デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
1節 記念事業
13款 阪下事件表彰会
■綱文

第49巻 p.143-145(DK490040k) ページ画像

昭和6年10月(1931年)

是月栄一、田中光顕ノ勧誘ニヨリ、阪下事件表彰会発起人総代ニ名ヲ連ラヌ。


■資料

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁 昭和六年一二月刊(DK490040k-0001)
第49巻 p.143 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
              竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁 昭和六年一二月刊
    昭和年代
  年 月
 六 一〇 ―坂下事件表彰会発起人総代―昭、六、一一。


阪下事件表彰会書類 【口上覚 藤井甚太郎】(DK490040k-0002)
第49巻 p.143 ページ画像

阪下事件表彰会書類            (渋沢子爵家所蔵)
                   (ゴム印)
                   昭和六年九月五日
    口上覚
  伯爵田中光顕殿ヨリ私ヲ以テ子爵渋沢栄一殿ニ御願ノ条々
一、明年一月十五日ヲ期シ阪下事変ノ志士祭典行ハレタキ志願有之ヲ以テ、子爵閣下ニ発起者ノ一人ニ何卒御同意被下度トノコト

右ハ未タ発表不相成モ、今ハ田中伯一人ノ志願切ナルモノ有之明年九十才ト相成ラルルニツキ河野顕三詩集御刊行ノ御縁故モ有之、是非々々子爵閣下ニ御願申上呉トノコト、去月伯上京ノ折御面会ヲ電話ニテ申込マレ候モ、御病気ニテ御面晤不相叶末ニ有之候
                      藤井甚太郎


阪下事件表彰会書類(DK490040k-0003)
第49巻 p.143-144 ページ画像

阪下事件表彰会書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
                  (ゴム印)
拝啓                昭和六年拾月拾六日
先達本会発起人として御承認相願候に就ては本日別紙の書面関係者へ発送致し候間、左様御諒承被下度、此段得貴意申候
  昭和六年十月 日
            東京市赤坂区青山南町三ノ三三
                  阪下事件表彰会
(別紙、印刷物)
                  (ゴム印)
拝啓                昭和六年拾月拾六日
益々御清適の段奉慶賀候、陳者明治維新の大業の成就せられたるもの其動機一ならずと雖も、阪下門事件も亦た桜田門事件と共に幕末の義挙として大勢の推移に貢献したるもの少からず候へば、其殉節烈士の功業の永く紀念すべきは元より其所に御座候、然るに明春は恰かも該義挙の七十周年に相当するを以て、拙者等相謀り其慰霊祭を執行すると同時に、関係志士遺墨展覧会・講演会を開催し、尚ほ別に該事件の伝記をも編纂出版して其事績を表彰するの計画相立て、目下着々これ
 - 第49巻 p.144 -ページ画像 
が準備中に御座候、而して該事件は旧水戸・宇都宮両藩及び越後出身の志士によりて計画実行せられたるものにして、関係地方の有志各位は元より、更に大方諸君の賛助を得て右の計画を遂行し、時節柄国民精神の作興に附与致し度存じ候間、拙者等微意の存する処御了承の上貴下に於ても本会賛助員の一人に御加はり被下、一臂の御助力を与へられんことを懇願此事に御座候、先は右得貴意申候 敬具
 追伸
 一、賛助員は本会賛助のため金五円の醵出を乞ふこと
 一、賛助員には新刊「阪下義挙録」一部を贈呈すること
 一、賛助員には祭典の際御案内申上げ、尚ほ御参列の有無に拘はらず記念品を贈呈すること
 一、十一月十日迄に申込の賛成員の氏名は「阪下義挙録」中に掲載すること
右事項御承知の上折返し何分の御返信相願度、尚ほ会費は同封の振替用紙にて御送金被成下度候
  昭和六年十月
         東京市赤坂区青山南町三丁目三十三番地
                   阪下事件表彰会
               発起人総代
                   伯爵 田中光顕
                   子爵 渋沢栄一
                   公爵 徳川圀順
                   子爵 戸田忠庸
                 内務大臣 安達謙蔵
                 司法大臣 渡辺千冬
                 鉄道大臣 原脩次郎
                茨城県知事 田中無事生
                栃木県知事 浅利三良
                新潟県知事 中野邦一
                貴族院議員 室田義文
                貴族院議員 徳富猪一郎
               前貴族院議員 菊池長四郎
                衆議院議員 増田義一


阪下事件表彰会書類(DK490040k-0004)
第49巻 p.144-145 ページ画像

阪下事件表彰会書類           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    阪下義挙
阪下門事件は桜田門事件の延長にして、ともに討幕維新の原動力をなせるものである。始め水戸・薩摩等の志士が桜田の義挙を策するや、第一の目標は井伊直弼であり、第二は其股肱たる安藤対馬守であつたが二兎を逐ふて一兎を獲がたきを虞り、安藤の斬奸は之を後進に譲つた、而して井伊死後安藤の閣老となるや、之と前後し井伊の旨を承けて詔勅の返還を水戸に強要し、或は和宮の降嫁を強請し奉り、或は廃
 - 第49巻 p.145 -ページ画像 
帝の大逆を企てたりと伝へられ、或はまた膝を外夷に屈し皇国の面目を汚すなど専恣横暴至らざるなきものあるに憤慨し、木戸孝允・原市之進・大橋訥庵・菊池澹如・児島強介等相議して安藤斬除の事を決し水戸の平山兵介・黒沢五郎・小田彦三郎・高畠総次郎・川辺佐治右衛門、宇都宮の河野顕三、越後の河本杜太郎の七士身を挺して之が実行の任に当らんとし、文久二年一月十五日の朝霜を踏んで安藤を阪下門外に要し、之を襲撃せしも衆寡敵せず、何れも其場に闘死、又は屠腹し終に壮烈なる最後を遂げ、恨むらくは流星光底長蛇を逸したるも所謂博浪の一撃によつて天下震動し、勤王の士気大に揚るものがあつた爾来星霜夢の如く、本年は恰かも其七十周年に相当するを以て、義挙関係志士の功烈を記念せんがため、其英霊を祀りたる靖国神社の祠前に於て招魂の祭典を行はんとする次第である。
      殉節志士略伝
平山兵介(細谷忠斎) 水戸藩士、繁義と称す、○中略
小田彦三郎(朝田儀助) 旧水戸藩士、朝儀と称す、○中略
黒沢五郎(吉野政助) また旧水戸藩士にして常陸河原子町に生れ、保高と称す、○中略
高畠総次郎(相田千之允) 名は胤正、○中略
河野顕三(三島三郎) 名は通桓、下野国河内郡吉田村に生れ、一に甲田姓を冒しまた越智姓を称す、祖父河野守弘は有名なる国学者にして且つ勤王の志あり、其薫陶激励によりて義挙に加はり、年廿五にして阪下門外に死す。顕三頗る詞藻に富み、遺稿頗る多く、其一なる「春雲楼遺稿」は、文久三年渋沢栄一之を刊行して世に伝ふ。
河本杜太郎(豊原邦之助) 越後十日町の人、○中略
川辺佐治右衛門(内田万之助) 旧水戸藩士、元善と称す、○中略
児島強介 草臣と称す、宇都宮の人、○中略
大橋順蔵 訥庵は其号、○中略
菊池教中 通称介之介、澹如と号す、○下略
  ○「春雲楼遺稿」ニ関シテハ、本資料第一巻文久三年八月ノ条参照。