デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
12款 其他 2. 大日本商業学会
■綱文

第47巻 p.319-324(DK470076k) ページ画像

明治43年4月22日(1910年)

是日栄一、大阪中之島公会堂ニ於テ開カレタル、当学会大会ニ出席シ、「商業道徳」ト題スル演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK470076k-0001)
第47巻 p.319 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年           (渋沢子爵家所蔵)
四月二十二日 曇 軽暖
○上略 公会堂○大阪中之島ニ抵リ、曾テ依頼セラレタル商業学会ノ大会ニ出席シ、商業道徳ト云フ問題ニテ一場ノ演説ヲ為ス、会衆千名許、午後五時演説畢リテ○下略


竜門雑誌 第二六四号・第二一頁明治四三年五月 商業道徳とは何ぞや 青淵先生(DK470076k-0002)
第47巻 p.319 ページ画像

竜門雑誌  第二六四号・第二一頁明治四三年五月
    商業道徳とは何ぞや
                      青淵先生
 本篇は五月一日発行の「工業の日本」[「工業之大日本」]に掲載せるものなり、蓋し四月二十二日午後大阪中之島公会堂に於ける大日本商業学会主催の学術講演会に於て、青淵先生が商業道徳に関し演説せられたる意見の概要なるが如し
  ○概要略ス。


