デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会
■綱文

第48巻 p.551-560(DK480156k) ページ画像

大正6年7月23日(1917年)

是日当会、評議員会ヲ華族会館ニ於テ開ク。栄一出席シテ経過ヲ報告シ、且ツ寄付金処分案ヲ定メ、当初ノ目的タリシ慰問使派遣ノ件ハ中止トス。


■資料

竜門雑誌 第三五〇号・第一二九頁 大正六年七月 ○聯合国傷病兵罹災者慰問会の状況(DK480156k-0001)
第48巻 p.551 ページ画像

竜門雑誌  第三五〇号・第一二九頁 大正六年七月
○聯合国傷病兵罹災者慰問会の状況 六月十日を以て締切りたる同慰問会の寄附金総額は、皇后陛下の御下賜金を併せ未払分共百九十三万数千円を算するに至りたるを以て、同会副総裁青淵先生は寺田衆議院書記官長及び津久井同院書記官と同十六日衆議院図書館に参集協議の結果、同会の事務整理を六月中に終了する事並に同金額分配方法は追て案を樹て近く評議員会を開きて附議する事に決定したる由なるが、右に関し青淵先生は左の如く談られたる旨同月十四日《(五)》の時事新報○次掲は報ぜり
○下略


時事新報 第一二一五七号 大正六年六月一五日 ○慰問金は二百万円 =各国へ現金で贈ることにする= 駐在の大公使に依頼して(渋沢男爵談)(DK480156k-0002)
第48巻 p.551 ページ画像

時事新報  第一二一五七号 大正六年六月一五日
    ○慰問金は二百万円
     =各国へ現金で贈ることにする=
      ◇駐在の大公使に依頼して――(渋沢男爵談)
聯合国傷病兵慰問の金も、今は百九十万円以上に上りまして何うにか二百万円にも達しようとして居ます、今月末迄には金も全部集まる事でせうから、近く
☆慰問の方法 に就いて協議する事になつて居ります、初め政府の助力をも仰いで五百万円位にもしてと思はぬでもありませんでしたが、矢張り政府の力に頼らず、民間丈けでやる方が宜しいといふ事になつて、皇后陛下の篤い思召に基いて十万円を一緒にして、幸にも予定の結果を得ました、固より此額は甚だ尠いのでありますが、日本が聯合国の一国で有りながら戦争から遠いので、惨禍を蒙らざるのみか、却つて利益をして居る様な訳なので進んで
☆同情の心を 表さうといふのですから喜んで受けて貰はねばなりません、扨て此の発送の方法でありますが、私一個の考へとして、先頃も英・露両国に居る珍田・内田の両大使に相談もして見ましたが、それに依るとどうも之ぞと言ふ物品も見付からぬから、何れ各国に此種の慰問金と同性質な金も有る事でせうから、現金で分配して、其内へ加へて貰ふ方がよからうと思ひます、そして之が送達の方法も、相当の人に行つて貰へば贈呈する方からの礼儀になるので先方でも之を受くるに
☆失費や手数 がかゝる事で、それでは慰問して却つて迷惑をかける様な事になりますから、寧ろ各国駐在の大公使に依頼して先方へ届ける方が双方の利便であると思つて居ります云々


東京日日新聞 第一四六〇三号 大正六年六月一九日 ◇聯合国の傷病兵に贈る 慰問の二百万円 昨日、外相と渋沢男が会見して分配方その他の相談をした(DK480156k-0003)
第48巻 p.551-552 ページ画像

東京日日新聞  第一四六〇三号 大正六年六月一九日
 - 第48巻 p.552 -ページ画像 
    ◇聯合国の傷病兵に贈る
      慰問の二百万円
      =昨日、外相と渋沢男が会見して
        =分配方その他の相談をした
徳川家達公と渋沢男が中心となり民間有力者から募つた聯合国傷病兵罹災者慰問金は、本月中未払金十八万円を集め、此処に二百万円を得る事になつた、此の集まつた金の分配は何ういふ方法を執つてよいか又交戦国に依り慰問すべき
 ◇傷病兵の数 も異り従つて贈呈額の率を定める必要があり、其他事務整理上種々打合せを要するので、渋沢男・寺田衆議院書記官長・津久井同院書記官は過日午後二時より衆議院図書館に集まつて協議し其の結果渋沢男は昨日本野外相と会見していろいろ相談の上、本月下旬若しくは
 ◇来月上旬に 委員会を開き同会に於て総てを決める事になつた、而して其大体の方針は各国への贈呈金額を定むる前に、国々の傷病兵罹災者の数を調査する必要があるので、その調査方を外務及陸海軍三省に依嘱し其数に比例する筈である、然るに現金を贈るか又物品を贈るかに就いては、曩に
 ◇聯合各国に 駐在の大使の意見を求めた為、差当り適当の物品が無からうとの返事があつたので現金を贈る事に内定してゐる、それでこの現金を贈るについて一々慰問使を派遣しやうといふ説もあつたがそうなれば先方からも
 ◇答礼の為め 人を派さねばならぬといふ面倒もあり、且時節柄航海の危険もあるのでこれは見合せ、聯合各国に駐在の我大公使の許に現金を送付し、その手から分配して貰ふ事になるであらうといふ


聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編 第二三―三〇頁 大正六年一二月刊(DK480156k-0004)
第48巻 p.552-555 ページ画像

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編  第二三―三〇頁 大正六年一二月刊
    七 役員総会
本会の事務は専ら徳川総裁・渋沢副総裁及常務委員において処理し来りしが、寄附金も略予定額に達したるを以て、諸般の報告、慰問使の派遣及慰問金の分配等に就き協議の為め、七月廿三日華族会館に於て評議員会を開会せり、出席者左の如し
   徳川総裁   渋沢副総裁 公爵一条実輝
   中野武営   和田豊治  侯爵黒田長成
   串田万蔵   福原有信    添田寿一
   藤山雷太   増田増蔵    谷森真男
 子爵酒井忠亮   堀越角次郎   坂井徳次郎
   漆間真学   山川瑞三    柳田国男
   寺田栄
午前九時開会を宣するや、徳川総裁より評議員会開会に関する挨拶を述べ、次に渋沢副総裁より本会経過の大要を述べ、慰問の方法及寄附金の処分に関する左の議案に就き、評議員の意見を求めたるに異議なく可決せり
      評議員会協議事項
 - 第48巻 p.553 -ページ画像 
 一、慰問使派遣の件
  慰問使派遣は之を見合すこと
 一、寄附金処分の件
  (一)寄附金の内金百九拾弐万円を慰問金とし、英・仏・露・伊・白の五ケ国に金参拾六万円宛を、ルーマニア及セルビアの二ケ国に金六万円宛現金を以て送付のこと
  (二)英語及仏語の慰問号を作成し、之を聯合国に送付のこと
  (三)前記の処分左の如し
   一金百九十七万八千八百九十四円参拾七銭七厘《(四)》 収入総額
      内
     一金百九拾弐万円    慰問金
     一金壱万円       慰問号作成費
     一金四万八千八百五拾参円参拾参銭壱厘
                 本部並地方事務費
     一金四拾四円壱銭六厘  残額
 一、残務整理の件
  残務整理及残金処分は常務委員会に一任すること
渋沢副総裁の挨拶
 本会寄附金の終了は種々の事情に依り延期し来りたるが、五月限りにて一先締切とし、爾来之れが整理に従事して略完了したるを以て本日は其報告を兼ね、寄附金整理の件及慰問使派遣の件其他重要なる案件に就き、御協議致度御来会を煩はしたる次第なり
昨大正五年末に当りて渋沢栄一・中野武営等欧洲の戦乱既に数年に渉り、聯合国の惨状見るに忍びざるものあるを慨き、実業界の諸有志相謀り、何等かの方法によりて民間における寄附金を取纏め慰問使を派遣して、以て聯合国における傷病兵及罹災者を慰問致し度との計画を立て、之を徳川貴族院議長及島田前衆議院議長に相談したるに、何れも熱心に同意致され、更に寺内首相及本野外相に御話致したる処、右は国交上よりするも至極機宜に適したる処置なるに付自分等も助力可致に付、早速其取計を為したる方然るべしとのことにて、本年一月十七日首相官邸に於て有志一同参集協議の上、本会設立のことを決し、徳川公爵を総裁に渋沢栄一及島田三郎を副総裁に、大倉喜八郎及近藤廉平を会計監督に、中野武営・大橋新太郎・柿沼谷雄・和田豊治・安田善三郎・早川千吉郎・串田万蔵・柳田国男・岡崎国臣を常務委員とし、而して本会の事務は前年に於ける水害救済会及凶作救済会の例に依り、之を衆議院に嘱託し、岡崎書記官長事務に鞅掌せられたるも、同氏休職後は寺田書記官長専ら之に鞅掌せられて今日に及べるなり
常務委員会は二月初旬までは殆んど連日開会し、大小の事務を評議処理し、一月二十日には東京諸新聞社及通信社を招待して本会の挙に対して賛同を乞ひ、一月下旬に於て各省次官・地方長官・殖民地民政長官等に対する寄附金募集の依頼状、及東京並に各地方に於ける有志に対する寄附勧誘状約七万余通を発送せり
二月一日、東京及地方新聞二百五十余社に対し、寄附金募集広告の
 - 第48巻 p.554 -ページ画像 
無料掲載の事を依頼して其承諾を得たり
二月初旬、地方官会議開かれたるを以て、十日開会の際、寺内首相及渋沢副総裁より本会設立の経過を述べ、寄附金募集に関し特に尽力を得たき旨を依頼し、十三日には地方長官随行員及殖民地出張員を帝国ホテルに招待し、各府県及殖民地の予定募集額及募集方法に付打合せを為せり
東京における主なる有志者に対しては、本会に於て直接勧誘の方法を採るべきも、其以外の勧誘に関し依頼を為すため、二月十日東京市長及各区長を帝国ホテルに招待して種々の打合を為せり
二月十二日、首相官邸に於て市内有力なる実業家を招待したるに、出席者五十余名にして、席上直ちに寄附簿に署名せられたる者三井男爵を初め二十三名、其寄附金額四十五万一千円に達せり
