デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
12款 其他 1. 三田理財学会
■綱文

第47巻 p.311-318(DK470074k) ページ画像

明治45年6月15日(1912年)

是日栄一、慶応義塾講堂ニ於テ開催セラレタル、当学会大会ニ出席シ「現時の経済状態」ト題スル
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講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK470074k-0001)
第47巻 p.312 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十五日 晴 暑
○上略 三田慶応義塾理財学会ニ抵リ、一場ノ演説ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第二八九号・第九六頁明治四五年六月 ○慶応義塾理財学会大会(DK470074k-0002)
第47巻 p.312 ページ画像

竜門雑誌  第二八九号・第九六頁明治四五年六月
○慶応義塾理財学会大会 青淵先生には慶応義塾理財学会幹事の懇嘱に応じ、六月十五日午後一時より慶応義塾講堂に開かれたる同会に臨み、一場の講演を為されたり。


慶応義塾学報 第一八〇号・第六四頁明治四五年七月 義塾理財学会大会(DK470074k-0003)
第47巻 p.312 ページ画像

慶応義塾学報  第一八〇号・第六四頁明治四五年七月
    ○義塾理財学会大会
○上略 渋沢栄一氏は現時の経済状態の題下に都会の膨脹発達及地方の衰弱、通貨の増加、金の減額・廃止等の弊を陳べ、政費の節減、官業の減少・廃止を希望すとなし○下略


雄弁 第三巻第八号第二―一二頁大正元年八月 現時の経済状態 男爵 渋沢栄一(DK470074k-0004)
第47巻 p.312-318 ページ画像

雄弁  第三巻第八号第二―一二頁大正元年八月
    現時の経済状態
                    男爵 渋沢栄一
 此大会に当りまして、私に一場のお話を申す様にと云ふ此程学会諸君から御依嘱を受けましたので、今日参上致したのであります、大分御多数の御演説がある様で御座います、余り長い御話は材料も御座いませぬし、大分の時を費して諸君を益するのでなくして退屈させるのは御気の毒で御座いますから、私の唯自分の営業上から観察する経済に就て一二の愚見を御話しして、寧ろ後の弁士の方々などに否それは斯うであると云ふて私の疑ひを解いて戴く事が出来たなら自分の仕合と思ふ位であります、そうなると此所で貴方方に御聞かせするのでなくして、私が其疑問提出者になる様な嫌がありますから、諸君は私の疑問に耳を御貸し下さる丈けになるので、頼まれたと言ふ様なものゝ反対に私の方から皆さんを御頼みする訳になるだろうと思ふ。
私が今玆に申し上げて見たいと思ふ事は、矢張り持前の実業家から考へました現時の経済界の景況で御座います、どうも自分等は学者の説も段々有りますけれども聞けば聞く程色々に動いて行く為に其直截的に一刀両断の判断をつけて呉れない故に自分でつければ宜いが、其私も神でないからなかなかつける事が出来ない、政府に御依頼しても政府もなかなかつけて呉れぬ様であります、故に或る機会には斯ういふ場合に御話をして諸君の御参考に供するといふよりは、御批評を乞いたいと思ふのであります。
 時代が昔日より大分進んで参つたと云ふ事は論を待たぬので、財政にしても経済にしても其面目を改め且追々に進んでは来て居りまするけれども、日露戦役以後の経済界と云ふものがどうも極く順当でないといふ嫌ひが始終あるのです、然らば総てのものがえらい悲観にのみ陥つて不景気も激しい、諸商売も衰頽するし、各事業なども総て衰へ
