デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
6款 世界大戦休戦祝賀会
■綱文

第48巻 p.585-589(DK480160k) ページ画像

大正7年11月16日(1918年)

是ヨリ先十一月十一日、世界大戦ノ休戦条約調印セラル。是日、東京交換所ノ発起ニヨル、組合銀行及ビ各代理交換加入銀行主催休戦祝賀会、丸ノ内東京銀行集会所ニ於テ開カル。栄一出席シテ祝賀演説ヲナス。次イデ十八日、フランス代理大使主催休戦祝賀午餐会、二十一日全国商業会議所聯合会主催休戦祝賀会、二十五日六協会主催休戦祝賀会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。


■資料

中外商業新報 第一一七二四号 大正七年一一月一七日 ○銀行家祝捷会 交換所の祝宴(DK480160k-0001)
第48巻 p.585 ページ画像

中外商業新報  第一一七二四号 大正七年一一月一七日
    ○銀行家祝捷会
      交換所の祝宴
東京交換所の発起にて組合銀行及各代理交換加入銀行申合セ、十六日午後三時半より銀行集会所に聯合国大勝祝賀会を開催し、来賓として渋沢男、水町日銀副総裁、木村・深井同両理事、麻生同営業局長出席池田委員長簡単に開会の辞を述べ、夫れより天皇陛下の万歳を三唱し次で右聯合各国元首の万歳を叫び祝杯を挙げ、最後に渋沢男より大要左の演説あり、午後四時散会せり
 五年の久しきに亘り聯合各国が心血を傾倒して奮戦勇闘したる結果遂に兇独を征服して勝利を全く聯合国の掌中に収むるを得たるは誠に人類の至慶とする所なり、古来邪は正に勝つを得す、独帝が一時其の暴威を振ひたるは恰も秦の始皇が一時四隣を征服したるも遂に其社稷を失ひたると同様なり、所謂天定つて人に勝つの理は始終一貫して渝らざる真理なり、而して今後平和の確立すると共に金融界は益々多事となるを以て、諸君は其対策に過誤なからんことを望む云々
又同日東京交換所委員長池田謙三氏は前日会合の決議に基き、各聯合国大使・公使及び我首相並に外務・陸軍・海軍各相に対し左の祝辞を呈せり
 休戦条約成立に就き当交換所組合銀行臨時総会の決議に依り謹んで祝意を表す
  大正七年十一月十六日
             東京交換所委員長 池田謙三


竜門雑誌 第三六七号・第八七―八八頁 大正七年一二月 ○東京手形交換所主催休戦祝賀会(DK480160k-0002)
第48巻 p.585-586 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八七―八八頁 大正七年一二月
○東京手形交換所主催休戦祝賀会 東京手形交換所主催となり、同所組合銀行及び代理交換銀行聯合の戦捷祝賀会は、十一月十五日丸ノ内銀行集会所に於て挙行されたり。来賓は日本銀行副総裁水町袈裟六氏
 - 第48巻 p.586 -ページ画像 
及び同行木村・深井の両理事、其他組合員凡そ百五・六十名、池田謙三氏立ちて一場の挨拶を述べ、天皇陛下の万歳を三唱し、次で聯合国元首の万歳を三唱して祝盃を挙げ、夫れより大要左記の如く青淵先生の祝賀演説ありて散会したる由。
 五箇年に亘れる曠古未曾有の大戦争も今や平和克復の曙光を見るに至れるは諸君と共に御同慶の至りなり、顧みれば這次大戦に於ける独逸の暴戻残虐洵に憎むべきものあり、恰も秦の始皇の横暴の夫れにも比すべし、然れども邪は到底正に勝ち難きは理の当然にして、余は当初より到底独逸の勝利を得る事能はざるべしと信じ居たり。果して今回の如き結果を見るに至りしは吾人人類の斉しく悦びに堪へざる所なり、今後平和克復成れば我々銀行家も亦之に対する所置を考慮せざるべからず、諸君に於ても夫々研究し之に応ずるの覚悟を有するものと思惟すれど、尚十分考慮し之に処せられんことを希望す。


国際知識 第一二巻第二号・第一〇―一一頁 昭和七年二月 渋沢前会長の追憶 本協会副会長法学博士 山川端夫(DK480160k-0003)
第48巻 p.586 ページ画像

