デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
1款 対独開戦
■綱文

第48巻 p.490-496(DK480143k) ページ画像

大正3年9月10日(1914年)

是日、大蔵大臣若槻礼次郎、官邸ニ銀行家ヲ招キ晩餐会ヲ開催ス。栄一出席シテ意見ヲ述ブ。十一月二十日、総理大臣大隈重信、栄一・中野武営・益田孝ヲ官邸ニ招キ懇談ス。


■資料

中外商業新報 第一〇一九七号大正三年九月一一日 ○蔵相邸銀行家招待 蔵相総裁等の金融談(DK480143k-0001)
第48巻 p.490-491 ページ画像

中外商業新報 第一〇一九七号大正三年九月一一日
    ○蔵相邸銀行家招待
      蔵相総裁等の金融談
若槻蔵相は予記の如く十日午後五時蔵相官邸に銀行家を招き晩餐会を開けり、食後若槻蔵相はテーブルスピーチに於て「日本は東洋方面に於て戦争に参加せるも之が戦費は剰余金を以て充分に支弁し得られ、
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現下の形勢より推せば今後更に増税若くは国債の発行を必要とするが如きことなかるべし、幸ひ我財界の地位は欧洲交戦国と全く其趣を異にすることなれば、此際銀行家諸君は時局に関し深憂に過ぎ、徒らに欧洲金融業者の顰に習はるゝことなく適切穏当の処置あらんことを望む」と述べ、次ぎに三島日銀総裁は日本銀行は目下の財界の状勢に応じ適当に金融疏通の方法を講じ、可成諸君の便宜を謀らんことを期せりと説き、次いで井上正金頭取は我が海外貿易の発展を阻害せざる為め本行は頻に各種の方法を講じ、対支為替の如きも種々の不便を忍びて之が取組を勉め、特に対米為替に付ては最も注意払ひたるが、幸ひ其取引円滑に行はるゝに至り、今や殆ど平日の如く取組まるに至れりと説き、最後に渋沢男は欧洲の天地は前古未聞の大乱を発生し、生命財産の安固全く破壊さるゝの惨状を呈せるも、幸ひ日本の被る影響は欧洲諸国の如くならず、此際禍を転じて福となすは実に我国民の責務にして、我々は時局に対し猥りに悲観せず大に奮起すべきなり、而して今日の所吾々は政府に対し特に要求すべきことなく、只相共に国運発展の機宜を失せざるを念とするのみと述べ、午後十時散会せり、当夜の列席者如左
 三島日銀総裁・同水町副総裁・志村勧銀総裁・志立興銀総裁・井上正金頭取・市原鮮銀総裁・中川合銀副頭取・渋沢男・佐々木勇之助・早川千吉郎・三村君平・串田万蔵・安田善三郎・松方巌・池田謙三(以上主賓)浜口次官・桜井・菅原・市来・神野各局長、森銀行課長、黒田・青木各秘書官(以上陪賓)


東京日日新聞 第一三五九二号大正三年九月一二日 市内銀行家招待会(DK480143k-0002)
第48巻 p.491 ページ画像

東京日日新聞 第一三五九二号大正三年九月一二日
    市内銀行家招待会
臨時議会に於ける金融調節の要求に基き、若槻蔵相は十日午後六時より東京市内銀行家渋沢・三島・水町・志村・志立・市原・池田(謙)安田・三村其他十余名を永田町の官邸に招き懇談会を催したるが、席上蔵相は曰く
 軍費予算五千三百万円の支出に就て無事上下両院の協賛を得たるは国家の為慶賀の至りに堪へず、時局の前途は誰人と雖も推断し難きは勿論なるも、財政上の状態より察するに、将来増税又は公債によつて軍費を補充するの必要なきは当局の確信して疑はざる処なり。我金融業者中には時局を警戒するの余り、民間資金の融通を引締め往々金融の不円滑を来せるを耳にするも、我国が戦局に対する関係は英仏諸国と趣を異にするが故に、爾かく厳重に金融を警戒するは却て百害を助長こそすれ毫も益なきなり、願はくは出来得る限り民間の融通を円滑にせられたし
と述べたるに、三島日銀総裁は
 戦端開始以来日本銀行は百方民間の融通に努めたるが、今後に於ても金融円滑の点に焦慮すべし
と答へ、井上正金頭取・渋沢男又交々起つて出来得る限り資金の貸出を便にし時局の禍を転じて福となすべしと述べ、午後十時半散会せり
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中外商業新報 第一〇二二〇号大正三年一〇月四日 ○銀行家蔵相招待(DK480143k-0003)
第48巻 p.492 ページ画像

