デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
2款 楽翁公伝編纂 付 楽翁公関係資料刊行 付、楽翁公関係資料刊行 [1]古々呂双紙複製
■綱文

第48巻 p.15-17(DK480005k) ページ画像

大正8年12月(1919年)

是月栄一、松平定晴所蔵ノ竹沢養渓画、松平定信(楽翁)詞書ノ「古々呂双紙」一巻ヲ、玻璃版ニ複製シテ、知人ニ頒布ス。


■資料

心の草紙絵巻複製本贈呈状(DK480005k-0001)
第48巻 p.15 ページ画像

心の草紙絵巻複製本贈呈状          (財団法人竜門社所蔵)
(謄写版)
歳晩之候嘸々御繁忙之御事と拝察仕候、然ハ老生平生私淑致居候白河楽翁公之諷刺的絵巻物『心の草紙』と題する一本を、松平子爵の御厚意により其珍蔵之正本を写真複製いたし、此程装潢出来致候に付てハ其壱巻を別便小包を以て拝呈仕候間御受納被下候ハヽ本懐之至に候、右複製に付ての卑見も巻末に記載いたし置候に付、并而御一覧被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
  大正八年十二月二十五日
                 渋沢栄一


古々呂双紙 詞書松平定信 竹沢養渓画 巻末識語 大正八年一二月複製 【渋沢栄一識】(DK480005k-0002)
第48巻 p.15-16 ページ画像

古々呂双紙 詞書松平定信 竹沢養渓画 巻末識語 大正八年一二月複製
(玻璃版)
古古路草紙の絵巻は白河楽翁公自ら文を撰し、藩の画工竹沢養渓に絵かゝしめられしものにて現に松平定晴君の珍蔵せらるゝ所なり、文章軽妙に画も亦奇抜にして風流遊戯のすさひに似たりといへとも、公か微意の存するものなるは言を要せさるへし、そもそも公は寛政五年を以て輔佐の重職を退かれしか、其後交を請ふ人あれは、在職中の事は
 - 第48巻 p.16 -ページ画像 
共に語らすと約して纔に之を許されしといふ、其謹厚の態度想ひ見るへし、されと君を思ひ世を憂ふる念は老いて已ます、時に政治を論し人物を評せられしことは往々其著書の中にも見えたり、此草紙の享和二年に成れるは公の序文に明なるか、其頃天下の憂に先ちて憂ひし人は既に職を退き、天下の楽に先ちて楽む人のみいと多かる世となりたれは、公は此草紙を作りて世を諷せしならむ、されは文穏に詞なそらかなる中にも嘲謔自ら骨を刺すの趣あり、公は之によりて独自ら快しとせられしにはあらて、或は之を知友に示されしな羅む、将軍も亦或は覧られしこともあるへし、昔後白河上皇の権中納言藤原信頼を寵せらるゝや、少納言入道信西は長恨歌の絵を作りて進覧し、唐の玄宗の先蹤を引きて諫め奉れり、漢の班婕妤は成帝か輦を同しくして後庭に遊はんとするや古の聖主賢君を画ける図には皆名臣側に在り、三代の末主にこそ嬖倖後へに侍れと諫めたることあり、楽翁公を以て班婕妤に比するは甚しく倫を失ひ、之を信西に擬するも亦其当を得すといへとも、図画によりて君を諫め世を諷することは古今東西其軌を一にすともいふへきか、余は平素楽翁公を景仰する者なるか、此草紙を観てますます公か心を用ゐることの深きに感せさるを得す、公は身老いて閑地に在りなからも尚君国を忘れす、直言讜論の外亦かゝる婉曲の言を以て人心を警醒せんとす、まことに文質彬々たる君子人といふへし余現今の世態を察し人情の推移に想到して亦婆心の抑へ難きものなきにあらす、乃松平子爵の許諾を得て之を複製し以て世に頒たんとす、よりて聊か卑見を記して巻尾に附く
  大正八年八月
                    渋沢栄一識  
   ○古々呂双紙 一巻(コロタイプ)
     装禎 巻子本
        縦三三・五糎 横七〇糎(識語共)
     内容 詞書八段 絵画八図
     巻末 識語(栄一撰並書)
     題簽 古々呂双紙(松平定信書)
     表紙 夕顔蔓葉地織浅葱緞子 茶打紐付
     巻軸 紫檀
   ○尚、次掲冊子ヲ添付ス。


松平楽翁公真蹟本 古々呂双紙釈文 例言・第一頁 大正八年一二月刊(DK480005k-0003)
第48巻 p.16-17 ページ画像

松平楽翁公真蹟本 古々呂双紙釈文 例言・第一頁 大正八年一二月刊
    例言
一、本書は享和二年公が四十五歳の時になれるものなり、然るに楽翁と署せること不審なり、公が楽翁と称せしは文化九年五十五歳にて致仕せる時よりなれば、恐らくは後年改作浄書して、なほ起草の年を記せるにや。
一、此絵の筆者養渓は、竹沢氏、白河藩の画工なり。
一、句読、仮字遣、総て原本のまゝに従ふ、語格にも誤と思はるゝものあれど、是も原本のまゝにす。
一、林縫之助氏の収蔵に、有賀長隣の筆と称する本書の写あり、嘗て縮写して百家説林に載せたり、之を本書と対校するに、趙高の次に
 - 第48巻 p.17 -ページ画像 
僧てふものはの一段あり、頼朝公の次に薬師の一段多く、詞は総てに渉りて異同多し。如何なる故なることを知らねど、本書に収めざる二段のみを写して末に附く。
   ○製本 和綴 半紙版
    紙員 一四丁(内、例言一丁)
    図版 二図(コロタイプ)