二月十九日、貴族院議長官舎に華族諸家を招待し、寄附金応募の勧誘を為せり
渋沢副総裁は三月十四日東京出発、十五日には神戸に於て、十六日には大阪に於て、十九日には京都に於て、二十一日には名古屋に於て、地方有志者の会同を求め、寄附金募集の勧誘を為し、同二十二日帰京せられたり、而して神戸に於ては会同の席上に於ける寄附金の申込高金拾万円以上に達せり
前記の如く寄附金募集〆切期間の延長と、本部役員及地方官の尽力とに依り、寄附金額は殆んど予定額に達せり、固より十分の成績なりと云ひ難きも、今日の場合に於ては這般の成績を以て満足するの外なかるべしと信ず
即ち寄附金は御下賜金及利子を合せて
 総額
   金百九拾七万八千八百九拾七円参拾四銭七厘
にして、其内訳は左の如し
 金拾万円             御下賜金
 金百八拾弐万五千九百七拾弐円拾七銭七厘
                  寄附金額
 金参万円  愛知県より送附し来るべき寄附金
 金弐万弐千九百弐拾五円拾七銭   概算利子
本会寄附金の募集は当初可成早く終了なしたき見込にて、三月三十一日を〆切期限となしたるも、当時衆議院議員総選挙に際せしを以て、各地方長官は寄附金募集に従事するを難し、且総選挙の取締上総選挙施行後迄延期せよとの希望なりしも、戦況の如何も測り難きを以て、成るべく予定通りに〆切る方針にて進行したり、然るに其後各地方より慰問金募集の挙あること漸く知れ渡りたる時に当りて直に〆切と為すは、地方人民の遺憾尠からざるに付、暫く〆切期限を延引せられたき旨の請求ありたるを以て、更に常務委員会に於て協議の末、五月十五日迄之を延期することに決定せり
各地方に於ける寄附金払込は、今日に於ては、愛知県及其他の数人を除くの外全部到達整理せり、尤も愛知県よりも一両日中には送金あるべき筈なり
 - 第48巻 p.555 -ページ画像 
右寄附金処分慰問使派遣等に関しては、疾く本会を開きて御協議を請ふべき筈なるも、時恰も臨時議会開会の為め事務担当者に寸暇なかりしを以て余儀なく延引したるが、臨時議会も去る十五日を以て閉会したるに付、翌十六日常務委員会を開き、本日は評議員会に於て是等重要の案件の御評決を得んが為め御会同を煩はしたる次第なり、依て今日迄の経過概要を略述して御報告致します
次に本日御評議致すべき事項は慰問使派遣の件、寄附金処分の件及残務整理の件にして、第一慰問使派遣の件は当初之を特派するの考なりしも、今日に於ては其人選に頗る困難にして、之を特派するに当ては多額の費用を要し、而も今日に於ては之を寄附金中より支弁するの外他に其途なく、且之に関する聯合与国駐箚帝国大公使の意見を徴したるに、慰問の為め特使を派遣し、戦時多忙の際先方に手数を掛くるは面白からずとの回答に接し、殊に目下航海甚だ危険の際にもあれば、旁慰問使特派の件は之を見合すことに致したし
第二慰問金処分の件は、寄附金の内百九十二万円を慰問費に充て、英吉利・仏蘭西・露西亜・伊太利及白耳義の五ケ国に金三十六万円宛合計百八十万円を、セルビア及ルーマニアに金六万円宛合計十二万円を、現金を以て贈与することに致したし、実は去る十六日開会の常務委員会に於ては金六十万円を戦禍最も甚しき白耳義に贈与し残り百二十二万円を英・仏・露・伊の四箇国に均分に贈与することとし、英・仏両国に対しては先方の希望も有之を以て、右の費途を以て医師派遣の議もありしが、国交上の関係其他種々調査の結果、英・仏・露・伊・白の五ケ国には平等に現金を以て贈与することを適当と認め、前述の分配案を立案したる次第に付、是に関して御評決を煩はしたし
残額五万八千余円の内、一万円は慰問号作成費に、金四万八千八百五十三円三十三銭一厘は本部並地方事務費に充当せんとす
慰問号は欧洲駐箚の大使よりの報告に依り、之を必要と認めたる次第にて、其内容は聯合国傷病兵罹災者に対する帝国人民の同情及本会の経過を英語及仏語を以て編纂し、之を聯合国に送附し、当路者及新聞社等に配付し、本会の挙を周知せしめんが為なり
次に残務整理の件は之を常務委員に委託するの見込なり、本会事務費は支払済のもの及将来支払ふべき《(も脱)》のを合計して四万八千八百五十三円三十三銭一厘にして、之を総寄附金額に比すれば其歩合二分四厘五毛なり、而して其内地方事務費は二万三千五百九十三円八十三銭一厘にして、之を地方募集額と認むべき金額約九十万円に割当つれば、其歩合二分六厘に当り、又本部事務費は総額二万五千二百五十九円五十銭にして、之を寄附金額に比すれば、其歩合一分三厘の割合なり、而して慰問号作成費金一万円を要するを以て、事務費と合算せば金五万八千八百五十三円三十三銭一厘にして、残額四十四円一銭六厘となるも、是は予算額に付、此上に過剰を生ずるやも測り難く、又磅・留・法等為替の換算より生ずる端数は可成補充して単位以下の金を送らざる様なしたき考なり、之等残務の整理、残金の処分等は総て之を常務委員に一任せられんことを希望す

