デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
2節 内務行政
3款 帝都復興審議会
■綱文

第48巻 p.428-436(DK480135k) ページ画像

大正12年9月19日(1923年)

是日栄一、内閣ヨリ当会委員ヲ命ゼラル。


■資料

(山本権兵衛)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月一五日(DK480135k-0001)
第48巻 p.428 ページ画像

(山本権兵衛)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月一五日
                   (渋沢子爵家所蔵)
            (別筆)
            大正十二年九月十五日
             内閣総理大臣山本権兵衛氏来状
拝啓 御面晤申上度儀有之候ニ付甚た乍御足労、明十六日午前九時三十分ニ永田町官邸へ御光来被成下度 草々頓首
  九月十五日
                      山本権兵衛
    渋沢子爵
       閣下


白石喜太郎手記 大正一二年(DK480135k-0002)
第48巻 p.428 ページ画像

白石喜太郎手記 大正一二年       (白石喜義氏所蔵)
九月十六日
午前九時半山本首相ノ招待ニヨリ同官邸ニ赴カル、復興審議会委員就任ノ件ヲ極力勧誘セラル、同委員ハ国務大臣待遇ト云フコトニナリ居ルヲ以テ、年来ノ主張タル政治ニ関係シタクナシトノ理由ニテ、若シ出来ルナラハ此待遇ノ条項ヲ除却セラレ度ト申入レタルモ、之ハ困ルニ付左様ニ頑固ナルコトヲ云フヲ止メ振テ就任アリタシ、殊ニ待遇丈ニテ大臣トナル次第ニハアラサルヲ以テ枉ゲテ承知アリタシ、若シ如何ニシテモ承諾ナリ難キ場合ハ御返シ致難シト、言ヲ励シテ勧誘サレタルニ付、兎モ角モ引受クルコトヽシテ辞セラレタリ○下略


法令全書 大正一二年 内閣印刷局編 刊 【朕帝都復興審議会官制ヲ…】(DK480135k-0003)
第48巻 p.428-429 ページ画像

法令全書 大正一二年 内閣印刷局編 刊
朕帝都復興審議会官制ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
 御名御璽
    摂政名
  大正十二年九月十九日
             内閣総理大臣伯爵山本権兵衛
勅令第四百十八号(官報号外)
    帝都復興審議会官制
第一条 帝都復興審議会ハ内閣総理大臣ノ諮詢ニ応シ、帝都其ノ他ノ震災地ノ復興ニ関スル重要ノ案件ヲ審議ス
第二条 帝都復興審議会ハ、帝都其ノ他ノ震災地ノ復興ニ関スル重要ノ案件ニ付、内閣総理大臣ニ建議スルコトヲ得
第三条 帝都復興審議会ハ、総裁一人、委員若干人ヲ以テ之ヲ組織ス
第四条 総裁ハ内閣総理大臣ヲ以テ之ニ充ツ
 - 第48巻 p.429 -ページ画像 
 委員ハ国務大臣、国務大臣タリシ者、親任官又ハ学識経験アル者ノ中ヨリ之ヲ勅命ス
第五条 総裁ハ会務ヲ統理シ会議ノ議長ト為ル
 総裁事故アルトキハ、内閣総理大臣ノ指名スル委員其ノ職務ヲ代理ス
第六条 帝都復興審議会ニ幹事長一人、幹事若干人ヲ置ク
第七条 幹事長ハ委員ノ中ヨリ之ヲ勅命ス、庶務ヲ掌理ス
第八条 幹事ハ内閣総理大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス、幹事長ノ命ヲ承ケ庶務ヲ整理ス
第九条 委員ハ国務大臣ノ礼遇ヲ受ク
      附則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス


青淵先生公私履歴台帳(DK480135k-0004)
第48巻 p.429 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳          (渋沢子爵家所蔵)
    任免叙授
大正十二年九月十九日 帝都復興審議会委員被仰付 内閣


