デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 3. 中外商業新報
■綱文

第48巻 p.220-224(DK480057k) ページ画像

大正13年4月14日(1924年)

是日栄一、当社記念事業「復興の実情」展覧会ヲ参観シテ感想ヲ述ブ。

大正十五年七月、当社五十年記念「産業文化博覧会」ノ副総裁トナル。


■資料

中外商業新報 第一三六八七号大正一三年四月一五日 本社記念事業「復興の実状」展覧会 晴れの招待日(DK480057k-0001)
第48巻 p.221-223 ページ画像

中外商業新報 第一三六八七号大正一三年四月一五日

図表を画像で表示--

 本社記念事業 「復興の実状」展覧会 晴れの招待日  復興精神の鏡と   朝野の名士賛嘆     内相は能くも整つたと称へ     後藤子爵は着目無比と評し     渋沢子は復興如斯かと感じ     団氏は絶好の復興教育と説く 




第一から第四会場の内部は、前夜を徹して陳列された数々の出品物で一ぱいになつて居る、何れも、震火災直後より復興の進運を物語る今日までの実状を各方面にわたつて如実に展開して居る、材料の豊富なのと、その実価値の深く高いものがあるのとは、各名士が異口同音に「たしかに復興の指針と教訓である」と賞讚の言葉に徴しても知らるる、が取わけ宏壮と堅固その物のやうな本社の建物を見て、これで彼の大地震と大火災の中を経て来たのかと驚かされた向きも多かつた、かくて祝意と歓喜は深く人々の顔をゆたかに流れて行つた、
  市でやる事を貴社でやつたと
    光栄あるおほめの言葉数々
      かくてあがつた序幕
春雨もスツキリ上つた十四日、この日我社新築落成記念事業の一である復興実状の展覧会も多大の苦心と熱心をそのまゝに、色もとりどり全く完備して今日の一般観覧に先立つてまづ京浜の名士に各々関係諸氏を招待したのである、空は花曇に陽は柔かに復興した、
 大東京の屋上へ恵み深くも注がれた、日本橋方面からのぞむ東の方に空高く燦としてひらめく紅白のフラフは往来の人々の目をひく「あれは何処でせう?」「あれは中外商業新報の建物です」即ち帝都有数の建物に数へられるその名もルネツサン式の我社屋なのである、京橋方面から見通して行く手を立ふさいだやうに巍然と聳える新建築――それは五層楼の我社なのである、本館二階を第一会場に、同三階を第二会場と貴賓室に、同四階を第三会場に、
 三階屋上と五階屋上は展望休憩所、別館階下をポスター陳列室、その階上を余興場として社員総出の接待で、いと華やかに序幕を切つて落した訳である、正面屋上高く浮き出された古き歴史も誇らかな「中外商業新報」の金六文字の輝き、正面玄関に建てられたルネサンス式のアーチ、屋上に張りめぐらした万国旗の美さ、各会場は春の如く復興の表象そのものゝ如く、明るく整然たるものである、装飾を施し
 植木盆裁を配してその設備と出品の豊富とにおいては恐らく震災後の展覧会中の冠たることが敢て云へよう、この日から観覧が出来るのかと待ち兼ねて居た人々が社前に詰めかけて来たのもお愛嬌であつた簗田本社専務理事、各理事会場入口に出迎へる、午前九時半と云ふに自動車を駆つて第一番の鑑賞は前代議士高木益太郎氏であつた、階段を登りながら「こんな立派な建て物はロンドンの新聞社中にもありませんよ」と
 お褒めにあづかつた、「実にいゝ展覧会だ」と第二会場の方へ――刻々自動車が社前に並ぶ、団三井合名理事長を始めとして有賀・福井
 - 第48巻 p.222 -ページ画像 
両理事、次いで水野内相は秘書官同伴で来場、本社出品のビチネス・サイクル復興街の画に見とれて感慨深さう
  此処に来て復興を見るがよい
        永田市長感嘆
次で永田市長は直木復興局長官や吉田・馬渡両助役などと一所に来て復興局出品の区劃整理の
 大地図の前で「こんな珍らしい地図は初めてだ、僕の処へ区画整理のことを聞に来る人があるがこゝへ来てこれを見るが一番早分りだ、実はこうした展覧会は僕の方でやるべきだがスツカリ君の方にお株を取られた形ちだ、名前は云へないが市で区画整理の地図を作る際に吉原へ通ふ近道を作るがいゝかと云ふ人があつたので
 其の必要はなからうと云つたら、そんな無粋なことは云ふものじやないと笑はれたよ」の愛嬌たつぷりであつた、此時の移るにつれて来賓は次から次へと続いて、場内は賑はつてゆくばかりである、農商務省の出品前では山林局の川添技師が自ら丁寧な説明をしたので誰も彼も満足した、一方屋上では四方眼下に展開して居る復興の実状をまざまざと見つゝ震災当時の話や復興の話で持ち切つた、来賓は更に増して係員は応接に追はれて行つた(午後二時記)
  大気焔やらで屋上庭園大賑はひ
    階下ではモノタイプを不思議がる婦人たち
やあやあと挨拶をかはして記念エハガキを手に帰る人、入る来る人で午後二時半頃から益々招待者で会場は埋められた、中には家族同伴の方も多い、鼻眼鏡の後藤子がニコニコ顔で来場、社員の説明にうなづきつゝ、屋上庭園に出て復興の大気焔があるかと思へば、そこへ山本前農相が落ち合つてコレハコレハと云つた態、有賀三井合名各理事《(衍カ)》が見える、渋沢子、小村侯も熱心に鑑賞される、三井男が令嬢同伴で来場いろいろ質問などもあつた、する中に別館の余興場で活動写真が始まる、階下ではモノタイプ、立所に欲する活字が生れるのは皆面白さうに見えた、木村日銀副総裁、佐々木第一銀行頭取、野村川崎銀行専務の諸氏などが「これはよく出来た」と口々に感心される、五時半頃大倉喜八郎翁が色紙に歌一首をものにしてお祝ひに、若い婦人の一団がめぐつて行く本館から別館へ――
  後から後からうち続くお客様
    この時ならぬ混雑にたまげた籠の小鳥
あとからあとからと押しよせる名士達で午後四時頃には混雑の頂点に達した、高声蓄音機の進行曲は軽快に響き渡る、と高島屋出品の二羽の文鳥が時ならぬ人の気配に驚いた面持ち、狭い籠の中をしきりに飛び廻る、当日の来賓の主なるは
 水野内相・前田農相、松平外務・鶴見農商務・岡野鉄道の各次官、直木復興局長官・幣原文部省図書局長・桑山簡易保険局長・矢野印刷局技師・木村日銀副総裁・梶原勧銀総裁・山本達雄男・小村侯・後藤新平子・渋沢子・三井八郎右衛門男及令嬢・大倉男・団三井合名理事長・木村三菱総理事・佐々木第一銀行頭取・有賀長文・福井菊三郎・昆田古河総理事・伊東郵船社長・岩原謙三・小池国三・神
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田鐳蔵・生田豊国銀行頭取・近藤達児・高木益太郎の諸氏
を始めとして一千余名にのぼつた、かくて会場の窓に夕づく午後五時予定の通り驚くばかりの盛況裡に招待の日は暮れた、
○中略
  国家的に有意義確実なる調査の表示
        渋沢栄一子
私共には何分こうした方面の智識がないのでそれを教へて下さつたことは誠に感謝に堪へない、殊に震災によつて日本の富がどれだけ奪はれたかといふ事はいろいろな人によつて意見の相違はあるが、大体において誇大に考へられてゐるやうである、それを御社が確実に調査されて表示されたことは国家的に見て実に有意義である、復興状態もこうして見るとなかなかに進んでゐるのが嬉しくてならない、
○下略