中外商業新報 第一〇二二〇号大正三年一〇月四日
    ○銀行家蔵相招待
市中主なる銀行家は二日午後二時浜町常盤屋に若槻蔵相を招待し、過般蔵相官邸に於ける答礼を兼ね食堂を共にしたり、当日は何等具体的の協議なかりしも、時節柄財政経済の時事談に花を咲かせ深更漸く散会せり、当夜の出席者は左の人々なりしと
 若槻蔵相(主賓)三島日銀総裁・水町同副総裁(陪賓)渋沢男・佐佐木勇之助・早川千吉郎・池田成彬・三村君平・串田万蔵・安田善三郎・松方巌・成瀬正恭・池田謙三


東京日日新聞 第一三六六二号大正三年一一月二一日 首相実業家の懇談(DK480143k-0004)
第48巻 p.492 ページ画像

東京日日新聞 第一三六六二号大正三年一一月二一日
    首相実業家の懇談
大隈首相は二十日午後一時半より渋沢男・中野武営・益田孝の三氏を首相邸に招き、対時局財政問題に就き意見を交換せり



〔参考〕竜門雑誌 第三一八号・第一一―一二頁大正三年一一月 時局観 青淵先生(DK480143k-0005)
第48巻 p.492-493 ページ画像

竜門雑誌 第三一八号・第一一―一二頁大正三年一一月
    時局観
                      青淵先生
 左の一篇は十月十七日青淵先生が高千穂小学校の講演会に於て講演せられたる要領にて、固より其詳を悉せるものに非ざる如くなれども、全編悉く金玉の文字にして、竜門社員は勿論一般国民の服膺すべきものと信ずるを以て、特に本欄に掲ぐるの栄を有す(編者識)
戦争は、実業界に、最も悪影響を与ふるものなるが、本年七・八月来局面は、いよいよ、不穏となり、遂に我国も亦戦乱の渦中に投ずるに至れり。予の立場より戦乱を説くは、甚だ難事なれども、上戸は、酒の利を知り、下戸は、酒の害を知る。予は実業界にありて、戦乱の影響を受くるものなり。富国強兵は必ずしも、国富めば兵強しといふ意にあらず。国富みて、兵却つて弱くなること甚だ多し。兵強き時も、国富むとはいふべからず。富と強兵とは取離して考ふべきものなり。而して富国と強兵とは、共に充分に発達せしめざるべからず。個人に就ても、人格と財産と、共に等しく必要なり。仏国の如き、其の富天下に冠たるの観ありしも、今現に行はるゝ戦争の実状を見れば、其の兵は、必ずしも天下に冠たりといふ可からず。予は、予の立場より、平和を主張する者なれども、国に富力と武力との両立を必要とすることは、堅く信ずる所なり。諸子も亦一方に勇敢なる軍人となり、他方には、有為なる実業家とならざるべからず。明治七年以来、十年毎に我国に兵乱起れるは、奇異なる現象なり。七年には、朝鮮事件あり。十七年には、台湾征伐あり。二十七年に日清の役起り、三十七年に、日露戦争となり、四十七年に当る本年には、亦今の戦争あり。戦争毎に、我国の経済界に与ふる打撃は、決して少からずと雖も、一般には人心緊張の結果、却つて国運の発展を見たり。為めに、戦争は呪ふべきものにあらずして、祝福すべきものなりとの誤解をなすものすらあり。蓋、戦時国運の発展を見るは、戦争其のものゝ利益にあらず、戦争のために、一般人民の困苦に打克つ力弱くなり、協力一致して、業
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に当るの結果なり。戦争は、義戦たるを要す。我国、幸に義戦を重ぬること数回、今亦友邦の為めに、義戦を行ふ。宜しく直接兵事に関係なきものは、志気を緊張して、之れを善用せざるべからず。即ち、自重自愛を望む所以なり。



