公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第48巻 p.113-122(DK480037k) ページ画像
明治45年6月(1912年)
是月、森山章之丞、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「青淵百話」ト題シテ、東京・同文館ヨリ発行ス。(菊版・乾坤二冊・全一〇五二頁)
渋沢栄一 日記 明治四四年(DK480037k-0001)
第48巻 p.113-116 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治四四年 (渋沢子爵家所蔵)
六月十四日 曇 軽暑
○上略 井口正之氏来リ、百話ニ付学生気質ノ変遷ヲ談話ス○下略
○中略。
七月八日 晴 暑
○上略
井口正之氏来話ス、女子教育ニ関スル意見ヲ述フ
○中略。
七月十二日 晴 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後同文館員江口正之氏来《(井口正之)》リ、理想婦人問題ニテ意見ヲ述フ○下略
○中略。
七月十九日 晴 暑
午前七時三十分起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、○中略 井口正之氏来リ、慰安
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ト題スル趣旨ニ付テ意見ヲ述フ○下略
○中略。
七月二十六日 晴 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後来人ニ接ス、曾テ井口正之氏ノ手ニテ筆記セシ、百話中ノ数節ヲ児等ニ読マシメテ之ヲ訓示ス○下略
七月二十七日 晴 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、○中略 井口正之氏来リ、人格修養ト勇気養成トニ《(関脱カ)》シテ余ノ意見ヲ徴セラル○下略
七月二十八日 曇 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ○中略 井口氏ヨリ請求セラルル百話ノ草稿ヲ閲覧シテ之ヲ修正ス○中略 後再ヒ百話草稿ノ修正ニ勉ム夜ニ至ルモ閲了スルヲ得ス○下略
○中略。
七月三十一日 曇 暑
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リ、逆境ニ処スル人生ノ覚悟ヲ問ハルレトモ、頃日来ノ発疹頗ル痒キヲ以テ充分ノ説ヲ尽ス能ハス○下略
○中略。
八月十七日 晴 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井口正之氏ニ百話ノ原稿ヲ返却ス○下略
○中略。
八月二十日 曇 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井口正之氏来リ、青淵百話ノ原稿ニ関シ談話ス、且成功ニ関スル意見ヲ質問セラル
○下略
○中略。
八月三十日 晴 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リ、青淵百話編纂ニ付意見ヲ徴サル、衣食住ニ関スル事、克己心ニ関スル事等ニ付談話ス、午前十一時事務所ニ抵リ○下略
○中略。
九月五日 曇 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ井口正之氏来リ、青淵百話編纂ノ事ヲ談ス、実業ノ日本ヨリ送リ越セル演説筆記ヲ修正ス、又井口氏ヨリ送付セル筆記ノ修正ニ勉ム○下略
○中略。
九月十日 晴 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来リ、青淵百話ニ付意見ヲ述フ○下略
○中略。
九月二十日 晴 暑
午前七時臥床ヲ離レ半身浴ラ為シ、後褥中ニテ朝飧ス、風邪気少ク快方ニ向フ、食後○中略 青淵百話ノ原稿修正ニ勉ム
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○下略
九月二十一日 晴 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、頃日来ノ風邪気稍愈ヘテ今朝ヨリ常ニ復ス、食後日記ヲ編成ス、井口正之氏来リ、青淵百話ニ付種々ノ談話ヲ為ス○下略
○中略。
九月二十五日 雨 冷