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るといふ様な有様では御座いません、然らばとて至つて都合が好いといふ事も云へぬ、甚しきは諸物価が頗る高い殊に現在米の高いに就てはひとり下級の人々が生活難を告げるばかりでなしに、尚上流の人といへども米の高さは随分困つて居ると申さなければならん様で御座います、単に米の高い許りで苦難をするではないが、随つて諸物価が高い其物価の高いのは貿易上の輸入が輸出に勝つて、始終内国の此市に廻るべき金貨が段々に減損して行くと云ふ有様、甚だしきは兌換制度の危殆を来しはしまいかと云ふまでにおそれなければならぬ様であります、然らば一方に斯う総ての物が極く何も彼も左程に憂うべき有様なるかと云ふと、各種の事業に就て悉く御話する事も出来ませんけれども、重立つた工業品で此紡績糸とか、或は紡績に因んで居る木綿織物の類、昨年の秋頃から当年の此半期一年位の間の景況を見渡すと、一時支那の動乱の為に販路が少し塞つた嫌ひがありますけれども、夫れも追々革命軍の折合も付いたと云ふから商業も回復して、随つて内地の方は頗る売れ行きが好い為に各紡績工場などは皆近頃にない盛況を呈した、元来大阪を主として各地方にある工場の紡錘の数を云ひますと、殆ど二百万紡錘許りであつたのが、当年は各工場が少しづゝ増して一割以上に工業の増大を来した様になつて居ります、是等の点から云ふと寧ろ甚だ盛況であると申して宜いのである、各地の事業に就ても甚衰微と云ふ姿は御座いませんけれども、併し押しなべて諸式の高い為に、商業の不景気と云ふ事は其紡績事業などの盛んな割に引き換へて、総て小言が多い歎声が始終聞える様であります、而して新しい事業の極く国の生産に喜ぶべき性質の物の起るのが少い、総ての新事業が成り立たぬと云ふ様ではありませぬが、先づ其成り立つ事業は何等の事業といへども出来ぬよりは出来た方が宜いに相違ないが、まあ瓦斯であるとか、電気であるとか若しくは交通機関に属する軽便であるとか、甚しきは活動写真の会社などが大変に大きい看板を出して夫れに申し込みが多いなどゝ云ふ事は、諸君も活動写真は御覧でしよう、私も好きであるけれども併し活動写真がそう国を富ますとまでは云へぬ様ですから、之等は私共は余りさう御勧め申し度くない様に考へる、斯う云ふ様な有様である、夫れで輸出入の工合はと云ふと此半期に一億の輸入超過を来して居る、果して此姿で安全に行けるか何うか、終には只だならん困難を引起す様な事に成りはせんかどうかと云ふ事は、どうしても疑問として研究をせんければならぬ事と考へるのであります、私も今申すのではない、既に前の内閣の時分から切りに不生産的の政費を節約して、仮令必要な軍費であつても猥りに増さぬ様になすつたらよからう、而して国債を之より余計に殖やすと云ふ事はどうしてもいけますまい、然る上からはどうも勢ひ政費を節約するより外仕方がない、若しさうでなかつたならば終に行きつまつて、始めて国家の財政が之れでは立たぬとか、或は兌換制度が遂に崩れるとか云ふ様な悲観を唱へ出す様になつたら夫れこそ国家の不祥である、さう云ふ様になつてから始めて気が付くと云ふ事は決して思慮ある人の経営ではなからうと思ふ、自分等の考へ又自分等の算盤を持て未来を計るとゞうしても此兌換制度を安全に維持する事は出来ない訳であ
