デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
3款 埼玉県人会
■綱文

第49巻 p.511-512(DK490175k) ページ画像

大正3年4月4日(1914年)

是日、上野精養軒ニ於テ、大正第二回埼玉県人会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三一一号・第八三頁 大正三年四月 ○埼玉県人懇親会(DK490175k-0001)
第49巻 p.511 ページ画像

竜門雑誌 第三一一号・第八三頁 大正三年四月
○埼玉県人懇親会 四月四日午後四時より上野精養軒に開会、余興の後、青淵先生は帝国の財政経済に関する一場の演説を為し、本多林学博士は南洋旅行談を為し、終つて食堂に入り数番の演説あり、宴酣なる頃青淵先生其他諸氏の所感談あり、十時頃散会せる由なるが、来会者約三百余名にて頗る盛会なりしといふ。
   ○栄一演説筆記ヲ欠ク。


埼玉県人会報告 第一号・第七―一一頁 大正四年六月刊(DK490175k-0002)
第49巻 p.511-512 ページ画像

埼玉県人会報告 第一号・第七―一一頁 大正四年六月刊
    ○大正第二回埼玉県人会
 - 第49巻 p.512 -ページ画像 
大正第二回埼玉県人会○大正第一回埼玉県人会ハ大正二年四月六日上野精養軒ニ於テ開催サルは前記幹事○幹事名略スの外更に十数名の発起人を加へ、左記案内状に由り大正三年四月四日東京上野精養軒に於て開会せり
      (案内状)
 春暖之候益御多祥奉大賀候、来る四月四日上野精養軒に於て左項の通り大正第二回埼玉県人懇親会を開催致し度候間、万障御繰合の上知己御勧誘奮而御来会相成度、此段御案内申上候 敬具
  日時   四月四日午後四時
  会費   金参円(当日御持参)
  講演   渋沢男爵閣下・本多博士外数名
       余興数番
  賛助   男爵渋沢・浅田・佐野閣下
      発起人幹事(順序不同)○氏名略ス
追而準備の都合も有之候故、御来否は来る三日迄に東京牛込区砂土原町三丁目廿一番地埼玉学生誘掖会内埼玉県人懇親会幹事宛御回答願上候
  次第書
 一 開会の辞            山中隣之助
 二 余興
 三 講演
   財政に関する私見     男爵 渋沢栄一
   南洋ジヤヴ視察談        本多静六
 四 宴会
 五 万歳、閉会
        以上
      出席者
   賛助   男爵 渋沢栄一閣下○外氏名略ス
 概況 当日は大正博覧会開会中なりしが、折悪しく稀なる大雪にて、出席者如何あらんと幹事一同憂色ありしが、定刻に至るや渋沢男爵を始め、在京知名の人士続々来会せられ、席定まると共に山中隣之助氏開会の辞を述べられ、次で渋沢男爵閣下の財政に関する私見と題する詳細なる講演あり、時宛も山本内閣倒れ、清浦内閣或は成らんなど噂ある際なるを以て、非常なる興味を以て敬聴せられ、次に本多博士の南洋ジヤヴ地方視察談あり、末に日本娘子軍の甚だ盛なる状況をも詳説せられ、後種々の余興あり、次で宴席に移り、山中隣之助氏の挨拶、及会員の五分演説あり、一同歓を尽し、終りに再び山中氏より次回幹事の指名あり、万歳を三唱し散会せり。