〔参考〕竜門雑誌 第三一九号・第一三―一八頁大正三年一二月 ○欧洲大乱の影響 青淵先生(DK480143k-0006)
第48巻 p.493-496 ページ画像

竜門雑誌 第三一九号・第一三―一八頁大正三年一二月
    ○欧洲大乱の影響
                      青淵先生
 本篇は東京毎日及び雑誌「金星」記者が欧洲大乱の影響に就て、青淵先生の意見を問ひて各々その誌上に掲載せるものなり(編者識)
△雑誌「金星」所載 欧洲の大乱は益々拡大して、其結果何れの日に落着すべきか予測すべからざるの今日、殊に青島陥落の祝勝に酔えるの日、経済と戦争との関係を論じ、此大戦乱後に於ける国民の覚悟を説くも、亦無益の事には非らざるべし、抑々経済上に従事するものは其発達は一つに泰平の時代に進むべきものなるより、平和を望むは論を俟たざる事なり、而して戦争は幾百万の子弟を戦場に送り、内に其生産を妨げ、幾億の軍費を費して、産業の発達を阻害し、以て経済上に非常なる打撃を与ふるものにして、常に戦争と経済は一致を欠き、正反対を為すものなるは是れ当然の理なり。然るに如何なる関係かそれが常に相一致し、相聯関して進むが如く見ゆるは奇と謂ふ可きなり抑々一国に於て経済が発達するに非らずんば強者の地位に立ち得ず、是れ軍備裕かなる国に非らずんば到底敵を制する事困難なればなり、故に一国に於て経済の発達は国を強むるの一大要素となるは敢て贅言を要せず、されば経済の発達は国を強むるものにして、又戦争勃発に依り或は経済の発達を来たす事なきに非ず、或る点より考ふれば前述の如く戦争は経済の発達を阻害する事大なりと雖も、亦或る点より見れば戦争が経済の発達を促す事あり、古今の歴史を繙くも此戦争が経済の大発展に資せる例は最も多し、今如何なる戦争が経済の発達を妨害し、如何なる戦争が此発達を助けしかに付き既往の関係を述べんに余は欧洲の事例や、帝国の昔は委細記憶せざるも、徳川氏が江戸に幕府を開く前、足利氏の末世より元亀天正・慶長元和の泰平に至る間凡そ百年間は、国内は戦争に日も之れ足らざる有様なりしは国民等しく知る処なり、而して此戦乱中に如何に経済に妨害を与へしかを観察するに、当時国家は実に疲弊の極に達せるは歴史の詳かに吾人に記す所なり、彼の織田氏に続いて豊臣氏が天下を平定し初めて泰平の世となり、大阪に都府を開き商業の発達に力を入れられ、引続き徳川氏となりて江戸に幕府を開き産業の発達に意を注がれ、経済界の進歩を図りしかば、商工業に非常なる進歩を見たるも、既往百年間戦争の為め如何に国家経済が妨害せられしか、此一事にても戦争が如何に経済を妨害するかを知るに足るべし、尚此外国内の戦争と雖も経済を妨害せる例は最も多し、欧洲各国に対する戦争に於ても、亦其事例は非常に多し、彼の百年戦争に於ても亦宗教戦争にありても、是れが為め如何に社会百般の事業が衰頽せるかは知悉し得らるゝ次第なり、故に戦争が一国の富を激損するものなるは知り得るの事実なり、然るが故に多く
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好戦の国家が其国を滅ぼし、好戦の武士が其家を亡ぼすは是れ戦争が富を激損する為めにして、古今東西其事例亦最も多し、彼の甲州の武田家の如きは好適例なり、次に戦争が経済の発達を助けし例も帝国の歴史に非常に多きを見る、我が国に於て明治維新以来の戦争を数ふれば、維新の戦争と七年の台湾役、十年と十七年、二十七・八年、三十三年、三十七・八年等主なるものにして、内に対し外に対し最も多事なりしが、中にも三十七・八年戦役は国運を睹して戦へる大戦争なりしなり、而して此最近の二十七・八年と三十七・八年戦役が如何に我が経済上に影響を及ぼせるかを想起するに、前言の如く戦争は経済の発達を妨害するものなりと雖も、此二十七・八年戦役は、戦後我が経済界の各方面に非常なる発展を与へしなり、斯る点より見れば此戦争は