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後青淵百話ノ原稿ヲ修正ス○下略
○中略。
九月二十九日 雨 冷
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井口正之氏来リ、百話ニ付意見ヲ述フ○下略
○中略。
十月五日 曇 冷
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後江口正之氏《(井口正之)》ノ来訪ニ接ス、青淵百話ノ件其他ノ事ヲ談ス○下略
○中略。
十月九日 雨 冷
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ井口正之氏来リ、青淵百話ノ編纂ニ付、功名心ト習慣性ノ二問題ニ関シ意見ヲ述フ○下略
○中略。
十一月五日 晴 寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来訪、青淵百話編纂ノ事ニ付身上ノ経歴ヲ談話ス○下略
○中略。
十一月十四日 晴 寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ井口正之氏ノ来訪ニ接シテ、青淵百話編集ノ事ニ付懐旧談ヲ為ス○下略
○中略。
十一月三十日 晴 寒
○上略
井口正之氏来リ、青淵百話ノ事ヲ談シ、雨夜譚一帙ヲ貸与ス
○中略。
十二月二十四日 晴 寒
○上略
此日午前八時ヨリ代々木練兵場飛行機試乗ノ事アリテ案内セラレタルモ、病ノ為出席スルヲ得ス頗ル遺憾トス、終日褥中ニ在テ青淵百話ノ原稿ヲ修正ス、又新聞紙・雑誌類ヲ一覧ス、堀井医師来診ス
十二月二十五日 晴 寒
午前八時起床、昨日来病少ク愈ヘタルニヨリ半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食シ、病褥ヲ撤去シ来人ニ接ス、井口正之氏来話ス○下略
○中略。
十二月二十七日 晴 寒
○上略
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青淵百話ノ修正ト書類ノ整理ニ努ム○下略
十二月二十八日 晴 寒
午前八時起床半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リ、青淵百話ノ原稿修正シタルモノヲ交付シ、且運輸会社設立ノ事ヲ談ス○下略
渋沢栄一 日記 明治四五年(DK480037k-0002)
第48巻 p.116-119 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治四五年 (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 晴 寒
○上略 四時過帰宿シテ後日記ヲ編成ス、又青淵百話ノ修正ヲナス、新聞紙ヲ読マシム
○中略。
一月十二日 晴 寒
午前八時起床スルモ風邪気ニ付半身浴ヲ為シ、後褥中ニ在テ朝飧ヲ食ス○中略 井口氏ヨリ送ラレタル百話ノ原稿ヲ修正ス、新聞雑誌等ヲ一覧ス○下略
○中略。
一月十五日 晴 寒
午前七時半起床半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井上正之氏来《(井口正之)》リ、百話ノ編纂ニ付談話ス○下略
○中略。
一月三十日 晴 寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ井口正之氏来訪、青淵百話ノ事ヲ談ス○下略
○中略。
二月二十八日 曇 軽寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来訪、百話編纂ノ事ヲ談話ス○下略
○中略。
三月二日 曇 寒
○上略 午飧後事務所ニ抵リ○中略 同文館主森山章之丞氏来リ、青淵百話出板ノ事ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス、午後六時半王子ニ帰宿シ、夜飧後百話ノ原稿修正ニ努ム○下略
三月三日 曇 寒
○上略 六時明石ノ家ニ抵リ家人ト共ニ夜飧ス、団欒款話ノ後帰宅シテ百話ノ修正ニ勉ム、十二時過就寝
○中略。
三月六日 雨 寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏ノ来訪ニ接シテ、百話ノ事及運送会社ノ事ヲ談ス○下略
○中略。
三月八日 曇 軽寒
○上略 六時頃揮毫ヲ止メ日記ヲ編成シ、又百話ノ原稿ヲ修正ス、夜飧後モ同シク草稿ノ修正ニ努ム
○中略。
三月十二日 曇 寒