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つて、日本に要する所の金銀又海関以外に輸入する金銀又海関に上ぼらんで輸出する金銀の数字を調べて、而して現在の如く輸出入の貿易が大変に負けて居る上に国債に対して利払ひが仲々に容易のものでない、即ち七千万と云ふのでありますから、事実に於ても計算に於てもどうも経済上之を以てどうかなるだらうと云ふが如き事で宜いものではなからうと云ふ事は、自分等の婆心から或場合には其筋の御方にも時々御話を致し愚見を呈した事が御座いましたけれども、昨年の冬新内閣の施政の方針は前の財政を極く満足の物とせずに是非整理すると云ふ事が主義の如くに承わつて居りますから、其話は其通りであるけれ共、果して事実が如何程迄進んだと云ふ事は其形を捉うるに苦しむのであります、行政整理と云ふ話は段々御座いますが其行政整理は何処まで進んだか分らぬ、財政も整理すると云ふが只整理と云ふ名はあつても事実に於ては未だ認め得られぬ、斯くの如くして又当年も直に十月になる直に予算を提出しなければならんと云ふので、又一年と云ふ様な事であつたならば行き詰ると云ふ事が万一あるとするならば、之は仲々国家の大事でありますが、直ぐ斯くなると云ふ事ではありませんが、併し果して夫れが安全な方法でないとするならば、終に二三年であるか五年であるか七年であるか、段々に悪い方に傾いて行きはすまいかと云ふ事を気遣つて居りますので御座います、自分等の厚く信ずる所では今日の有様で只政府が大なる改革をすると云ふ事を口丈けで言ふて事実に若しせぬと云ふ事であつたならば、甚だ国家の財政が不鞏固に陥りはせぬかと憂うるのであります、夫れと同時に財政界の事も矢張り等しく大いに関係のある位置に立つ物であるから、此経営を善くして行かなければならぬかと憂慮に堪へぬので御座います、併し漠然たる斯様な方法なしの説は幾ら論じても何等の役に立たぬ様な事になりまするから、自分等の希望として今日政府に対し又民間に対して二つ斯くあり度いと云ふ事を頻りに思ふて居る事があるのであります、詰り申すと財政と経済に就て斯る所置を執る様にしたらよからうと云ふ事を主として主張して見たいと思ふ。
 其主張は先づ前に申す通り今定まつて居る所の、例へば減債基金の如き物は既に前内閣で斯く信じて決めた物でありますから、之等を今俄かに動かすなどゝ云ふ事は甚だ宜しくない、他に費用の多い為に借金に引きあてゝある物を脇の方へやつて使ふと云ふ事であらば、兎に角引当てゝあるのだから未だ其時期が来ない間に他に使ひ得られぬ物では無いが、殆ど一家の経営にしても兎角拠ろないから先づ之で間に合はしてと云ふ様な事は普通に一家の経営にも若しくは商売にも他の事業にも間々ある事である、国家の財政にしても、遂にさう云ふ事に陥らぬとは云へぬから甚だ之が憂ふべき点であります、私は政府でも左様な事をしてはいかぬ、極めてある減債基金と云ふ物は吾々は固く行はねばならぬと思ふ、而して国の生産を殖さうと云ふ国費に就ては他の政費を節約して之に応ずると云ふ事にして、而して今日政費を節約すると云ふ方法に就ては、是非此の政府事業と云ふ物を大いに減じて民業に移すと云ふ事が最も希望致したいと云ふ点で御座います、今日の内閣の御意見も決して政府の事業を益々拡張して行かうと云ふ主
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意では無い様に承る、成るべく丈け民業に移したい考へであると云ふ事は常に聞く所でありますけれ共、併し之も尚先に申す通り政費を節約するとか行政を整理するとか云ふ積りであるとか云ふけれども、其事業が完全に届かぬと同様に、政府事業と云ふ物を仲々民業に移すと云ふ事は言ふて事実行はれぬ事が多い様で御座います、随分例を挙げて申すならば陸軍省で羅紗の製造を大きな工場を以て千住でやつて居る、若し其工場をして完全なる仕事をさせるとするならば、甚しきは他の毛織物の民業を遂に強く圧迫する様になつて来る、然らばと云ふて若し陸軍に必要ある場合、驚破と云ふ時に応じ様とする時は其設備が相当でなければいかぬから今日の所では相当の設備をして居る、相当の設備をして其事業を充分に伸さぬ様にして行くならば、必ず其大なる金を懸けて工場は其働きの三分の一か若しくは四分の一に止めて置かざるを得ぬ。