デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.106-108(DK500021k) ページ画像

大正4年10月17日(1915年)

是日栄一、朝鮮総督ヨリ朝鮮ノ金融其他経済ノ発達ニ尽力シタル功労ニヨリ表彰セラル。尚、是月二十三日、栄一、渡米ス。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK500021k-0001)
第50巻 p.106 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
大正四年十月十七日 夙ニ内外ノ情勢ヲ洞察シ、明治十一年朝鮮ニ第一銀行支店ヲ設ケ、明治三十八年韓国中央金融機関ノ任ヲ嘱セラレ、朝鮮経済ノ発達ニ貢献セシコト偉大ナリ又朝鮮銀行ノ設立ニ努力シ、且京城ニ於ケル電気及水道事業ノ基礎ヲ定ムル等、帝国施政ノ方針ヲ翼賛シ、其功労最モ顕著ナリ、仍テ玆ニ之ヲ賞ス     朝鮮総督

 - 第50巻 p.107 -ページ画像 

竜門雑誌 第三三一号・第九六頁大正四年一二月 ○青淵先生の功労表彰(DK500021k-0002)
第50巻 p.107 ページ画像

竜門雑誌  第三三一号・第九六頁大正四年一二月
○青淵先生の功労表彰 青淵先生が旧韓国、今の朝鮮に対つて尽瘁せられたる功労は、金融・財政・電気事業等に止まるに非ず、運輸・交通、就中京仁鉄道敷設権を米人より買収して、朝鮮に於ける最初の鉄道を建設し、引続き京釜鉄道の敷設に就て、率先以て力を尽されたるは、天下公知の事実なりとす。先般朝鮮総督府に於て功労を表彰せられたる中に、青淵先生に関する功労表彰の趣意は、左の如くなりと京城日報は報ぜり、之れに依つて見れば青淵先生が、鉄道敷設に最も与つて力ありし事実は詳かならず。
    金融及交通
                 株式会社第一銀行頭取
夙に内外の情勢を洞察し、朝鮮に於て支店設置の必要を認め、明治十一年の交、釜山に支店を開設し、逐次世運の進展に伴ひ、京城外十数箇所に支店・出張所の増置を為し、朝鮮経済の発達に貢献せしこと尠少ならず、殊に日清の役に際ては、日韓両国の為め尽瘁せし功労多大なるものあり、明治三十八年韓国政府の委托に基き、中央金融機関の枢機を把握するに当り、貨幣の整理・国庫金の出納・銀行券の発行、並に金融機関の更革等専ら難局の衝に当り、古来紊乱混沌たる韓国の財界をして、積年の余弊を掃蕩して、其面目を釐革し、以て績期の功果を奏し得たるは、洵に男爵の斡旋努力の功にして、其功労極めて顕著なりとす、又日露戦役後、京城及び其附近は官民の努力に依り、頗る顕著なる発展を為し、運輸交通等の文明的施設及び金融商業等の経済的機関は、本邦人の創始経営に俟たざるはなし、然るに独り京城市内に於ける電車・電灯事業は、米国人コールブランの経営に係る韓美電気会社に独占せられ、該会社は屡々独占権を利用して暴横を逞せるのみならず、本邦人は徒に利益を壟断せられ、邦人勢力の展開上一大障碍たりしを以て、本邦人にして韓美電気会社買収を企図したる者、一再に止まらざりしも一も奏効せず、然るに日韓瓦斯電気株式会社は百二十万円(外に米貨社債五十万円を継承)の巨費を投じて、韓美電気会社一切の資産及び電灯・電力供給・電気鉄道・電話事業の独占権を買収し、我が同胞をして電灯・電車の文明的利器を安易に利用するの途を啓きたるのみならず、経済上貢献する処鮮からず、殊に通信機関委託取極書に依り帝国政府に於て電話を施設するに当り、韓美会社は時の米国公使をして屡特権侵害の抗議を提出せしめ、電話施設上多大の支障を来さしめたるも、日韓瓦斯電気株式会社は其特権を有せるに不拘、聊も権利を主張することなく、反つて帝国政府の電話施設上に利便を与へたること頗る多大なりとす、蓋し韓美会社の買収は、当時社長渋沢男の発議に係れり、日韓新協約成立後、伊藤統監は在外人経営に係る水道及び電気事業を、邦人の手に移さむとするの方針なりしを以て、主として統監政治の方針を翼賛するの主旨に出でたるものにして、容易に其成果を収め得たるは、男の措置宜しきを得たるに外ならず、日韓瓦斯電気株式会社創設以来玆に八年、陰に陽に提撕指導の任に当り、会社をして克く今日の美果を収めしめたるの功労洵に殊勲に価す

 - 第50巻 p.108 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 大正四年(DK500021k-0003)
第50巻 p.108 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
十月廿三日 曇
○上略 十時半第一銀行ニ抵リ、行員一同ニ別辞ヲ述ヘ、畢テ事務所ニ於テ同族親戚一同ニ告別シ、共ニ午飧ヲ食ス、十二時東京停車場ニ抵ル送別ノ人多数来聚シテ各余カ健康ヲ祝ス○中略 十二時半発車、横浜着、直ニ汽船春洋丸ニ搭ス○下略
  ○中略。
十月廿六日 半晴
午前七時起床、支度ヲ整ヘテ甲板上ヲ散歩ス、昨日来風力減シテ船ノ動揺少シ○中略 明石照男氏ノ余及ヒ佐々木氏ヘ宛テ提出セル、第一銀行ニテ海外為替業開始ヲ必要トスル意見書ヲ一覧ス○下略
  ○中略。
十月廿八日 曇
○上略 発足ノ際携帯セル銀行史ノ原稿ヲ一覧セシモ、到底船中ニ於テ修正シ能ハサルニ付、其事ヲ佐々木氏及明石ニ書通ス○下略
  ○栄一、十月二十三日渡米シ、翌五年一月四日帰国ス。本資料第三十三巻所収「第三回米国行」参照。