デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
4節 史蹟保存
1款 財団法人星岳保勝会
■綱文

第49巻 p.300-301(DK490110k) ページ画像

大正4年5月16日(1915年)

是月十五日ヨリ喜多院ニ於テ、徳川三百年祭執行セラレ、当会主催ノ余興催サル。是日、当会総会、川越町電気館ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK490110k-0001)
第49巻 p.300 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十一日 雨
午前七時起床、入浴朝食畢リ○中略 川越喜多院住僧来話、十六日ノ総会ニ出席ノ事ヲ請求セラル○下略
   中略。
五月十六日 半晴
今朝ハ川越喜多院ニ於テ挙行スル保勝会総会ト及東照宮三百年ノ遠忌ヲ修ムルトテ出席ヲ請ハレタレハ○中略 九時半過ヨリ自働車ニテ川越ニ赴ク、十一時前同地着、喜多院ニ於テ小憩、直ニ昌谷県知事ト共ニ電気館ニ於テ大偉人ノ功徳ト云フ演題ニテ一場ノ講演ヲ為ス、聴衆満場立錐ノ地ナシ、畢テ寺院ニ帰リテ午飧ス、後本堂ニ開カレタル東照宮ノ遠忌ニ参列シ、三時頃院内ニ挙行スル大名行列ヲ一覧ス○下略


竜門雑誌 第三二五号・六七頁大正四年六月 ○川越喜多院大法要(DK490110k-0002)
第49巻 p.300 ページ画像

竜門雑誌 第三二五号・六七頁大正四年六月
○川越喜多院大法要 埼玉県川越喜多院にては五月十五日より徳川三百年祭を執行し、余興として星岳保勝会主催の手古舞・稚子行列・大名行列等あり、近郷近在よりの参拝者三万余人に達し空前の賑ひを呈したる由、翌十六日には青淵先生にも出張せられて、先づ電気館に開催せる星岳保勝会の総会に臨まれ「偉人の功徳」(追て本誌掲載)と題して一場の講演を為し、休憩後同院に於ける大法要に列し、夫れより同地青年会所属の新設図書館に赴きて、来会者に対し一場の訓話を為し、且つ同館の為め揮毫せられたる後、午後四時発の汽車にて帰京せられたり。


中外商業新報 第一〇四四三号大正四年五月一七日 ○川越町の賑ひ 渋沢男の演説(DK490110k-0003)
第49巻 p.300-301 ページ画像

中外商業新報 第一〇四四三号大正四年五月一七日
 - 第49巻 p.301 -ページ画像 
    ○川越町の賑ひ
      渋沢男の演説
川越喜多院にては既記の如く十五日より徳川三百年祭を執行し、余興としては星岳保勝会主催の芸妓の手古舞・稚児行列及大名行列などあり、近郷近在より入り込む参観者毎日三万を越へ同町空前の賑を呈し居れるが、十六日は大隈伯代理昌谷知事及渋沢男其他東京新聞記者団の来るあり、同寺門外電気館にて喜多院保存財団たる星岳保勝会の総会を開く、会するもの六百余名、綾部(利)理事長の会務報告に次で昌谷知事の大隈会長の伝言及感話あり、次で渋沢男は「偉人の功徳」と題して徳川三百年祭に因み家康公及慶喜公の生涯に於ける逸事及国家に致せる功徳を述べ、一転して喜多院中興の偉僧天海僧正の功績を称揚して会衆に深く感動を与へ、終て暫時休憩の後渋沢男は大法要に列し、尚ほ折柄繰り込める大名行列を見物し、更に同寺院より数丁距てる青年会所属の新設図書館に赴き、玆に集れる会員に対し、将来実業界に雄飛せんとするものに取り殊に精神修養の緊要なる所以を力説し、終て同館の為め揮毫の後、四時過帰京したり、全町は夜に入つて益々賑ひ各興行物・飲食店等は非常に混雑せり(十六日川越)


中外商業新報 第一〇四〇一号大正四年四月五日 ○喜多院の護摩講 星岳保勝会の苦心(DK490110k-0004)
第49巻 p.301 ページ画像

中外商業新報 第一〇四〇一号大正四年四月五日
    ○喜多院の護摩講
      星岳保勝会の苦心
関東の名刹川越喜多院にては目下護摩講(九日まで)執行中なるが、時恰も花の盛りの候なるに加へて、国宝となりし光起筆六折屏風、関ケ原合戦に家康公使用の黒地に三葵白抜きの軍旗、其他同寺の珍宝を始め、同寺の誇にして又徳川史上に
△最も興趣深き 三代将軍誕生の間等を開放し一般参詣者の観覧に供しつゝある事とて、近郷近在はもとより東京地方より雲集する善男善女織るが如く、川越町は頗る殷賑を極めつゝあり、尚同院は天長年間慈覚大師に依て開基せられて玆に一千年、其後尊海僧正の中興する処となり、遂に慈眼大師に至りて
△家康公の帰依 篤く寺領七百石境内約五万坪を有したる名刹なりしも、明治草創の際寺禄全く絶江、什宝亦糶売せらるゝなど一時は荒廃其極に達して危く法灯滅亡せんとせしが、現住遠賀亮中師第五十五世の法灯を継ぎてより此名刹の荒廃を嘆き、大隈・松平伯、渋沢・阪谷男、其他知名の士の賛助を得て星岳保勝会なるものを起し、基金を聚めて此浄域の復旧に努力し、昨今にては
△二重多宝堂の 改築、庭園の手入れ等稍旧時を彷彿せしむるに至りしも、尚ほ同寺の珍宝たる宋版一切経三千巻其他珍宝の保存、本堂の修築等に多大の基金を要する由にて、目下広く浄財の喜捨を求め、其一方法としては同会に多大の同情を有せらるゝ星石宗伯揮毫寄進の書画三百幅を希望者に頒布するなど、一方ならず苦心しつゝありと
   ○栄一演説ニツイテハ本資料第四十一巻所収「日光東照宮三百年祭奉斎会」大正四年五月十六日ノ条参照。