デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
3款 東京毎夕新聞十五周年紀念全国官衙銀行会社十五年勤続者表彰会
■綱文

第49巻 p.372-375(DK490129k) ページ画像

大正2年11月15日(1913年)

是年、東京毎夕新聞社ハ、創業十五周年ニ当ルヲ以テ、是日上野精養軒ニ於テ、全国官衙銀行会社十五年勤続者表彰会ヲ催ス。栄一ソノ名誉顧問トナル。


■資料

竜門雑誌 第三〇五号・第五八―五九頁大正二年一〇月二五日 ○毎夕新聞の勤続者表彰に就て(DK490129k-0001)
第49巻 p.372 ページ画像

竜門雑誌 第三〇五号・第五八―五九頁大正二年一〇月二五日
○毎夕新聞の勤続者表彰に就て 東京毎夕新聞社にては創業十五周年祝として、全国官衙銀行会社商店に於ける十五年勤続者の表彰会を十一月十五日に開催する由にて、青淵先生にも木村同社長の懇請に依り名誉顧問たる事を承諾せられたるが、先生の賛成主意として同社員に語られたる所左の如し。
 貴社が創業十五週年の心祝をすると同時に其れを記念すべく、十五年勤続表彰会を催さるゝと云ふことは一寸伺つてゐましたが、洵に結構なお企であると思ふ、兎角現代思潮に駆られたる青年否日本人共通の欠点は、物事に倦ツぽい傾きがあつて困る、人間が社会へ出て立身出世するは決して突然に出来るものでない、幾多の歳月を費やし、詰らぬと思ふことでも辛抱して、事業に修養を積むから成功するのである、さりとておさんどんは一生おさんどん、簿記方は生涯簿記係と必ずしも固執してゐなくちやならぬ訳ではない、自然上向進歩は其間に現はれるので、軈ては係長となり課長となり重役と昇進する機会が到達するのである、兎に角一事業若くは一主人に十五ケ年もぢつと辛抱して仕へてゐる程の心掛の者は、まづ忠実であり熱心であり、随つて其の地位も上ると云ふ段取りで、彼の矢鱈に転業転職する様な人は、如何も出世が遅い、自慢の様だが私などは明治六年に第一国立銀行を起し、同八年に頭取となつて以来今日迄四十ケ年……如何です、御社の推奨に与かれますまいか、雇人でなければ強ち其の資格が無いと云ふ訳でもなからう、して見れば私などイの一番に推薦して下さつても宜くはありますまいか、目先の利く新聞社の御催しであるからヨモヤ見落しはなさるまいと、私かに其の賞状賞品を頂戴すべく期待してゐますハヽヽ、又此の十五と云ふ数は語呂もよし往昔から芽出度ことゝしてゐる、御社が創業十五週年の祝ひを霜月の十五日に而も十五年勤続表彰、三十週年の暁には三十年勤続表彰をせられむことを、進歩発展の上よりも社会道徳の上よりも切に希望する次第である云々。


東京毎夕新聞 第四四九八号大正二年一一月一六日 一代の徳風を顕輝宣揚せる十五年勤続者表彰式の大盛観(DK490129k-0002)
第49巻 p.372-373 ページ画像

