の記念事業として之を完成せしむるに略ぼ決定したことを確めたるやにて、此経過を報告すると共に、今後の方針を協議する必要を生じたれば、十九日午前九時より左記委員を農商務省に招致し協議会を開くに決したりと、尚ほ委員中下岡・浜口の両氏は既に次官の官職を辞したるを以て、其補欠として菅原大蔵・久保田内務の両次官を推薦し、大隈首相の依嘱を求めたる後、此会議に列席せしむるに至らんと
 渋沢栄一男・中野武営・近藤廉平男・豊川良平・安田善三郎・大倉喜八郎・井上準之助・団琢磨・三島弥太郎子・菊池大麓男・桜井錠二・高松豊吉・江木翼・福原鐐二郎・上山満之進・岡実


渋沢栄一 日記 大正四年(DK470005k-0013)
第47巻 p.39 ページ画像

渋沢栄一日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
十月十六日 曇
○上略 午前十一時波多野宮相ヲ宮内省ニ訪問シ、理化学研究所ノ事ヲ談ス、正午商業会議所ニ抵リ、送別会ニ出席ス○中略 二時辞去シ、帝国ホテルニ抵リ、桜井錠二氏来訪、研究所ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
十月十九日 晴
○上略 九時農商務省ニ抵リ、理化学研究所設立委員会ヲ開キ、余ハ曾テ大隈伯邸ニ於ル総会ニテ委員撰定アリシ以来委員ノ執リ来リシ経過ヲ報告シテ、将来ノ尽力ヲ一同ニ委嘱ス○下略
  ○栄一、是年十月二十三日渡米ノ途ニツク。右十月十六日ノ日記ニ送別会トアルハ当日開カレタル東京商業会議所主催送別会ヲ指ス。本資料第三十三巻所収「第三回米国行」参照。


設立経過(DK470005k-0014)
第47巻 p.39-40 ページ画像

設立経過               (財団法人理化学研究所所蔵)
    第二回設立委員会
大正四年十月十九日、農商務省ニ於テ第二回設立委員会ヲ開催ス、当日ノ出席者左ノ如シ
     男爵 渋沢栄一         中野武営
     男爵 近藤廉平         豊川良平
        安田善三郎        大倉喜八郎
        井上準之助   工学博士 団琢磨
   理学博士 桜井錠二    工学博士 高松豊吉
   内務次官 久保田政周   大蔵次官 菅原通敬
 - 第47巻 p.40 -ページ画像 
   文部次官 福原鐐二郎  農商務次官 上山満之進
   商工局長 岡実


中外商業新報 第一〇五九九号 大正四年一〇月二〇日 化学研究所協議 大典前計画発表(DK470005k-0015)
第47巻 p.40 ページ画像

中外商業新報  第一〇五九九号 大正四年一〇月二〇日
    化学研究所協議
      大典前計画発表
理化学研究所設立委員会は、十九日午前九時半より農商務省に開かれ三島子・菊池男・江木翰長欠席したるのみ、自余の委員全部と新に委員に依嘱されたる久保田内務・菅原大蔵両次官亦出席す、先づ渋沢男より大隈首相・大蔵当局其の他と会談せる其後の経過を報告し、種々協議する所あり、結局御即位記念事業として設立する以上、大典前に設立計画を発表して世に問ふを要すと云ふに決定し、就ては曩に選定せる渋沢男・中野武営・桜井錠二・高松豊吉・上山満之進諸氏等五名の委員に於て主として其事務に当るべく、且つ渋沢男近く渡米するを以て中野氏代りて委員長たることとして、同十一時散会せり


中外商業新報 第一〇六〇八号 大正四年一〇月二九日 理研設置内定案 民間募集二百万(DK470005k-0016)
第47巻 p.40 ページ画像

中外商業新報  第一〇六〇八号 大正四年一〇月二九日
    ○理研設置内定案
      民間募集二百万
理化学研究所設立に関しては、特別委員中渋沢男専ら之れが斡旋に努め居たりしが、同男渡米後は中野武営氏主として尽力することゝなり爾後引続き奔走せし処、当初該研究を御大典記念として設立の事に決定しありしも、種々の都合に依り遂に之れを紀念事業たらしむる能はざるの事情となれる由なり、而して現下略々確定せる事項は、起業資金として民間より二百万円を募集すること、政府は年額約二十五万円を毎年一定期間補助すること、宮中御内帑金若干の御下賜を仰ぐこと等にして、民間より募集せる二百万円は、建築・機械購入其他事業を起す為めの資金に投じ、其経営費は政府よりの補助金と御下賜金の利息によりて之を支出する筈なりと


中外商業新報 第一〇六一八号 大正四年一一月八日 理化学研究所設立(DK470005k-0017)
第47巻 p.40 ページ画像

中外商業新報  第一〇六一八号 大正四年一一月八日
    ○理化学研究所設立
理化学研究所の設立は、資金の余りに多額に上るが為め一時設立行悩みの姿にありたるも、其後関係者の種々なる尽力に依り、曠古の御大典紀念事業として愈々之を設立することに協議決定せる由