仕事をしなければ、職人を使はぬから費用が要らぬと云へば夫れ迄だが、併し其懸けた費用と云ふ物は若し一般に民業として考へるならば其元資金に対して利息が懸るので、さうすると先づ仮りに今の羅紗製造に就て論じて見ても、若しさう云ふ物を細かに算盤して民業の如く利息も懸け或は土地其他の営業に関する税を払つて之を拵へるとしたならば其価幾何であるか、今製造する物よりも一割五分或は二割も高くなるに違ひない、甚だしきは職人の給料も幾分か減じて、総ての利は払はず而して其処で拵へた品物と民業で拵へた品物と較べて己れの方が品物が安いぢやないか、而して又大なる機械を持つて居なければ用のある時に急に間に合はぬと云ふて而して官業を成る可く――之は陸軍省を攻撃する様な言葉になりますが、兎角官業の弊害はさう云ふ言葉に依つて始終民業に頼むと便利だけれど民業に頼むと物が届かぬと云ふ事を口実にする様であると私は思ふのであります。若し一歩進んで云ふならば陸軍の羅紗製造計りでは無からうと思ふ、王子の紙製造所でも、更に大きく論じたならば製鉄所も或はどうか工夫したならば民業に移す事が果して出来ぬ者であらうかとまで自分は思ひます、此製鉄所の如きは或る部分は必要であらうし未だ試験時代であるから、今俄に民業に移すといふ事は出来ぬかも知れませぬが、私はもう総ての官業を民業に移さうと覚悟したならば、今日は充分移し得るだらうと思ふ。それで行政整理の一の仕事として官業を民業に移すと云ふ事は、若し内閣の諸公が果して然りと信じて御やりなさるならば、之は必ず出来る事であらうと思ふのであります。一方には外国に対する約束は必ず履む様にし又之から先きどうしても止むを得ぬ政費に向けると云ふ物は、必ず一方に行政を整理して其減じたる物を以て之に向けるとし、更に今申した様に官業を民業に移すと云ふ事を実施していつたならば、夫れこそ大いに行政を整理し得るだらうと思ふ。自分の希望としてはどうしても此国務に任ずる内閣に対して、此財政経済の調和を計る為には今望む事を尚も繰りかへして幾度も論じたいと思ふのであります。然し之は私一人が嘆願すると云ふ様な事柄では無いので、若し此説が尤もであらば満場の諸君が皆声を嗄すとも是非さうせいと国家に御望みになるが宜いと私は思ふのであります。
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 民間の事業に就て更にもう一つ私は述べて置きたいと思ふ事が御座います、之は東京で斯様申すと東京の繁昌を却つて嫌ふ如き言葉に誤られるかも知れませんけれども、自分の考へる所ではどうも今日の有様と兎角人は中央に集り過ぎると云ふ様な弊を見るので御座います。総て弊と許りでは無いでしよう、事実必要もあるでしようが、凡そ国の健全の発達と云ふ物は只都会許りにある物ぢやない、詰り申せば農と工と商と此三つの物が相合して、其権衡が能く行つて始めて健全なる発達を為すと云ふ事は論を俟たぬ。若し果して然らば此各地方の事業のもう一層発達する様にあり度いと思ふ、此各地方事業の発達をせしむると云ふ事は各地方をしてのみ望むと云ふ事は寧ろ出来ない訳で却つて中央の東京なり大坂なりさう云ふ場所さう云ふ大都府にのみ人の集まると云ふ事のみ好まずして、成るべく地方をして相当なる事業の成り立つ事を心掛けると云ふ事が経済上私は必要でないかと思ふのであります。