デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
16款 阿部泰蔵表彰会
■綱文

第49巻 p.416-423(DK490142k) ページ画像

大正5年12月2日(1916年)

是日、日本橋倶楽部ニ於テ、阿部泰蔵ノ功労表彰式開催セラル。栄一、発起人トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三四三号・第六六頁 大正五年一二月 ○阿部泰蔵氏表彰式(DK490142k-0001)
第49巻 p.416 ページ画像

竜門雑誌 第三四三号・第六六頁 大正五年一二月
○阿部泰蔵氏表彰式 明治生命保険株式会社長阿部泰蔵氏表彰式は、十二月二日午後一時より日本橋倶楽部に於て挙行せられたる由なるが其際青淵先生演説○後掲の概要は左の如くなりと云ふ。
○下略


阿部泰蔵君表彰会報告書 第一―四頁大正五年一二月刊(DK490142k-0002)
第49巻 p.416-417 ページ画像

阿部泰蔵君表彰会報告書 第一―四頁大正五年一二月刊
    ○表彰会の発起及準備
大正四年十一月
御即位礼祝賀の件に関し生命保険業者の集会ありたる折談偶々阿部泰蔵君の保険業に対する功労表彰のことに及び、大正五年は同君が我邦に生命保険事業を開始せられてより恰も三十五年、又明治火災保険会社を創始せられてより二十五年に当り、同君は我邦に於ける斯業の基礎を樹てられたるのみならず、同一会社の取締役として此長期間一日の如く専心努力せられたることは、実に保険事業界に於てのみならず一般事業界に於て亀鑑とすべき所にして、其功績は世人の等しく欽慕する所なれば、此機会に於て同君の為めに表彰会を発起せんとするの議あり、超えて大正五年三月二十八日、主唱者は生命保険会社協会に寄り合ひ、左の諸君を発起準備委員に推薦し、表彰会発起の準備を委托したり
    福原有信  岡本敏行  矢野恒太
    藤村義苗  甲能順   北里裟袈男
    浅岡雄之助 玉木為三郎 浅生義一郎
発起準備委員は四月十四日及び同二十四日委員会を開き、福原有信君を首唱者総代として発起の計画を立て、之を各種事業界に於ける知名の士及各保険会社々長・支配人に謀る所ありたり
主唱者の挙に賛成し、発起人たることを希望せられたる諸君左の如し
(いろは順)
    伊藤万太郎     井坂孝      飯田延太郎
 男爵 岩崎久弥      稲茂登三郎    池田竜一
    池田成彬      石河幹明     波多野承五郎
    原錦吾       原邦造      西野恵之助
    堀貞        戸波親信     豊川良平
    太田清蔵      小原達明     尾高次郎
 - 第49巻 p.417 -ページ画像 
    岡烈        岡実       岡野敬次郎
    岡本武次      岡本敏行     和田豊治
    渡辺治右衛門    加藤正義     川崎肇
    各務謙吉      片岡直温     鎌田栄吉
    米井源治郎     横山寅一郎    高倉藤平
    玉木為三郎     草郷清四郎    中浜東一郎
    中野武営   男爵 中島久万吉 男爵 長松篤棐
    村上定       村瀬春雄     瓜生震
    倉知誠夫      矢野恒太     八木久兵衛
    安田善三郎  子爵 前田利定     福原有信
    福沢一太郎     福沢桃介     藤井善助
    藤田譲       藤村義苗     藤本徳之進
    甲能順       近藤徳治郎 男爵 近藤廉平
    有村丈次郎     粟津清亮     新井由三郎
    浅岡雄之助     麻生義一郎    佐野善作
    北川礼弼      北里裟袈男    桐島像一
    三村君平      箕浦勝人     志田鉀太郎
    荘田平五郎  男爵 渋沢栄一     清水文之輔
    下郷伝平      広岡恵三     本山彦一
    望月磯平      森下岩楠     末延道成
    鈴木重隆      鈴木梅四郎    鈴木万次郎
○下略


