デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
9款 大蔵旧交会
■綱文

第49巻 p.630-631(DK490203k) ページ画像

大正14年7月(1925年)

是月栄一、元大蔵省ニ勤務セル者ノ社交ヲ目的トシテ設立セラレタル、大蔵旧交会ノ会員トナル。


■資料

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二二頁 昭和六年一二月刊(DK490203k-0001)
第49巻 p.630 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
              竜門雑誌第五一九号別刷・第二二頁昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 一四 七 ―大蔵旧交会々員―昭和、六、一一。


(大蔵旧交会)第二回報告書 第一―二頁大正一四年一一月刊(DK490203k-0002)
第49巻 p.630-631 ページ画像

(大蔵旧交会)第二回報告書  第一―二頁大正一四年一一月刊
(表紙)

            (栄一鉛筆)
  大正十四年十一月  十五年一月四日閲了
   第二回報告書
                    大蔵旧交会

    趣意書
去るものは日々に疎しと申しますが誠に金言と思ひます、回顧すれば吾人等大蔵省管下に奉公致しましたものは幾干あるか判りませんが、御互に卓子を並べ慇懃を通して公務に従事し、殆ど家族的の親密さであつたのであります、然るに一朝其の職を退きますと日を追て倍々疎隔し、終には所在安否さへも判らぬと云ふ様な状態であります、斯くては過去の友誼を偲べば余りに人生の冷かさを感ぜざるを得ないのであります、蓋し是は各自が退官すると同時に交通の機会を失するのと又一面には互に立場を異にする等の関係上、思ひながら此の悲むべき結果を来すものと存じます、今や旧友は各所に散在して或は所好の方面に活動しつゝあり、或は悠々余生を楽む者あり、実に千態万状にして現下は自ら地位が異つて居りますが、遡つて見ますれば所謂一樹の蔭一河の流れ、何人と雖も少くとも御互に忘るることの出来ない間柄であると思ひます、吾人は暮夜一たび思を是等先輩旧友の上に馳するときは、懐旧の情転た禁じ得ないのであります、由来旧友程懐しいものはありません、吾人は時々往訪の情切なる場合もありますが、毎に其の暇に乏しく、況んや居所不明等の為多く之を果し得ないのは洵に遺憾な次第であります、依つて吾人は先輩及旧友各位の援助の下に、大蔵旧交会なるものを組織し、旧知間の交通聯絡の機関とし、常に各自の消息を明にし、時には一堂に会し、互に胸襟を披て往時の思出を語り、旧情を温め、而して共存の誼を篤くし、共に前途多幸ならむことを希ひ度存じます、幸に各位の御賛助を得て吾人等の宿望を達する
 - 第49巻 p.631 -ページ画像 
ことを得ますれば、此の上なき光栄と存じます。
  大正十四年六月二十五日
    発起人(イロハ順)
    市川茂    石原市三郎  井上秀雄
    伊藤安太郎  岩崎鋳太郎  林経明
    林謙吉    羽田弘治   戸川亀
    富沢敬次郎  岡村玉造   片岸清太郎
    狩野蔵次郎  柿谷碩    河辺尚庸
    武本宗重郎  中筋末男   中村富晴
    永沢平三郎  宇井村吉   久保三友
    山田保    不破重兼   藤坂甲子太郎
    荒井終蔵   佐川貞一郎  水沢謙三郎
    島延由    平尾錦太郎

    会則
一、本会は大蔵旧交会と称し、事務所を東京市外荏原郡碑衾村碑文谷一四五番地に置く
二、本会は会員間の聯絡を計り、旧交を温むるを目的とす
三、本会は大蔵省部内に奉職したることある者を以て会員とす
○下略


(大蔵旧交会)第二回報告書 大蔵旧交会々員名簿・第二三頁大正一四年一一刊(DK490203k-0003)
第49巻 p.631 ページ画像

(大蔵旧交会)第二回報告書  大蔵旧交会々員名簿・第二三頁大正一四年一一刊
    大蔵旧交会会員人名
大蔵省退官当時ノ官名 現在ノ職業 住所 氏名
○上略
      (し之部)
大蔵少輔 実業 市外滝野川町西ケ原 子爵 渋沢栄一
○下略
  ○当会々報ヲ通覧スルモ、栄一ガ当会々合等ニ出席セル記事ナシ。