竜門雑誌 第四二三号・第六三頁大正一二年一二月 ○青淵先生と帝都復興審議会(DK480135k-0005)
第48巻 p.429 ページ画像

竜門雑誌 第四二三号・第六三頁大正一二年一二月
○青淵先生と帝都復興審議会 帝都復興審議会は九月十九日勅令を以て公布せられ、青淵先生も亦其委員の一人として任命せられたるが、是より先、九月十六日山本総理大臣より内話あり、審議会委員に就任の義を切に勧誘せられたるが、先生は此委員が国務大臣待遇なることを聞かれ、元来政治に関係せざる主義なればとの理由にて切に辞退し若し此条項を削除せらるゝならば御請も致すべき旨答へられたるに、総理大臣は御主旨は御尤千万なれども、大臣待遇はたヾ単に待遇のみにて、大臣となる次第にも非ざれば、敢て御持論に牴触もせざるべく殊に此非常の際なれば、枉げて就任せられたしと熱心に勧説せられたるより、先生も已むを得ずして承諾せられし由なり。
   ○是ヨリ先、九月十一日、栄一ハ大震災善後会副総裁ニ就任ス。本資料第三十一巻所収「大震災善後会」参照。


中外商業新報 第一三四七一号大正一二年九月一二日 身命の続く限り 復興に尽力すべし 渋沢栄一子談(DK480135k-0006)
第48巻 p.429-430 ページ画像

中外商業新報 第一三四七一号大正一二年九月一二日
    身命の続く限り
      復興に尽力すべし
                   渋沢栄一子談
今回しんさいの為に我が文化の中心たる帝都の全滅した事は実に遺憾の極みである、不肖の如き微力ながら此帝都の建設に対して多少は努力したので
恰も愛児を失ひたる感がある、今日斯くの如き事を述ぶるは誠に如何とも思ふが、近時我が国に於ける風潮は余りに弛緩廃頽して居つた、即ち政治上に於ては只利己的権利の獲得にのみ汲々とし、経済上に於ては只自己の利益を図る以外何物もなく、更に
社交上の悪化に至つては全く道徳の観念を没却し、軽佻浮薄の極に達して居つた、右の如き状態は実に天の看過を許さゞる事ではないか、
 - 第48巻 p.430 -ページ画像 
故に今後我国民は大に此点に留意して心気一転大に緊張して凡てを刷新しなければならぬ、余はりさい民の救助に全力を注ぐと共に問題になつてをる
火災保険の如き会社も、単に法理のみに由らず出来得る限り何等かの方法を以て保険金をし払ふべきである、即ち此事に就ては政府も相当の負担をなし、一方被保険者も或る程度のし払にて満足し、即ち三者協調して解決すべきである、又最も緊要なる
金融問題も此際銀行家は勿論、政府も出来る限りの方法を採つて官民一致最善の解決を為すべきである、尚更に進んでは当局は速に大東京再建の具体案を考究決定し、速に帝都の復活を図らなければならぬ、余は不肖ながらしんさい以来此等の事業を
貫徹すべき実業家方面及政治家方面・当局等の間に立つて身命の続く限り努力する覚悟である


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK480135k-0007)
第48巻 p.430 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記
                     (財団法人竜門社所蔵)
○十一月十九日
○上略
△近日帝都復興審議会開会の由にて調書を配付し来れるにつき、常より早く九時前事務所へ御出張、増田明六・渡辺得男・白石喜太郎三氏と共に点検せらる、唯梗概を得るに過きすして未た十分了解せらるゝに至らす
○下略