中外商業新報 第一四五一五号大正一五年七月二三日 我が社創立五十年記念博覧会進捗 昨日顧問会を開く 内外出品申込み殺到(DK480057k-0002)
第48巻 p.223 ページ画像

中外商業新報 第一四五一五号大正一五年七月二三日
  我が社創立五十年記念
    博覧会進捗
    昨日顧問会を開く
      内外出品申込み殺到
わが社が創立五十年記念としてわが国産業の発展、文化の興隆に資すべく今秋九月十五日からら十一月十四日まで、上野公園不忍池畔において「産業文化博覧会」を開催することは、既にこれを公表して各方面から意想外の賛同を得てゐるところである、そしてこれも既報の如く総裁として伏見宮博恭王殿下を推載し奉て着々準備を進めてゐるが伏見総裁宮殿下は左の如く副総裁・顧問を御委嘱あらせられた
    副総裁           子爵 渋沢栄一
    顧問            子爵 清浦奎吾
    同                浜口雄幸
    同             男爵 平山成信
    同             男爵 武井守正
    同             男爵 阪谷芳郎
    同                石塚英蔵
    同                内田嘉吉
    同                平塚広義
    同                星野錫
    同                杉原栄三郎
かくて顧問諸氏の顔触れが決定したので、作廿二日正午、副総裁渋沢子その他各顧問列席、わが社からも簗田社長、村上・佐藤各理事出席して顧問会を開き、諸種の計画、事務の進捗について協議するところがあつた、なお本博覧会に対する反響は意外に強烈なものがあり、時機に適した施設として東京市内は勿論、各地方、又海外各地から出品の申込み殺到し係員を忙殺してゐる(写真、帝国ホテルにおける顧問会△印は渋沢副総裁×印は簗田社長)○写真略ス
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〔参考〕渋沢栄一 日記 大正四年(DK480057k-0003)
第48巻 p.224 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
六月七日 雨
午前七時起床、入浴朝飧畢リテ○中略 野崎広太氏来リ、中外商業新聞[中外商業新報]ノコト及同氏身上ニ付種々ノ内話アリ○下略