公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正4年4月17日(1915年)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、大正第三回埼玉県人会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
渋沢栄一 日記 大正四年(DK490176k-0001)
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渋沢栄一 日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
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四月十七日 稍晴
○上略 午後五時過日本橋倶楽部ニ抵リ埼玉県人会ニ出席ス、来会者八・九十名許リ、一場ノ講演ヲ為ス、時局後ニ於ル実業者ノ心得方ト云フ意味ニテ実業ノ事ヲ奨励ス○下略
竜門雑誌 第三二四号・第六三頁 大正四年五月 ○埼玉県人会(DK490176k-0002)
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竜門雑誌 第三二四号・第六三頁 大正四年五月
○埼玉県人会 青淵先生を会長とし高田早苗氏・福沢桃介氏等外数百名に依りて成れる東京埼玉県人会にては、其第三回懇親会を四月十七日午後四時より日本橋倶楽部に開催せり、劈頭余興として早川貞水の講談、吉田竹子の筑前琵琶の演奏ありて、午後五時半より講演に移り青淵先生の「時局と実業界」陸軍大佐吉橋徳三郎氏の「欧洲戦乱に伴う軍事上の問題に就て」諸井六郎氏の「欧洲戦乱の原因」等有益なる名論卓説あり、畢つて午後七時より食堂を開き、席上幹事長山中隣之助氏の挨拶に次で数氏の卓上演説あり、万歳声裡に十時頃散会したるが、当日出席者の主なるものは青淵先生を初め指田義雄氏・笠原文太郎氏・田中唯一郎氏・黒須竜太郎氏・山川法学博士・伊丹医学博士・渋沢工学博士(元治氏)外二百十数名、頗る盛会を極めたりと云ふ
埼玉県人会報告 第一号・第一四―一八頁 大正四年六月刊(DK490176k-0003)
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埼玉県人会報告 第一号・第一四―一八頁 大正四年六月刊
○大正第三回埼玉県人会
大正四年四月十日左記案内状を発送し開会を通知し、四月十七日日本橋倶楽部に於て開会せり
(案内状)
拝啓 愈々御多祥之段大慶之至りに奉存候、却説大正第一回並に第二回埼玉県人懇親会は多数有志の賛同を得、驩声場裡に享楽の実を得たることは御承知の事と存ぜられ候、就ては本年も来る四月十七日(第三土曜日)を期し、日本橋倶楽部に於て其第三回を開催致度候間、御繰合せ、同封名簿御一覧の上御知己御勧誘奮て御来会相願度、此段御案内申上候 敬具
日時 四月十七日午後正四時開会
会場 日本橋倶楽部(電車浜町停留場下車)
会費 金三円(当日持参の事)
講演 渋沢男爵・吉橋騎兵大佐(欧洲戦乱近況)
余興 吉田竹子(筑前琵琶)早川貞水(講談)
発起人
男爵 渋沢栄一○外氏名略ス
大正四年四月十日
追而準備之都合も有之候間、出席の有無四月十日迄に同封の端書を以て御回答被下度候
次第書
一 開会の辞 山中隣之助
二 余興 筑前琵琶(吉田竹子)
講談(早川貞水)
三 講演 男爵 渋沢栄一
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諸井六郎
陸軍騎兵大佐 吉橋徳三郎
四 宴会
五 万歳、閉会
以上
出席者(次第不同)
渋沢男爵閣下○外氏名略ス
概況 当日は春の好季桜花爛漫の節なるを以て定刻を待たず来会者続々絶えず、接待係は殆ど応接に遑なき有様なりき、已にして幹事長山中隣之助氏立て開会を告げ、プログラムの順序に由り最初吉田竹子の筑前琵琶、早川貞水の講談、次に渋沢男爵閣下及諸井六郎氏の講演あり、終りて宴席に移り、例に由り山中隣之助氏挨拶を述べられ後吉橋大佐の欧州戦役に関する詳細なる講演あり、其後会員互に懇談を交へ十分の歓を尽し、和気靄々の裡に随時散会せるは午后十時なりき。
○栄一講演筆記ヲ欠ク。