 - 第48巻 p.556 -ページ画像 

竜門雑誌 第三五一号・第九八―九九頁 大正六年八月 ○聯合国傷病兵罹災者慰問会評議員会の決議概要(DK480156k-0005)
第48巻 p.556 ページ画像

竜門雑誌  第三五一号・第九八―九九頁 大正六年八月
    ○聯合国傷病兵罹災者慰問会評議員会の決議概要
 聯合国傷病兵罹災者慰問会にては七月廿三日華族会館に於て評議員会を開き、総裁徳川侯爵・副総裁青淵先生を始め、各評議員並各関係者出席の上、前記総裁及副総裁等より諸般に亘る同会の詳細なる経過報告ありて後、慰問方法其他に関し協議する所あり、結局左記の如くに決定したる由
 一慰問使派遣は之を見合すこと
 一寄附金の内百九拾弐万円を慰問金として英・仏・露・伊・白の五箇国に参拾六万円宛、ルーマニア及セルビアの二箇国に六万円宛現金を以て送附すること
 一英語及仏語の慰問号を作成し、之を聯合国に送附すること
 一前記慰問金は慰問号出来期即ち八月卅一日を以て送附すること
 一残務整理及残金処分は常務委員会に一任すること
以上、尚ほ同会の収支予算は左の如しと。
    △収入之部
 一金百九十七万八千八百九十七円三十四銭七厘
               収入総額
      内訳
 一金拾万円         御下賜金
 一金百八十五万五千九百七十二円十七銭七厘
               寄附金
 一金二万二千九百二十五円十七銭
               利子概算八月三十一日迄
    △支出之部
 一金百九十七万八千八百九十七円三十四銭七厘
               支出総額
      内訳
 一金百九拾弐万円      慰問金
 一金壱万円         慰問号作成費
 一金四万八千八百五拾参円参拾参銭壱厘
               地方並本部事務費
  差引
   金四拾四円壱銭六厘 残金


