デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸
1款 帝国劇場
■綱文

第47巻 p.382-390(DK470095k) ページ画像

明治44年3月1日(1911年)

是日及ビ翌二日両日ニ亘リ、当劇場ノ開場式挙行セラル。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK470095k-0001)
第47巻 p.382-383 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 晴 軽寒
○上略 午後三時帝国劇場会社ニ抵リ、四時ヨリ開場式ヲ行ヒ、式辞ヲ演説ス、畢テ余興演劇トシテ式三番ヲ演シ、畢テ立食ノ饗応アリ、食後頼朝ト題スル史劇一幕、最愛ノ妻ト題スル喜劇一幕(史劇ハ旧派、喜劇ハ新派)外ニ女優ノ舞踏アリ、午後十二時王子ニ帰宿ス、此夜兼子モ同伴ス
三月二日 晴 軽寒
○上略 三時半劇場会社ニ抵リ、開場式ニ出席シテ、昨日ト同シク式辞ヲ
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述フ、余興演劇畢テ大食堂ニ男女新旧ノ俳優其他数十人ヲ会シテ、一場ノ訓示演説ヲ為シ、又西野・山本氏等ニ営業ニ付テノ注意ヲ与ヘ、夜十二時過王子ニ帰宿ス
○下略


中外商業新報 第八九一九号 明治四四年三月二日 ○帝国劇場開場式(DK470095k-0002)
第47巻 p.383 ページ画像

中外商業新報  第八九一九号 明治四四年三月二日
    ○帝国劇場開場式
帝国劇場は愈々三月一日を期し盛なる開場式を挙行せり、到り見ば白堊の巨屋彩旗を翻へし、御溝の水に影を蘸せる様、正に新しき帝都の一偉観たるを失はず、先づ大玄関の階段を上り、直ちに若き女の案内者に導かれ予定の椅子に着けば、場内の美観燦然として白壁金彩、加ふるに幾百の電灯相映じ、天井画は天女羽衣を振ひ舞はんとするの思あり、黒衣の紳士、白襟の淑女、階上階下の椅子を埋む、四時過ぎ、舞台正面に接せる楽場より突として管絃楽は起る、楽君が代に終るや拍手の中に大緞帳は徐々として上り、渋沢会長・西野専務以下五、六の関係者舞台の上に現る、渋沢男先づ立ち、此劇場の成れる所以、其目的抱負を説き、横河技師次で工事の概要を報告す、終りて当日駕を枉ぐる能はざりし桂首相の祝辞代読、清浦子の祝辞及び阿部府知事の祝詞朗読相次ぎ、玆に式を終へ、再び幕上れば梅幸・高麗蔵等の式三番いと厳かに舞納む、乃ち一同席を立ちて二階・三階の食堂に入り、三鞭を抜き麦酒を酌み歓声一時に起る、内閣の諸公、貴族院の諸氏、社交場裡の諸貴族・実業家、外国大公使館諸員並に内外新聞記者、知名の文士、之に幾多の各夫人を交ヘて七百余名、光彩陸離たる場内更に近来稀に見る光輝ある歓会をなせり、振鈴に促されて再び復席すれば例の頼朝一幕、次いで伊井・河合一座の喜劇最愛の妻一幕、最後に座附女優連の舞踏フラワー・バレ―一場、夫々色を織り華を競ひ、芽出度く十時と云ふに散会したり