国際知識  第一二巻第二号・第一〇―一一頁 昭和七年二月
    渋沢前会長の追憶
                  本協会副会長法学博士 山川端夫
    (三)
○上略 我々幾度か聞かされた話であるが、世界大戦の勃発せんとする直前故子爵は平和主義のジヨルダン博士(スタンフオード大学総長)やヱリオツト博士(ハーバード大学総長)や実業家ヴアンダーリツプ氏らと共に、大戦の勃発を可能性少きことに思ひ勃発してもあゝ迄拡大しようとは考へられなかつたようである。故人は常に己れの知識の至らなかつたことを公けの席で恥ぢて居られたが、愈々大戦も終熄し大正七年十一月十一日休戦条約が調印せられその十六日東京の実業団が朝野の名士を招いて祝賀会を開いた時、原敬首相は今回のドイツの戦敗は武力に於ては聯合国に却つて勝つて居つた位であるが、富力に於て遥かに劣つて居たためである。戦後日本は大いに富力を涵養せざる可からざる所以を述べられたのに対し、故子爵は原首相の御説は御尤であるが、聯合軍の富力には道徳力が伴ふて居たからそれで其の富力が頗る有力な勢力となり、遂に敵を降参《まい》らすことの出来る迄になつたのである。如何に聯合軍に物質上の富力のみが豊かであつても、之に道徳力が伴はなかつたら到底ドイツに勝ち得なかつたのである。つまり聯合軍の勝つたのは其の道徳の力でドイツの不道徳を破れるもの故日本の戦後は単に物質上の富力を涵養するのみ努めず、先づ第一に国民道徳の涵養に努力し、富力に伴ふに道徳力を以てし、玆に獅子奮迅の力を得、依つて以て世界の競争場裡に立つやうに致したい。道徳力の伴はぬ富力は所謂不義の栄華で浮べる雲の如く、経済戦の間に立つても到底勝利を得らるゝ迄の力は無いものであると演説せられた。
  ○「国際知識」ハ国際聯盟協会ノ機関誌。


竜門雑誌 第三六七号・第八七頁 大正七年一二月 ○仏国大使休戦祝賀午餐会(DK480160k-0004)
第48巻 p.586-587 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八七頁 大正七年一二月
○仏国大使休戦祝賀午餐会 仏国代理大使デカシユール公は、十一月
 - 第48巻 p.587 -ページ画像 
十八日正午大使館に於て休戦祝賀の午餐会を催し、渋沢・大倉・近藤各男を始め、日銀・興銀・勧銀・正金・鮮銀の各特殊銀行幹部並に三井・三菱以下の主なる銀行家を招待したるが、代理大使は戦勝を祝すると共に、日本が仏国に与へたる軍事上・経済上の援助を深謝したるに対し、青淵先生来賓を代表して深厚なる謝辞を述べられ、食後一同款談の後和気靄々裡に散会せりと云ふ。

竜門雑誌 第三六七号・第八六―八七頁 大正七年一二月 ○東京商業会議所の休戦祝賀会(DK480160k-0005)
第48巻 p.587 ページ画像

竜門雑誌 第三六七号・第八六―八七頁 大正七年一二月
○東京商業会議所の休戦祝賀会 全国商業会議所聯合会は、十一月廿一日東京商業会議所楼上に原首相以下各大臣・井上府知事・田尻東京市長を招待して休戦条約調印祝賀会を開き、宴酣して藤山会長起つて一場の挨拶を述べ、之に対し原首相・青淵先生・田尻市長等各祝辞演説あり主客歓を尽して散会したる由なるが、当日原首相並に青淵先生の演説は左の如しと。
 △原首相演説 五年の久しきに亘る大戦の惨禍も急転直下して遂に休戦条約の調印を見たのは余輩の諸君と共に欣喜に堪へざるところなり、顧みるに戦乱開始初頭においては独墺の勢力亦侮る可からざるものありて、戦争の結果につきても一時は如何に成行く可きかと疑ひたる程なりしも、聯合与国奮励努力して善戦したるに依り、遂に今日の喜ばしき光輝ある日を迎ふるに至れり、而して此結果を齎せる原因を熟考するに、決して兵力のみに依りて勝を制したものに非ず、国力の充実に依る次第なり、然るに国力の充実は兵力素より然りとなせど、亦一面に国家経済力の充溢すること必要なり、国家の経済力を養ふは諸君に待つこと大なり、今後は所謂平和の戦争に立つものなれば、休戦調印を祝すと共に平和の戦士たる諸君の健康を祝する次第なり。
 △青淵先生 原首相は戦勝を得るは兵力のみに限らざることを明かにせられたり、自身も亦同感なり、即ち国力の一大分子たる国家の経済力を充実することは平和時代の各国競ふて努力せざる可らず、今回の戦禍の創痍は此国力即ち経済力に依りて癒せざるべからず、玆に於てか平和克復と同時に各国は富の増大を計るべし、其激烈となるや道義を失し遂に弱肉強食の事実をも出来せしめ、或は平和の順境を経済関係に依り破乱せしめ、却て兵力を用ふる大戦に劣らざる惨事を呈せずとも限らざるべし、所謂平和の激戦の結果は兵力に依る戦禍より甚しきものあれば、実業界にある者は宜しく道義を重んじ国力の一分子たる国家経済即ち富の増進を図らざる可からず。
 因に右青淵先生の演説に対し、同月廿三日発行の報知新聞は其論説に於て左の如く云へり。
 原首相の商業会議所祝賀会に於ける演説は、戦後の経済戦に於て商工業家の努力を激励するに在りたり。此はお座なりの世辞としても亦実際の事実としても、適当の事たるを失はず。然れども商工業家の金銭追求慾は、既に極度に漲れり、今更激励せずともの事なり。之に対して渋沢男爵が、一の徳操論を加へたるは、流石に経世家の卓見なり。