(増田明六)日誌 大正一二年(DK480135k-0008)
第48巻 p.430 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一二年      (増田正純氏所蔵)
十一月十九日 月 曇
子爵の御用にて八時半出勤、同時刻子爵も出勤せられたり、用件は帝都復興院にて評議員会に附議せられたる復興大綱即東京・横浜ニ於ける街路・公園・港湾・運河の計画ニ就き取調の上意見あらは参考として聞き置たしと之事なり、早速閲見したるニ、十六日頃新聞紙上ニ発表せられたる計画と凡て同一のものにて、平素斯る問題ニ関係セさる小生としてハ何等意見も起らす、只街路ニ関する計画丈けを一日も早く決定し、買収すべきものは買収して人民ニ復興の資金を与へ、公園・港湾・運河の如きは第二・第三の施設として可なり、而して街路の区画を明かにして一般ニ本建築ニ着手せしむる様せられたし、若し公園等の設計を決定するが為め、街路の計画実施を遅らす如き事無き様御尽力を請ふ旨申陳置きたり、子爵ハ同院参与(大臣待遇)にて不日上記の大綱が審議ニ附せらるゝを以て、斯くハ申聞けありし次第である
○下略


帝都復興審議会書類(DK480135k-0009)
第48巻 p.430-431 ページ画像

帝都復興審議会書類           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  大正十二年九月十九日
             帝都復興審議会幹事長
 - 第48巻 p.431 -ページ画像 
                   子爵後藤新平
    (宛名手書)
    渋沢委員殿
      通知
明後二十一日午前十時会議相開カレ候ニ付、麹町区永田町内閣総理大臣官舎ニ御参集相成度候



〔参考〕法令全書 大正一二年 内閣印刷局編 刊 【朕神聖ナル祖宗ノ洪範ヲ紹…】(DK480135k-0010)
第48巻 p.431-432 ページ画像

法令全書 大正一二年 内閣印刷局編 刊
朕神聖ナル祖宗ノ洪範ヲ紹キ、光輝アル国史ノ成跡ニ鑑ミ、皇考中興ノ宏謨ヲ継承シテ肯テ愆ラサラムコトヲ庶幾シ、夙夜兢業トシテ治ヲ図リ、幸ニ祖宗ノ神祐ト国民ノ協力トニ頼リ世界空前ノ大戦ニ処シ、尚克ク小康ヲ保ツヲ得タリ
奚ソ図ラム、九月一日ノ激震ハ事咄嗟ニ起リ、其ノ震動極メテ峻烈ニシテ、家屋ノ潰倒男女ノ惨死幾万ナルヲ知ラス、剰ヘ火災四方ニ起リテ炎燄天ニ冲リ、京浜其ノ他ノ市邑一夜ニシテ焦土ト化ス、此ノ間交通機関杜絶シ為ニ流言飛語盛ニ伝ハリ、人心洶々トシテ倍々其ノ惨害ヲ大ナラシム、之ヲ安政当時ノ震災ニ較フレハ寧ロ凄愴ナルヲ想知セシム
朕深ク自ラ戒慎シテ已マサルモ、惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク、只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ、凡ソ非常ノ秋ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス、若シ夫レ平時ノ条規ニ膠柱シテ活用スルコトヲ悟ラス、緩急其ノ宜ヲ失シテ前後ヲ誤リ、或ハ個人若ハ一会社ノ利益保障ノ為ニ多衆災民ノ安固ヲ脅スカ如キアラハ人心動揺シテ抵止スル所ヲ知ラス、朕深ク之ヲ憂惕シ、既ニ在朝有司ニ命シ臨機救済ノ道ヲ講セシメ、先ツ焦眉ノ急ヲ拯フテ以テ恵撫慈養ノ実ヲ挙ケムト欲ス
抑モ東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ、国民文化ノ源泉トナリテ、民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ、一朝不慮ノ災害ニ罹リテ今ヤ其ノ旧形ヲ留メスト雖、依然トシテ我国都タルノ地位ヲ失ハス、是ヲ以テ其ノ善後策ハ独リ旧態ヲ回復スルニ止マラス、進ンテ将来ノ発展ヲ図リ、以テ巷衢ノ面目ヲ新ニセサルヘカラス、惟フニ我忠良ナル国民ハ、義勇奉公朕ト共ニ其ノ慶ニ頼ラムコトヲ切望スヘシ、之ヲ慮リテ朕ハ宰臣ニ命シ、速ニ特殊ノ機関ヲ設定シテ帝都復興ノ事ヲ審議調査セシメ、其ノ成案ハ或ハ之ヲ至高顧問ノ府ニ諮ヒ、或ハ之ヲ立法ノ府ニ謀リ、籌画経営万遺算ナキヲ期セムトス
在朝有司能ク朕カ心ヲ心トシ、迅ニ災民ノ救護ニ従事シ、厳ニ流言ヲ禁遏シ、民心ヲ安定シ、一般国民亦能ク政府ノ施設ヲ翼ケテ奉公ノ誠悃ヲ致シ、以テ興国ノ基ヲ固ムヘシ、朕前古無比ノ天殃ニ際会シテ、䘏民ノ心愈々切ニ寝食為ニ安カラス、爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
  御名御璽
    摂政名
  大正十二年九月十二日(官報号外)
              内閣総理大臣兼外務大臣 伯爵 山本権兵衛
              内務大臣  子爵 後藤新平
              文部大臣     岡野敬次郎
 - 第48巻 p.432 -ページ画像 
              海軍大臣     財部彪
              陸軍大臣  男爵 田中義一
              農商務大臣 男爵 田健治郎
              逓信大臣     犬養毅
              司法大臣     平沼騏一郎
              鉄道大臣     山之内一次
              大蔵大臣     井上準之助



