デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
2節 銅像
12款 矢野二郎銅像除幕式
■綱文

第49巻 p.230-231(DK490068k) ページ画像

昭和5年5月日[昭和6年6月10日](1930[1931]年)

是日栄一、国立ノ東京商科大学校庭ニ建設セラレタル、矢野二郎ノ銅像除幕式ニ祝辞ヲ贈ル。


■資料

如水会々報 第九一号昭和五年六月[昭和六年六月] 矢野二郎先生記念銅像除幕式(DK490068k-0001)
第49巻 p.230-231 ページ画像

如水会々報 第九一号昭和五年六月[昭和六年六月]
    矢野二郎先生記念銅像除幕式
 母校初代の校長にして我国商業教育の教祖たる故矢野二郎先生記念計画は予てより実行委員の熱心なる尽力と、全国津々浦々に至る商業及商業教育関係諸団体等の後援とにより着々進捗中であつたが、其第一計画たる記念銅像は新進彫塑家堀進二氏により、又其台座及庭園は文部省技師中根蕃氏により夫々晩秋以来製作中の処、先程愈々完成したるを以て、去る五月十日の吉辰を卜し国立の母校新学園校庭に於て左記順序により盛大なる除幕式が挙行せられた。
      除幕式順序
 一、開会の挨拶        司会者 成瀬隆蔵
 一、除幕         除幕者令孫 藤野美知子嬢
             附添親族総代 益田孝男爵
 一、除幕式辞      如水会理事長 江口定条君
 一、親族総代挨拶           益田孝男爵
 一、花環捧呈       白耳義大使 アルベール・ド・バツソンピエール男爵
 一、同        東京商科大学長 佐野善作君
 一、同          徹心会代表 七海兵吉君
 一、同    大日本麦酒株式会社々長 馬越恭平君
 一、同       三井合名会社々長 三井八郎右衛門男爵
                 代理 団琢磨男爵
 一、同       三菱合資会社々長 岩崎小弥太男爵
                 代理 三宅川百太郎君
 一、同          本会理事長 江口定条君
○中略
右終つて後一同兼松講堂に参入し、左記順序により挨拶祝辞等が述べられた。(別項参照)
 一、挨拶及報告    記念計画委員長 藤村義苗君
 一、祝辞          文部大臣 田中隆三君(代)
 一、同           徹心会員 増田義一君
 一、同   全国商業学校長協会幹事長 市村芳樹君
 一、同             来賓 馬越恭平君
 一、同             来賓 渋沢栄一子爵代理石井健吾君
 一、同      社団法人一橋会代表 石川精一君
 一、挨拶       東京商科大学長 佐野善作君
 - 第49巻 p.231 -ページ画像 
 一、在倫敦矢野覇朗君謝電朗読其他祝電披露
                    堀内明三郎君
 一、閉会の辞 司会者         成瀬隆蔵君
○中略
      祝辞
                   渋沢栄一子爵
 東京商科大学出身者の団体なる如水会同人の建設せる矢野二郎君の銅像成り、玆に其除幕式を行はるゝに至れるは余の深く欣喜する所なり。
 回顧すれば、君は明治八年聘せられて本校の前身たる商法講習所の所長となりしが、資性明敏に泰西の学を修めて一見識を具し、将来身を商業界に投ぜんとするものに特殊の教育を施すの要ある事を唱道せり。
 当時一般商家に於ては寧ろ此を以て害ありて益なしとするの状態なりしが、君は確乎として所信を枉げず。斯学を発達せしむるを以て己が任となせり。是故に君は、商法講習所の東京商業学校となり、高等商業学校となる後も依然校長の職に留り、同二十六年の辞職に至る迄前後殆ど二十年の長きに亘り、一意専心教務に尽瘁せられたり。されば校運年と共に隆にして、幾多の俊材を送りて国家の進運に多大の貢献をなせり。
 商法講習所は初め森有礼氏の一家塾なりしが、後資金の援助を東京府の共有金に仰ぐに及び、余は其共有金を監理せし縁由に依り遂に本校の事務に関与するに至れり。されど余は唯外に在りて之を幇助せしのみ。人材養成の功は固より君に帰せざるを得ず。爾来本校の東京高等商業学校となり、更に陞格して東京商科大学となれるもの亦君の遺図与りて多きに居れりと云ふべし。宜なる哉如水会同人の君の銅像を校庭に建てゝ永く其徳を頌せんとすることや。
 余は今国立原頭に屹立せる此像を仰ぎて、二十五年前幽明境を異にせし故人と再び相見るを喜ぶと共に、如水会同人諸氏が、能く先師の旧恩を忘れず、協力して此美挙を敢てせる情誼の厚きに感激するものなり。乃ち聊所懐を述べて祝辞に充つること此の如し。
  昭和五年五月十日
                      渋沢栄一
○下略