渋沢栄一書翰 杉田富宛 (大正六年)七月三一日(DK480156k-0006)
第48巻 p.556-557 ページ画像

渋沢栄一書翰  杉田富宛 (大正六年)七月三一日   (杉田富氏所蔵)
○上略
乍序申上候ハ当春御心配相願候傷病兵慰問会寄附金之事も客月中ニ募集相済、近々各国へ贈付之筈ニ御坐候、特使派遣之代りニ慰問号と申雑誌を作り名士之所感及本会設立之手続等詳細ニ記載して、帝国々民之如何ニ此事ニ熱心なるやを欧洲人へ相伝候積ニ御坐候
○中略
  七月三十一日
 - 第48巻 p.557 -ページ画像 
                     渋沢栄一
    杉田賢兄
      坐下

「神戸市栄町第一銀行」 杉田富様 親展 「東京日本橋区兜町」 渋沢栄一
伊香保客舎ニ於て 七月三十一日


渋沢栄一書翰 野口弘毅宛 (大正六年)七月三一日(DK480156k-0007)
第48巻 p.557 ページ画像

渋沢栄一書翰  野口弘毅宛 (大正六年)七月三一日   (野口弘毅氏所蔵)
○上略
乍序申上候ハ、当春老生貴地ニ罷出御心配相願候聯合国傷病兵慰問会之事も先以好都合ニ寄附金募集出来いたし、過日評議員総会ニて処分案も決定し、目下慰問号なる雑誌編成中ニ御坐候、総額弐百万円ニ満たさりしハ残念ニ候得共、各国へ対し相応之分配と相成、殊ニ白国抔之公使ハ満足之旨老生まて厚く被申出候、右等も知事及有力者之御尽力之結果ニ付厚く御礼申上候
○中略
  七月三十一日
                     渋沢栄一
    野口賢契
      坐下
○下略


渋沢栄一書翰 増田明六宛 (大正六年)七月三一日(DK480156k-0008)
第48巻 p.557 ページ画像

渋沢栄一書翰  増田明六宛 (大正六年)七月三一日   (増田正純氏所蔵)
出立後貴地別条無之と遥祝いたし候、当地ハ予想以上之冷気ニて到着之夜抔ハ夜中擁衾眠と申程ニ御坐候、例之慰問号ニ掲載すへき所感昨日まてニ修正を加へ封入さし上候、原稿と修正之分共并而御廻申候間御読合被成、相違之処ハ御加筆相成、至急中塚氏へ御渡被下度候
慰問号之出来ハ八月中旬ニ可相成と存候得共可成延引せさる様前以御掛合置可被下候、老生ハ八月十四日頃より軽井沢へ立越し二・三泊にて十六・七日ニハ帰京之積ニ付、雑誌之成本も是非其頃ハ間ニ合候様篤と御引合有之度候
○中略
  七月三十一日
                         栄一
    明六様
      坐下


渋沢栄一書翰 増田明六宛 大正六年八月二日(DK480156k-0009)
第48巻 p.557-558 ページ画像

渋沢栄一書翰  増田明六宛 大正六年八月二日   (増田正純氏所蔵)
○上略
 - 第48巻 p.558 -ページ画像 
慰問号之事ハ中塚留守中ニ候ハヽ代理之人ニ篤と申談し、且平山氏へ伝言いたし雑誌編纂及成本之取運方違却無之様御注意有之度候、老生之心配ニてジヤッパン・マカジン社へ依頼せしを、中塚不在之為手違有之候而ハ社之不信用と同時ニ老生も不面目之訳ニ候、其辺も丁寧ニ御示し置可被下候
○中略
  八月二日夜
                       栄一
   明六様