〔参考〕竜門雑誌 第四二三号・第一九―二二頁大正一二年一二月 ○両立し難い二つの条件 青淵先生(DK480135k-0011)
第48巻 p.432-434 ページ画像

竜門雑誌 第四二三号・第一九―二二頁大正一二年一二月
    ○両立し難い二つの条件
                      青淵先生
 本篇は青淵先生談として現代十月号に掲載せるものなり。
                        (編者識)
 今次の大震災は、まことに稀有の大変で、殊に東京・横浜は開市以来の大惨事であり、その被害の大なる、たゞ――驚愕の外はない。
 然しながら、徒らに悲嘆の涙にくれて、一日を曠うすれば一日の損一刻を懈れば一刻の失である。決して拱手、時を過すべきではない。宜しく各自は最善を尽くして帝都の復興に力を致さなければならぬ。そこで、如何にして帝都を復興するかの問題であるが、これは洵に容易ならぬ大問題である。
 政府に於ても、之が非常の政策を決する為め、総理大臣以下各大臣並びに民間有力の士を網羅して『帝都復興審議会』なるものを起したにつき、不肖私にもその一員たることを勧説された。私は老体、且つ微力の故を以て、再三お断りしたが、総理大臣自ら懇々の説示もあり及ばずながらお引受けした以上は、私として出来る限り微力を竭すつもりである。この審議会と共に、最近には、執行機関であるところの帝都復興院の官制も発布されて、いよいよ復興の事も次第に歩を進めて来たが、審議会では復興院並に当路有司の建策建議を調査研究し、之に委員自らの意見をも具陳して、審議確定せる事項を、それぞれに施設せしむるものと思はれる。その意味からしても、私どもの立場は建案よりも批評にある。諸種の方策に就て、討論審議する責を有するわけである。従つて、審議会員たる私の立場は、批評にありて発案にない。故に、私は今たやすく復興に対する愚案を述べて、自ら惑ふやうなことは慎みたい。
 然し此問題について、私が最も憂慮してやまないのは、問題の根本に横はる最も大切な二つの条件を如何にして調節し、之が運用を円滑になし得るかといふことである。即ち、一方には市民各自をして、一日も早く業に安んじ職に就かしむるやうにすると同時に、他方にはそれで帝都の面目を保ち永遠に亘り得る方法を発見することである。一方は一時的であり臨機の策であるが、他方は永遠的であり将来に亘る計画である。この両立し難い二つの施設をば、如何にして調節し二つながら完きを得ることが出来るか。これこそは、此問題の最も緊切な研究点であり、焦点であると思はれる。何うにかして此の二つが、円滑に運用され得る最善策を求めたいものである。
 - 第48巻 p.433 -ページ画像 
 此の外、これとやはり関聯して、道路の問題、交通機関の問題、公園の問題、港湾の問題、上下水道の問題などと、種々重大な案件があり、それ等を如何に処理するか、如何に拡張するかは、余程研究調査の上、慎重審議之を決すべきである。