東京毎夕新聞 第四四九八号大正二年一一月一六日
  ○一代の徳風を顕輝宣揚せる十五年勤続者表彰式の大盛観
 - 第49巻 p.373 -ページ画像 
 本社創立十五週年祝賀に因みて主催せる全国十五年以上勤続者表彰は去月廿日締切を為し、本日上野公園精養軒に於て其当選者表彰褒賞授与式を挙ぐ、名誉を荷へる入選者二万七百人、寔とに無前の盛事とす、左れば式場には五色の彩旗樹々の黄葉紅葉に映じて空に知られぬ景雲を湧かせ、歓笑堂に満ちて余韵攘熕の華鯀に和す、貴紳雲臻車馬織るが如く東台の初冬風既に春也
    ○人は皆満顔笑に輝く
精養軒にては今朝来式場に充てたる館前大庭園の装飾を整へ、正面一段高き壇上には華麗の毛氈被ひたる台子を据ゑ、大輪の菊花を中心に菊紅葉を配りて装りたる大花瓶を据ゑたり、場内には優に四百人を容る可く、一方平家食堂には幾列にか並べし卓子に装花五彩盈々と籠に溢れて、袖触れば香液白布に滴れん、夫れが幾所にか或る間隔を保つて置かれたる秋野の錦を造花の鋏もて剪り出せるも斯くやと見るから心地好し、蛛手巣搦みと引渡せる大小無数の万国旗は青黄紅白の色鮮やかに翻り、門前に交叉せる大国旗の色も亦この盛式を祝する如し
一代摯質朴茂の代表者を迎ふる装置清麗に頗る体に叶ひぬ、開会は午後一時也、之れに先立つて十五年勤続表彰会々長辻新次男、名誉総裁土方久元伯、板垣名誉顧問(不参)、名誉顧問九鬼隆一男、渋沢名誉顧問(不参)、理事長木村政次郎の諸氏入場して来賓諸氏の来臨を待受くる中、此の美挙に満腔の賛意を傾注せられし
一代の貴紳士は或は馬車に或は自働車に多忙なる可き一日を割いて陸続として来場せらる、数十名の接待員は一々之を迎へて設けの席に案内し、軈て開場前卅分の頃に至りて左しもに広き会場立錐の余地を剰さず、歓笑の声早くも場の四隅に湧いて今や遅しと開会を待受けられぬ、恁る一方には名誉の勤続者二百余名孰れも卅九年以上主家に忠勤を尽せし人々とて、若きも六十年の老齢を超えたるが、中には子孫に手を引れたるもあり、嬉々として満顔に笑みを湛えつゝ今日を一生の晴れと入り来たらるゝ、宛如三島十洲の仙子を駆つて蟠桃の寿宴に臨むが如く、超群の風骨自から人を薫化す、最も目出度し
    ○盛なる表彰式の次第
恁くて定刻に至るや辻会長、木村理事長着席、来会者全部の立会ひの下に被表彰者に対し金銀杯の抽籤を行ひ、了つて午後五時土方総裁白髪銀の如きを振つて式壇に臨まれ、荘重なる態度にて一場の祝詞演説ありて、次で辻会長左の式辞を、木村理事長左の報告書を朗読す
    ○会長辻男爵の朗読さる式辞○略ス
    ○報告書の概容 木村理事長朗読○略ス
○下略


東京毎夕新聞 第四四九九号大正二年一一月一七日 勤続者表彰会 本社十五周年記念祝賀の為め昨日上野精養軒に盛式を挙ぐ(DK490129k-0003)
第49巻 p.373-375 ページ画像

