デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
2款 聯合国傷病兵救援会
■綱文

第48巻 p.498-499(DK480145k) ページ画像

大正3年10月8日(1914年)

是日、駐日フランス国大使及ビベルギー国代理公使ノ主唱ニヨリ、当会設立セラレ、栄一、評議員ニ推薦セラル。


■資料

中外商業新報 第一〇二二六号大正三年一〇月一〇日 ○傷病救援会設立(DK480145k-0001)
第48巻 p.498 ページ画像

中外商業新報 第一〇二二六号大正三年一〇月一〇日
    ○傷病救援会設立
今回仏国大使エ・ルギヨー氏及び白耳義代理公使ド・ワルゼー・デルマル氏発企となり、我が閑院宮殿下の御庇護を賜り、大隈首相・同夫人・加藤外相・同夫人・若槻蔵相・同夫人以下、朝野貴紳淑女百余名の賛助を以て聯合軍傷病兵救援会を設立し、広く一般の義士仁人の同情に訴へ金品の義捐を得て之が救済の道を講ずることゝせり、而して八日同会設立と同時に発表せられたる評議員並に常務委員左の如し
 △評議員 仏大使エ・ルギヨー△白代公ド・ワルゼー△平山成信△子爵花房義質△男爵辻新次△男爵石黒忠悳△法学博士水町袈裟六△男爵渋沢栄一△桜田助作△男爵阪谷芳郎△町田重備△伯爵寺島誠一郎△木村甚三郎△プリリンスキー△川嶋忠之助△アンドレー△曾我祐邦△ブロツクホイス△黒田清輝△法学博士富井政章△渡辺千冬△栗塚省吾△大越成徳△男爵村木雅美△カロワー△村田惇△同令夫人△馬屋原二郎△アンリツヒ△男爵郷誠之助△工学博士古市公威△男爵伊東義五郎
 △常務委員 エ・ルギヨー△黒田清輝△ド・ワルゼー△渡辺千冬△△川嶋忠之助△大越成徳△曾我祐邦△桜田助作△町田重備△カロワ令夫人△木村甚三郎△工学博士古市公威△ブリリンスキー△男爵伊東義五郎△アンドレー(代)カロワー


竜門雑誌 第三一八号・第六六頁大正三年一一月 ○平和協会晩餐会(DK480145k-0002)
第48巻 p.498 ページ画像

竜門雑誌 第三一八号・第六六頁大正三年一一月
○聯合軍傷病兵救援会 今回仏国大使エ・ルギヨー氏・白耳義代理公使ド・ワルゼー・デルマル氏発企となり、我が閑院宮殿下の御庇護を賜り、尚ほ朝野貴紳令夫人百余名の賛助を以て聯合軍傷病兵救援会を設立し、広く一般の義士仁人の同情に訴へ金品の義捐を得て之が救済の道を講ずることゝなりし由なるが、右は十月八日を以て成立を告げ青淵先生にも同会評議員に推薦せられたり。


中外商業新報 第一〇二三三号大正三年一〇月一七日 ○傷病兵救援会 愈々救援に着手(DK480145k-0003)
第48巻 p.498-499 ページ画像

中外商業新報 第一〇二三三号大正三年一〇月一七日
    ○傷病兵救援会
      愈々救援に着手
今回の戦役に於ける日仏白聯合軍の傷病兵に対し、温袍其他の必要品を寄贈し救護の意を表する為めに、今回仏国大使エ・ルギヨー、白耳
 - 第48巻 p.499 -ページ画像 
義公使ド・ワルゼー・デルマンの両氏率先し聯合軍傷病兵救援会なるものを組織し、麹町区内幸町一丁目三番地に事務所を設置したるが、殊に閑院宮及び同妃殿下・東伏見宮及び同妃殿下・梨本宮及び同妃殿下の御庇護を賜り、賛助員には松方侯・大隈伯・加藤男・若槻蔵相を始めとし、一条・二条両公爵以下朝野の有力者数十名を網羅し、評議員は寺島伯を始め花房子爵、石黒・高木(兼寛)・渋沢・阪谷・辻・伊東(義五郎)・村木・郷の各男爵以下数十名にして、寄附金申込所は第一銀行・三井銀行・三菱銀行部・日仏銀行東京支店及仏国大使館等にして、既にシヤツ其他傷病兵用の衣服数千円を購入し、来る廿四日の船にて戦地へ輸送する事となりたり


中外商業新報 第一〇二三九号大正三年一〇月二三日 ○救援品の第一荷 傷病兵救援会活動(DK480145k-0004)
第48巻 p.499 ページ画像

中外商業新報 第一〇二三九号大正三年一〇月二三日
    ○救援品の第一荷
      傷病兵救援会活動
仏国大使・白国代理公使発起の下に朝野各方面の同情を集め得たる日仏白聯合軍傷病兵救援会は既に三井・岩崎両家の各五千円、鍋島侯・日仏協会・築地天主教会の各五百円、大隈伯・仏国大使各三百円、加藤外相二百円、白耳義公使百円等を始めとして約二万四千円の寄附金を得、先づ女子商業、三輪田・成女・家政・渡辺裁縫・仏英和等の女学校及び三越呉服店工場に托して綿入温袍六百枚、綿フランネル下着二千五百枚、縞フランネル千二百枚、莫大小上下千五百組を調製し、之れにシーツ二百枚を加へ、二十二日午前より三越呉服店内にて之れが第一回の発送をなすべく、伊東義五郎男爵夫人は仏国大使夫人及び同令嬢と共に事務員を督して之を処理し居たりしが、右は荷造の上廿四日正午横浜出帆の智利丸に積込みマルセーユに運び、仏国赤十字社を経て仏白両国傷病兵に分与せらるべく、猶今後数回に亘りて青島に於ける我軍傷病者にも発送すべしと云ふ


中外商業新報 第一〇三二一号大正四年一月一五日 ○聯合軍救援締切期(DK480145k-0005)
第48巻 p.499 ページ画像

中外商業新報 第一〇三二一号大正四年一月一五日
○聯合軍救援締切期 仏蘭西大使及び白耳義代理公使の首唱に係る聯合軍傷病兵救援会に於ては、今日まで其寄附金々三万八千七百五十二円七十五銭に達せるが、寄附金募集も本月末を以て一先締切となす由


中外商業新報 第一〇三三九号大正四年二月二日 ○聯合軍救援成績(DK480145k-0006)
第48巻 p.499 ページ画像

中外商業新報 第一〇三三九号大正四年二月二日
○聯合軍救援成績 昨年十月仏国大使及白国代理公使の主唱に成る聯合軍傷病兵救済会は、本部を東京に、大阪・神戸・京都に支部を置き義捐金の募集に着手し、一月三十一日を以て締切り一段落を見たるが総金額は五万円に達し、内四万円は物品を購入し既に輸送済となれり尚支部に於ける募集金額左の如し
 △大阪五千円△京都二千円△神戸二千七百円