我が経済を援けしものともいひ得べけん、此戦争後に商事会社の発達、鉄道経営事業の発展等商工業の進歩を見たるは世人の尚記憶に新なる処にして、此戦争前と戦後と其発展状態を比較するに実に雲泥の差あるを認むる次第なり、即ち此戦役が我が商工業に偉大なる刺激を与へ、右に左に進歩を促し相進みしものなり、果して然らば戦争が経済を大ならしめしものといふべく、世の論者が戦争さへあれば国は進歩するといふは斯る点より観察せるものなるべし、然らば次の三十七・八年戦役は如何、此戦役は前に云へる如く国運を睹せる大戦争なりしと雖も、戦後相手国より得し償金とては之れなく、為めに戦後経済の進歩は曩の日清役と同日の談にあらざりし、或る論者の如きは十年を経過せる今日其創痍未だ癒ゆるに至らずと悲観せるは誠に故ある事にして、外債の如き国家として安心の出来ざるもの未だ創を止めり、又輸出入関係の如き物貨の騰貴せるが如きも、其後の世運の進歩に関係せる事甚大なりと雖も、此戦争の影響せる点も亦決して尠からず、されば此戦争は決して経済界を進展せしめしとは断言し得ず、然れども或る物の如きは進歩発展を促がせるものもなきにしも非らず、例へば紡績糸の如き支那に対する輸出は此戦役前に比較すると非常なる進歩を見たり、其外絹織物の如き其他此戦役の為め輸出貿易を増加せるものも決して尠なからず、故に此戦役と雖経済界に妨害を与へしのみとは言ひ得ざるなり、要是戦争と経済との関係は戦争は経済を妨害するものなれども、又是れを発達せしむる事もありと断言し得る次第なり而して其如何なる戦争が経済を援け、其国を発達せしむるか、又其れを害し、国を衰亡に帰せしむるかと云へば、其戦争が道義に反せる即ち義軍ならざる戦争なれば必ず其国を衰亡せしめ、商工業を妨害するは前に述べし好戦国の国を亡ぼせると同一なり、反之其戦争が道義に合ひ国家として立たざるべからざる所謂義軍なりし時には、其戦争に要する経費は前と同一なるも一般国民の気力が相違するもの故、其戦後に必ず国運の発展を見るものなり、故に戦争と経済は原則としては相反するものゝ如きも、又相一致するものにして、或場合に於ては国家に甚大の利益を与ふるものなり、帝国に於ける既往の状態を判断するに、前言の如く幾多の国難に遭遇せしと雖も何れも皆義軍なりし故多少の災害を蒙りしと雖も国運は漸次増進して今日に至れるは、吾人国民の共に常に喜びを禁ずる能はざる処なり。
 - 第48巻 p.495 -ページ画像 
翻つて現時の戦争を見るに、帝国は東洋平和の為め日英同盟の義務として余儀なく立ちし義軍なるは玆に喋々を要せず、先きに青島は陥落せりと雖も今後の責任は経済の双肩に在り、されば如何の方法によれば此の東洋の平和を確立し義軍の効果を納め得べきか、又支那の開発は如何なる方法によるべきかは大いに攻究すべきの重大問題なり、是れ一部は政治外交上の問題なるも、主なるものは経済上の問題なりと信す、余は今彼地の処分方法を云々するの資格なきも、折角の戦勝も名誉も今後の政治経済上に於て失敗する如き事ありたらんには、誠に残念なるの状態に至るべきにより、政治家も実業家も今は最も覚悟すべきの秋なりと信ず、而して青島の事は隣国に対する問題なり、東洋の平和を維持するは支那と力を合せて彼国の文物の開発を力むるに在り、是れ現時我が政治家経済家の心を止めつゝある処なり、今後唯支那の開発に全力を注ぎ彼地天与の宝庫を切り開き、以て東洋永遠の平和維持に努めざるべからざるなり。
次に欧洲に於ける戦後の経済界は如何になり行くべきか、之れも亦全く、予想困難なり、欧洲経済界は第二として我が国が如何なる状態を保ち行くべきか、其維持は如何になすべきかは最も考慮を要する重大問題なり、我国現時此欧洲戦乱により蒙むれる打撃は甚大にして、一例を挙げんに彼の生糸貿易の如き甚だしき衰頽を来たせり、相場の如きも百斤に付千円以上なりしが七百円位に下れり、一般当業者は半額に下るに非らざるかと憂ひつゝあるものすらあり、若し万一斯くの如き場合に立ち至らば輸出額一億八千万円は遂に九千万円となり、従つて我が正貨は其れ丈け減ずる勘定となるべく、斯る状態に在る当業者の困難は想像に余りある次第なり、其他絹織物の如き、紡績糸の如き数へ来れば十指も是れ足らざる次第なり、尚此戦争の影響としては物貨の沈滞、為替の不円滑、海運の危険等ありて、国民は斯る困難に打勝ち進まざるべからず。