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竜門雑誌 第三六七号・第八八頁 大正七年一二月 六協会主催休戦祝賀会(DK480160k-0006)
第48巻 p.588 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八八頁 大正七年一二月
○六協会主催休戦祝賀会 英国・日米・日仏・日露・伊学《(マヽ)》・白耳義各協会の主催に係る聯合休戦祝賀会は、廿五日○一一月午後七時より帝国ホテルに開会、徳川(家達)公・青淵先生・加藤高明子・床次内相・内田外相始め朝野の名士二百五十名、外人側より英・米・露・白等の各大公使並に館員及び京浜在留の重立ちたる外人等約三百名出席、席上内田外相、英国大使の祝賀演説等あり、内田外相の発声にて聯合国の万歳、英国大使の発声にて 天皇陛下の万歳を三唱し、同九時半団々たる盛会裡に散会したる由。


竜門雑誌 第三六七号・第八五頁 大正七年一二月 正義人道の勝利(DK480160k-0007)
第48巻 p.588 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八五頁 大正七年一二月
○正義人道の勝利 左の一篇は休戦祝賀の当日に際し青淵先生の談話として、十一月廿二日発行の中央新聞紙上に掲載せられたるものなり
 △過去五箇年 に亘つた欧洲大戦も終結を告げ、休戦条約締結されて本日玆に盛大なる祝賀会を挙行するに至りしは、寔に慶賀に堪えぬ次第である。戦乱勃発当初より独逸の兇刃は意外に鋭く、之れが為め聯合軍は容易ならざる困難を嘗め、一時は最後の勝利何れに帰するかを疑はれたる程なりしが、所謂天定まつて人に勝つの諺の如く、左しも兇暴なりし独軍も正義の前には永く兇刃を揮ふ能はず、竟に剣を折り旗を捲いて聯合軍の前に屈服するに至りしは、彼の周の末、六国合縦して秦に対したるも
 △秦の力の意外 に強く、一時天下は秦の為めに統治されんかと疑はれしも、竟に六国の為に破れたる事共想ひ出されて、人多くして天に勝つも天定まれば人に勝つ古聖の言葉の永へに真理なるを想はしむる、講和会議の人選に関し又平和後の政治上又経済上の施設に関しても、此の場合は論ずべき事あれども、今日の目出度き祝賀の当日なれば是等一切は後日に譲り、正義人道が最後の勝利を占めたる今回の休戦締結に対し、唯単に日本国家の為めに慶賀するに止まらず、又同盟国たる英国の為めのみならず、又米仏両国の為めのみならず、広く世界平和の為めに、七千万人の国民挙つて祝賀の盃を酌む可きであると思ふのである。


竜門雑誌 第三六七号・第八五―八六頁 大正七年一二月 ○対講和覚悟(DK480160k-0008)
第48巻 p.588-589 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第八五―八六頁 大正七年一二月
○対講和覚悟 左の一篇は青淵先生の談話として十一月十三日発行の東京朝日新聞に掲載せるものなり。
 愈対独休戦の調印を報ぜるが其条件なるものを見るに、殆ど独逸の軍事行動全部を抑止するものにして、今や独逸は如何なる条件の下に於ても、和議を講ぜざるべからざるの羽目に陥れるものと云ふべし。然らば各国は其講和条件を議するに当り、各其立場に従ひ互に優越の地歩を占めんが為に種々の難問題を惹起すべく、我国は如何な覚悟を以て之れに臨むべきか、局外の吾人には具体的提案を云為する能はざるも、第一は経済的独立を確保するが為に、支那に於ける優越権の獲得にして、西伯利及び南洋に於ける権利は更に第二段
 - 第48巻 p.589 -ページ画像 
の主張ならざるべからず、是支那に対する我国の地位が米国其他と全く趣を異にするが為めにして、嘗て来朝某米人の満洲地方視察談に「米国の支那に対する利害問題は、実に日本の運命に関する問題なり、決して機会均等たる能はず」と実に我国の立場を最も能く理解せる言にして、吾人は飽くまで此意義を徹底せしむるに努めざるべからず、次に考慮すべきは国民思想の動揺にして、今次の対独講和は名は講和なるも、実は独逸の降伏に外ならずして、即ち独逸軍国主義の破滅なると共に、世界的民主思想の宣伝を高唱するものなり、此点に関し我国一部の軍閥者流は多少遺憾に堪へざるものあるべく、同時に民主主義の代表とも見るべき米国は、或は我国今後の軍備的施設に対し牽制的方途に出づることを覚悟せざるべからず、侵略的軍国主義固より不可なり、然れども国家存立に必用なる国防的軍備の充実は飽くまで之を期せざるべからず、然らば此間の調和を計るは最も難問題にして、之が為には日・英・米間の三国同盟も必要となるべく、或は所謂国際聯盟の実現をも必要とすべし、再言すれば今次の講和問題に会し其最も考慮すべきは、一時の利害問題に非ずして、寧ろ国民思想を根底とする国際的独立の調和に在りと云ふべし。