デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
5節 新聞・雑誌・通信・放送
1款 新聞・雑誌 4. 中央新聞二十周年祝賀会
■綱文

第48巻 p.224-225(DK480058k) ページ画像

明治43年6月4日(1910年)

是日、中央新聞二十周年祝賀会、有楽座ニ於テ開カル。栄一、出席スルヲ得ズ、祝辞ヲ代読セシム。


■資料

中外商業新報 第八六五六号明治四三年六月五日 ○中央新聞祝賀会(DK480058k-0001)
第48巻 p.224 ページ画像

中外商業新報 第八六五六号明治四三年六月五日
○中央新聞祝賀会 今回組織の変更を為したる中央新聞は其披露を兼ね、改題二十周年の祝意を表せんが為め四日午後一時より有楽座に於て其祝賀会を開けり、会場の装飾行き届きて頗る美観を添へ、先づ式前の余興より開始したるに、同座文士劇一座の喜劇「当世人笑人」は来賓一同の頤を解き、更に又新橋芸者の手踊「鳥羽屋獅子」新、柳、赤坂、芳町等の美姫「当世歓悶ダンス」を演じ其妙なる舞ひ振りにヤンヤと喝采を博したり、斯くて社長鶴原定吉氏は拍手声裡に起ちて一場の挨拶を為し、来賓政友会総裁西園寺侯は祝詞を述べ併せて将来に対する訓辞を与へ、桂総理大臣の祝辞(坂田秘書官代読)、斎藤海相の祝辞、渋沢男の祝詞代読あり終つて立食に移り、紅裙数十名席上を斡旋し一同卓を囲むで十分の歓を尽して六時頃散会したり、尚ほ主なる来会者は寺内陸相・斎藤海相・後藤逓相・山県副統監・林前外相・阪谷男・井上大使・伊藤公・花房子、政友会側としては西園寺侯・原・杉田・鳩山・元田・大岡其他の幹部諸氏、実業家側としては添田興銀総裁・日本銀行各理事・加藤正義・朝吹英二等の諸氏凡そ千五百余名に上り頗る盛会なりき
   ○是日栄一ハ桐生・足利方面ヘ旅行中ナリ。(栄一ノ日記ニヨル)


中央新聞 第九〇九六号 明治四三年六月五日 未曾有の大祝賀会 昨日の改題廿週年祝賀盛況 大喝采を博せる各種の余興(DK480058k-0002)
第48巻 p.224-225 ページ画像

中央新聞 第九〇九六号 明治四三年六月五日
    ○未曾有の大祝賀会
      昨日の改題廿週年祝賀盛況
      大喝采を博せる各種の余興
吾中央新聞社は客月十日を以て従来の組織を変更し、合資会社となし政友会の機関を以て任じ社長に鶴原定吉氏を、理事に吉植・高橋両代議士之に膺り、政友会の幹部皆監事・相談役となり注意と援助を与へらるゝに決したりしが、恰もよし六月には改題廿週年に当たる以て、新社組織の披露を延期し、併せて之が祝賀会を挙行する事となり、予定の如く四日午後一時を以て大祝賀会を数寄屋橋畔高等演芸場に開催したり
○中略
      △祝辞と演説
 - 第48巻 p.225 -ページ画像 
余興終るや鶴原社長は喝采に送られて壇上に立ち、来賓の同情を謝し今後の抱負を述べ、次で西園寺総務は来賓を代表して之に対し懇篤なる招待を謝し拍手に送られて降壇、続いて桂総理大臣の祝辞(坂田秘書官代読)あり、更に斎藤海軍大臣一場の祝辞を述べて渋沢男の祝辞代読ありて会を閉じ宴会に移れり
○中略
      △渋沢男の祝詞
        △中央新聞祝賀会席上に於て▽
 中央新聞社の組織革りたる時恰も改題二十週年の佳辰に当れるを以て、本日を卜し紀念の祝賀会を開かれ招待を辱ふしたり、然るに老生不幸にして用務の避く可らざるものあり、此紀念す可き盛会に列する能はざるは深く遺憾とする所なり、中央新聞が今回の組織変更に依り将来に於て愈々益々政界に其勢力を発展す可きは老生の信じて疑ざる所なり、而して此機会に於て老生の特に希望せんとするは中央新聞が政界の一大原動力たると共に、経済実業の方面に於ても又其勢力の拡充せられ、我国運の発展に貢献するの深且大ならむこと是なり、爰に所感寸片を寄せて祝詞に代ふ
  明治四十三年六月四日       男爵 渋沢栄一