此細かな例を調べて例へば十年なり十五年なりの間にどう傾むいたかと云ふ事を、証拠立てゝ申し上げる事の出来ぬのは遺憾としますけれども、大体から見渡してどうも私の観察では都会に人の集る都会に事業の進む割に各地方が同様になつて居ない、否寧ろ反対に東京に多数の人が集まつて来て十年の間に東京の人口が殖えたと云ふのではなくして一方に減つた所があるので、十年の間に東京に三十万の人口が殖えたとして、其三十万の人口は東京自身で幾分か殖えたであらうが多数は各地方から遣つて来たので、其遣つて来た人が果して完全に充分なる事業をなして其れ其れ其堵に安んずるかと云ふと、甚しきは就職難を訴へる困つた物だ、どうか何かありはしないかと云ふ様な有様である、又下級の労働者などに至ると云ふと遂に職を失つて頻りに労働紹介所へ請求すると云ふ様な有様が甚だ多いとするならば、之は畢竟出た方が悪かつた、随つて出た方が人間が減つて居るに違いない、さうすると只日本の全体の人を地方から都会に集めたに過ぎない、一方は大層繁昌の様でどこも家が新築だとかあすこにも新築が出来たと云ひますけれども、其新築が出来るのは自然に生産的新築で無くして、只大勢が集まつて来てゴヨゴヨとよつて共食をすると云ふ様な有様にならぬとも申されぬのであります(笑声起る)之に反して地方では働くべき人が段々減じて而して地方には人が少くなる様にのみ若しなるとしたならば、富と云ふ物は只東京とか大阪とか横浜とか名古屋とかの五箇所か七箇所に止まると云ふ物であつたならば、日本は実になさけない物になつて仕舞ふ(笑声起る)
先年私は亜米利加に行つて見まして而も其亜米利加を各地――西部の方などは各地を廻つて来ました――先づ第一にシヤトルからタコマポートランド、スポーゲル夫れから追々に中央に至つて終にシカゴへ行つて又再び田舎に這入り込んで、彼処此処と廻つて遂々総体で五十三箇所廻りましたが、丁度其小さい場所と大きい場所との有様が誠に能うどうも権衡が届いて居る様です、成程此各小さい市街の進歩があつて始めてシカゴが盛んであり、ニユーヨークが之を網羅したる大都府左もある可き事だと思はれるのである。今日の有様果して其各地が残らず衰微するでしようとは申さぬけれども、既に先々月か私は埼玉
 - 第47巻 p.317 -ページ画像 
県の人間ですが越生と云ふ所に参いつて見ましたけれども、子供の時分に住んで居た所である其越生と云ふ町の有様を見ると維新後に多少の進みがある、秩父絹と云ふ物は矢張り秩父絹と称へて彼の辺に生産がある、併し其生産高を聞くと昔日とさまで増したとは云へぬ。人口の有様なり其他の経営の有様もさうである。近頃風の家屋も出来近頃風の生活を為して居りますけれども、悪るく申せば何が増したかと申せば増した物は租税が増したと云ふ様な答へをして居る(笑声起る)小さい一町村でありますから、重なる産物などのない土地で或は然らんかなれども決して私は褒めた話でないと思ふ、其地方の模様を聞ても或は茶に依て或は織物に依て多少の進みをなした所はある様でありますけれども、試みに此東京附近を見ても地方の発達が都会よりも甚だ面白いと云ふ所は極く少い、マアたまたま桐生とか足利とか或は上州の伊勢崎とか云ふ様な所は成程昔日よりは大に進歩して居るものゝ産額が殆ど比較にならぬ程進んだと云ふ場所もありまするが、大抵各地方悉く丁寧に詮索して見たならば都会の増したのは大変に多いけれども、地方の進歩と云ふ物は之に比較すると大変ににぶいと云わなければならぬ。殊に農業などの増し方と云ふ物は如何にしても其地方で大いに増す訳にゆかぬから、東京で是までに試みに瓦斯の事業とか或は電車の事業が今日の様な「くも」の巣の如く出来た其割に地方の物は進まなかつた。元は僅かに二十万かそこらであつたのが、今は五千万を費すと云ふ比較を以て各地の進歩を望む訳には行かぬでしようが併し乍ら若し此地方が追々に力ある人が事業を進めると云ふ事を心掛けて行つたならば、私は今申した越生の町の如き有様に止まる物で無からうと思ふ。