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午前八時起床半身浴ヲナシテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井口正之氏来話ス
○下略
○中略。
三月二十三日 晴 寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リ、青淵百話ノ事ヲ談シ、商業教育ニ関シテ高等商業学校ノ沿革ヲ詳話ス○下略
○中略。
三月二十九日 雨 寒
腹部ノ病未タ愈ヘス、午前八時起床半身浴ヲ為シ病褥ニテ朝飧ヲ食ス後諸方ヘ書状ヲ作リ光五郎ヲシテ送付ス、井口正之氏外一名来訪アリシモ病ヲ以テ謝絶ス○中略 青淵百話ノ修正ニ勉ム○下略
○中略。
四月一日 晴 寒
○上略 夕六時王子ニ帰宿ス、夜青淵百話ノ原稿修正ニ勉ム
○下略
四月二日 晴 軽寒
○上略 二時五十分ノ汽車ニテ兼子ト共ニ大磯ニ抵リ長生館ニ投宿ス、着後青淵百話ノ修正ニ尽力ス、夜飧後モ頻ニ之ヲ勉メ夜十二時ニ至リテ就寝ス
四月三日 雨 軽寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ青淵百話ノ調査修正ニ勉ム、青年時代又ハ浪人経歴、米国歴遊等ノ項目ニ付既往ノ紀念スヘキ各項ニ付、頗ル興味ヲ以テ原稿ヲ加除改正シ終日為メニ寸暇ナカリキ、此日ハ国府津ニ僑居中ナル徳川老公ヲ訪フノ心組ナリシモ、雨強クシテ路次不便ナレハ之ヲ見合ハス、午飧後モ夜飧後モ机ニ倚リテ原稿ヲ調査シ、夜十二時ニ抵リテ就寝ス
○中略。
四月十九日 晴 暖
○上略 井口正之氏来リ、青淵百話ノ事ヲ談ス
○中略。
四月二十九日 晴 暖
○上略 青淵百話ノ原稿ヲ校正ス○下略
○中略。
五月二日 曇 暖
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後○中略 井口正之氏来リ、青淵百話出版ノ事ヲ談ス○中略 夜七時王子ニ帰ル、夜飧後百話ノ原稿ヲ修正ス十二時就寝
○下略
○中略。
五月九日 雨 寒
午前六時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス○中略 井口正之氏来訪、百話ノ成本ニ付種々ノ談話ヲ為ス○下略
○中略。
五月十一日 晴 軽寒
- 第48巻 p.118 -ページ画像
○上略 六時過帰宿ス、夜食後百話ノ修正ニ勉ム
○中略。
五月十三日 晴 暖
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来リ、百話編纂ノ事ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略
○中略。
五月十六日 晴 暖
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後青淵百話ノ修正ニ勉ム、且其叙文ノ原稿ヲ修正ス○中略 夕方王子ニ帰宿シ、夜飧後百話ノ修正ニ勉強ス夜一時就寝ス
○中略。
五月十八日 曇 暖
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来リ、百話ノ出版ニ関シテ種々ノ協議アリ○下略
五月十九日 晴風強シ 暖
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス○中略 朝飧後一意百話ノ校正ニ勉ム○中略 夜ニ入ルモ百話ノ校正ニ勉メ一時過ニ至リテ全部ヲ終了セリ、一時半頃就寝ス
○中略。
五月二十二日 雨 軽寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後揮毫ヲ為ス、青淵百話著作ニ関シテ森山氏ノ請求ニヨレルナリ○下略
○右揮毫ハ当書巻頭写真版「第一則 処世接物ノ綱領」ナルベシ。森山ハ同文館代表者。
五月二十三日 晴 軽寒
午前六時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏来リ、青淵百話叙文ノ稿本ヲ交付シ、且関係書類ヲ付与ス○下略
○中略。
五月二十五日 晴 軽寒
午前七時起床風邪気ニ付半身浴ヲナシ後朝飧ヲ食シ、畢テ井口正之氏ノ来訪ニ接シ、百話ノ編纂ヲ談話ス○中略 帰宅後百話ニ附属スル小伝ノ原稿修正ニ勉ム
○右栄一ノ小伝ハ付録トシテ収メラレタルモノニシテ、大沢正道ノ撰スル所ナリ。
五月二十六日 晴 暖
○上略 夜飧後百話中ニ加フヘキ小伝ノ原稿修正ニ勉ム
○中略。
六月十四日 曇 暑
○上略