東京日本橋区兜町渋沢事務所ニテ 増田明六様 要件親展 伊香保 (別筆) 「拝答済」 渋沢栄一
大正六年八月二日


東京日日新聞 第一四六五四号 大正六年八月九日 余録(DK480156k-0010)
第48巻 p.558 ページ画像

東京日日新聞  第一四六五四号 大正六年八月九日
余録 徳川公・渋沢男を中心として募集した聯合国慰問の義捐金は兎に角二百万円以上も集まつた△此金の処分に就て委員連が色々評議した結果決めたのは、同じ聯合国の内でも白耳義は惨状最も甚だしいので先づ百万円は同国に贈ることゝし、残りの百万円は聯合国全部中我邦と直接関係の無い巴爾幹の諸国を除いて英・仏・露三国に均等に分配し、夫もタツタ卅万円ばかりを金で贈るのも変だから、其金の有る丈け衛生材料に人を附けて派遣したら可いだらうと云ふことになつて△此決定を委員から渋沢男に相談すると、男は直に賛成し徳川公も同意して呉れたので、最後に寺内首相へ相談に行つた△所が委員の説明を聞いた首相は言下に反対し、トウトウ各国均等に金で分配されることにしたさうだが、こゝらが寺内式とでも云ふのだらう


聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編 付録・第三―七頁 大正六年一二月刊 【慰問金醵集の由来 男爵渋沢栄一】(DK480156k-0011)
第48巻 p.558-560 ページ画像