阿部泰蔵君表彰会報告書 第三八―八〇頁 大正五年一二月刊(DK490142k-0003)
第49巻 p.417-423 ページ画像

阿部泰蔵君表彰会報告書 第三八―八〇頁 大正五年一二月刊
    ○表彰式
      ○記念品贈呈式
大正五年十二月二日午後二時より阿部泰蔵君表彰式を日本橋倶楽部に於て開催す、当日は生憎曇天にして初冬の寒風一入酷烈なりしにも拘らず、午後一時頃より続々来場者あり、同倶楽部日本座敷階上大広間は立錐の場所なきまでの盛況にして、出席者は左記諸君外約四百名程なりし
    波多野承五郎君   西脇済三郎君   堀達君
    大橋新太郎君    岡実君      奥田義人君
    加藤正義君     門野幾之進君   吉村徳之助君
 男爵 高木兼寛君     草郷清四郎君   中浜東一郎君
    中上川次郎吉君   村井吉兵衛君   八木久兵衛君
    山本達雄君     安田善三郎君   福沢一太郎君
    小池国三君  男爵 近藤廉平君    手島精一君
    有賀長文君     粟津清亮君    朝吹英二君
    佐々木慎思郎君   佐々木勇之助君  北川礼弼君
    三宅秀君      箕浦勝人君    下郷伝平君
    森下岩楠君     末延道成君    鈴木梅四郎君
    鈴木万次郎君