青淵百話ニ附属スル略伝ヲ大沢正道氏ノ手ニテ起草セシヲ修正ス、又百話ノ原稿印刷ノ分ヲ校正シテ十二時○午前ニ至ル○下略
六月十五日 晴 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食シ、後○中略 井口正之氏来リ、百話著述ノ事ヲ談ス○下略
六月十六日 晴 暑
- 第48巻 p.119 -ページ画像
○上略 五時半帰宅後百話原稿ノ校正ニ勉ム、夜飧後モ継続シ十二時過キ校正ヲ了ス、後新聞紙ヲ一覧ス
○中略。
六月二十日 雨 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リテ、百話上木ニ付写真ノ事ヲ依頼セラレ、尋テ写真師来リテ玄関前ニテ撮影ス○下略
○中略。
六月二十五日 晴 暑
午前六時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、井口正之氏来リ、青淵百話製本ヲ持参ス○下略
青淵百話 渋沢栄一著 乾・序第一―五頁明治四五年六月刊(DK480037k-0003)
第48巻 p.119-120 ページ画像
青淵百話 渋沢栄一著 乾・序第一―五頁明治四五年六月刊
叙
盛年不重来、一日難再晨とは、陶淵明が少年を警しむるものにして事多歳月促とは、杜子美が老後を歎きたる所なり。されば余は、邦家の大勢潜会黙移の時に生れ、開国攘夷、党同伐異の際に成長し、少時は家業の半農半商に従事し、稍々読書の趣味を解して天下の形勢を知るに及び、慨然犂鋤を抛ち、書剣郷を離れて東西に放浪し、遂に知己に感じて褐を名門に釈き、言聴かれ道行はるゝの時に於て時勢忽ち一転し、欧洲より帰朝するや維新の昭代に遭遇し、愆て職に理財の枢機に就きしも、官務は余の本意にあらざるを以て、掛冠の後は全力を商工業者の位地の進歩と、其事業の伸張とに傾注し、夜以て日に継ぎ、老の既に至るを忘る。
今其既往の経路を回想すれば、高山大川あり、城市苑囿あり、林壑あり、原野あり、万里浩洋の水程あり、帆檣林立の港湾あり、春和景明怡然として喜ぶべきものあり、寒烟蕭雨悽然として悲しむべきものあり。光景の変ずる処感慨之に伴ふは人情の応に然るべきものなり。
古人言あり、干戈を視れば則闘を思ひ、刀鋸を視れば則懼を思ひ、廟社を視れば則敬を思ひ、第家を視れば則安を思ふと。余の径路に於るも、亦以て其思ひなき能はず。既に思ひありて言に発するは、是れ猶、鳥の春に鳴き、雷の夏に鳴り、虫の秋に鳴き、風の冬に鳴ると何ぞ異ならむ乎。然らば則余の事物に感じて言を作すものは、実に七十余年閲歴の随感録と謂ふべき耳。
蓋し人は其境遇によりて感想同じからずといへども、真理の存する所に至りては一契を合するが如きものなかるべからず。故に、人若し正心誠意、俯仰天地に愧ぢざるの見地に於て、能く其分に安むじて天命を楽しむを知らば、則其感想も亦至公至正にして、神人を感動せしむるものあらむ乎。
同文館主人森山章之丞君、曾て余が平生の感想を記述し世に公にせむことを請はる。余は居常多務多忙にして之に当るの困難のみならず世に裨益なからむことを思ひて之を固辞せしも、其懇望の切なるに依り、已むなく此一書を編する所なり。只余が感想の声の小にして、大人の耳に感ぜざるを知るといへども、後進の徒此書を一読して、歳月の人を待たざるを知りて、励淬の心を増すを得ば、余が老後の事多き
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を厭はずして森山君の需に応ぜしも、亦以て世に小補なしと謂ふべけむ乎。
明治壬子立夏節
青淵老人識
青淵百話 渋沢栄一著 乾・凡例第一―四頁明治四五年六月刊 【凡例 井口正之識す】(DK480037k-0004)
第48巻 p.120-121 ページ画像
青淵百話 渋沢栄一著 乾・凡例第一―四頁明治四五年六月刊
凡例
一、青淵百話は、男爵渋沢栄一先生の談話一百項を聚輯編纂したもので、青淵とは先生の雅号である。
一、書物を編述するが如き素より先生の志ではない。されば書中に収蒐せるものも時々節々に為したる談話で、著述を為す目的の下に系統を立てゝ掛つたのでないから、或は一部分に重複を来し、或は彼れ斯れ齟齬を生じた点がまゝあらう。けれども重複は詰り同一事項を反復するの意で、一面から観れば其の事柄に対し、それだけ余分に意を用ひたといふことにもなる。兎に角目的が目的ゆゑ、それ等の不備欠陥を生ずるは、勢ひ免れざる所である。
一、書中収載の談話の多くは、編者が筆記して、更に先生の斧正を仰いだものであるが、其の或る部分は、一度雑誌等に掲載されて、識者の清鑑に供へたものゝ中より採つたのもある。併し、百話として新たに、世に諮はんとするに方り、それ等も先生自ら筆を執られて或は改訂し、或は刪修したから、今は悉皆其の面目を一新するに至つた。