聯合国傷病兵罹災者慰問会報告書 同会編  付録・第三―七頁 大正六年一二月刊
    慰問金醵集の由来
           聯合国傷病兵罹災者慰問会副総裁男爵渋沢栄一
 昨年末から東京の有志者間に於て唱道されたる聯合国傷病兵及罹災者に対する慰問の事は、本年一月より慰問会を設立し、東京市を始めとし、皇国一般に其趣旨を宣伝し、国民相競ふて同情を寄せ来り、玆に其寄附金も完結し、八月中には聯合国に分配することになつた、それについては特に此会の成立せし顛末を記載し、且つ其発起の精神は斯様であると云ふことを、首唱者は勿論帝国の政治家又は学者等から各其所感を披瀝して、一の慰問号を作り、聯合国の政府及其他の各方面に実況を報道するといふ本会評議員の議決は、洵に此挙に対する最上の方法と、私は歓喜して賛成したのである、私は此会の賛成者と云ふよりは寧ろ主道者の一人であるから、歓喜の余りに讚辞を述べるこ
 - 第48巻 p.559 -ページ画像 
と、恰も自画自賛の嫌があるけれども、併し私が此会を発起したのは実に必要のことゝ思惟し、其事柄の機宜に適するゆへに、国民一般に必ず同情すると確信したからである、故に今其成行を玆に具陳し、慰問号に記載して聯合国の各方面に送呈するのは適当の方法と思ふ
 先以て事の起りを申述べると、今日より三年前の八月、欧羅巴に於て此大戦乱の起つたのは、吾々東洋人からは実に意外なる事であつて所謂晴天の霹靂の発したような心地がしたのである、而して其事情を新聞紙其他の報道によりて承知すると、種々なる原因はあるやうだけれども、帰する処は弱肉強食を以て唯一の国是とするものと、正義人道に基き弱を助け強を挫くを努むるものと、換言すれば侵略主義と平和主義との衝突と云ふて差支へないように思ふ、是を以て我帝国は侵略主義に同意することは出来ぬ、況んや英国との同盟から、遂に聯合国に加入することになつたのである、而して我政府が此決断をしたのは、国民の全然同意する処であつた
 戦乱の発源地から数千里隔つた東洋に於て、膠州湾の一角に我帝国の力に依りて一の襲撃が始まつたのは、素より好からぬことではあるけれども、前陳の主義を重むずる以上は已むを得ぬのである、故に吾吾国民は此襲撃の成る可く早く鎮定するように希望して居つた、幸に其年の十一月七日吾々の予期せしより早く青島は陥落し、我国民は聯合国に対して大に面目を施したのである、尋で東洋若しくは南洋の制海権の安固又は群島の占領は《(衍)》も帝国の力に依らねばならぬと云ふ場合になつて、総て好都合に取運んだと思ふ、但し私は局外者であるから詳細の手続を玆に述べられぬけれども、要するに帝国陸海軍人の忠勇義烈と其苦心努力によりて、満足の効果を得たのである、帝国が是等の任務を果して東洋の平和を維持したことは、聯合国も喜んで居るであらう、吾々帝国臣民としても其事に当られた人々の勤労を感謝せねばならぬ
 欧羅巴の戦乱は何時終熄するか、如何に片付くかは、政治の局面に当つて居る人でも、決して知り得ることでなからう、況んや一般人民の窺知されぬことであるから、何時此惨禍が止むかと、吾々平和を望む身柄としては別して憂慮する処である、前にも申述べた如く、東洋の平和は先づ予期の通りに短い時日に安全の域に達したけれども、根本たる欧羅巴の形勢は益々戦線が拡大して、其間には種々なる惨酷暴戻なる事が行はれ、口にも云ひ難く筆に書き尽されぬ程の惨状が続発して、人道もなければ正義もない、全く暗黒世界であると聞いては、真に痛歎に堪へぬのである
 元来五・六十年前徳川幕府の外交を掌る頃には、欧米の国々を夷狄と見た者であつた、彼等は只功利にのみ執着して他国を侵略することを国是とする、所謂弱肉強食の豺狼である、故に日本の外交も如何なる危害を受くるかも測られぬ、当時の政府が此所に注意せず、只軍艦と大砲の威力に恐れて条約を締結するのは、帝国の為に甚だ憂ふべきものであるとの見解を持つて居た故に、一意鎖国攘夷を主張した、是は私が青年の時分世界の事情を能く知らぬ所の謬見であつた、其後段段海外の真相を知るに至りて縦令前に言ふ如き侵略的の国があるにも
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せよ、文明の進運と云ふものは国として孤独に安むずる訳にはいかぬ総じて世界は飽迄も共同的に進まねば、人文の発達もせぬ、万民の快楽の得られぬものであると覚つた、是に於て鎖国攘夷の非なるを知りて、爾来開国主義で今日に至りたれども、今般の欧羅巴の戦乱によりて昔時を追懐すると、青年の時の意見が単に謬見であつたとのみは言はれぬのである、畢竟侵略的国家には其国の物質の進歩生産の発展は却つて其暴虐なる行動を助長するの具になるやうなものだと断案せねばならぬ、然るに欧羅巴の聯合国が此間に在りて正義人道を尊重して弱肉強食主義の撲滅に努めらるゝといふことは、吾々の大にこれを多として感謝の意を表せねばならぬことである、況んや帝国も聯合国の一員たる地位に居るに於てをやである、是に於て吾々平和を愛する国民は我国が先に戦争に参加して相当なる任務を尽したにもせよ、国民戮力して聯合国の傷病兵若しくは罹災者を慰問して、無限の衷情を表明することに致したいと云ふのが、此会の起つた所以である
 当初首唱者の企図は、第一に軍事に就て災害を蒙つた人即ち病み又は傷いた兵士に対して慰問したいと云ふのであつたが、段々議が進むと、単に傷病兵のみでなく、其対手国の暴戻なる行動からして非戦闘員の惨禍を蒙りたる白耳義国民の如きは、最も同情に堪へぬ故に、趣意書にも此事を標榜したのである
 慰問会は昨年末から発起したのであるが、折柄講和問題が起つた為に、暫く其成行を見送り、本年一月初旬にこれを発表し、三ケ月にて寄附金の募集を結了しやうと思ふたけれども、時恰も国会議員の総選挙があつた為に、聊か時期を遷延し、結局六月を以て募集を締切つた而して此寄附金募集に付いては私は東京市内は勿論、大阪・神戸其他の地方を巡回して誘導に努めたのである、玆に集つた金額は僅々二百万円に満たぬのであるから、素より巨額とは云はれぬけれども、国民の精神は此金額中に籠つて居ることを私は証明するのである
 当初発起の時は特に慰問の使節を簡派したいと思ふて、其趣旨を規則書に記載してあるけれども、今日はこれを見合せて、関係の国々に駐在する帝国の代表者に依頼し、最良の方法にて吾々の意志を貫徹して貰ふようにしたのである
 此大戦乱については欧羅巴の国々が吾々の未だ曾て聞かざる数字を以て記載する程の兵を動かし、其戦費も計算の出来ぬ位の巨額である其場合に吾々の募集した慰問金員は頗る小額であつて、所謂九牛の一毛、滄海の一粟としか云はれぬ、さりながら前に縷述する如く、吾々国民は其金額の少い為に同情が薄いとは見て貰ひたくない、如何なる巨多の数字をも記載し得べき心を以て力を尽したのであるから、此慰問号を見らるゝ聯合国の諸君は、我帝国民の衷情は募集した金額の貧弱なるに似ずして頗る豊富であると受取つて欲しいのである(六年八月一日)
  ○右ハ、当会ヨリ聯合各国ヘ贈リタル慰問号ニ掲載セラレタルモノノ訳文ナリ。