竜門雑誌 第二七四号・第七四―七五頁 明治四四年三月 ○帝国劇場開場式(DK470095k-0003)
第47巻 p.383-384 ページ画像

竜門雑誌  第二七四号・第七四―七五頁 明治四四年三月
○帝国劇場開場式 帝国劇場は予報の如く三月一日午後四時より盛大なる開場式を挙行したり、正面入口には紅白の段幕を絞上げて軒に引廻し、数箇所に日章旗を立てゝ之に橄欖葉の装飾を施し、又正面並びに南北両側の二階バルコニーには大国旗を交叉し、各来賓入口には燕尾服の社員と松葉色の燕尾服着たる接待係と控へ居りて、来賓に紀念品を渡し場内定めの席に案内する用意をささ怠りなし、斯くて定刻近くとなるや、当日の式に招かれたる朝野の紳士淑女、或は自動車或は馬車或は腕車を駆りて劇場に参集したれは、左しもに広き空地を控へし劇場附近も一時は中々の混雑を呈したり
△開場式 劇場内は其建築善美を尽して、白亜金泥燦然たる電灯の光と相煥発するその麗はしさ、今更に何等装飾を施すべき余地もなければとて、態と特別の装飾をなさず、僅かに表玄関入口に二基の大盆栽を据ゑたるが、之に咲きたる紅き花数点、春先づ此に面白く来賓の目を惹きぬ、式場は舞台を以て之に宛て、来賓一同略ぼ設けの席に着きたる頃、恰も定めの時刻となりて、舞台前のオーケストラより序曲の
 - 第47巻 p.384 -ページ画像 
絃楽嚠喨として緩く場内の温かき空気を動かす、来賓は何れも今日を晴と盛装したれは、麗色異香目に満ちて、身は是れ楽園に在るかと疑はれぬ、奏楽一番終るや、帝国劇場会社取締役会長青淵先生立ちて、式辞を述ぶ
 維新以後事物の進歩著しきが中に、演劇も其間名優の輩出するありて多少の進歩はなしたれども、全体に亘りては未だ欧洲の夫れ程には発達せざりき、之を完成せんとするは吾人の希望にして、今日此劇場の設立を企てたるは即ち其第一歩なり、今や斯く其成立を見る以上は、内容の進歩発達をも当然期待する処にして、吾人の計画中に女優の養成をなしたるも亦其の準備の一と見るべし、然れども吾人は全く素人の寄合にして、此計画を敢てせし事なれども、幸ひに大方諸氏の直接間接に援助せられたるに因つて此成立を見るに至りたる事は深く感謝の至りに堪へず、玆に会社を代表して一言を述ぶ云々
次いで横河技師工事経過を報告し、又桂首相の代理として坂田秘書官祝辞を代読し、清浦子爵の祝辞演説、阿部東京府知事の祝辞朗読あり之にて全く式を終りぬ
△式三番叟 式終りて余興に移り、先づ歌舞伎の吉例として『式三番叟』を演じ、調べの囃子の中に静かに緞帳を巻き上れば、花道を橋懸りに象りたる能舞台の道具、宗十郎の千歳、宗之助のワキ千歳、梅幸の翁、高麗蔵の三番叟と順次橋懸りより出でゝ、素袍着たる長唄囃子連中、𧘕𧘔着けて地に座りたる長唄連中、孰れも例ならず厳かに見えたるも所柄なり折柄なり趣深く見らるゝ中に、とうとうたらりの翁の舞より三番叟まで芽出度く舞ひ納めて、之にて休憩となり、二階及び三階の大食堂にて立食の饗応あり
△余興の演劇 立食終りて更に余興の演劇に移り、同劇場第一回興行の出しもの『頼朝』の中序幕二場だけを出したるが、登場者の熱心なる技芸は来賓を満足せしめたる外に、殊に其力を注ぎたる背景は一方ならず来賓の目を驚かしたり、是より新派の喜劇『最愛の妻』二幕と女優の舞踏『フラワー・バレー』とを催して、賑やかに余興の幕を閉ぢたるは十時半少し過る頃にして、拍手急霰の如く、喝采暫しは鳴りも止まざりき


(帝国劇場株式会社)第九回報告書 明治四四年上半期 刊(DK470095k-0004)
第47巻 p.384 ページ画像

(帝国劇場株式会社)第九回報告書  明治四四年上半期 刊
 ○第九回報告書
    第三 開場式
三月一日、二日ノ両日午後四時ヨリ、朝野内外ノ紳士淑女二千余名ヲ招請シテ、開場式ヲ挙行シタリ、式ハ取締役会長渋沢男ノ演説、工事担当者横河技師ノ報告、来賓ノ演説・祝詞(第一日ノ来賓祝詞ハ桂侯爵・清浦子爵・阿部東京府知事、第二日同西園寺侯爵・林伯爵・尾崎東京市長)ニ次デ「式三番」一幕、史劇「頼朝」一幕(旧派俳優演)、喜劇「最愛の妻」一幕(新派俳優演)、西洋舞踏「フラワー・ダンス」一幕(女優演)ヲ演舞シ、両日共午後十一時ヲ以テ目出度散会ヲ告ゲタリ

