デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 編纂事業
7款 日本に於けるタウンセンド・ハリス君の事績 付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞
■綱文

第48巻 p.40(DK480015k) ページ画像

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■資料

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK480015k-0001)
第48巻 p.40 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和三年             (渋沢子爵家所蔵)
二月十二日 晴 寒気平穏
午前八時起床スルモ風邪気全愈ニ至ラサルニヨリ、洗面シテ褥中ニ在リ、○中略 米国大使ガ下田ニ於テ朗読シタルハリス紀念碑除幕式ノ式辞ハ、緒言ヲ付シテ同志ニ頌ツヘキモノトシテ其文案ヲ草ス
○下略


ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞 渋沢栄一編 緒言・第一―二頁 昭和三年二月刊(DK480015k-0002)
第48巻 p.40 ページ画像

ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞 渋沢栄一編
                             緒言・第一―二頁
                             昭和三年二月刊
    緒言
此一篇は、昨秋予等が本邦駐剳最初の米国総領事タウンセンド・ハリス君の記念碑を伊豆下田港なる柿崎村玉泉寺内に建設し、除幕式を挙行せる時、米国大使マクヴェー閣下が親しく臨場して朗読せられたる式辞なり。予は之を聴きて、先づ其趣旨の懇篤真摯にして、行文亦典雅流麗、詳にハリス君当年の苦衷を叙し、其直前勇往の義気と、百折不撓の忍耐力とを、眼前に髣髴せしめたるに深く感激したり。又閣下は、古来我国の君臣が、政変に遭遇する毎に益々協心戮力して、能く世と推移し、以て今日の隆盛を致せるのみならず、近く国民の参政権を平和恬熙の中に拡張して、普通選挙を実行するに至れるは、世界に其例を見ざる盛事なりと称揚せられ、我国人は、七十年前ハリス君が始めて領事旗を樹つるに当り、「是れ蓋し日本の国情変化の兆にして更新の端なるべし、借問す、予が思惟する如く日本の為に真に有益なりや如何にと」と、其の日記に明記したる如き疑懼心を全く無用に帰せしめたりと言ひ、最後に、若し日本国民の精神を一言にして道破せよと求むる者あらば、躊躇する所なく忠誠と答へんのみと断言せられたるは、予の深く知己の言たるを感ずる所なり。因りて空しく之を筐底に蔵するに忍びず、印行して同志に頒つことゝなせり。
  昭和三年紀元節            渋沢栄一識
   ○右パンフレットハ菊版英文八頁、同訳文並ニ緒言一三頁、計二一頁ノ小冊子ニシテ、全文ハ本資料第三十八巻所収「タウンゼンド・ハリス記念碑建設」(第三七五―三八四頁)ニ収ム。