デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
2節 銅像
13款 其他 1. 水戸光圀銅像建設
■綱文

第49巻 p.232(DK490069k) ページ画像

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■資料

竜門雑誌 第三一八号・第六六頁大正三年一一月 義公の銅像建設(DK490069k-0001)
第49巻 p.232 ページ画像

竜門雑誌 第三一八号・第六六頁大正三年一一月
○義公の銅像建設 茨城県水戸常磐公園なる義公銅像建設計画に就ては、田中伸稲氏の死後は田中秀四郎氏其遺志を継いで熱心奔走中にて川田市長も銅像建設は市会に於ても其挙を賛し既に公園内に銅像建設地の高標さへ建ち、石材も運搬堆積されあるに拘らず、遅延数年、今猶ほ其建設を見ざるは市の外聞にも係はるを以て、職責上何等かの処置を為さんと思ひ居たる矢先、十月十二日東京なる青淵先生より義公銅像の事に付き会見し度旨の申報あり、之れ田中氏が男爵に銅像建設尽力方を懇望せしに対し、男爵は市長と相談の上其意思を定めんとせしものにて、市長は同月十三日田中氏同道にて男爵邸を訪ひ種々相談する所ありしに、男爵は銅像濫建を今日の弊害と認め反対する者なれども、義公の如きは単に水戸の人傑ならず日本の人傑にて国民渇仰の標的たるべき人なれは、公の銅像建設には応分のことは為すべき旨を答へられたりと。