 - 第47巻 p.385 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK470095k-0005)
第47巻 p.385 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十五日 晴 寒
○上略
午前十一時劇場会社ニ西野氏ヲ訪ヘ、演劇ノ事ヲ協議ス


(西園寺公望)帝国劇場扁額(DK470095k-0006)
第47巻 p.385 ページ画像

(西園寺公望)帝国劇場扁額
本日帝国座ノ開劇ヲ報ゼンガタメ縉紳淑女ヲ招待セラルヽニ際シ余モマタ参同ヲ促サレタリト雖、宿痾猶ホ癒ヘズ床中ニアルガタメ式場ニ列スルノ愉快ヲ享受スル能ハザルハ甚ダ遺憾トスル所ナリ、蓋シ人心ヲ和楽セシメ風俗ヲ醇化スル所以ノモノ一ナラズト雖、芸術其多キニ居リ、芸術ノ中演劇ハ其示ス所耳ニ濡ヒ目ニ染ミ深ク民心ニ浹洽スルヲ以テ其効果最モ直接ナリトス、然ルニ従来我士君子多ク演劇ヲ以テ女ノ業トナシ之ヲ省ミザルヲ偉ナリトスルモノナキニアラズ、然レド児モ善政ハ人情ニ基キテ民心ヲ調節ス、演劇ノ一道直チニ経国ノ政術ト云フモ過言ニアラズ、今玆ニ宏大ナル抱負ヲ以テ起リシ帝国座ガ漸ク其幕ヲ開クニ至リシハ余ガ列席ノ諸君子淑女ト共ニ慶賀シテ已ム能ハザル所ナリ、然リト雖モ帝国座ノ抱負ヲ遂ゲンニハ演劇当局ノ苦心ト世間公衆ノ同情ト識者ノ批評トニ俟タザルベカラズ、余ハ此三者相合シテ帝国座ヲシテ清新嵩高ナル趣味ヲ湛養スル源泉タラシメンコトヲ切望シ、遥カニ数言ヲ寄セテ今日ノ盛会ヲ祝ス
  明治四十四年三月四日
                   沼津ニ於テ
                     西園寺公望
  ○右ハ帝国劇場玄関正面ノ壁面ニ在リ。55.4cm×37.5cm


竜門雑誌 第二七四号・第七六頁 明治四四年三月 ○帝国劇場会社総会(DK470095k-0007)
第47巻 p.385 ページ画像

竜門雑誌  第二七四号・第七六頁 明治四四年三月
○帝国劇場会社総会 三月二十四日午後三時より、新築劇場内に開き社長青淵先生会長席に就き、諸計算並に三万八百〇六円二十四銭の後期繰越金等原案通り可決、次に監査役任期満了したるを以て改選の結果、重任に決し、三時半散会


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK470095k-0008)
第47巻 p.385-386 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
四月八日 晴 軽寒
○上略 午後二時事務所ニ抵リ、書類ヲ調査ス、又来人ニ接ス、西野恵之助氏来リテ、劇場会社ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
四月二十七日 曇 軽暖
○上略 十二時中央亭ニ抵リ、帝国劇場会社重役会ニ列シ、要件ヲ議決ス
○下略
  ○中略。
五月八日 晴 軽暖
○上略 午後三時帝国劇場ニ抵リ、救世軍ヨリノ依頼ニ係ル慈善観劇会ニ関スル協議会ヲ開キ、大隈伯・尾崎・島田諸氏来会ス、畢テ事務所ニ
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抵リ事務ヲ処理ス、六時再ヒ帝国劇場ニ抵リ、新派俳優ノ慰労会ニ出席シ、食卓上一場ノ謝詞ヲ述フ、夜十二時散会帰宿ス



〔参考〕帝劇十年史 杉浦善三著 第二一―二五頁 大正九年四月刊(DK470095k-0009)
第47巻 p.386-387 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕帝劇十年史 杉浦善三著 第三三―三七頁 大正九年四月刊(DK470095k-0010)
第47巻 p.387-388 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東都明治演劇史 秋庭太郎著 第五四七―五五一頁 昭和一二年四月刊(DK470095k-0011)
第47巻 p.388-390 ページ画像

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