之は只一地方に就ての片言であるから果して全国皆然りとは申さぬ。殊に九州辺に石炭が出るとか何か特殊の産物のある地方は田舎として決して侮どれぬ場所も沢山あります、ありますがおしなべて都会の盛なる如くに地方に注意が届いて居らぬと云ふ事は私は言ひ得られると思ふ、故に大体に於て此経済界に従事する人がもう一層真面目になつて、都会の事業をも極く神聖なる堅固なる発達を望むと云ふ心を以て――何もあのフイルム会社が私はいけないと云ふので無いけれども、先づどうしても、あれが極く堅固な物とは私は云へない――而して其心を以て経営するのみならず、都会の人も成る可く心をそこにとゞめて成る丈け地方に力を尽さるゝ事を注意して行きましたならば、今日の経済界をして一層穏健なる発達を為し得る様になりはすまいかと思ふので御座います。此諸式が甚だ高いと云ふ事は其原因が何であらうかと云ふ事に就ては各種の新聞若しくは雑誌或は論説に屡々唱へ来つて居つて或は通貨が多すぎるから又通貨が多過ぎると申せば、否通貨が多い為に諸式が高いのでないと云ふ弁解説がある様です、之等を判断して斯うであると云ふ事を云ひ得る人が誰にも六ケ敷いであらうけれども、兎に角私共の観察する所では租税を整理すると云ふ事が物価の暴騰をいくらか引き下げるに大いに力があると思ふと同時に通貨の過剰が即ち物価を高くせしめて居るのだと云ふ事はどうも疑ふべからざる道理だらうと自分等は思ふのである。併し只此二つ丈けが直れば夫れは大いに宜いには相違ないけれども、夫れ丈けで
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財政経済が甚だ調和し且つ穏健に進むとは言ひ得ぬ。先きにも申しました通り、どうも之から先きの不生産的の費用は増さぬと云ふ事を国家は覚悟して貰ひ度いと思ふ、先づ今日の国の富で是以上に費用を増すと云ふ事は、私は甚だ過重に失して終に其極段々あの辺に病が生じ此辺に病が見えて始終健全体に回復する事が出来ぬ様になるであらう故に先に述べました通りの主意を以て是非此財政を維持して行き度い而して其一つの手段として官業を民業に移すと云ふ事は速かに実施あらん事を深く政府に向つて希望したいと思ふ、夫れと同時に民間の事業の成る丈け浮気な(笑声起る)営業にならぬ様に心掛けて、而して地方の発達を充分に務める様になつたならば、今日の経済を幾分か回復する事が出来ると思ふので御座います。理財学会の諸君はどう御考へになりますか、私の今日目前に於て希望する所は未だ云ひ度い事も御座いますけれども、先づ具体に申すと其の二つを是非共希望したい考へであります、併し之れが甚だ自分は適当な説であるとのみ申し上げ得られません故に先きに申す通りどうぞ諸君の御説を以て果して夫を是とするならば、此事の成る丈け早く行われる様に其効の大きくなる様に御心添を願いたい。故に先に一寸申した通り私は諸君に演説をして御聞かせ申すのではなくて、吾中心希望する所を諸君の前に述べて諸君が果して是とするならば、是を以て是非共事の行わるゝ様に御力入れを願ひたい。併し此理財学会と云ふ物が只一つの学理さへ論じ得られゝば事実はどうなつても己れはかまわぬと云ふ若し諸君の主意であるならば、実は私共は何も玆に出て申し上げる用事もない訳である、必ず夫は事実にまで及ぼし度いと云ふ御希望を持つて被在るだらうと思ふ、然らばどうぞ今申し上げた事が学理にも合ふ物とするならば、是非行はれる様に夫々の方面から充分の御力尽しを願ひ度いと思ふので御座います、今日は之で御免を蒙ります。(慶応理財学会演説校閲未済文責記者)
  ○右ハ「渋沢男爵実業講演」(坤・第七四二―七五九頁・大正二年八月刊)ニ「明治四十五年の経済状態」ト改題シテ収録セラレタリ。