 尤も、世の聡明な都市計画論者は、如上の案件に対しても、堂々とまことに立派な腹案を示され、道路は斯く斯く、水道は斯く斯くなどと、得意の改革意見を述べて居られるやうである。
 道路幅員の拡大等に就ても、既に東京市長の永田氏など、三十間とか四十間とか、仔細に亘つて意見があるやうであるし、その他諸種の計画もあるやうである。然しこれも何れは、審議会の方で、実際に審議した上でなければ、何うなるか確定しないであらう。かたがた此の際、諸方の聡明な人々から、多くの名案が続々出でんことを切望するもので、審議会では其の中から、慎重に審議して、最善と思はれる方策を採ることになるであらう。要は、今後審議を重ねて実行に移るのであるが、諸方面に亘つて屡々違算なき実行的な時策を得たいものである。
 更に帝都復興に際して注意すべきは、従来の如くたゞたゞ物質的施設のみ汲々たるを以て満足せず、宜しく精神的方面に於ても大いに考慮をめぐらす必要がある。
 つらつら惟ふに、人間の力には限りがある。人物は遂に自然のそれには及ぶべくもない。然れば、人々は予め大自然の意を察し、あまりに人事に没頭して、自然を無視することなく、天意をはからぬ軽挙盲動は厳に之を慎しまねばならぬ。不幸にして、近来、人々の間に此の用意があまりに欠けて居たのではないか。
 換言すれば、科学知識の発達と共に、あまりに人智を過大に見たる嫌ひがある。何事も人間の力を以て成らざるなしとし、天を恐れず、物質に走つて精神の方面を閑却したものが多かつた。これは洵に遺憾なことである。
 輓近、我が国民の心は著しく弛緩し、皇室中心の観念は漸く薄らぎ道徳心の頽廃亦甚しく、殊に欧洲戦争以来、僥倖にも経済界の好況を来たし、所謂成金時代を出現して、奢侈軽佻の風滔々として一世を蓋ふが如き観を呈したのである。
 今回の災害は、之に遭遇された人々には、まことにお気の毒であり殊に大なる不幸を負はされた人々は、大なる犠牲者として、同情に堪へない次第であるが、然し他面から観ると、斯かる大災禍が、特に国家繁栄の中心地たる帝都や、之に隣接せる市街等を粉砕するに至つたのは、そこに何等か天意の存するものがあるのではないか。天意広大にして、固より吾々の測り知るところではないが、之を天譴として、人々は深く肝に銘すべきであらう。私は自らこの事を感銘し、大に天意を畏るゝと共に、他にも此事を話して、互に深く深く相戒むべきことを誓つて居る次第である。されば、此の際、各自は専ら忠節謹慎の態度に帰り、大に自ら修養を励むべきである。而して今後は、宜しく浮華軽佻の風を去り、帝都の市民としては、堅実な思想、忠節な志気を以て先づ各自が衷から目ざめる工夫が肝要である。
 - 第48巻 p.434 -ページ画像 
 若し依然として外形装飾にのみ心を奪はれ物質的施設にのみ拘泥して止まずんば、再び今回の如き天譴が重ねて来るやも又保し難い。我が帝都市民は、宜しく此の天譴を恐れ畏むと共に、よく之に堪へ、質実剛健の風を起して、大に再起するの覚悟がなくてはならぬ。帝都復興の事、亦全く此の大覚悟に頼るの外はないのである。