竜門雑誌 第二六五号・第二二―二八頁明治四三年六月 ○大日本商業学会に於て 青淵先生(DK470076k-0003)
第47巻 p.319-324 ページ画像

竜門雑誌  第二六五号・第二二―二八頁明治四三年六月
    ○大日本商業学会に於て
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が関西紀行の途次、四月二十二日大阪にて、大日本商業学会の請に応じ、中ノ島公会堂に於て述べられたる意見の概要は前号に記載する所ありしが、今其速記を得たれば玆に再掲す
満場の諸君、私は只今御紹介を得ました渋沢栄一でございます、薬は効能書程利かぬと同じ様で、其人物は今御紹介下さつた様な価値は御座いませんから、その御つもりで御聴きを願いたいと思ひます。
此大日本商業学会に参上しまして愚説を述べますに付ては、予て御依頼が御座いましたが、実は果して会の御希望の時日に出られる乎、期し難いので御座いますから、どうぞ御免を蒙りますと一旦は御断りを致しましたのであります、所が偶然大阪へ参りまして、今日開かれるといふ事でありまして誠に好機会であります、先般山本君が東京に御出でになつて其節の話と聊か行違ひつゝも、今日其御求めに応ぜらるるといふ事は、寧ろ私の方から喜び且つ光栄とする次第であります、但し私は御承知の通りの商売人で別段に学問をしたと云ふ事もなく、又演説を稽古したといふ訳でもありませぬから、只だ私が思ふ事を申述べるに過ぎないのであります、況んや斯くの如き広い会堂で、演説とか、講話とかするといふ事は、甚だ迷惑に感ずる処であります、尚
 - 第47巻 p.320 -ページ画像 
且つ私は年を経つて居りまして声が通りませぬから従つて御聴き取り悪いでしよう、殊に諸弁士、或は学者の御演説の後で、此の老人が演壇に立ちますことは、余程迷惑に感じますが、お約束に従ひ一言を述べる事と致します、私が玆に申し上げるのは商業道徳といふ事でありますけれども、先刻此会場へ這入りがけに、一寸承りました、青淵先生と題したる、伴君の御演説の中に横浜焼打といふ事がありましたが伴君のお話を駁撃するのでもなく又弁解するのでもないが、只誤解させ申す様な事があつてもならぬから本問題の前提でなく一言申して置きたいと思ひます、暫時お聴きを願ひます。
昨年私は亜米利加に旅行しまして、シラキウス(紐育州)といふところで、日本に長く居られたところのフルべツキといふ人の息子に会見しました、息子と申しましても六十歳位になります、(大笑)其の人が学校を設けて居ります、其学校に於てグリフヰスと云ふ人にも面会しました、此の人は「日本帝国」といふ問題で書物を著述した学者であります、亜米利加ではさまで有名な学者ではないけれども、実によく日本の事情を詳に調べて居ります、此グリフヰス氏が其学校で「日本実業団を迎ふ」といふ意味の演説を致しました、此の演説を聞くに及んで、私は大に弁ぜざるを得ない次第となりました、而已ならず大に私の心を刺撃して一言饒舌りたくなりました、故に順番に拘はらず所謂飛入りに罷り出でまして一場の演説をしました、それが先刻伴君の申されました横浜焼打事件であつたのであります、今其の事を此処に繰り返すのでありますから別に耳新しい話では御座いませぬ、維新後玆に四十三年の歳月を経まして、国家は富強隆盛に進んで参りました、開国以後から数へますと五十五、六年、百事順序好く進んで来たといふ事は頗る喜ばしい次第であります、併しコンモドル・ペルリが嘉永六年浦賀に入港しました時の日本といふものはどうであつたかといふに、実に固陋千万な有様であつたのです、而して此のコンモドルペルリが来た以前は、第一に日米両国間に通商を開きたい、蓋し宇宙といふものは左様に極く狭い考へを以て只一方に偏在するものではない、人道といふものは須らく交を厚くし相愛し相助けて友誼相共に通ぜなければならぬといふ主義でやつて来たのであります、併し其の時に同じく日本に来た他の国々が皆一様であつたかといふと、これは期し得られないのであります、今日より三百年余のイスパニヤ・葡萄牙等の宗教家の主義といふものはそんなものではなかつたのであります宗教家を送り、之れに次で兵士を輸り、兵士と宗教との関係を以て機会よくば其の国を占領するといふのであつた、丁度日本へもその通り多くの宗教家を送つて来たのであります、其の時分に攘夷論が熾に起りましたといふものは、諸外国皆一様に友誼を厚くするといふ事を期し得られない、故に私の攘夷を主張し横浜焼打を企図したのは、奪略主義を持つて来る外国を攘斥するのであつて、米国の如き人道に基き友誼を重んずる国を攘斥したのではなかつたと弁じました。
此の席に居らるゝ諸君は今度外国と親しむべし交るべしであるといふ事は、素より言を俟たないのであります、若し夫れが我が国を侵害せらるゝといふ事であつたならばどうでせう、決して御承知ありますま
 - 第47巻 p.321 -ページ画像 