 - 第49巻 p.418 -ページ画像 
午後二時に至り準備委員長福原有信君は開会の旨を告げ、玆に目出たき阿部泰蔵君表彰式を行ひたり、其次第左の如し
      座長推薦
○福原有信君 開会に先立ちまして皆様に御諮りしますが、会を開きますに就いて座長の御推薦を願ひたいと存じます
○鈴木万次郎君 委員の方に於て御指名を願ひます
○福原有信君 左様でございますれば、中野武営君に御迷惑ながら座長を御願ひ致します
○中野武営君 甚だ恐縮でございますが、只今御指名を得ましたに依て暫時座長席を涜します
  (中野君座長席に着く)
○座長中野武営君 是より開会いたします、福原君どうぞ……
      発起及準備経過報告 福原有信君
閣下並に諸君、本日は阿部泰蔵君の表彰会を開き記念品を贈呈いたしまするに付きまして、発起人の一人といたしまして、今回発起以来の経過を御報告いたしますことは誠に光栄至極に存じます
多大なる功績を挙げられたる阿部泰蔵君に対しまして、此保険界は固より社会より何か表彰いたしまするが宜からうと云ふことは、吾々の間に昨年来寄り寄り話がありましたのであります、併ながら昨年中は議が熟しませぬので其まゝになつて居りまして、本年三月少数の有志が生命保険会社協会に集合していろいろ相談を致しまして、阿部君表彰会と云ふものを発起することに決定いたしましてございます、それから主唱者は翌四月に至り、尚ほ広く他の同志の方々に発起人として御加名下さることを願ふことに致しまして、それぞれ勧誘状を発しました所が孰れも御賛成を得まして、九十名程の方々が発起人に成つて下すつたのであります、そこで発起人中より準備委員を選定いたしまして、不肖委員長となり、庶務委員・会計委員等それぞれ部署を定め表彰方法に関して種々協議を致しまして、七月に至り漸く大体の方針を定め、表彰会に御加入下さるやう、各方面に向つて依頼状を発送する手続に致しました次第であります、其結果多数の御賛成を得まして申込件数千以上に上り、醵金総額は一万二千円程になりました、其醵金されました方々の御芳名は印刷いたしまして御手許に差上げましたやうな次第であります
尚ほ少し後戻りを致すやうでありますが……阿部君を表彰する方法に就きましては委員中にも種々の説がありまして……或は然るべき場所を撰んで阿部君の銅像を建設したら宜からうと云ふ説もありました、又成るべく多額の金額を集めて阿部文庫を立て、学問奨励の資にしたら何うかと云ふ説もありました……種々の説がありましてなかなか纏りませぬ、そこで吾々は兎に角阿部君の意に御副へ申さぬやうな事をしてもならぬから、一応阿部君の御意見を伺つて方針を定めたら何うであらうかと云ふことに一決いたしました、そこで準備委員中から若干の委員を選びまして……自分も其の一人に加りまして……御内意を聴くことに致しましたのでございます、所が阿部君は御謙遜にも総て之を辞退いたしたいと云ふ御話でありました、併し準備委員は最早表
 - 第49巻 p.419 -ページ画像 
彰会を中止することは出来ませぬから、其旨を申し上げた所、然らば大袈裟でなく極く質素にして貰ひたい、お前達がさう云ふ熱心があるならば、油絵の額でも拵へて自分が関係した縁故を以て之を生命保険会社協会の内に懸けてくれゝば誠に光栄とする、又或は晩餐会を開き一夕を懐旧談に費すことが出来るならば是また非常な満足だと云ふことでありました、そこで準備委員は阿部君の御意見に基き、極く質素な計画で始めたのであります、其後有志の方々からどの位の金を出したら宜からうと云ふことを御問合又は御相談の方々もございましたが此度の表彰会は前申し上げました方針でございますから、決して多額の御出金を願はぬでも宜い、成べく広く御同情を得れば結構であるとそれぞれ御答を致して置いたので御座います、併し前に申し上げました通り、多数の御賛成を得ましたのは全く阿部君を欽慕せらるゝ方々が非常に多い為めでありまして、此表彰会の為めに誠に有り難く存じます次第であります、そこで記念品も種々協議の末、大理石の胸像を作製し、並に現代の日本画の大家に揮毫を願ひまして三幅対の懸物を仕立てゝ阿部君に贈呈し、又一夕の晩餐会を催して阿部君並に御家族を御招待することに致しました、尚此記念品の費用其他諸経費を差引ました残りの金額は……阿部君は甚だ御迷惑でございませうが……其まゝ之を贈呈いたすことに致したのでございます
御承知の通り今年は阿部君が生命保険を開かれて恰度三十五年、明治火災保険会社を起されて二十五年に相成りますから、此表彰式は是非今年内に致したいと云ふので、斯く押詰つて十二月になりましたけれども、又記念品もまだ出来て居りませぬけれども、本日この会を開きました次第であります
以上今回の発起の次第並に経過を申し上げましてございますが、是はほんの概略を申し上げた次第であります
○座長中野武営君 是より和田豊治君が表彰文を朗読いたされます
○中略
○座長中野武営君 是より記念品を贈呈いたします
      記念品贈呈の辞 安田善三郎君
只今座長の御話の通り、私は甚だ僭越でございますが、皆様に代つて記念品を贈呈仕ります(拍手起る)
 安田君記念品目録を朗読す
    目録
  一大理石胸像 北村四海氏作
  一三幅対画幅 寺島広業氏 川合玉堂氏 筆
  一醵金剰余 若干
    但別紙明細書相添
 右致贈呈候也
  大正五年十二月二日
右終て、北里裟袈男君は表彰文及記念品目録を阿部泰蔵君の前に呈したり
○阿部泰蔵君 皆様、有難う存じます
○座長中野武営君 山本達雄君の祝辞演説があります
 - 第49巻 p.420 -ページ画像 
○中略
○座長中野武営君 是より男爵渋沢君の祝辞演説があります
  (拍手起る)
      祝辞演説        男爵 渋沢栄一君
曩日来所労でございまして、今日の此御会にも出席し得るかを危ぶんだのであります、為めに委員長に向つて何分出席が覚束ないことを御断り申したやうなことでありますが、昨日来病気やゝ怠りました為めに、如何にも喜ばしき席でありまして敬慕に堪へませぬので、推して参上いたしました、出席をして見れば、一言の祝辞を申し述べるやうにと委員長からの御話でございます、此処に出ましたものゝ……今申し上げますやうな次第で何の用意もございませぬ、聊か蕪辞を述べて御申し訳を致さうと考へます
阿部君の斯界に御尽力になりましたことは私の喋々を要しませぬ、只今山本君の細かい御演説、又さうなくとも世に定論あり、余り喋々を要せぬかと思ふのであります、私は仕事は異なつて居りますけれ共、稍趣を同じくする位地に居ります、故に其既往に就いて、自分も斯う云ふ考へだつたと云ふやうな……所謂年寄の繰言を此処に申し上げて同時に同君の如何に御苦心であつたらうかと云ふことを、更に玆に追加いたして置きたいと思ふのであります
今日の有様から観ますれば、何もかも皆分り切つたやうでありますけれども、お互に誰でも既に知つたことは、ナーニそれしきの事と思ひますけれども、知らぬ昔はちつとも知らなかつた、少々ばかり知つたときでも余程おぼろげであつた、蓋し此の点は非常に御苦心なすつた阿部君と雖も尚然り、況や之に志のない一般に於てをや、実は日本の今日発達して居ります主もなる事柄は……我邦固有の事ではなくして海外のそれを移しました事柄は……何事も皆甚しきは大変な見当違ひなことを致して居つたので、今考へると抱腹することが往々ございます、只今山本君の演説にも、岡山へ阿部君が御勧誘に行かれた時に其席へ参つた一人は、生命保険は人の命を請合ふものであるから、医術上に大なる関係を有つて衛生上如何なる方法を講ずるものであるかと思ふた、斯う云ふことでございましたが、私共も其位に思つたのである、以て新らしい仕事の問題に至ると、困難は実に想像に余りありと申して宜いのでございます、唯今山本君が例を挙げて仰せられた通り或は私の従来を評せられますれば、或は私は前者に属して阿部君は後者に在りと申して宜からう様に考へます、而して自分の経営致しました事は、沢山各種の事に手を出しましたが、主として銀行である、此銀行事業も恰度同じやうな有様である、甚しきは保険と云ふものは、命を何か療治して上げる如くに思はれたやうに、銀行業にも同様のことが往々あつたと申して宜い、併し世の中の進みが段々に自己と同じく他が進歩して来る、是は単り実業界ばかりの働きでない、或は政治其他の社交がだんだん相待ち相迎へて、遂に社会が進んで来て、世の中の事業が発達して来る、即ち銀行業に致せ保険業に致せ、追々進んで来る、其進んで来たあとから考へると、実は己れの働きであるか、社会が大に進めしめたのであるか、己れが主であるか、他が従である
 - 第49巻 p.421 -ページ画像 
かと云ふことを疑ふ様のことが多いのであります、斯う申すと私の事業が左様であつて、他の御仕事は皆遅れて居る、自分の働きのみが功を奏して、他をして皆吸収せしめたのだと、力ある諸君は御仰しやるかも知らぬが、蓋し世の中の事は相俟つて進むものであります、自分の働きのみでありませぬ、故に社会が斯くせしめたと云ふても決して過言でなからうと思ふのであります、然らば社会がせしむるのであるならば自己の心配はないか、自己の働きに依らぬかと云ふ反問が生じます、是は又大いなる間違……自己の働きがなくして社会は決して後に動いて来るものでない、社会を働かすのが即ち自己の大いなる働きである、而して其働きは……只単に概して言へば働きであるけれども先づ第一に其仕事の撰みが肝心である、又其仕事が如何にも正しいか又其経営が果して智識的学理的であるか、此の如く各方面が打揃ふて初めて、社会に以て応ずるに待ち得ると申して宜いと思ひます、阿部君の保険事業の如きは即ち今申し上げました如く、所謂以て待つある力を以て他の恰度進んで来るものに応じ得たと申し上げて宜からうと思ひます、而して同君の御異議があるかも知らぬが、御得意は山本君の申された通り、所謂奥行の深い、間口の狭い、極く精細な仕事をなさる、書物で言へば多読をなすにあらずして精読の方でおやりなすつた為めに、此の如く進捗し又此の如く根柢を堅くして御進みなすつたと云ふことであらうと思ふのであります、人の世に立ちまして事業を経営するには広い仕事を大きくやる、大なる富を増す、総て人間の世に立つて働くと云ふことは楽しみと思ひます、或は富を作ると云ふことを考へた結果、その富が世界を圧する程になつたならば楽しみである、事業をやらうと思て、自己の事業が満天下に響き亘るやうになつたらば楽しみであらうと思ふ、是は論を待たぬのであります、去りながら又一方から考へると、仮令その事業が響き亘らぬでも、富が大いに進まぬでも、吾が深く考へた理想が久しくして全く実現したと云ふ事の楽しみは、決して前の二つに譲らぬ楽しみであらうと私は信ずるのであります、而して阿部君の理想とする所、楽しみとする所は、蓋し私が申し上げた其二つでなくて、末に申した一つに在ると思ふのであります、孟子は君子に三つの楽しみありと言ひました、其一に、多く天下の英才を聚めて教育するのも一つの楽しみなりと言つて居ります、既に孟子をして言はしめたならば、深く考へた理想が完全に行はれて是が世界に発達したならば、此位ゐの楽しみはないと言ひ得ると思ひます、果して然らば仕事が世の中に弥蔓した、富が一世を負ふと云ふ楽しみより、寧ろ第三に申したものが人生の楽しみと云ふて宜からう