一、巻末の『余が少年時代』以下十四項は、先生が其の子弟の請により、明治二十年深川福住町の邸に於て為したる談話筆記『雨夜譚』を基礎として、之を修正増補したものである。其の中に未知の新事実を加へたから、是亦雨夜譚に比しては明かに一新生面を拓いたものと謂つてよからう。
一、総じて本書の文体が雑駁なのは、談話の趣味を或る程度まで保存したいといふ希望の結果である。併し脱稿して見れば却て紛然、錯然、希望は其の一部だも達せられぬことを憾とする。蓋し文章修辞の責は多く先生の関知せられざる所、江湖の君子これを諒とせられよ。
一、本書編纂に着手してより玆に三閲年。此の間先生は常に閑を偸んで談話することを快諾された。既に本書の『天の使命』中にも自白されてある如く、現代に於て多忙先生の如きは恐らく尠からう。然るに先生は其の多忙を多忙とせられず、貴重の時間を割いて、文章の添削は勿論、印刷校正の末枝に至るまで自ら其の事に任ぜられ、遂に此の規画を成就せられた。是一に先生の人格の然らしむる所に非ずして何ぞ。
一、此の書の成るに先ち、竜門社幹事八十島親徳氏の助言助力の功決して尠しと為さず。又第一銀行の大沢正道翁は、先生の小伝一篇をものして寄せられた。翁は明治八年以降先生に従つて日夕其の薫陶を受けたるの人。翁にして先生を伝す。蓋し遺漏なきに庶幾からんか。其の他、竜門社の諸賢が、直接間接編者の為に与へられたる助
- 第48巻 p.121 -ページ画像
勢に対し、謹んで玆に感謝の意を表す。
一、偉人の談話を筆録するの任を負ふには、編著の如き素より其の適材でない。其の人格に於て将た其の文章に於て余りに未熟である。併し乍ら浅学菲才自ら揣らず、敢て此の大任を負うて起ちたる所以のものは、一に機運の然らしめた所である。先生齢古稀を過ぎ、世に為すべきを為し、尽すべきを尽されたりと雖も、未だ此の大偉人の言行録の世に行はれて、其の範を後世に垂るゝに足るものは一つもない。これ洵に世人一般の久しく遺憾とせし所にして、亦森山同文館主及び編者等も憾を分ちし所であつた。併し乍ら此の書の如き論語二十篇が孔子の門人に由つて編まれたるの盛事とは、日を同うして論ずべきものでない。明玉をして却て璞たらしめし罪は、好んで編者の負ふを辞せざる所である。
一、装禎を分つて上下二冊と為せしは、一千余頁の大部冊が却て繙読に不便なるべきを思ひたるが為で、書肆の専ら読者諸君に忠ならんと欲する余情に外ならぬ。されば内容に於ても純然たる二分冊の形式に依らず、一冊のものを二つに分けたといふまゝの形にして製本した。大方の看官希くは其の微衷を察せられよ。
編纂助手
明治四十五年皐月端午 井口正之識す
○「竜門雑誌」第二七三号(明治四十四年二月)「演説及談話」欄ニ栄一ノ談話等ヲ収録シ、中「我友孔子」「立志の工夫」二篇ニツキ、前者ハ雑誌実業界」一号(一月一日発行)、後者ハ二号(一月十五日発行)ニ「青淵百話」ト題シテ掲載シタルモノナリト註ス。
青淵百話 渋沢栄一著 坤・奥付明治四五年六月刊(DK480037k-0005)
第48巻 p.121 ページ画像
青淵百話 渋沢栄一著 坤・奥付明治四五年六月刊
○「竜門雑誌」第二八九号(明治四十五年六月)以降、第二九六号(大正二年一月)マデ毎号青淵百話ノ広告ヲ掲載ス。
○尚、大正二年七月縮刷版(一冊。一〇一六頁)ヲ発行、同年八月マデニ三版ヲ出シ、大正十五年二月更ニ新版縮刷(一冊。七五七頁)ヲ同文館発行国民教育会発売ニテ刊行シ、同年三月再版ヲ出ス。
渋沢栄一 日記 大正二年(DK480037k-0006)
第48巻 p.121-122 ページ画像
渋沢栄一 日記 大正二年 (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 晴 寒
- 第48巻 p.122 -ページ画像
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井口正之氏ノ来訪ニ接ス、同文館ノ事及運送会社ノ事ヲ談ス○下略
○中略。
一月二十六日 晴 厳寒
○上略 坂本則美氏来訪シ、青淵百話ニ付種々ノ談話アリ、午飧後他ノ来人アリ○下略
○中略。
二月四日 晴 寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、村上太三郎氏ノ紹介ニテ大石某来話ス、苦学生ニテ頗ル活溌ナル者ナリ、種々訓示ノ後青淵百話一部ヲ与フ○下略