〔参考〕帝都復興史附横浜復興記念史 復興調査協会編 第一巻・第八九―九三頁昭和五年五月刊(DK480135k-0012)
第48巻 p.434-436 ページ画像

帝都復興史附横浜復興記念史 復興調査協会編 第一巻・第八九―九三頁昭和五年五月刊
  第二編 帝都復興計画の経過
    第一章 帝都復興の機関
 九月一日大震突発の際は、前月廿八日山本権兵衛伯に内閣組織の大命降下して組閣準備中であつた。依つて臨時首相兼摂の内田外相は応急措置として臨時震災救護事務局を設けて、早くも震災対応の策は講ぜられたが、一方組閣準備は、震災のため急転直下の勢を以て纏り、二日夜、余震尚絶えず火災帝都の空を蔽ふ下に赤坂離宮芝生の上に於て親任式が挙行せられ、山本首相の下に後藤内相・井上蔵相・田中陸相・財部海相・田農商・犬養逓相・山之内鉄相(外務・司法・文部は兼摂)等各相は何れも震災直後の非常時に善処すべき大任を帯びて奮起した。三日には摂政宮の御沙汰書発せられ、四日には内閣告諭が発せられると共に非常徴発令・支払延期令・暴利取締令等罹災民救助の勅令相次で発布され、又戒厳令布かれ、市民自警団設けられるなど官民一致して震災直後に処せんとしたが、余震相次で驚駭止まず。鮮人襲来等の流言蜚語盛んに飛んで人心恟々たるものがあつたのみならず輿論の一部に遷都論さへ伝へられて、東京の前途は実に暗澹たるものがあつた。玆に於て内閣は五日鮮人暴挙風説取締に関する告示をなし七日流言浮説取締令を発する等人心安定のため大いに努力したるも、其甲斐もなく依然として遷都の説が唱へられる状態であつた。然るに十二日巻頭に掲ぐる帝都復興に関する詔勅降り、東京は依然帝都たること確かめられたるのみならず、世界に誇るべき国都として速かに復興を図るべしとの御言葉に帝都の人心漸く平静に帰し、内閣に於ては十六日帝都復興に関する告諭を発し、永田東京市長亦帝都復興の告諭を発し、市民及び全国民均しく之に応援して官民一致帝都復興に意を臻すことゝなつた。
 之より先九月六日の閣議に於て、既に帝都復旧及び復興の議が附せられたが、大詔渙発後は畏くも聖旨に副ひ奉り、早急に復興の大計を樹立すべく、内務大臣後藤新平子を中心として帝都復興計画が凝議されるに至つた。後藤内相の意見としては、這次の災害は頗る広汎なる範囲に亘り、殆んど帝都枢要の地を焦土とせるを以て多年懸案の都市計画を実行し、理想的帝都を建設するには結構無二の機会なりとし、此の際世界に誇るべき大帝都を建設して国家百年の大計を樹立すべくその為めには大々的調査を遂げ、完全なる大計画を樹て、費用の如きは数十億をも辞すべきにあらずとして、子一流の大布呂敷を拡げた。
 而して当初は臨時帝都復興調査会に於て
  一、復興に関する特設官庁の新設
  二、復興経費支弁の方法
 - 第48巻 p.435 -ページ画像 
  三、罹災地域に於ける土地整理方法