東京毎夕新聞 第四四九九号大正二年一一月一七日
    ○勤続者表彰会
      本社十五周年記念祝賀の為め
      昨日上野精養軒に盛式を挙ぐ
本社主催十五年勤続表彰会の模様は取り敢へず昨日の紙上にて其盛況の大体を報じ置きしが、猶々其後の景況を記して永久に此好印象
 - 第49巻 p.374 -ページ画像 
を留めんかな
      ○先登第一の客
        相亜で被表者参会
式場の装飾は隈なく整ひたり、接待員は各部署に就きて来賓の迎接に努めぬ、時は迫りて正午十二時卅分となりぬ、今は抽籤開始に幾許の間もあらず、此時羽織袴に威儀を正して裾捌き爽やかに入来られしは千葉県山武郡豊海村の住人斎藤久右衛門氏也、即ち本日表彰者来会の先頭とす、続いて同県千葉第二尋常小学校長仁科要氏フロツクコートの折目正しく入来られ、山形県の永井馨児氏之れに続いて羽織袴に敬恭の態度にて来られたり、恁くと見たる接待員は階下の休憩室に案内し、孰れも静粛に喜色を湛えて時の至るを待たるゝ間も、揃ひし温厚忠実の人々とて一見旧の如く、何時か懐旧談に花を咲かせ笑語堂に満ちて早くも盛会の祥宜かれとぞ思はれぬ
      ○如意宝珠の徳
        名村翁病を忘る
恁る間も来会者は陸続として会場に入り来り、休憩室は見る間に殆んど満員の盛況となりぬ、昔を語るもの今日の喜びを述ぶるもの、中には一期の光栄を頒つ可く、夫人子息を同伴上京せられしもありて、今日の光栄を帰りて一生の語り草にせんなど、嬉々として互ひに胸襟を披き物語らるる状、見る眼にも嬉しく、覚えず歓喜の涙を誘ひたり、軈て十二時五十五分に至るや、第一等受賞者名村善兵衛氏の代理にして同人の主人なる松村謙三氏、悠容たるフロツクコート姿にて休憩所に来たられ、接待の記者が感想を叩けるに答へて『名村も先達まで老病で病床にをりましたが、御社から御出張下され表彰の次第を承りまして以来、頓に病気も回復致し、今度も是非共杖に縋つてなりと伺ひ度いと申して居りましたけれど、タツテ医師の忠告で私が代理として出京することに致しました、私が出立の際には富山停車場まで他の店員と共に送つて参り、涙を流して喜むでをりました、今度私が帰ります時に停車場まで楽隊で迎ひに出ると申し、ドンナに喜むでをりましたか、迚も詞では申尽されません』とて栄えある笑みを湛えて満足に堪ざる如き面色は、遉に主従の情靄然として掬す可きものなり、床しとも床しかりき
      ○感激の集
午後一時より始まりし被表彰者に対する純金銀盃抽籖が午後二時四十分を以て終るや、間もなく午後三時場の一隅より嚠喨たる君ケ代の奏楽起り、満場の被表彰者諸君は一斉に起立せり、其時辻会長・土方名誉総裁・九鬼名誉顧問・原内相(代)・奥田文相(代)・市長代中野武営氏・安楽兼道氏・佐竹作太郎氏・福島甲子三氏其他の貴賓一同は、木村理事長の先導にて式場定めの席に着き、昨紙既報の順序にて荘厳に挙式す、就中土方総裁が静々と壇上に起つて『道徳日々に頽廃しつつある今日、諸君の如き堅固なる道徳を以て社会の師表たるべき人々を此に会する事を喜ぶ』とて縷々数十言被表彰者を称揚し、一場の祝辞を述べられたるは最も深き感動を与へたり、次で内相・文相・市長等の祝辞あり、続いて中野商業会議所会頭は、諸君が今日の光栄を得
 - 第49巻 p.375 -ページ画像 
るに至りしは偏に諸君の忍耐と勤勉とに依るは勿論なれど、又一方には諸君をして長き間其一身を捧げしむる考へを起さしめたる御主人の美徳をも称揚せずんば非ず、尚ほ諸君に対して其以外に賞歎すべきは身体強健の点にありとて種々美点を挙げて懇篤なる祝辞を述べ、夫れより九鬼男爵・福島甲子三両氏の祝辞朗読あり、続いて辻会長は厳粛なる態度を以て表彰状を朗読し、一等の名村善兵衛氏より順次既定の記念品を贈呈し午後五時式を終りたるが、被表彰者は何れも如上の貴顕紳士等の懇篤なる祝辞演説を傾聴し、只管身の光栄に感じて老の眼にハラハラと嬉し涙を湛えつつ、喜ばしげに紀念品を携へていそいそと設けの立食場に入りぬ、立食場は精養軒の裏手の瀟洒なる平家食堂にて雪白の布を覆へる食卓数列に据へられ、各柱には紅黄色とりどりの蔦紅葉の造花を巻きて麗はしき装飾を施し、食卓の上には精養軒が心を籠めし調理並べられて主待ち顔なり、況して満足なる人々の卓を囲める様を見ては、天下恐らくは之れ以上の饗宴なきを感じたり、やがて一同の席定まれば本村理事長は玆に一場の挨拶を述べ、被表彰者千葉県第二尋常小学校長仁科要氏主唱となり、一等受賞者名村善兵衛氏代理同氏主人松村謙三氏を推して答辞を述べしめ、夫れより一同打寛ろいで卓に着く、宴将に酣ともなれば知と知らざるとなく互に長年の労苦を語り合ひ、歓楽全く極り、其床しき俤は忽ちにして堂の裡に溢るゝばかり、中にも一等受賞者名村氏、三等受賞者渋川翁の如きは忽ち他の人々より包囲され、其名刺を要求され筆蹟を乞はるゝ抔却々の盛況にて、中には乞ひて純金宝珠の閲覧を受け、之れに手を触れて成程重い結構な品ぢや、之れで私も貴方に綾かれますと、嬉し涙に暮るゝもありき、かくて社員来会者の万歳を唱ふれば、来会者亦之れに応じて本社の万歳を祝し、歓声場裡に散会せしは午後七時頃なりし