実物は人心を厳しく教訓するものなれば、此の貿易上の悲観、物貨の沈滞は厳しき教訓を国民全体に与へる事は必然の次第なりと思惟す、若し是れをして国民全体が真に之を利導し従来の奢侈放慢の風習を挙国一致注意し、日常の使用品は凡て国産により之れを便じ、各々産業の発達を勉励して以て海外輸出に努むる時には、是等此戦乱に因る困難は容易に打勝ち得て益々国家産業の発達を見るに至るべきなり、然れども国民は是れのみにては未だ満足すべきに非らず、此欧洲大戦乱未だ治まらざるの内に凡ての方面に意を注ぎ置き、来るべき戦役に備へざるべからず、例へば機械化学工芸の如きも戦後欧洲に於て大いに其力を減ずるに至るべし、又商業範囲にも非常なる変化を与ふべし、此戦後世界地図の上に変化を与ふると共に商業地図の上にも亦変化を来たすべきは必然たり、斯る時代に我が国は貿易の発展を計り他国に代つて世界の商権を把握するの大覚悟を持たざるべからず、而して此大戦乱後の経済は大いに発展すべきは誠に明かなり、何となれば帝国は交戦国にして而かも仁義の戦なる故に、甚大の教訓を国民に与へつつあれば必ず国の富を増す事は必然たり、吾人は此戦争の与へし教訓を忘れ、此千古未曾有の大戦争を無意味に終らしめざる様充分努めざ
 - 第48巻 p.496 -ページ画像 
るべからず。
△東京毎日新聞所載 経済は平和によつて発達するものである。既に経済の発達がこの原則の上に立つて居る以上、戦争と経済の発展とは一見矛盾するもののやうであるけれども、必ずしもさうとばかりは云へない。
歴史上から観察するに、我国に於ては元亀天正の戦国時代から、徳川氏の元和偃武にかけての一百年の間、西洋に於ては十字軍の戦役及び百年戦役等、何れも経済界・実業界に大打撃を与へた。斯様な例を基として論ずれば、戦争が経済の発展を害すると云ふことは、強ふべからざる真理である。
然るに明治になつて、維新から十年及び三十七・八年まで度々戦争があつたにも拘らず、経済界の大勢は進歩する一方であつた。こんな例を取ると、戦争は経済界を刺戟して之が進歩を助けるかの如く見えぬでもない。
併し三十七・八年戦役後の形勢を観ずると、或点に於ては経済界に好影響を与へ、或点に於ては之を妨害したとも云へる。即ち戦後諸種の新事業が勃興し、一方では、外債償還等のために苦しんで居る。
以上の如く戦争と経済とは種々の□果を生ずるやうな関係をなして居るのであるが、是等の関係の□ちから一括した真理の抽き出されぬ事はない。それは戦争が正義の上に立ち仁義正道を本としたものであるならば、必ずその戦争は経済の発展に益すると云ふのである。
なぜ正義の戦争が経済の発展に益するかといふと、かゝる戦争に従事する国民は、正義に従ふて居るとの信念があり、随つて溢るゝやうな活力がある。故に斯る国民は戦争によつて益々経済上の発展を遂げる事が出来る。
ところが今度の戦争の如きは、我国が主唱者であるわけでもなく、関係する所も局限されて居るのであるが、戦争をして居るといふことに変りはない。而も我国民は宣戦詔勅に示されたるが如く、正義の為めと且つ止むに止まれぬ時勢の要求の為めに起つたのである。此点に於て我等は前途に対して、大に心強く思ふことが出来る。
青島は既に陥落したが、欧洲の形勢は急に片付きさうもない。我国人は東洋に於て、今後益々経済的の発展を遂ぐる覚悟と共に、欧洲戦乱の現状・未来に関して慎重なる考察を廻らし、義の為めに起つて戦争に加はつた事から生ずる当然の美果を収めるやうに努力しなければならぬ。