い、勅語にもある通り、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」といふ事があるでせう、私当年の攘夷論といふものは其意味であつたのであります、決して亜米利加を攘夷するのではない、侵略せんとする外国を攘夷するといふ事である、此の辺の処を誤解して下さるなといふて弁解したのであります、グリフヰスは如何にもそうであつたかといふ事で翻りて意志相投じ肝胆相照して共に手を握つたのであります、横浜の焼打事件は私が見聞の狭い結果から此の観念が強かつたのかも知れないが、其の頃渡来の外国人には侵略的のものが一部分あるだらうと思つたからやつた事でありまして、他の意味で焼打を企てたものではないといふ事を確言して置きます、侵略的の外国人ならば、焼打すると云ふことは今日の諸君も之は同意下さる事だらうと思ひます、其時の行為が若い時分の突飛な思案、乱暴な計画でなかつたならば諸君のお譏りを蒙る事もなからうと思ひます、丁度本年で五十年程経過しました昔語りであります、横浜焼打事件はそういふ事であつたといふ事を一言弁解して置きます。
本問題に入りまして、商業道徳に付て聊さか愚見を申して見たいと思ひます、元来私が商業と申しますは単に物品を売買することを指してのみ申すのみではありませぬ。工業もあれば、凡ての実業を意味するものとお聴きを願ひたいので御座います、而して商業道徳、此の道徳と云ふ文字を商業に対していふことは、少し怪しき言葉であります、抑も道徳といふものは総て人間の守らなければならぬところのものであります、然るを商業に対する道徳、即ち商業道徳と申しますと、今申す通り人間の守らなければならぬことでありますから、何んだか聞き障りになるやうな申分でありまするが、然し此の商業道徳と云ふ事は近来世間一般に申しまする言葉であります、夫れでよく御分りになる様にしたのであります、即ち商業家は道徳を守らなければならぬ、他の種類の人の道徳は兎も角も、商業家は特に此道徳を守らなければならぬといふ意味ではないのであります、実業に勉励するは大に善いことであるが、偖て其精神をどういふ風に進めて行つたら善からうといふことに付て、私は商業道徳といふ問題を掲げたものとお見做しを願ひたいのであります、世間動もすれば、近頃科学が進み……即ちあらゆる智育といふものが段々に進むに伴ひ徳育といふものが衰へる、商売が繁昌するに従つて道徳といふものが廃頽して来ると云ふ説が多いのであります、即ち私は此の譏を受ける位置に居るものですが、自分の為め弁護する了見でもなく、又諸君の為め申訳するのでもないのでありますが、私は此の言葉が間違つて居ると思ふ、今日の商業社会の道徳といふものは決して昔日より劣つた、下つたといふ誹謗は受けたくない、寧ろ進んで居るといはれても差支ないのであります、然らば今日の実業界の道徳は夫れで満足であるかと言ふと、否満足することは出来ないのであります、大に不足であると申上げねばならぬ、其の劣つたか否やといふことに付ては、之れを細かに申しますと、一方に地位が進んだから一方が低い様に思ふのであります、隣の人が高くなつて居ると一方の人は大変低く見えます、固より減じたと云ふ事のあらう筈がありませぬが、其実業界、即ち商売人といふものは社会か
 - 第47巻 p.322 -ページ画像 
ら受けた待遇が実に情ないものでありました、従つて自ら見るのも至つて卑下したものであります、当時の士族又は大名といふ様な社会からは、殆ど人でない様な取扱を受けて居つたのであります、前席の弁士は社会進歩の原因は経済界の発達にあるといはれましたが、斯くの如き原則があり経済が根本でありながら商業なり工業なり又は農業なりそういふ物質的の進歩を計り、国富に努めつゝあるもの、政事を執る者からは殆んど奴隷といふやうな待遇を受けて居つたのであります大に位置が転倒して、軍をする為めの材料としての人民であり、政事をする為めの倉庫として農工商であると、かういふ有様であつたのであります、故に資格も賤しく範囲も狭い又此商売の学問も尠なかつたのであります、御覧なさい、商売上の書物といふものは昔日如何なる者があつたかと申しますと、算術といふものは塵功記といふ小さな書物があつたのであります、又商売往来といふ大きな字でかいた二、三十枚の本がありました、今日の如く三年も五年も教育を受けるといふ訳でなく、私抔は三十日許りで商業教育を仕上げてしまつたのであります、又夫れ以上習はんと欲しても無かつたのであります、左様な教育、左様な範囲で此の商売人が昔は道徳が高かつたが、今の商売人の道徳が低いと云ふことは余り算当の合はぬ言葉ではありませぬか、そういふ論理で今日の商売人を批評する人があるならば、其の人の見所が間違つて居るのであります、故に私は商業道徳は昔に比べて大に進んで居ると思ひます、満場の諸君も其の通りに御同意でありませう、相当な学問を修め高尚なる教育を受けて海外の事情を能く知り、商業上の凡てを解釈して、此世の中に立つて行くのでありますからして、昔日に比して決して低いものではない、斯事業の知識が進んだと同様に、修身上の道徳も等しく進んで居るといふて決して過言でないと思ふのであります、併し左様に昔日に比して今日の商業道徳が進んで居るならば、決して之れで沢山かと申しますると、否大に不足であるといはねばならぬ、夫れは他の事物の進歩と相伴はなければならぬといふことであります、凡そ世の中の事は一方だけ進歩して一方が其の儘では、決して満足するものではありませぬ、商売の区域といふものが以前は日本だけであつたものが、大に進歩して世界を股にかけるといふ商売になりました、又た御互の間に昔日の様な士農工商の階級が所謂泣く児と地頭、御無理御尤、甚しきに至つては無礼打ちなどといふ特別の法度迄あつたのでありますが、今日吾々社会の状態は政治を執るもの、軍事に従ふもの、或は教育に従事するもの、商工業に力むるものゝ間に甲乙といふ階級が無くなりまして、範囲が大変広くなりました、これと同時に吾人商業界の位置も大層高くなりまして、之を経営するに当りましても、其様に狭い学問ではなく、大学もあれば、商工業それぞれ専門の学問を修むるところの学校が設備されて、各其知識を受けられる様になりました、此時代に於て道徳丈けが余り進まないといふ事は実に満足する事が出来ない次第であります、玆に於て商業道徳を深く研究して商業界に普及せねばならぬ必要が起りて参ります、是故に私は商業道徳が昔日よりも頽廃してをると云ふ憂慮でなく社会の進歩に伴ひ、商業道徳をそれ以上に進めたいと云ふ企望を強く
 - 第47巻 p.323 -ページ画像 
持つのであります。
更に一つ申し上げて置きたき事は、道徳と利益との区別が兎角世間の解釈が誤つて居ることであります、之に対して少しく説明したいと思ひます、悪く解釈すると、道徳を重ずる為めに利益をば後にし、利益を進めるに付て道徳を疎外するものであるといふ様に、道徳と利益との道行が別々になつて居ります、此誤解が世の中に多くありますから私は此点を大に弁解したいと思ひます、近来道徳論が非常に行はれて参りまして、是等の書物も沢山出来て居ります、此書物を見ましても多くは、宗教がないから道徳が頽廃するといふ事を主張して居る様であります、だから道徳を論ずる為めに利益を疎ずる、利益を先きにするものは道徳を疎ずる、要するに道徳と利益とが相離れて行く様になります、恰も商業と道徳とは油と水の如く、如何にするも相和せぬ様に思ふて居りますが、其れは大なる間違でありまして、西洋の学風はそういふ有様ではないと思ひます、一例を申しますと、精神上の教育は宗教に拠り宗教をして事業を佐けるといふ様に力を注いで居ります又支那の学問では道徳と利益とを論ずるに、殖利事業と仁義道徳とは全く関係の離れた様なものである如くに論じてある、之れが多く道徳といふものをして実業と密着せしめざる為めに大害をなして居る様に私は思ふのであります、今日の有様では一方に科学が進み、商業者の位地も進み、是れに伴ふ道徳が進んで行かなければなりませぬ、農作物でもそうであります、肥をやつて茎が延びて大きくなるに従つて、之に相応する根を堅めなければなりませぬ、然らざれば風が吹けば必ず倒れます、実が熟さぬ中に枯れて仕舞ひます、どうしても充分なる学問を修め地位を高め事業を進むるには、之に伴ふ道徳といふ精神が加はつて共に活動して行かなければ順序よく進むものではありませぬ殊に此の商売といふ事に付ては、当大阪市の如きは我が帝国に冠たる力を持つて居る場所であります、而して御同様に若し今日丈けの精神今日丈けの道徳であつて一方丈け即ち事業や位地をどんどん進めて行くといふ事が出来るだらうといふお考へであつたならば、夫れは大なる誤解であります、如何に知識が発達し如何に富が増進しても、道徳を欠いては決して世の中に立つて、大に力を延ばすといふ事は出来るものではありませぬ、前に申した事を尚ほ繰り返して申し上げますと科学の進歩といふものは、其科学を修めた人の心が大に進むに依つて始めて其働きを増すものであります、商業者は昔日に比較して見ると大変な名誉を担つて居ります、此の大変な名誉を担つて居ると同時に責任が重くなつたと云ふことを忘れてはならぬ、諺に禍福は糾へる縄の如しといひますが、若し禍福が糾へる縄の如きものであつたならば名誉と責任も糾へる縄の如きものであるであらうと思ひます。で何事をするにも之は我が者であるといふ考を持たねばならぬ、只名誉丈けを喜んで責任なしでは不可ません、名誉をして名誉たらしむるは責任を重んずるに在りといふは私は不易の言と思ひます、而して商業道徳といふものは自ら修むるものでありまして、他から受けるものではありませぬ、又斯くの如く位置も高まり事業も進んだ以上は之に対して之に応ずる丈けの人格を具備しなければならぬ、商業の精神を磨き品
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位を高むるに於て、商業道徳丈けは今日のまゝに打捨て置くといふ事は、頗る本分を誤つた事と考へ而して其道徳を高めるには前に申す通り利益を算する上に於て、神聖なる利益を進むるにある、果して然らば利益は決して道徳を害するものではありませぬ、之を間違つて解釈したのは、道徳といふ文字に拘泥したる支那の学者の誤であります、孔子の言葉に「勇にして礼なき時は即ち乱る、直にして礼なき時は即ち絞る」と云ふ事があります、我が商業界に取りましても変つたことはありませぬ、「礼無き時は即ち乱る」で遂に真正に上達する事は出来ないと思ひます、玆に於て御同様に商業者として、苟も道徳の伴はない事を自らも行はず又人からも仕向けられぬ様に致したいと思ひます、即ち商業道徳に付て聊か諸君の静聴を煩した訳であります。