阿部君の御心は蓋し私が大底申し上げ得られると思ふのであります
之を以て祝辞に換へます
  (拍手起る)
      答辞             阿部泰蔵君
一言今日の御礼を申し上げます
本日は私が生命保険に在職三十五年、火災保険に在職二十五年になりましたに就いて、諸君は私を保険事業に功労ありとして、此の如く盛
 - 第49巻 p.422 -ページ画像 
大なる表彰会を御催ほし下さいまして、私ばかりでなく家族一同をも御招待下さいました、私及び家族は此上もない光栄として深く感謝いたすのであります、又只今保険の事に就いては私一人が大いに功労がある……日本で保険事業の発達したのは私の功であるかの如く、賞讚の御言葉を戴きましたが、それに付きまして、私は此生命保険の日本で開始された時のことを一通り申し上げたいと思ひます
私の考へでは、生命保険の開始されたことは第一に時勢の必要に促され、第二に慶応義塾同窓諸氏の協力に依つて成り立つたものと思ひます、明治維新の後、世間の状態が大いに変遷しました、数百年来世襲の家禄を持つて居つた士族は家禄を失ひ、又農工商も亦先祖からやり来たつた仕事を守りて生計を営むことが出来なくなつた、一家の主人が死去すれば家族は非常に困難の地位に陥ると云ふことが段々多くなりました、慶応義塾同窓者の内にも、主人の死亡の為め遺族が不幸に遭遇したと云ふやうな例は尠くないのであります、そこで明治五・六年の頃から、慶応義塾同窓者は此の如き不幸を救済するの途は無いのであらうか、西洋には生命保険と云ふものが行はれてあつて、一家の主人が死んでも、生命保険の力に依つて遺族が困らないやうに成つて居る、斯う云ふことを日本でもやって見たいものだと云ふ話は、屡々ありましたのであります、併し一寸之を思立つことも出来ず、荏苒歳月を経過しましたが、明治十三年に至りまして初めて、慶応義塾同窓諸氏の協力を以つて、生命保険を経営しやうと云ふ案が出来たのであります
当時主として其の事に与りましたのは小幡篤次郎君・荘田平五郎君・小泉新吉君等《(小泉信吉)》の諸氏でありました、愈よ之をやらうと云ふことに議が熟しまして、扨て何人か局に当る者がなければならぬと云ふことから私が局に当ることに極りましたのであります、翌年十四年開業を致してより以来三十五年間、私は当局者として一身を之に委ねて居りましたけれども、今日皆様に対し御話し申す程の功績も何もないので甚だ慚愧の至りであります、保険の始まりました歴史は只今申しましたやうな訳であります、此事業は決して一人の力で成立つたものでない、其内にも今申し上げた三氏の如きは特に力を尽されたのであります、小幡君・小泉君の両君は既に世を辞して数年に相成りますが、荘田君は創業の時から今日に至るまで終始一貫、保険の事に就いて多大の功労のある人であります、三氏の外にも斯業に功労ある人も少くないのであります、然るに今日私に対して此の如く盛大なる儀式を御催ほしになり、又分外の御賞詞を受けました、私は之を感謝すると同時に衷心甚だ安ぜざる心地が致します、其上当代の名工に嘱して私の胸像を製し、又名画を作つて私に贈られ、尚ほ醵金の残余を挙げて其使途を私に御委せ下さると云ふことは実に諸君の厚意至れり尽せり、誠に有り難い次第に存じます、此画幅は私の家の宝と致して長く子孫に伝へます、胸像は私の家にもちよつと置く場所もありませぬし、且つ諸君の御考へもある事と存じますから、是は生命保険業者の団体たる生命保険会社協会へ寄贈いたしまして、協会の建物内に置いて貰ひたいと思ひます、又残金は私は其処分に付て種々考へて見ましたが、之れは
 - 第49巻 p.423 -ページ画像 
生命保険の誕生地たる慶応義塾に寄附いたし、其図書館に於て此の利息を以て生命保険に関する書籍を買入れ、斯業の発達に資するやうに致したいと考へます、此処分方法に付て諸君の御賛成を得ますれば、私は幸甚とする所であります
  (拍手起る)
重ねて諸君に対して今日盛大なる儀式の御礼を申し上げ、併せて今日御臨席のない諸君へは何卒諸君より、私並に家族一同の感謝せることを御伝へ下さることを希望いたします、御礼まで一言申し上げます
  (拍手起る)
○北里裟袈男君 一寸御報告申上げます、各地より多数の祝電が参つて居りますが是は朗読を省きます
○座長中野武営君 諸君、表彰式は只今にて御目出度結了いたしましたから、是で閉会いたします
  (拍手起る)
        午後四時閉会
右にて記念品贈呈式を終り、次で柳家小さんの落語、支那人李彩の手品と曲芸、三曲合奏宇治巡等の余興あり、同時に庭園に於て茶菓・ビール・すし・汁粉・おでん・かん酒等の摸擬店を開き、五時過散会したり
○中略
    ○会計報告
会計報告左ノ如シ
     収入之部
一金壱万弐千四拾円五拾九銭
    内訳
  金壱万壱千九百参拾参円五拾八銭 醵金
  金壱百七円壱銭 収入利子
     支出之部
一金四千七百七拾五円弐拾四銭
    内訳
  金参百七拾九円六拾六銭 通信費
  金参百七拾八円六拾九銭 雑費
  金六百五拾八円五拾八銭 印刷及用紙代
  金壱千九百壱円五拾九銭 記念品費
  金壱千四百五拾六円七拾弐銭 表彰式諸費
 差引残額金七千弐百六拾五円参拾五銭
        以上