中外商業新報 第一〇六四四号 大正四年一二月四日 理研設立協議(DK470005k-0018)
第47巻 p.40-41 ページ画像

中外商業新報  第一〇六四四号 大正四年一二月四日
    ○理研設立協議
理化学研究所設立協議会は、三日午前十一時半より農商務省に開かれ近藤男・桜井博士・高松博士・団博士・中野武営・菅原大蔵次官・岡商工局長の各委員出席の上、予て、桜井委員の手に於て起草中なりし設立計画案及び最近十数ケ年間に亘る収支予算案を議題として協議に入り、桜井委員より詳細なる説明あり、之に対し各委員より種々の意見出でたるが、結局民間の寄附金額は少く共五百万円とし、之に政府
 - 第47巻 p.41 -ページ画像 
の助成金其他を加へて若干額の資金を蒐集し、十ケ年乃至十五ケ年を期して設備の完成を図ることに大体の議を定め、一層詳細の予算案を桜井委員の手にて編成することとし、又研究所に対する官の監督方法に就ては、農商務省側の委員に於て調査の上、案を具して更に近日会議を開くこととして、午後一時半散会


中外商業新報 第一〇六五六号 大正四年一二月一六日 理化研究所委員会(DK470005k-0019)
第47巻 p.41 ページ画像

中外商業新報  第一〇六五六号 大正四年一二月一六日
    ○理化研究所委員会
理化学研究所創立委員会は、十五日午前十時より農商務省に於て開会井上・高松・中野・桜井・其他各委員出席、本省より上山次官等列席協議の結果、資本金を八百万円とし、内五百万円は発起人に於て引受け、二百万円は政府の補助を受け、残額百万円は皇室の御補助を仰ぐべき希望の決裁を為し、其旨各関係大臣へ陳情する事とし、正午過散会せり



〔参考〕日本魂 第二巻第六号・第三〇―三三頁 大正六年六月 理化学研究所設立の経過 男爵 渋沢栄一(DK470005k-0020)
第47巻 p.41-42 ページ画像

日本魂  第二巻第六号・第三〇―三三頁 大正六年六月
    理化学研究所設立の経過
                    男爵 渋沢栄一
○上略
      五、恩賜財団の議
○中略
 かゝる中に、大隈内閣が現はれた、時は大正三年四月である。
 私は、復た、中野氏と共に大隈首相を官邸に訪ひ、理化学研究所設立に対する、政府の援助を求めたのであつた。首相は、心より賛成の意を表し、且つ偶々来合はせて居られた、時の農商務大臣大浦子にも此の話を聞かせて置きたいとの、首相の希望により、大浦子にも、同席を請ふて詳細に陳述し、遂に政府は大に尽力するとの約束を得たのである。
 私は、大正四年の御大典を紀念として、理化学研究所に、御下賜金を得、恩賜財団として、設立経営したい考へであつた。即ち、百万円の御下賜金を得れば、民間に於て四五百万円を集むるのは骨が折れぬと思ひ、種々努力為たが、何分、御大典の為め、宮中にも莫大なる経費を要する際とて、私の希望は、遂ぐることを得なんだ。
○下略
  ○右ハ栄一ノ談話記事ノ一部ナリ。
  ○大正六年三月二十日財団法人理化学研究所設立許可ニ至ル迄ノ間ニ開カレタル協議会及諸委員会ノ場所並ニ栄一ノ出欠ヲ表示スレバ左ノ如シ。
   大正四年六月一九日  設立協議会      首相官邸    出席
   大正四年六月二四日  (第一回)設立委員会 農商務省    〃
   大正四年七月二日   特別委員会      〃       〃
   大正四年一〇月一九日 (第二回)設立委員会 〃       〃
   大正四年一二月三日  (第三回)設立委員会 〃       欠席
   大正四年一二月一五日 (第四回)設立委員会 〃       〃
   大正五年一月三一日  特別委員会      〃       〃
   大正五年二月一四日  (第五回)設立委員会 〃       〃
   大正五年六月一二日  (第六回)設立委員会 首相官邸    出席
 - 第47巻 p.42 -ページ画像 
   大正五年六月二七日  特別委員会      農商務省    欠席
   大正五年七月三日   第一回設立協議会   首相官邸    出席
   大正五年七月七日   (第七回)設立委員会 東京商業会議所 〃
   大正五年一〇月五日  第二回設立協議会   首相官邸    〃
   大正五年一〇月一八日 創立委員会      東京商業会議所 欠席
   大正五年一一月一八日 常務委員会      〃       出席
   大正五年一二月九日  常務委員会      〃       〃
   大正六年一月五日   常務委員会      〃       〃
   大正六年二月一六日  常務委員会      〃       〃
   大正六年三月三日   常務委員会      〃       〃
   大正六年三月八日   常務委員会      〃       〃
   大正六年三月一二日  設立協議会      首相官邸    〃
   大正六年三月一三日  創立委員会      東京商業会議所 〃