デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
12款 雑 13. 貫名海堂東都後援会
■綱文

第49巻 p.666-667(DK490218k) ページ画像

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■資料

諸会発起趣意書(一) 【(印刷物) (表紙) 貫名海堂先生東都後援会趣旨書】(DK490218k-0001)
第49巻 p.666-667 ページ画像

諸会発起趣意書(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
(表紙)

   貫名海堂先生東都後援会趣旨書

    貫名海堂先生東都後援会趣旨
海堂先生姓は貫名、名は粛、海堂は其号、先生齢已に不惑を過ぎ、近来別に海叟と称す、実に我邦書道の泰斗菘翁貫名先生の孫なり、幼にして家学を受け、書は則ち廼祖の筆法を学びて其神髄を得、更に魏・晋・唐・宋より歴代の墨蹟を臨摸し、研鑽刻苦別に生面を開拓せんとす、詩は則ち経史蘊蓄の余に出て、李杜を規撫し、明清の諸家に及び敢て一家に偏せず、性霊格調両ながら其妙を発揮す、其筆を把るや、運するに書巻の気を以てし、神韻縹渺として墨痕淋漓たり、先生嚮に東上して東都に止まること数年、専ら斯道の研鑽に従事し、兼て明治大学に入り、刑名の学を修め、業将に成らんとするに方り、振古未曾有の大震火災に遭遇し、伝来の墨蹟器玩一朝にして灰燼に帰し、纔に身を以て郷地に免れ、爾来江湖に落托し、筆を載せて各地を歴游すること玆に年あり、名声大に揚り、世人咸な菘翁孫ありと称す、先生廼祖の遺志を奉じ、地を播州垂水に卜し、書院を設け、帷を下して後進を誘掖し、以て斯道の作振に従事せらる、今者先生の東上を機とし、同志胥謀りて海堂先生東都後援会を組織し、書会を開催して先生の作品を頒布し、相共に貫家法書の妙趣を味はんと欲す、大方同好の諸賢希くは賛助の栄を賜はらんことを
  昭和三年戊辰春三月
                 貫名海堂先生東都後援会
      後援者(いろは順)
 - 第49巻 p.667 -ページ画像 
○中略
                   子爵 渋沢栄一
○中略
      会規
一、絹本尺八  壱幅             金七拾円
一、絹本尺五  壱幅             金五拾円
一、絹本尺三  壱幅             金四拾円
一、絹本尺二  壱幅            金参拾五円
  絹本横額面ハ之レニ準ジ、二字・三字・四字・五字額面ノ内撰定セラルベク候
一、紙本聯落  壱幅            金参拾五円
一、紙本半截  壱幅             金参拾円
  紙本横額面ハ之レニ準ジ、二字・三字・四字・五字額面ノ内撰定セラルベク候
一、頒布方法 御申込順ニヨリ一ケ月以内ニ頒布ス
一、会費 御申込ノ際一口毎ニ金拾円ヲ申受ケ、残金ハ現品引替ニ申受ケ候
一、書題 題詩並ニ為書御希望ノ方ハ申込欄内ヘ御記入被成下度候、御指定無キモノハ当後援会ニ於テ適宜ニ撰定可仕候
一今回ノ御申込ヲ記念センガ為メ、先生揮毫ノ紙本二字額面壱葉ヲ漏レナク呈ス
揮毫席
    東京市赤坂区青山南町五丁目六六   貫名書院
                       電話青山六八四〇
    東京市芝区琴平町二番地       晩翠軒
                       電話芝一〇四一 一〇四二
申込所
    東京市京橋区銀座尾張町       鳩居堂
                       電話銀座四四二九 四五五九
○下略