等計画の根本に就て協議を重ねたる結果、第一項に関しては独立の機関を設置し、更に其諮問機関を設ける事、第二項経常費支弁は原則として国費支弁に依り、之に充当する財源としては長期間の内債及び外債を募集する事、第三項に関しては、罹災地域は公債を発行して之を全部一旦政府に買収し、徹底的に整理を断行したる後、適当の時機を見て之を個人又は公共団体に売却或は貸付けの方法を執る事として之を閣議に諮つた。此の内第一項及第二項は大体に於て原案を認めることゝなつたが、第三項の罹災地全部を買収することは方法として実に理想的であるが、其範囲頗る広く之を全部買収する費用は頗る巨額にして、災後財界不況の際、到底実現し難き理由を以て採用されなかつた。又第一項の独立機関設置に就ては、復興事業を全部国家事業として内閣に帝都復興省を新設すべしといふ案に対し、他の案は計画の決定機関と其の執行機関とを分つべしと説き、両案に可成り激烈な論争が繰返されたが、結局復興省案は敗れて後者即ち復興院が確定され、内閣直属の一機関を設置して復興計画を樹立せしめる事となり、復興院の諮問機関として帝都復興審議会官制(巻末参照)が九月十九日発布された。
      第一節 帝都復興審議会設立
 帝都復興審議会委員は閣僚及び貴衆両院の代表的議員、財界大立者枢密顧問官等を以て組織されたるものにして、其の氏名左の如し
  総裁  山本権兵衛
  幹事長 後藤新平
  委員  山本権兵衛・後藤新平・田中義一・井上準之助・田健次郎・犬養毅・岡野敬次郎・財部彪・平沼驥一郎・山之内一次(以上閣僚)、高橋是清・加藤高明・青木信光・江木千之・和田豊治・伊東巳代治・大石正巳・渋沢栄一・市来乙彦
 而して第一回の帝都復興審議会は九月二十一日午前十時から永田町首相官邸に於て開会せられた。山本総裁・後藤幹事長以下各委員、樺山資英・塚本清治・松本烝治各幹事等出席して、劈頭山本総裁は左の如く挨拶及び復興審議会設立の趣旨を述べた。
 帝都復興審議会設置せられ、玆に其開会に際して一言することを得るは不肖の最も光栄とする所なり。今次の震災に当り 天皇陛下深く宸襟を悩ませ給ひ、摂政殿下切に軫憂あらせられ、曩に内延の資を賜ひて優渥なる令旨を下せられ、近くは又仁慈なる聖詔を発し給ひて救護の普く到り生業の道開け、民心の安定一日も速かならんことを望ませられ、殊に帝都復興の議を悉して興国の基を固めんことを命じ給ふ。聖旨懇篤恐惶に堪えず。今や官制新に公布さる。幸に諸君の慎重審議を待ちて斯の事業を遂行し、政治・経済の中枢にして文化の源泉たる帝都を復興し、国家の光輝を愈々発揚し以て上は聖明に答へ、下は国民の重寄に副ふ所あらん事を期す。
 この際中外の同情義挙共に盛んなるものあるは諸君と共に不肖の感銘に堪えざる所にして、極力罹災者の救護其宜しきを制し、進んで
 - 第48巻 p.436 -ページ画像 
災害の善後を完うするに勉むるは現下の急務にして又実に斯の情誼に酬ゆる所以なりと信ず。帝都復興の計画を遂行するに就ては全般の施設を通じて実質を主として外観を従とし、学理と経験とを応用して且つ欧米諸都市の現状を参酌して之に資し以て帝都の面目を一新して更に威容あるものたらしめ、是れが事業を進行するに当りても国力と民度とに顧み、序に従ひ漸を追ふて進み以て国家経済の調節を失はざらしめんことを期す。若しそれ各種具体案に至つては逐次之を本会に提出すべきを以て十分の審議を尽さんことを望む。
 山本首相の挨拶終るや、後藤幹事長は直ちに当日の諮問案たる臨時物資供給令・特別会計令の二案に就て提案理由を説明し、之に対して委員から二三の質問があつて後議事に入つたが、反対もなく原案を可決し、更に今後の審議会に関する申合せをなして散会した。かくて臨時物資供給令及び特別会計令は直ちに枢密院の諮詢を仰ぎ勅裁を経て公布されるに至つた。